聖少女領域(2)
――同時刻。舞橋中央高校。
学園祭の最終日に、直彦が杏季にした公開告白は、全校レベルの噂となっていた。
それが見事に成功したとなれば、生徒達が色めき立たない訳がない。どこからどう拡散したのかは知れないが、本日、直彦の悲願成就の話題は学校中に飛び交っている。
当然のようにその噂は、直彦とクラスが違うはずの京也の耳にも、もれなく入ってきていた。
昼食後に生徒会室へやって来た京也は、そこに学園祭実行委員長の堂島翔流の姿を認めて、悟られぬ程度に息を吐き出す。直彦の噂について、周りの生徒からの追求を避けるため逃げてきたというのに、先客がいたのでは仕方がない。
しばらくは当たり障りのない会話をしていたが、案の定、彼らの話題は早々にそこへ行き着く。
「お前、高神楽の話、知らないのか?」
「知ってる……というか」
まさに現場にいた、という台詞を、京也はすんでのところで飲み込む。直彦本人が周りにどういう説明をしたのか、まだ詳細が知れない段階で、迂闊なことは言えない。
「あれだけ話題になってりゃ、まあ」
「相手は、お前が助っ人で連れてきた子だろ?」
「そうだよ……」
「すげーよなぁ、まさかあの状況でオッケーしてもらえるとは。夢があるよな……」
「そうだな……」
返答も、つい無気力になる。その反応に、翔流は不思議そうに眉を寄せた。
「なんだ。いいニュースなのに、随分テンション低いな。お前の断髪式の話題が薄れたからか?」
「なんだよ断髪式って。むしろ薄れてくれて結構だ」
どちらかといえば、一刻も早く皆に学園祭での演説のことを忘れて欲しい京也は、その点に関してだけは密かに安堵していた。が、それとこれとは話が別だ。
「じゃ、どうしてンなローテンションなんだよ」
「それはだな……」
実際には、ため息の出る要因があまりに多かったが、京也は事実かつ差し障りのない理由を伝える。
「直彦とも共通の知り合いなんだけど、僕の友達に杏季ちゃん狙いの奴がいたんだよ。学園祭の日もその現場にいた。だからこう、僕としては反応しづらいというか」
「それは、なんとまあ、ご愁傷様だな」
京也の説明に納得し、翔流は頷いた。
「お前は、そっちの友達の応援してたのか?」
「応援もなにも。それ以前に、あいつの方が直彦よりよっぽど距離は近かったし、こんなことになると思ってなかったからな。こう……突然の展開に混乱してる、というのが一番近いかもしれん」
これも嘘偽りない京也の本音ではある。あの場にいた誰しも、当の直彦本人ですら、予想だにしない事態だったのだ。
因みにあれから裕希がどういう状況になっているかについては、まだ怖くて聞けていない。
「なんだ? あの子、あれでいて小悪魔系?」
「いや」
そこは即座に否定してから、京也は数秒、考え込み。ややあって、ぼそりと呟く。
「悪気ゼロの、天然無自覚フラグクラッシャー……」
「一番どうしようもできないやつじゃん……」
思わず翔流は京也と共に、静かなため息を吐き出した。
******
「よーやく見つけた」
放課後。一人で廊下を歩く直彦を見つけた京也は、彼の肩をがしりと掴まえた。
この日、ずっと話をする機会を窺っていたのだが、話題の渦中である彼を捉えられるタイミングは皆無だった。放課後になり生徒が散会し始めた時間になって、ようやく京也は一人でいる直彦を発見したのだった。
特に驚くでもなく、直彦は平然と言う。
「なに? この後、行かなきゃいけないとこがあるから、あんまり時間は取れないんだけど」
「分かってるよ。皆を集めたんだろ。僕も行くから問題ないだろ」
「あ、やっぱり京也はお呼びがかかったんだ。じゃあ、帰りがてら話そうか」
言いながら、直彦は既に下校準備を終えた鞄を肩にかけ直す。同じく帰り支度を済ませていた京也は、そのまま直彦の隣に並んだ。
部活に向かうのであろう生徒の集団とすれ違い、彼らの周りに人気がなくなったところで、直彦は口を開く。
「大体、何を聞きたいかは想像つくけど。昨日今日の口裏合わせだろ」
「それもある。お前、何をどういう風に話してる?」
「そのまんまだよ。『昨日、改めて話をしに行ったら、彼女からOKもらった』ってとこ」
「確かにそのまんまではあるな……」
「変な嘘を織り交ぜてボロが出ても困るしね。嘘は一つもついてない。お前含めたギャラリーが大勢居たことと、彼女と取引があったことは勿論言ってないけど。
つまり京也は、他の連中と同じように、今日の噂で事情を知ったことにしてくれたらオッケーだ」
「分かったよ。逃げ回っちゃいたけど、元よりそのテイだ」
京也と直彦が同じ生徒会の役員であることは、広く知られている。なのでこの日、京也は京也で冷や汗をかきながら、違和感のない程度に同級生からの追求から逃げ続けていたのだった。
続けて問おうとした京也は、しかし口を閉ざした。彼らの進む先に、見知った後輩達の姿が見えたからだった。片方は京也の所属していた茶道部の2年の男子で、もう片方は部活も生徒会も一緒で直彦とも面識のある2年の女子である。
挨拶をする前に、後輩女子が「あ!」と彼らに気付く。
「京也先輩、直彦先輩、お疲れさまですー」
「お疲れ」
「うわー雨森先輩マジで髪短か! なんか変ッスね!」
「変言うな!」
「あ、そうだそうだ、ちょっとだけいいですか京也先輩」
一瞬だけ直彦に視線をやってから、二人は京也を引っ張って少し直彦から距離を取ると、小声で京也に尋ねる。
「雨森先輩。あの人が例の副会長っスよね!?」
「……そうだけど」
「京也先輩が直彦先輩と彼女さんとの仲を取り持ったってマジです?」
「……どこの誰から聞いた?」
「2年の間で割と広まってますよ。副会長のカノジョは雨森先輩の友達で、先輩の紹介で出会って仲を取り持ってもらったって」
「マジか」
「違うんスか?」
「友達なのは事実だが、紹介はしてないし、後押しは別に一切していない……」
「だって。直彦先輩の彼女って、この人ですよね?」
後輩女子は、携帯電話を開いて写真を京也へ見せた。それは昨日、杏季と直彦が撮ったツーショット写真である。怪訝そうに京也はそれを凝視する。
「なんで、この写真」
「この人、京也先輩の彼女の友達なんですよね?」
「いや待て僕の彼女って誰の話だ一切違う全面的に噂を訂正してくれ!」
「無理っス」
知らぬところで自分に飛び火している事実に焦り、変な汗が背中を伝った。
と、不意に京也は背後から肩を叩かれる。
「なんの話?」
当事者の登場に、後輩二人はたじろいた。
直彦は苦笑いを浮かべながら続ける。
「大体、聞こえてるけどね。いるんだから直接、俺に聞けばいいじゃん」
「だって直彦先輩、秘密主義じゃないですかー」
「話さないだけで、聞かれれば答えるよ」
「本当ですか!? じゃあ、京也先輩が彼女の友達を合コンで直彦先輩に紹介して、京也先輩とその彼女の取りなしで直彦先輩達が付き合うに至ったっていうのは、どこまで本当なんですか!?」
「うん、全部違うね」
「マジっすか!?」
「嘘言ってどうするの」
笑いながら直彦は差し障りのない事実に訂正する。
「知り合ったのは、完全な別口。俺は彼女の親戚経由で知り合ったんだよ。京也経由での彼女との絡みはなかったから、びっくりしてんのは京也も一緒だからね。あんま会う機会がなかったところに、学園祭に出るって聞いたから、ダメ元で告ったんだよ。
あと残念ながら、京也には彼女はいない」
「ウッッッソ!」
直彦の言葉に、後輩男子が慄く。
「マジすか!? それが一番びっくりだわ!」
「逆になんで僕に彼女がいることになってるんだよ」
「だって舞女の元演劇部だったショートカットの人と付き合ってるって」
「違う違う違う違う違う!!!!!」
京也は思わず声を荒らげた。
「一体どっからそんな話になった!? 何がどうしてそうなるんだよ!?」
「一緒にいるとこを見られたからじゃない?」
「大体、複数人でいるだろうが……切り取るなよ……」
脱力して、京也は深く息を吐き出した。
「お前、どういうつもりなんだ?」
後輩達と別れてから、京也は直彦に尋ねた。
「どうって?」
「噂だよ。尾ひれも背びれもついて、広がりすぎてる。いくら食いつきやすい話題だからって、限度があるだろ」
言外に、噂の広まり方に直彦の積極的な意図が介在していることを問うと、彼はあっさりそれを認める。
「まあ。影からも煽らせてるからね。だってそれが彼女の望みだろ。おおっぴらに喧伝することがさ」
「そりゃ、そうだけど」
「京也を巻き込んだ噂になってたのは悪いと思ってるよ。それは想定外だった。噂は広がるうちにどうしてもね。けど、違う部分は一個一個、訂正しとくから」
「僕はともかくとしても」
京也は、先ほど後輩から見せられた写真を思い出す。拡散しているのは噂だけではない。昨日、直彦と杏季が撮ったツーショット写真も、一部の生徒の間で密かに出回っているようだった。
「二人の画像を持ってるのは、あいつらだけじゃないんだろ」
「そうだよ。写真が出回る範囲は限定してあるし、一定範囲内で留めるよう釘は刺してあるけどね。
そうなるように仕向けはしたけど、今日一日でこれだけ噂が拡散したのは、どう考えてもその効果が大きいな。言葉だけより、画像付きのインパクトは大きい」
「画像付きは、やり過ぎじゃ」
「本人の許可は取ってるよ」
「杏季ちゃんが!?」
思いもよらぬ返答に、京也は目をむいた。直彦は真顔で頷く。
「直接、野郎に話しかけられるのは苦手なようだけど、別に自分の写真が出回る分には平気だって言ってた。引退する前は演劇部だろ、むしろ撮られ慣れてるってさ。悪乗りした奴らに無理矢理データを持ってかれたテイにして流出させたけど、本人の許可がなきゃ、そこは死守するさ」
「意外だな……」
独り言のように呟いた京也に、直彦はぼそりと告げる。
「彼女にとって。これは宮代をやり込めるための『演技』だからね。で、今はスイッチが入ってる状態」
「スイッチ」
顔を上げて、京也は目を瞬かせた。
「俺とかろうじて話が出来るレベルだったとはいえ。今までの彼女を考えると、それまでほとんど絡みのなかった男子と、いきなりフラットな状態で交際するってのは無理があるだろ。
だけど昨日、俺と写真を撮ったときに、あそこまで距離感を詰めても彼女は動じなかった。一瞬、身体が強張りはしたけど、それを誤魔化すように次の瞬間は平常心を取り繕ってたよ。
おそらくあの時から、彼女はそういうスイッチが入ってる」
口元に手を当て、思案する様子で直彦は続ける。
「つまり彼女は。昨日の時点で、完全に宮代とは一線を引いた。
その辺りを図るために、あえて物理的に近付いてみたんだけど。おそらく、間違いないと思う。ただ竜太の気を引きたくてやってることなら、そこまで腹を括れるとは思わない。
いずれ宮代と和解したとして、二人の距離感は、付き合い方は、これまでと変わるよ。竜太からではなく、彼女の立場からね。
それが。俺にとっても、好都合なんだけどな」
彼の細められた目に、京也はぞくりと悪寒を覚える。
「お前、何を考えてる?」
「それは皆が集まったところで話すよ。全部ね。こうなったら俺も彼女に敬意を表して、手の内を開示するつもりでいる」
「手の内……」
「護衛者になって、足がかりを掴めれば御の字だと思ってた。だけどまさか、こんな展開になるとは思ってもみなかった」
直彦は、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「宮代の事を、あいつらの意向を無視して動けるのなら――これほどの王道も、そうそうないんだからな」
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