消せない罪(3)

――二つ前の世界。2005年10月15日。


 月谷恵は、この時も水橋廉治の元に乗り込んだ。






+++++



 舞橋中央高等学校の学園祭舞台への出場日前日。



「おーい鬼畜メガネ! 差し入れ持ってきてやったぞ感謝しろ!」

「……月谷さん?」


 ばんと遠慮なく開かれたドアを振り返り、廉治は目を見張る。そこに立っていたのは、片手に紙袋を持ち、舞橋女子高校のえんじ色のジャージを着た月谷だった。

 不躾ぶしつけに現れた人物へ、廉治は怪訝に尋ねる。


「どうしたんです? 皆さんと練習をしていた筈では」


「休憩時間だ! 家族から差し入れを貰ったから、哀れな水橋にもお裾分けを持ってきてやったんだよ。潤さんに感謝しろよな」


「なるほど。それはお気遣いありがとうございます。……それはそうと」


 廉治は差し出された紙袋を受け取りながら、探るような眼差しを相手に向ける。



「僕に何の御用ですか? ――月谷『恵』さん」



 廉治の言葉に、月谷は軽く笑いながら首を傾げてみせる。


「なぁに馬鹿なこと言ってんだよ。恵は東京だろ。こんなとこ、来るはずがない」


「東京といっても、電車でたかが数時間だ。平日ならまだしも、休日に来るのは別段、無理な話じゃない。

 それから月谷潤さんは、緊急事態でない限り、自分の目の前にいる友人たちを置いて、僕のところに来たりはしない。本当に今のような理由で持ってきてくれるのだったら、練習が終わってからにするでしょう。

 加えて、特段の理由がないなら彼女は出会い頭にそこまでハイテンションに絡んでこないですし、今みたいに上からの物言いをしません。

 なにより。彼女は最近、僕を『ユキ』呼びしてますから」


「……へぇ」



 目の前の人物は、不快そうに眉間へ皺を寄せた。

 と、それ以上の言い訳を重ねるでもなく、あっさりと認める。

 

「よく分かったな、水橋廉治。

 俺の潤の変装を一発で見破ったのは、これまで奈由と京也くらいだ」


 口元だけ笑みの形に整え、恵は訥々とつとつと告げた。

 対する廉治もまた探るような眼差しで、潤の姿をした恵をじっと見返す。



「最後のは、カマをかけただけですよ。月谷さんとは、それなりに会話はさせていただいておりますが、そこまで親しい呼び方はしてません」


 彼の言に、恵は忌々しげに舌打ちする。

 

「にゃろ……謀ったな」

「違和感はあったとはいえ、僕も半信半疑でしたから。夏に逆のパターンは見ていましたが、……本当にそっくりだ」


 しばらく、まじまじと恵を見つめてから。

 やがて廉治は気を取り直して尋ねる。


「夏の話を聞いて。僕に一言二言、物を申したい……というのが、今日貴方が乗り込んできた理由ですか」

「ああ。本当は『潤』の姿でやるつもりだったが、ばれちまったらしょうがないな」


 恵は上のジャージを脱ぎ肩にかける。空いた片手はジャージのポケットに突っ込み、恵は椅子に座ったままの廉治を見下ろした。



「単刀直入に言おう。

 これ以上、潤に近付くな」



 穏やかな口調ながら、命令形で恵は告げた。

 しかし廉治は眉一つ動かさずに、動じず答える。


「それは。どちらかと言えば、僕より貴方のお姉さんに伝えるべきでは?

 僕は、ここにいるだけだ。便利な自習室扱いして訪ねてくるのは彼女の方です。

 結果として、ここに頻繁に来ているのは月谷潤さんだけですけれども――聞いてるかは知りませんが、ここは高神楽直彦の持ち物で、夏に関わった彼ら全員へ使用を許可しています。彼が許してる以上、僕に拒絶する権利はない」


「その辺もわぁかってるよ。けど、俺が言ったところで潤が素直に納得するわけねぇだろ」


 面倒そうに顔をしかめ、がりがりと頭をかいてから、恵は独り言のようにぼそりと付け加える。


「俺が諸々お膳立てしたにも関わらず、あいつは結局、平日はスティック叩きに来てたみたいだからな。あっちに働きかけても、もはやあんま効果がねーんだよ」


 最初、言葉通りに彼の言葉を受け止めてから。

 一瞬遅れ、廉治は目を見開いた。

 

「まさか。貴方、月谷潤の姿で、僕に嫌われるか、二度と近付けなくなるようなことでもするつもりだったんですか?」

「察しがいいな」


 またもや恵は、誤魔化すでもなくあっさり認める。


「適当に適当な酷いことでもしてやるつもりだったんだが。お陰で俺が直接、手を汚す手間が省けて心が痛まずに済むよ。よかったなお互いに」

「……こんなことをして、月谷さんが喜ぶとでも?」

「思っちゃいないな。むしろ知ったら潤はブチ切れるだろうよ」


 途端、ぼんと煙が立ち上り、部屋に白い靄が充満する。

 やがて煙がひいた頃。そこに立っていたのは潤ではない。

 服は舞橋女子高校のそれだが、体格は紛れなく男のものである潤の弟、月谷恵だった。


 

「けどな。甘すぎる姉の後始末をつけるにゃあ、片割れの俺が代わりに甘んじて汚れ仕事を引き受けて然るべきだろう?」



 仏頂面のそれに、しかし一切迷いのない目の色を讃えて、当たり前とばかりに恵は言い切った。



「と、いうわけだが。まぁすぐバレはしたけど、お前の場合、余計な小細工よりは、正面から交渉した方が話が早そうだ。

 そうだろう? 『芦原あしはら廉治ゆきはるさんや」

「……貴方を敵に回すのは。とんでもない愚策になりそうだ」


 目を細め、低い声で呟き。

 廉治は静かに頷く。

 

「分かりました。不自然にならない理由をつけて、距離を取ります。

 ただ、人的要因で突然に遮断してしまうと、かえって彼女の場合は逆効果になりそうなので。迂遠ではありますが環境を変えることにします。少し時間はかかりますけど、物理的に距離が出来れば、自然とフェードアウトしていくでしょう」

「具体的には?」

「実家に引っ越します。面倒で後回しにしてましたが、元々そういう話はあったんです。

 実家はここより辺鄙な場所にありますし、ただの民家です。そこへ押しかけてくることは、さすがにないでしょう」

「なるほど。悪くない案だな。

 が、もう一押しだ」


 恵は左手を広げ、廉治の方へ突き出した。


「潤の連絡先を消させろ。あいつのことだ、どうせ連絡先は押し付けてるんだろ? 貸せ」


 恵の手の平にちらと目をやるも、さすがに廉治は渋る。

 

「僕が自分で消すのでは信用がないですか?

 それにさっきも言いましたけど。僕の方を消したところで、彼女の方のデータを消さないとあまり意味がないのでは? ここの鍵が空いてるかどうかの確認にメールをしてくるのは、彼女の方ですから」

「お前がどうというより、デジタルデバイスの汎用性を信用してるもんでね。

 他人に携帯渡すのに抵抗があるのは分かるが安心しろ、お前の潤以外の交友関係に一切合切興味はない。

 それと潤の方のデータは既に消去済みだ」

「抜かりがないですね……」


 しばし悩んだが、やがて廉治は渋々、恵に携帯電話を手渡した。

 受け取り、わずか1分2分、無言で操作してから。廉治の手にすっと携帯電話を戻すと、彼は来た時の騒がしさとは正反対に、ごく静かに立ち去った。

 

 ドアが閉まり、足音が遠ざかるのを確認してから、廉治はため息を吐き出した。背もたれに体重を預けて携帯電話を開き、データを確認する。

 と、やがて廉治は怪訝に顔を歪め、眉を寄せた。


 

 

「……の野郎。メールまで全部削除していきやがった」



 

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◇参考

【第3部】コウカイ編

 間章:学園祭サラバンド「スポンサーの戦略的撤退」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887057100


 10章:こはいかに「READY STEADY GO(1)」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887346626

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