遭難(1)
……っていう訳なんだよ。ホントひどいと思わない?
確かに皆に話してなかったのは私なんだけどさ、そもそも私が誰と会ってようが私の勝手じゃん? 異性と会う時はいちいち報告しなきゃなんないとか、お前は私の彼氏か!?
いやね。そりゃ勿論、心配してくれてるのは分かるし、九月にあったこと考えると、つっきーが言うことも無理ないなって思うよ。
でもそこまで言わなくても良くない!?
大体今回はさ、こっちにはれっきとした理由があるわけですよ!
ベース! あれがなきゃ私、先週の学園祭めっちゃ厳しかったからね!
あっきーなら分かると思うけど、地味にすごい練習してたじゃん私。こう言うのは嫌らしい感じだけどさ、四人の中で私が一番専門外ってか、普段やってない楽器を演奏した訳ですし。なんだかんだ、つっきーは中学でドラムやったことあるらしいし、一番楽器の演奏歴短いのは私なんですよ。だから余計にもっと練習しなくちゃいけないじゃん。本当にベース貸してもらったのは感謝してるわけ。
で、借りたならそりゃ返さなきゃなんないしお礼だってしないとじゃん。お世話になったんだからさ。
なのにろくすっぽ事情聞かないで文句言って、しかも自分だって似たようなことしてんのに、それを差し置いて私だけなんか悪いみたいに言われたのがすげえムカつく。
まださ、多分なっちゃんとかあっきーに言われた方が、まぁあっきーはきっと言わないんだろうけど、その方が納得できるし、言われても喧嘩にはならなかったと思うんだけど。
お前が言うなよ!!!
つーかそっちのがよっぽど会ってんじゃん!
毎日のように超行ってんじゃん!!
なんだよ仮初めの彼氏とか!
少女マンガか!?
どういうことだよ!!
自分のことを棚に上げて何言ってんのあのタラシ!!!
まあさ。私だって言い過ぎたとは思うよ。
確かにムカつきましたけど! 逆に言えば私だって人のことどうこう口出せる立場じゃないし、つっきーが会ってたからって文句言う筋合いはないですからね。
まーあの鬼畜メガネ? 水橋廉治? あの人に会ってたからってぶっちゃけもう何つーか時効っつーか、正直本人の自由じゃん。確かにヤバそうな気配出してるのは文彦さんのが上だとは思うしね……。
要はうちらに何か黙ってこそこそやってたのと、それをさて置いて言われたのがすんごい腹立った。
とはいえ、部屋も同じだしクラスも同じだし、嫌でも顔を合わせるんだから、ちょっとホントにこの空気どうにかしないとと思っちゃいるんだけどね。今日もこうしてあっきーに迷惑かけちゃってるしさ。けど、こっちから謝るのは嫌ってか、今更もう話しづらいってかさー。
まあ月谷の出方によっちゃ考えなくもないんだけ
え? 金曜日?
行かない。
+++++
――2005年10月20日。
「あっきー。眠そうだね」
「……一時まで、はったんの愚痴に付き合ってた……」
遠い目をした杏季が奈由の呼びかけに応じた。
彼女の目の下には、うっすらとクマが出来ている。
「当のはったんは朝からツヤツヤしてたけど」
「言いたいことぶちまけられたからじゃないかな……あたし、二日連続で眠い……。絶対、英語で寝る……」
「女帝にしばかれるよ」
「ううう……怖い……」
昨日の告久美を思い出し、杏季は疲労感の増した表情で首を振った。
緩慢に髪を結びながら、顔を洗い終えた奈由に杏季は弱音を吐く。
「知ってはいたけど。はったん、強情ぅ……」
「だろうね」
「なっちゃん。明日、はったんを連れていける気がしません」
「ま。最悪、当日にどうにか引っ張っていければいいからさ。
とりあえず、頑張れ☆」
「なっちゃん……」
爽やかに告げた奈由とは裏腹に、杏季は力なく肩を落とす。
潤の誕生日まで、あと一日。
+++++
今、大変な状況なんです。
実は一昨日、友人の月谷潤さんと畠中春さんが大喧嘩して、大変なことになってるんですよ。しかもタイミングが悪いことに今週の金曜、つまり明日が月谷さんの誕生日なんです。
だからどうにかして、誕生日までに二人を仲直りさせようと周りで動いてるところなんですよ。
月谷さんの方は誕生会に来ることを了承してくれたんですが、畠中さんの方がなかなか納得してくれなくて。
だから今日は何が何でも畠中さんを説得して、明日来てもらえるように頼まないといけないんです。
今後の関係に禍根を残さないためにも、どうにか明日中には二人を引き合わせて仲直りさせないといけないんですよ。
だから大変申し上げにくい上に申し訳ないことこの上ないのですが、本日の勉強会は中止ということにしてはいただけないでしょうか。
ええ、勿論逃げではありません。
私たちの未来にまで及ぶ友情のためなのです、致し方ないのです。
そして今、大事なことに気がついたんですけれど、月谷さんの誕生日は明日ですが、受験は来年の一月からで、大学生になって男性と接しなければならないのは四月からなんです!
なんということでしょう、まだ時間の余裕があるじゃないですか!
これであれば、ただ一回勉強会を中止したくらいで、莫大な支障が出るわけではないですよね?
私の大事な友人であり護衛者だった佐竹琴美ちゃんの優しいお兄さまであらせられます紫雨さんであれば、只今ご説明させていただきました一連の事情についてご理解いただけるのではないかと信じております。
というような説明を、恐る恐る小声で、訥々と話してみたところ。
紫雨は哀れみのこもった優しい眼差しで、杏季を見下ろす。
「却下」
+++++
「……って言ったんだよ! ひどくない? ひどくない!?」
「血も涙もない男ですね」
杏季は両の拳を握りながら、高い声で琴美に訴えかけた。
彼女に同調するように琴美は深く頷く。
二人は今、テーブルで向かい合わせに座っている。ここは琴美の自宅。紅城学園のすぐ近くにある、2LDKのアパートである。
築二十年は経っているが、リフォームされた室内は綺麗で快適だった。この家で、琴美は母と二人で暮らしているらしい。
紅城学園から舞橋女子高校までは距離があるが、自転車があれば通学できないほどではない。琴美は光継寮を退寮してから、仕事で帰りが夜遅い母に代わり、家事全般を担っているらしかった。
紫雨は現在、一足先に琴美宅へ杏季をおろしてから、今は深月たちを呼びに行っている。その間、琴美の煎れてくれたお茶を飲みながら、杏季は潤と春の喧嘩をはじめ、紫雨とのやりとりについてまで彼女に愚痴をこぼしたところだった。
「本当に分からず屋の兄で、ご迷惑をおかけいたします」
「こっちゃんが悪い訳じゃないよ……。でも今回ばっかりは本当に勘弁して欲しかったのに。人でなしぃ……」
「悪かったな人でなしで」
ぶっきらぼうな低い声が聞こえて、テーブルに突っ伏していた杏季はびくりと身体を起こす。
リビングの入り口へ顔を向ければ、いつの間に来たのか、そこには腕を組んだ紫雨が壁により掛かるようにして立っていた。
ぞっと震え上がって、杏季は思わず琴美の手を握りしめる。
「い、いいいつからいたんですか!」
「冗長なお前の説得内容及びそれを一瞬で俺が却下したことについて、ひどいと非難している辺りから」
「つまり最初から全部じゃないですか!」
紫雨がリビングに入ってくると、後ろから深月たち三人も姿を現した。
が、杏季は彼らに気を留めることなく、視線を逸らして出来る限り身を縮め、存在感を消すことに専念する。
「紫雨兄さん。玄関入ってくる音がしませんでしたけど。またお得意の術で忍び込んだんですか趣味が悪い」
「ただ驚かすだけのつもりだったんだけどねぇ。面白い話が聞けた。
で」
紫雨は笑顔で杏季の頭を掴む。
「だーれが血も涙もない人でなしだって?」
「そこまで言ってません!」
「人でなしとはハッキリ言ったな?」
「ごごごめんなさいいいいい!!!」
案の定、気配を消した杏季の努力はあっけなく散る。
ぐいぐいと彼女の頭に力を込める紫雨を、鞄をおろした深月たちがたしなめた。
「紫雨さん。その辺にしといたら」
「そーそー。まーた泣かれますよー」
「ますます距離置かれるよ紫雨ちゃん」
「ええいうるさい、この中にお兄さんの味方は誰もいないのか!」
三人から矢継ぎ早に言われ、渋々、紫雨は杏季を解放した。そそくさと身をよじって杏季は紫雨と距離を取る。
全員が揃ったところで、琴美は茶菓子を下げてテーブルの上を片付けた。手を動かしながら、琴美は思いだしたように話を戻す。
「それにしても。面倒な時期に面倒なことを起こしましたねあの二人も。杏季さんに気を揉ませるなんて」
「そうなんだよ……いや、誕生日が絡まなくても厄介は厄介なんだけどね」
「放っておけばいいだろ。お前が首突っ込むことじゃない」
紫雨の反応に、他の男三人はひそひそと顔を見合わせた。
「女子高生が真剣に悩んでるのに、紫雨さん冷たーい」
「紫雨ちゃん冷たーい!」
「紫雨さん冷たいでーす」
「お前等は黙ってろ」
三人を一睨みすると、紫雨は杏季へ淡々と言い放つ。
「外野がぴーぴー騒いだところで、当事者がその気になんなきゃどうにもならねぇだろ。
どうせ明日引き合わせるんだったら、何が何でも引っ張っていってその時に何とかすればいい話だ。チビ娘の一人二人が焦って今日あたふた動いたところで、たいして状況は変わらん。
それより、今はこっちの悲惨な状況について考えろ」
紫雨は意気消沈している杏季の眼前に、一枚の紙を突きつけた。
ぼんやりしていた彼女は覇気のない目でそれを眺めるが、一瞬遅れてそれが何かに気付き、びくりと身を震わせる。
「ぎゃー!!!」
杏季は奇声を発して紙に飛びついた。
が、すかさず紫雨は距離を取り杏季から離れる。
立ち上がり、それを取り戻そうと果敢に飛びかかるが、身長の高い紫雨に高く差し上げられてしまい、杏季の背ではどうしても届かない。
「何で! 何で!! それを持ってるんですか!?」
「鞄の中に入れてただろう」
「何でそれを出してるんですか!」
「家庭教師として生徒の成績を把握するのは当然だろうが」
紫雨が手にしていたのは、杏季の模試の成績表だった。几帳面な杏季は、過去の結果を綺麗にファイリングして鞄の中に入れていたのだが、それが
ぴょんぴょんと飛び上がる杏季の手が届かぬよう、天井に掲げるようにして成績表を広げた紫雨は、怪訝な目でそれを眺める。
「ってかお前。何だよこの矢尻みたいな成績グラフは」
成績表には各教科毎の点数でレーダーチャートが記されている。彼女の成績は国語だけが飛び抜けており、他の科目はどれもぱっとしない。
勿論、円に近い形になるのが理想なのだが、杏季の場合は一つだけ切っ先が飛び出ており、さながら矢尻のような形のグラフとなっている。
「大丈夫ですよ、杏季さん」
紫雨から成績表を取り戻すことを諦め、へたり込んだ杏季の元へ琴美が近寄った。
彼女は穏やかな笑顔で杏季の肩に手を置く。
「私なんて矢尻どころか、まきびしですから」
ぐっと親指を立てて琴美は爽やかに成績表を広げた。
琴美の場合は更にバランスが悪く、文系科目のいくつかが飛び抜け、逆に理数系科目は異様に低いという、でこぼこのグラフが描かれていた。
紫雨は琴美の成績表を眺め深いため息をつく。
「大学行く気があるなら琴美は本当に偏りをどうにかしろ」
「いいんですー。どうせ私は文系ですし。サインコサインタンジェントが今後私の人生において一体どんな恩恵をもたらしてくれると言うんですか。暗記したらスーパーで割引価格にしてくれるとでもいうんですか」
「御託を並べるんじゃありません!」
ぴしゃりと言い募り、紫雨は丸めた成績表を
「いいかお前ら。とにかく数学を重点的に攻略する。私立狙いだろうが数学が出来ると出来ないとじゃ有利不利が歴然なんだよ。
半数の時間を数学に充てて、余った時間を他の教科に充てる」
思わず杏季と琴美はその場に正座の態勢になった。
杏季はおずおずと手をあげて意見する。
「数学ばっかだと頭痛くなりますせんせい」
「この期に及んで半分も点がとれてない奴に拒否権はない」
「……こ、今回はとれなかったけど、普段は半分以上行き」
「大抵50点良くて60点の五十歩百歩レベルの癖してごたごた抜かすな成績不振者」
冷たく言われて、杏季は半泣きで黙り込む。ぬぐい去れない事実なので、何も言い返せない。
紫雨は朗々と続ける。
「というわけで担当科目だが。本当は科目で担当を変えてやってくつもりだったけど、ひとまず壊滅的な数学をどうにかしなきゃならねえからな。
どうせ俺が教えると泣くだろうから、チビ娘の担当は深月。俺が琴美を教える。樹は随時問題を作る。久路人は使いっぱしりだ。以上!」
「俺の扱い!? どういうこと!?」
「お前は感覚で数学解くから教えるの向いてないだろ。樹が作った問題をコピーしに走れ」
「相変わらずの扱い!」
久路人が悲痛な声をあげた。
琴美は首を傾げ、素朴な疑問をぶつける。
「深月さんって私たちと同い年じゃなかったでしたっけ」
「俺は高等部から持ち上がりだからね。もう大学進学が決まってるから受験はないよ」
「それ差っ引いても深月は優秀だからな。少なくとも常時センター模試で全教科まんべんなく9割は安定だ、琴美とチビ娘にゃ立派な教師だと思え」
「わああ恨めし羨ましい。何か不幸にならない程度のささやかなしっぺ返しが起こればいいのに」
「はい琴美、教師に暴言を吐かない!!
さあおしゃべりは終わりだ、さっさとやる!
深月、今日はとりあえずこいつらが持ってるテキストから適当なの解かせろ。
樹は次回に向けて適当なテキストから問題を引っ張っておけ。去年買ったテキストがサークル部屋にあるからそれ使えばいい。
久路人は樹を手伝うついでに、とりあえず腹減ったからコンビニで何か買ってこい。
各々、動け!」
紫雨の号令に背中を押され、彼らはだらだらと立ち上がる。樹と久路人は外に出かけ、近くにいると気が散るからとの理由で紫雨と琴美は隣の部屋に移った。
深月と二人になり、気が詰まりそうな心情をどうにか押し込んで、杏季はぺこりと頭を下げる。
「すみません。せっかく受験がないのに、貴重な時間をとってご迷惑をお掛けいたします……」
「大丈夫大丈夫。俺らだって、紫雨さんからその辺のフォローはもらってるからさ。気にする必要はない。
と。ちょっと勉強に入る前に、一個だけ聞きたいことがあるんだけど」
一瞬、紫雨たちのいる部屋へちらりと目線をやってから、少し声を落として深月は尋ねる。
「さっき、女性陣が喧嘩してるって話を聞いたけどさ。畠中さん、まだ高神楽文彦と会ってるの?」
「一昨日は、楽器を返す都合で会ったってだけ、らしいですけど」
「ふうん……そうか」
深月は口元に手を当てて考え込んだ。
ややあって彼は顔を上げ、杏季に頼む。
「もしさ。分かったらでいいんだけど。何か、あの人に動きがありそうだったら教えてくれないかな」
「……あの人、また何か企んでるんですか」
「そういう訳じゃないよ。……ちょっと、ね」
半ば、独り言のように呟き濁してから。
深月は、何事も無かったかのようにテキストを広げた。
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