secret base(1)
廉治は関係各所に連絡を取り、早々に引越しの手筈を整える傍ら、どうしたものかと思案する。
恵から、潤に近付くなと通告されはしたものの。連絡先を消された以上、廉治には潤へ引っ越しをする旨を伝えるすべがなかった。
杏季の連絡先ならば承知していたが、潤より関わりの薄い彼女経由で伝えてもらうのは少々不自然だ。
学校か寮近辺で待ち伏せれば会えなくもないだろうが、女子校前で男子校生が待っていたとあっては、大なり小なり騒ぎになるだろう。それこそ恵の意図するところではないだろうし、余計な火種を与えたくはない。
かといって黙って引っ越した場合、それはそれで面倒なことになりそうだった。
しかし、結果としてその心配は杞憂であった。数時間後、今度こそ本物の潤が、練習終わりにそのまま彼の元を訪ねてきたからである。
それこそ、先ほど恵が騙った『差し入れのお裾分け』という理由を引っ提げて。
おそらく恵が持ってきたのだろう差し入れのシュークリームを前に、廉治は一瞬、身構えるが。他の誰に当たるか分からない差し入れのお菓子へ、何か仕込むようなことはしないだろうと気を取り直す。それを差し引いたとて、一介の高校生である彼が、食べ物に何かを盛ったりまでは流石にしないだろう。そうであって欲しかった。
ただ、潤が自分のところへ来るよう仕向けたのは恵の仕業かもしれない、と廉治は勘繰る。
恵は四人組とはそれなりに懇意なはずだ。普通に考えれば、差し入れが余るはずないのだ。クッキーのようにグラムで計上される類のものなら話は別だが、シュークリームのようにピンポイントで数を指定して購入するはずの差し入れで、余りは出ない。
複雑な思いは抱きつつも、素直にシュークリームを受け取ると。廉治は潤に、ごく簡単に引越しのことを告げた。
突然の話に、潤はきょとんとして、大きな目を瞬かせる。
「引っ越しぃ? なんでまた急に?」
「前々から話はあったんですよ。祖父母が亡くなってから実家は手放していたんですが、最近になって後見人が買い戻してくれたので、そこに住まないかと言われていまして。
けど夏まではチームCの活動がありましたから、ここに住んでる方が楽だったんです」
「じゃ、どうしてこのタイミングなんだ? もっと前に解散してただろ」
「単に面倒だったからです」
「面倒」
「だって引っ越しって、本当に面倒じゃないですか。だけどここ、冬は寒いんですよね」
「ああ……」
言われて潤は辺りを見回す。コンクリート打ちっぱなしの室内は、エアコンが設置されているとはいえ、お世辞にも暖かそうとは思えない。
「それに、春以降は進学でまた別の場所に引っ越すかもしれないですし、今を逃すとせっかくの実家をずっと放置しそうでしたから。いよいよ後見人にせっつかれたので、受験と寒さが本格的になる前にと、ようやく重い腰を上げたというのが経緯です」
「ほーん」
彼の説明に、潤は納得したような声を上げる。
せっついたのが後見人ではなく恵であることと、本音ではこの期に及んでも引っ越す気がなかったこと以外は概ね事実だ。
「そっかぁ。いなくなっちまうのか。
いや、引っ越しは仕方ないことだけどさ。お前いなくなんのかー……家主不在かー」
「家主じゃないです。今後も使いたければ、本当の家主の直彦にお願いすれば、問題なく使わせてくれると思いますよ」
「それはそうなんだけど! でもなー。管理人不在のアジトを占領するってのもなー」
「だから管理人じゃないです」
軽くごねながら、潤は口を尖らせ、だらりと机へ突っ伏す。
「ちぇー。せっかくの潤さんの秘密基地がなくなっちまうのかー」
「貴女の秘密基地でもないですけどね」
「ちょうどいいアジトだったんだけどなー」
「だからそれは継続して大丈夫って言ってるでしょうに」
「いやだって直彦にいちいちお伺いたてんのも大変じゃんか。お前が常駐してればこそ来てたけどさー。
そういや、引っ越しって、どこにいくんだ? 貴咲に戻んの?」
「いえ。水橋家に引き取られる時、貴咲市に行きましたけど、僕は元々、舞橋市民です。小2くらいまではこっちにいました」
「あれ、じゃあ近所!? なら実家には寝に帰って、普段はここにまた通えば良くない!?」
「それこそ僕が面倒なんですが……。まぁ自力で行けない程ではないですが、徒歩だとそこそこ遠いですよ。
何気なく聞かれた問いに、何気なく答えると。
しかし潤は、途端にがばりと身を起こした。
「え、めっちゃ近いじゃん」
「いえ、全然近くはないですけど。地理感覚アホですか?」
「アホじゃねーし! 潤さん方向音痴とかでもねーし!
いや、ここじゃなくてさ。私の実家とめっちゃ近い。うちは
聞いた地名は、確かに廉治も聞き覚えのあるもので、彼は眉間に皺を寄せた。
「本当に近所ですね」
「ていうか隣町だし」
「ですね……」
彼女と距離を取るためにする引っ越しの筈が、思わぬ展開になり、廉治はつい声が漏れる。
「まさか同じ学区とかじゃないよな……」
「あっ!」
潤はなるほどとばかりに快哉を上げるが、直後に、
「あ〜〜〜〜〜!」
と、一転して口惜しそうな声を上げる。
「そうだ。私、附属小だから、地元の学校じゃないんだよ。そこならフツー間違いなく同じだろうけど、私が違うんだ」
「ああ」
どこかほっとして、廉治は納得し頷く。
舞橋市内には、地元国立大学の小中一貫校がある。彼らの住んでいた地区からだと、徒歩で行くには少々遠いが、自家用車やバスを利用して附属小へ通う子どもはちらほらいた。
「通えない距離ではないですしね。僕の周りにも、何人かいましたし」
「小学生が自力で行くにはちょーっと遠いんだけどな。家の近くにちょうどいいバス停がないから、わざわざ本来通う学校の前のバス停まで行ってたりしてたわー」
聞きながら、廉治ははたと考え込む。
「バスで通ってたんです?」
「まあ、その時次第かな? 基本は送ってもらってたけど、恵もいたから、都合が悪いときはバスの時もあった。そんでさ、低学年の頃にあのバカが1時間以上かかる道を徒歩で踏破しようとか言い出して、挙げ句に
「ちょっ」
笑い混じりに語り出した潤は、急に椅子を引いて立ち上がった廉治に驚き、話を止めた。潤は怪訝に彼を見上げる。
廉治もまた、固まった表情でもって、潤をじっと見返した。
「……嘘だ」
「なんだなんだ、急にどうした?」
素直に答えるべきか、はぐらかすべきか。
廉治は咄嗟に思案し、自分の境遇と先ほどの恵の来訪を思い返して、余計な波風は立てるまいと口を閉ざしかけたものの。
数秒、黙って潤の目を見つめ。
やがて廉治は、前者を選んだ。
「ジュジュ?」
「え」
彼から発された単語に、息を止めてから。
「待て。待て待て待て待て待て」
潤もまた、盛大に椅子を蹴倒し、立ち上がった。
「……レン?」
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