聖少女領域(3)

 遅れてアジトにやって来た奈由が目にしたのは、ソファーに座る杏季の髪を、直彦が梳かしている姿だった。

 奈由は入り口に立ち尽くしたまま、カッと目を見開く。


「私が逃したシャッターチャンス他にもあった!?」

「開口一番それ!?」

「倒錯的ィィィ!!!」

「なゆなゆ!?!?!?」


 潤は勢いよく奈由の方を振り向いた。奈由はその場で荷物を放り出し、中を漁り始める。


「だってこんな面白い、失礼、素敵な場面を最初から見られなかったなんて、パパラッチの名折れじゃないですかヤダー」

「パパラッチて」

 

 素早くカメラを取り出すと、奈由は手際よく準備をし始めた。

 

「せっかく後輩に貸してた一眼レフを回収してきたのに、肝心の名場面を逃したとあっては痛恨の極み……」

「だろうと思ったけど、それで写真部寄ってきたんだな、なっちゃん……」

「念のため望遠レンズも借りてきた」

「マジで何のためだ何をする気だ草間」


 呆れ顔で葵が言った。

 アジトの休憩室にいたのは、招集をかけた張本人である直彦に、杏季と潤。それから葵と京也である。裕希にも声はかけたが、「手を出したくなるから現場には行かない」との断りが来ている。ただし、近場で待機はしているとの旨の連絡は皆に来ていた。

 カメラを調整しつつ、奈由は尋ねる。


「それで、あっきーたちはなんでそんな愉快な……失礼、素敵なことをしてるんですか?」

「取り繕えてないからな、なゆなゆ」

「黙れ変態腐れピエロタラシ」

「そこまで言う!?」


 奈由の暴言に潤は慄いた。

 杏季は今の体勢はそのままに、目線だけ奈由に向ける。


「直彦くんがね、新しい髪ゴムくれてね。それで、ついでに結ってくれるって言うから、お願いしてるの」

「早速の! プレゼント! っか〜〜〜〜〜ニクいねぇ! そしてそこまで金額がいかず相手に気を遣わせないライン! はぁ良き」

「あのキャラ崩壊、誰だ? ほんとに草間?」

「僕は今すごく春ちゃんのツッコミが恋しい」


 葵は困惑の声を挙げ、京也はしみじみと呟いた。

 丁寧に櫛で梳かしながら、直彦はちらと、テーブルの上に置かれた普段の杏季の髪飾りに目をやる。


「前から思ってたんだよ。その髪留めも似合ってはいたけど。デザインが少し幼いなって」

「そう……貰った手前、なんも言えなかったけど、そうなのです……」


 杏季は拳を握るのと一緒に、ぎゅっと目を閉じる。

 

「夏の時にね、前の髪ゴムが切れちゃったから新しいのをもらったんだけど……前に貰ったのは中学生の時だから、まだ分かるとしても……また、おんなじ感じのでね。

 それでも、嬉しくて使ってたんだけどね……」


 遠慮がちに杏季が吐き出した。

 彼女の使っていたヘアゴムは、夏以前に使っていたものと同様に、花飾りと白い晶石のあしらわれたものだ。色合いや花の形が少し違うが、デザインは似通っている。

 対して直彦の選んだものは、ごく控えめに小さなビジューが数個、並んだものだ。ぱっと見は目立たないが、光が当たるときらりと輝きを放つ。


「シンプルすぎるかもしれないけど、こういうものの方が使いやすいかなって」

「こういうの好きだよー! ありがとね!」

「これにも抑制具が織り込まれてるから、効果は前と同じだし、そこも心配しなくていいよ」

「それは本当助かるよ! 本気でりょーちゃんから貰ったのに戻す理由がない……」


 拝むような格好で、杏季は両手を合わせた。

 会話をしながらも、直彦が杏季の髪を一つにまとめる仕草をしているのに気付き、ふと葵が聞く。


「今日は一つしばりにするのか?」

「今日だけじゃないよ」


 杏季は淡々と答える。

 

「ツインテールにしてたのは、りょーちゃんが好きだって言ってくれたからだからね。だから、二つしばりは、もう当分はしない」

「そうか……」


 触れてはいけないところに触れてしまったかと、葵はぎくりとして黙り込んだ。

 代わりに直彦が会話を引き継ぐ。

 

「そう。だから竜太からもらった髪飾りを俺からあげたのに変えて、髪型まで変えるのは、最高に意趣返しになるかなと思って」 

「は~~~~~最ッ高」

「あっきー?」


 額に手を当てて軽く天を仰いだ杏季に、潤は戸惑いの声を漏らした。やがて、杏季は奈由に向けグッと親指を立ててみせる。


「そういうわけで。写真は髪ゴムが写り込むようにお願いします」

「任されよ」


 すっと奈由はカメラを構え、無言で撮影を始めた。カメラだけでなく、携帯電話での撮影を織り交ぜるのも忘れない。

 怒濤のシャッター音に構わず、直彦は杏季の顔を覗き込む。

 

「それで。肝心の髪型はどうする?」

「あれじゃなきゃ、別になんでもいいんだけど……どうしよう。はったんと被るけど、簡単なところでポニーテールとかかな? 本当は一本の三つ編みにしたいんだけど、それは悪いし」

「やろうか?」

「エッいいの!?」

「あんまり自信はないのと、時間はかかると思うけど」

「お願いします!」

 

 ぐっと杏季は拳を握った。

 杏季の要望に、潤は首を傾げる。


「何で一本の三つ編み?」

「いや、エドワード・エルリックみたいで格好いいかなって」

「そこ!?」


 妙な理由に潤は目をむき、杏季はけらけら笑った。

 櫛で髪の束をより分けながら直彦が尋ねる。

 

「白原さんってコスプレとかする人?」

「楽しそうだなーとは思うけど、裁縫の腕が壊滅的なので衣装を用意出来ないからやったことない人です。部活で衣装着るのとかはめちゃめちゃ楽しんでたかんじ」

「もし衣装が用意できるって言ったらどうする?」

「エッ!?」


 髪を結って貰っているのも忘れて、つい杏季は振り返った。より分けた髪の束は流れてしまったが、構わず直彦は続ける。


「作れるのが知り合いにいるから、準備はできるよ」

「でも、そーゆーのって高いからな……」

「お金は取らないよ。俺が見てみたいだけだから」

「ほあっ!?」

「相手とは既に別の雇用契約を結んでるんだ。その契約範囲内で頼むだけだから、こっちの負担は変わらないんだよ。ギブアンドテイクと思ってくれれば」

「でも……流石に悪……」


 杏季の台詞は次第に尻すぼみになり、やがて膝の上で頬杖を突く体勢になって考え込んだ。

 

「待って。今、エドワード・エルリックと、ホグワーツ魔法魔術学校の制服と、カードキャプターさくらと、どれがいいか真剣に考えてる」

「あっきー、我欲が出てる」

「いや……水銀燈も捨てがたい……しかしいっそ、昔からの夢だったディズニープリンセスとかでも……あっけどディズニーはハードルがアレなので汎用性の高いドレスをば……」

「ドレスは流石にやめとけ」


 友人の顔が脳裏に浮かび、思わず口を出した葵に、杏季は頬に手を当てつぶらな瞳で聞き返す。

 

「え? なんで? 別に『使った後で演劇部に寄付できるから一石二鳥じゃん』とか考えてないよ?」

「考えてる考えてる」

「出てる出てる、我欲が出てる」

「そっちかよ……」


 ぶんぶんと手を横に振る潤と奈由に、呆れ顔の葵を眺めて、杏季は口を尖らせた。

 

「まあ、高校演劇でドレス着るような演目あんまやんないしね。ドレスが出てくるような話なら、それに見合った別の衣装も必要だし。

 別の……ドレスに見合った……王子……タラシ……!?」

「おいあっきー、こっちを見るんじゃあない!」

「ねえ、つっきー。受験が終わったら、卒業公演と称して王道どころで『白雪姫』でもろうか」

「意見そのものには大変そそられるが魂胆が大変に見え見えなのでらん」

 

 潤は笑顔で断った。

 が、撮影の手を止め、隣で奈由が勢いよく潤を見上げる。

 

「え、普通にやって欲しい、またあれ見たい」

「前にもやったのか? そういうお伽噺系もやるんだな」


 意外そうに葵が尋ねると、奈由はゆるゆると首を横に振った。

 

「いや、あっきー作の『新説スノーホワイト』だよ。王子がタラシなの」

「タラシ」

「一番人気のキャラは8頭身の毒リンゴだったんだけどね」

「それはどういう!?」

「後は同じくあっきー作の『ピーターパン・リバイバル』というミュージカルもあってね」

「ミュージカル!?」

「それは新歓でやったんだけど、文化祭公演ばりの大盛況で」

「ピーターパンがタラシか」

「よく分かるね」

「分からいでか。タラシばっかじゃねぇか」

「人気だったからね」

「人気だったのか……」


 方向性の想像が付いて葵は脱力した。

 奈由の反応をみて、杏季は嬉しげに両手を合わせる。


「ほら、皆つっきーには王子をやって欲しいんだよ」

「我欲を出すでない」

「え、ほんとに我欲を出すとすると、つっきーにはリナ=インバースをやって欲しいし、なっちゃんにはウィンリィをやって欲しいし、はったんには綱手様をやって欲しいって言うけど?」

「やらねーよ!? ってか何なっちゃんとハガレン合わせをしてるんだ羨ましい」

「じゃあ、つっきぃアルフォンスやっていいよ」

「鎧じゃねーか」


 両の拳を握って、更に杏季は続ける。


「葵くんには赤い本を持ってザケルと叫んで欲しいし……」

「あれほぼ制服じゃなかったか? 変化あるか?」

「京也くんには護廷十三隊の隊服を着て卍解ばんかいして欲しい……」

「生憎と僕の刀は卍解できないんだよ」

「頑張ればいけない……?」

「頑張ってもいけないね……」


 苦笑いで京也は答えた。

 再び髪をまとめ始めた直彦は杏季に尋ねる。


「結構マンガとか好きなんだね」

「うん! というか、活字中毒なので本の延長みたいなかんじかな。ストーリーがあるものなら媒体問わずに好きだよ。

 知らない人多そうだから言わなかったけど、本気で好み全開で言うなら、ゆうくんには鳥彦をやって欲しいし、直彦くんには戯言遣いをやって欲しい……通じないかもだけど……」

「戯言遣いとは光栄だね」

「え、知ってるの!?」

「判るよ。ただ、どうせやるなら戯言遣いより、人間失格の汀目みぎわめ俊希としきの方が楽しそうだけどね」

「待ってそっちの名前出てくる!?!?!?」

「出てきたね。あと臨心寺の鳥彦はそのまんま過ぎるね」

「そっちも判るの!?」

「判るよ」


 盛り上がり始めた二人をよそに、他の四人は静観し始める。


「何の話?」

「あっきーの好きな小説の話」

「へえ……?」


 奈由に確認して、葵はぼんやりと二人を眺めた。


「あの二人は」


 ぼそりと、潤が二人へは聞こえぬ程度の音量で呟く。


「アリというか、割と普通に良さそうなコンビだから余計に厄介なんだよな……」


 潤は腕組みして、目線は杏季たちを見据えたまま葵に話をふる。


「アオリン。臨少年のメンタルは大丈夫?」

「たぶん駄目だ」

「ダメかぁ……」


 息を吐き出しながら、潤は肩をすくめた。




 


「さて。こんな感じかな。どう?」

「わーい! ありがとう!」

「いや。あんまり綺麗にできなくてごめんね」

「そんなことないよ、十分だよ」


 完成した三つ編みを触りながら、杏季は満足そうにお礼を言った。


「直彦くん、器用だね」

「昔はよくやってたからね。久々だったから手間取っちゃったけど」

「そっか……」


 杏季は少しだけ表情を歪めてから、話題を変える。


「そういえば。りょーちゃんから、あれから何か言われた?」

「来たよ。メールで写真送った直後に電話が」

「大丈夫だった?」

「『お前が言えた義理か?』っつってがちゃ切りしたけど」

「最高」


 ぐっと杏季はまた拳を握った。


「でも、ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」

「気にしないで。俺だって、今日これからお願いしたいことがあるんだしさ。あ、勿論、話を聞いて嫌なら断ってくれていいんだけど」

「けど、りょーちゃん面倒くさいでしょ?」

「本当に大丈夫だから。

 それに宮代竜太との間に一線が引かれることは。にとっても、願ってもない展開だったからな」


 途中から、不意に声のトーンが妖しく変わった。その変化を捉え、杏季は不思議そうに目を瞬かせる。

 と、直彦は杏季の前に跪き、彼女の手を取った。突然の行動に、困惑して彼を見つめた杏季だったが。直彦の顔を見て、はっとして目を見開く。


「姫様。どうか助力を乞い願いたい」

 

 直彦の瞳は。

 瞬時に、血のような赤に染まっていた。


 


「――高神楽家、として」

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