READY STEADY GO(1)
時を遡ること一週間ほど前。
――2005年10月15日。
舞橋中央高等学校の学園祭舞台への出場日前日。
「おーい鬼畜メガネ! 差し入れ持ってきてやったぞ感謝しろ!」
「……潤さん?」
ばんと遠慮なく開かれたドアを振り返り、廉治は目を見張る。そこに立っていたのは、片手に紙袋を持ち、舞橋女子高校のえんじ色のジャージを着た月谷だった。
「どうしたんです? 皆さんと練習をしていた筈では」
「さっき恵の野郎が来やがって、差し入れのシュークリーム持って来たんだ。んで時間も時間だし、おやつがてらに休憩タイムになったんだよ」
「ああ、道理で。さっきから下が騒がしいと思いました」
「そうなんだよ!! あいつ、来るなり私に水ぶっかけやがって、服が濡れちまったんだ。まだ着替えがあったから良かったけどな」
「なるほど。災難でしたね。……それはそうと」
廉治は差し出された紙袋を受け取りながら、探るような眼差しを相手に向ける。
「僕に何の御用ですか? ――月谷『恵』さん」
「……へぇ?」
目の前の人物は、不敵ににやっと笑い。無言で左手首に嵌めていたブレスレットを外した。
途端、ぼんと煙が立ち上り、部屋に白い靄が充満する。
やがて煙がひいた頃。そこに立っていたのは潤ではない。
服は舞橋女子高校のそれだが、体格は紛れなく男のものである潤の弟、
「よく分かったな。褒めてやるよ、水橋廉治。服で気付かれないよう、わざわざホンモノの潤に水までぶっ掛けて来たっていうのにさ。
俺の潤の変装を一発で見破ったのは、これまで奈由と京也くらいだ」
口元だけ笑みの形に固めたまま、恵は
対する廉治もまた探るような眼差しのままで、元の姿に戻った恵をじっと見返す。
「一応、仮でも彼氏ですから」
「よく言うよな。適当な口実つけてあいつに近付くのが目的だったくせに」
「……僕と潤さんの関係を聞いて、不審に思ったというのが、今日貴方が乗り込んできた理由ですか」
「ああ。本当は『潤』の姿で探るつもりだったが、ばれちまったらしょうがない。まどろっこしいことはなしでやらせてもらう」
恵は上のジャージを脱ぎ肩にかける。空いた片手はジャージのポケットに突っ込み、恵は椅子に座ったままの廉治を見下ろした。
「単刀直入に言おう。
潤に近付いたのは、何が目的だ?」
穏やかな口調ながら、断定系で恵は詰問した。
廉治は動じずに答える。
「心外ですね。いくら夏に僕が彼女へ危害を加えているからといって、現在の関係についてまでおいそれと疑われる謂れはないのですが。
純粋に僕の個人的な事情があって、申し訳ないながら彼女に助けてもらっているんです」
「とぼけるなよ。潤の阿呆は気付いてなかったがな。あんたが仮初の彼氏彼女なんて関係を持ち出してきたのは、潤の左腕の症状を知ったからだろう。
あんたは腕の事を聞かなければ、付き合おうなんて提案しなかったはずだ」
見透かしているかのようにきっぱり言い放った恵に、廉治は口を閉ざす。しばらく彼は黙り込んでいたが、やがて決意したように顔を上げた。
「……分かりました。誤魔化しはきかないようですね。少々込み入った話になりますが、お話ししましょう。
ただ、一つだけ。お話しするにあたり、一つだけ条件を出しても構わないでしょうか」
「内容にも依るな。言えよ」
「今から僕が話すこと。他言無用でお願い致します。特に、潤さんには。潤さんにだけは内密にしてください」
「……内容を聞く前から判断出来ない」
「お願いします。けれど、貴方はきっと賛同してくれるでしょう。
話したら、きっと彼女は首を突っ込む」
言い置いて、廉治は椅子を回転させ恵の正面に向き直る。恵はベッドに腕組みして座り込んだ。
「月谷さんは。夏の出来事をどこまで御存知ですか」
「話には聞いてる。人柱のことから異世界のことまで、潤が知ってることは承知してると思って話してくれて構わない」
「分かりました。そこを省略できるなら助かります」
頷き、廉治は静かに話し出した。
「かつて異世界人がこちらの世界に流入した所為で、裂け目の状態が不安定になり、異世界と繋がりやすくなっていた。ここまではいいですか」
「ああ。その所為で前は扉の事故が多発していたが、事故を防ぐために送り出されたのがお前の家族。なんだろう」
流暢に続けられた恵の言葉に、一瞬、廉治は虚を突かれた。
が、すぐに気を取り直して続ける。
「……そうです。人柱として、壁を構築する為に
けれど。元々は、義姉たちを人柱とすることが本来の目的じゃなかった」
「本来の目的じゃない?」
「ええ。流石にあんな手法、最初から了承する筈がないでしょう。
裂け目には。実は義姉さんたちの他に、もう一組の人柱が存在しています」
黙って話を聞く恵を見据えながら、廉治は淡々と説明する。
「それは義姉さんと全く逆の役割をもった人たちでした。
つまり。異世界人が地球に逃げ込む際、異世界からこちらの世界への逃げ道を作る、という性質のものだった。
それは世界の理を曲げる術でしたが、結果として無事に敗残者たちは逃げ込めた。
ただし。道を作った彼女たちは二度と戻ることができなくなってしまった」
かつて廉治が夏に懸念していた、そして今なお思い悩んでいるのは、まさにそのことだった。
長く裂け目に居続けると、やがて人は世界と融合し、人として元の世界に戻ってくることが出来なくなる。無論それは千花と千夏も例外ではない。だから廉治は進捗のみえない状況に焦りを覚え、竜太を裏切り事に及んだのだ。
それは何も、単なる憶測の現象に怯えていた訳ではない。先ほど恵へ説明したように、既に起きてしまった確かな症例を知っていたからだった。
そして。
現状において、融合してしまった人間を元に戻す方法は発見されていない。
「結果、世界は均衡を失うこととなりました。事故が多発し、事態に対処すべくDDは腐心した。
しかし彼女たちを元に戻すことができないとなれば……世界を救うために考えられる手段は一つ。
『道』を構築した人柱そのものを消し去ることです。
そうすれば義姉さんたちが『壁』を作る必要はなくなり、裂け目は安定した元の状態に戻る。
けれど、DDがこの手段を取ることはありませんでした。世界が安定を取り戻しても、道を消すと言うことはつまり、人柱となった人たちを殺してしまうことになる。……何よりも」
一旦、言葉を切ってから、躊躇いがちに廉治は告げる。
「人柱となったのは。異世界における王女たちだったからです」
「王女……!」
恵は目を見開く。そして合点がいったように頷き、恵は口元に手を当てて考え込んだ。
「そうか。……よく考えれば、クーデターで逃げ込んだとすれば、それは普通の民衆じゃない。ただの一般市民なら、わざわざ世界を越えてまで逃げる必要なんざないからな。
とすれば。流入してきた異世界人は、倒された王権に連なる者か、新王権側だと不都合が生じる者、それなりの事情がある者ってことになる」
「……勘が良いですね。ですが、今回その話はひとまず置かせていただきますよ」
苦々しい表情を浮かべながら廉治は話を戻す。
「世界と融合したとはいえ、彼女たちは生きています。自由は効かなくとも自我はあり生命活動は維持されている。だから異世界からの逃げ道は保たれ続けてしまっているんです。
ですから彼女たちの身体を破壊する、ないしは魂を消滅させて、人間としての生命活動を完全に停止させてしまえば、道は消え去り元の状態になります。
けれど。人柱の立場が立場である為、迂闊に手出しは出来ずにいました」
「だろうな。自分たちの抱く王であり、救った英雄である人物をその手で殺すことになる。
異世界の事情はこれっぽっちも知らんが、現代に置き換えたって、誰もそんなことしたくはないだろうさ」
眉をひそめて恵は唸った。
廉治は一息つき、彼へ尋ねる。
「貴方ならどうします? 指導者たる人間が窮地に陥り、自身の
「簡単な話じゃないな。……正直、自分じゃ決めたくはないな」
「でしょうね。大抵の人間はそう思う筈です。DDの上層部も例外ではありませんでした。
その結果」
一旦、言葉を切ってから。
廉治は厳かに告げる。
「最終的に採用された案が、『依代計画』です」
膝の上で頬杖を付き、恵は目を細める。
「依代……ね。名前の響きで大体の想像は付くが。けど、詳しく頼むよ」
「……話が早くて助かりますね」
彼の飲みこみの良さに却って拍子抜けしながら、廉治は話を続ける。
「依代とは、神霊や魂が憑依するための器のこと。
DDは王女の魂を乗り移らせるための依代を準備し、裂け目に送り込む計画を立てました。
つまり、そのままでは動くことのできない王女の魂を、依代に移して裂け目からこの世界に連れて来た上で、どうしたら良いかのお伺いを立てようとしたんです。
実際に道を構築した術者は王女たちだ。本人なら何かしらの手法を知っているかもしれないし、仮に何も手段がなく自分たちを殺せと命令されるとしても、王女たち本人の許可ががあれば、大義名分ができる。
そして」
顔を上げ、彼は静かに告げる。
「依代計画を実行する為、『条件に適合する依代を見つけ出すこと』。
これが、チームCの本来の目的でした」
「わざわざ一般人まで巻き込んで、か?」
「仰ることはもっともです。
ただ。関係者の中には、適合者が誰もいませんでした。
中枢の大人たちも、元からチームCにいた僕らも、全員不適合が判明している」
指を立てながら、廉治は条件を挙げる。
「魂の器となるには、つまり依代となるには三つの条件があります。
一つ目が、開眼していること。
二つ目が、依代に宿らせる魂の持ち主と同じ付加属性であること。
三つ目が、依代としての素質があること、即ち他者の魂と呼応する能力があること。
開眼については、言わずもがなですが。
二つ目の付加属性とは、いわゆる光属性と闇属性のことです。依代は、宿らせる魂と同じ付加属性である必要がある。今回の場合、王女たちと同じ光属性である必要があった。
そして三つ目。他者の魂と呼応する能力は、努力ではどうにもならない部分です。本人の元来の素質に依存するもので、この条件に該当する人物こそが少ない。
古属性の場合にはその時点で素質がある場合が多いですが。それ以外の属性の場合は、一定の経験かとある性質かのいずれかを有していないと、ほとんどは不適合になります。もっともその条件を有していても、素質が100%あるという訳ではないのですがね」
「素質?」
「はい。具体的に素質がありやすいとされるのは、過去に近親者を亡くした経験があること。共鳴の才があること。
それから。
双子や三つ子など、魂を分かち合って生まれた人物であること」
最後の言葉に、恵は息を飲んだ。
頷いて、廉治は真っ直ぐに恵を見つめる。
「お分かりですね。
潤さんは、依代として適合する可能性がある。
光か闇かは不明ですが、一番重要かつ適合数の少ない、三つ目の条件を満たしている。断言はできないのですが、可能性は高い。
そして、潤さんが依代候補として目を付けられた場合。彼女に限っては、他の人間と違って大きな危険が伴うんです」
「……どういうことだよ」
すぐには答えず、廉治は低い声で恵へ尋ねる。
「一つ、お聞きします。
双子であることのみならず。潤さんはかつて、近しい人物との死別を経験しているのではありませんか?」
「……!」
これまでポーカーフェイスにも近い表情を保っていた恵が目を見開く。
その反応は、口にするまでもなく肯定の意だった。
「どうしてそれが関係してくるんだ」
「少し、スピリチュアルな話になりますけど」
「今更だろ」
「……そうですね」
少し笑って、廉治は話を戻す。
「潤さんの左腕の痛みは、かつて親しかった故人が守護霊となって彼女を守っている、つまり潤さんに憑いているという証です。
守護霊ですから、基本は害はありません。ですが、開眼レベルの術を使おうとしたときに拒絶反応を起こし、痛みを催すことがある。
これは、守護霊となった元の人物の属性と、守られる側の人間の属性とが異なり、エネルギーの捩じれがひき起こる為です。
僕の義姉が同じ症状でした。もっとも、守護霊がいたとて開眼は不可能ではありませんが、それなりの苦労と苦痛が伴います。
ただ今回の場合、問題となるのは開眼どころの話じゃない」
自身の左腕を見つめながら、廉治は告げる。
「依代計画には『依代役』の他、『霊属性の術者』が必要となります。これは魂を依代に移す作業が、霊属性にしかできないからです。義姉さんの場合は『術者』として赴いたので、特に問題とはなりませんでした。
けれど潤さんが『依代』として目を付けられてしまった場合。開眼する比ではない危険が伴う。
現在、既に彼女の肉体には二つの魂が寄り添っています。そこへ更に別の魂が入ってくるなんて、普通であれば受け入れられるはずがないんですよ。
当然、腕の痛みどころではない拒絶反応が起こるでしょうし。
……場合によっては、本来の主である潤さんの魂が追いやられ、別の魂に乗っ取られる可能性だってある」
廉治の言葉に、顔を顰めて恵は首を振る。
「現状で潤を守護している人間が、潤を追い出すとは思えないけどな」
「ええ。確かにそうかもしれません。
ですが、王女が乗っ取らないと言い切れますか?」
彼は黙り込んだ。
王女は彼らにとって赤の他人だ。潤を守る義理は何もない。
そして赤の他人である以上、王女の良心を信じる根拠は彼らにだってないのだ。
まして。既に肉体は自由が効かず、助かる見込みがないとあれば。
廉治は最後に付け加える。
「貴方なら僕なんかよりよっぽど身に染みていると思いますが。この話を聞けば、ほぼ確実にあの人は首を突っ込むでしょう」
「そう、だな」
恵は同意した。
条件を満たしているのは潤だけではない。
開眼。光属性。古。共鳴。
これらのキーワードは、彼女を取り巻く友人たちほぼ全員が該当する。可能性の高低はあれど、既に一歩こちらの世界に関わったことのある彼女たちだ。いつ声を掛けられたとておかしくはない。
そして潤の性格を鑑みるに、彼女は他の人間にさせるくらいなら自分がと、相手の手が及ぶ前から言いかねないのだ。
それに。
「……守護霊、か。
あの馬鹿は……依代って立場を利用してでも、あいつと話をするために、無理やり乗り込んで行きかねねぇな」
頭を抱えるようにして恵は額に手をやる。
長い廉治の話を聞き、彼の初めに言った条件の意味を理解した恵は、深くため息を付いた。
「貴方のお姉さんには感謝しています」
ぽつりと、廉治は独り言のように言った。
「夏の一件で、自業自得ですが僕はかつての仲間とも離れ孤立しました。
けれど。そうされて当然な僕のことを、潤さんはなんだかんだと理由を付けてずっと気にかけてくれた。本人は絶対に認めないでしょうがね。
彼女は僕らに関わってしまった。遅かれ早かれ、目を付けられてもおかしくない。
……いや。他に適合者が現れない限り、目を付けられない方がおかしいんです。
だから、今度は僕があの人を助けたい。ずっと近くにいられる状況を作り出して、何か動きがあった時は僕がすぐ気付けるように。
これが、僕が潤さんに今の関係を持ちかけた理由です」
話し終え、廉治は黙り込んだ。
ややあって、恵はすっと音もなく立ち上がる。
「俺はあんたを信用しよう。水橋廉治。
今の話にゃ含みはなさそうだ。それに」
彼は肩越しに、意味深な眼差しを廉治に投げる。
「あいつらの話と齟齬がない」
怪訝に廉治は彼を見つめた。廉治が彼の言う意味を飲み込めずにいると、恵はふっと口元を緩めて告げる。
「お前は頭の切れる奴だよ。けどあんたは一つだけ見落とした。見落とした……というよりは、知らないから無理はないな。
潤たちと琴美ちゃんの間には、理術の世界について他言無用の制約が交わされている。
完全な部外者だった筈の俺が、異世界やなんやの事情を知る筈ないんだ」
彼が、そう言い終えるや否や。
室内に、ひゅうと冷たい風が吹く。机の上の書類を巻き上げ廉治を煽るように吹き荒れた風は、しかし恵の髪は一本も揺らしていない。
「これ、は……!?」
廉治は驚愕して辺りを見回す。
「……潤さんは水属性。双子であれば、貴方もまた同じ水属性である筈なのに」
「諸事情あってな。理由はさっきのあんたの説明に含まれてたぜ?」
穏やかな微笑みを湛えて恵は言う。
「潤は、守護霊が憑いた時に水属性に変化した。
もっとも、これは本人すら気付いちゃいないけどな。あいつはずっと、自分は昔から水属性だと信じ込んでる。
俺たち双子は、生まれたときには元々、風属性だったんだ。
だから俺が憑けたのはあんたが育てた水の“ビーシェイド”じゃない。東風院嬢の育て上げた、風の精霊“ベリル”だ」
「……貴方は。まさか、もう」
ふっと風が止む。
静寂が訪れた部屋の中で、恵は朗々と宣言する。
「言いそびれてたな。
俺は月谷恵。あんたの彼女の弟であり、『チームD』依代役の月谷恵だ。
探るような真似をして悪かったな。水橋廉治」
誰かを彷彿とさせる、豪快な笑みを浮かべてみせると。
恵は腰に手を当て、満足げにはらりと後ろ髪を払った。
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◇参考
【第3部】コウカイ編
間章:学園祭サラバンド「スポンサーの戦略的撤退」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887057100
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