乙女のルートはひとつじゃない!(2)
「というわけで現在はったんとは絶賛臨戦態勢中で、金曜日は誕生日でパフェるから来られない。以上!」
「……ご丁寧な説明ありがとうございます」
些か気圧されながら、シャープペンシルを持ったままの廉治は静かに答えた。
潤は昨日までの一部始終を一息に語り終えたところだった。アジトに来るなり仁王立ちでもって話し始めた彼女は、まだ部屋の入り口で立ち尽くしたままだ。
一つ深呼吸をしてから、潤はようやく部屋の中に入ると、廉治に詰め寄り、彼が二の句を告げるより先に人差し指を突きつける。
「あと、言っとく! 先に言っとく!」
「……何ですか」
「お前が悪い訳じゃねーから! だからごちゃごちゃと、この前みたいな余分なことは言うなよ! これでアレだ、この話は終わり!」
彼女の剣幕に、廉治は黙り込む。しばらく潤と見つめ合うが、やがて廉治の方が折れ「分かりましたよ」とため息交じりに答えた。それを聞いて、ようやく潤はほっとしたように椅子に座り込む。
鞄の中からテキストを取り出す潤を眺めながら、廉治は彼女に尋ねる。
「潤さん」
「何だよ」
「この話は終わり、って言いましたけど。誕生日の話についてはしても構わないですよね?」
「おう、そっちは別にいいぞ」
「そしたら。後で誕生日プレゼント、買いに行きますか」
「おー。そうだな……って!」
廉治の言葉に、潤は参考書を広げていた手を止めた。
そのまま勢いよく机の上に両手を付いて立ち上がり、目をかっと見開く。
「今の話、聞いてたか!?」
「聞いてましたとも。当日じゃないと渡したら駄目なんですか?」
きょとんとして廉治は聞き返した。
潤は一瞬、言葉に詰まるが、またバンと机を叩いて彼にくってかかる。
「……いやそういう訳じゃないけど!
そうじゃなくて、別にうちらは本気で付き合ってる訳じゃないだろ!?」
「付き合ってなかったら渡しちゃ駄目なんですか?
きっと、あちらの男連中からも何か貰うんでしょうに。潤さんにはお世話になってますし、心情的に僕も渡したかったんですが」
またしても正論を言われ、ぐうの音が出ず潤は口を噤んだ。
杏季の誕生日には、女子側と男子側からそれぞれプレゼントを渡している。何だかんだと律儀なメンバーだ。多分、潤にだって何かしら贈るつもりでいるのだろう。
それに杏季の時だって、裕希と恵はそれ以外にも別個に彼女へプレゼントを渡していた。何も、廉治の申し出へ過敏に反応する必要などないのだ。
不思議そうに彼女の反応を窺いながら、廉治は遠慮がちに言う。
「折角ですから、と思ったんですけど。潤さんが嫌なら止めておきま」
「欲しい!」
彼の台詞を遮り、潤は勢い込んで言った。
驚いてじっと彼女を見返した廉治に、慌てて潤は取り繕う。
「その。嫌、ではない! どうせだったら貰う! 欲しい!」
必死な様子の潤を眺め、現金な人ですねえ、と廉治は堪え切れずに笑う。
彼の表情を見つめ。潤は口をかすかに開き、そのままぴたりと動きを止めた。
廉治は笑うのを止め、首を傾げる。
「どうかしました?」
「え、いや、その。
……なんでもない、うるさい!」
ぶんぶんと首を振り、潤は顔をそむけ、すとんと座った。
その反応に、うるさいのはそっちでしょう、と、また廉治はくつくつと笑みを零す。潤はそんな彼の様子を、悟られぬようそっと覗き見た。廉治はそれに気付いてはいない。
「では、そうしましょうか。今、何か欲しいものとかあります?」
「ええっと。数Ⅲの新しい問題集?」
「実用的ですが流石に却下で」
「えー。じゃあ、このアジトそのもの?」
「まず僕のですらないことはさて置き、本当にこのアジトをプレゼントしたらどうするんですか」
「それはそれで困る」
潤からはまっとうな回答が返って来そうにない。
本人からの希望はさて置いて、廉治は椅子の背もたれに寄り掛かって悩む素振りをした。整った顔立ちの廉治が、顎に手をやり考え込んでいる様は、端から見れば絵になる仕草だ。癪だ、と思いながら、潤は眉を寄せてぼんやり彼を観察した。
見れば見るほど癪だ、と心の中でぼやいたところで、廉治が顔を上げる
「こういうのの定番どころだとアクセサリーなんでしょうが、潤さんは身に着けなさそうですよね」
「物にも寄るぞ」
「そうですか。じゃあ、アクセサリーにします?」
「いや! その、そういうのが欲しい訳では! ない!!」
ぼんやりしていて、つい素直に答えた潤だったが、またしても慌てて否定した。
じゃあ、と廉治は別のものを提案する。
「なら、ちょっと良さそうなペンとかどうですか」
「ペン?」
「シャープペンでもボールペンでも、潤さんがよく使うものを。自分だと、値の張る文房具の類いってなかなか手が出づらいでしょう。
流石にですね、使い込み過ぎて変色していた貴方のドクターグリップはどうかと思っていたんです」
「それは。素直に、めっちゃ欲しい」
顔を輝かせた潤に、廉治は安心したように微笑んだ。
「それなら。善は急げ、今から行きます?」
潤は拳を振り上げ、勇んで立ち上がった。
しかし。
次の瞬間、彼女はそのまま固まった。おもむろに辺りをぐるりと見回し、それから呆けたように、目の前に座る廉治を見つめる。
「……潤さん?」
「えっ、あっ。いや、その。……ごめん」
先ほどとは一転、威勢の削がれた調子で呟くと、潤は半ば沈み込むように椅子に座り直した。
「どうしました?」
「いや、大丈夫だ。疲れてたみたいで、ちょっとぼんやりしてただけ」
「そうですか。じゃあ、やはり今日は息抜きがてらプレゼントを買いに」
「駄目だ!」
突然の潤の大声に、廉治は目を見開いた。
彼の反応にはっとして、潤はようやく我に返ったように廉治へ焦点を定める。
「ああすまん、つい過敏に反応しちまった。
今日は、この後ちょっと予定があるんだよ。ほらさ。アルスを京也んとこ押し付けっぱなしだから、差し入れにでも行こうかと思ってて」
「ああ、なるほど」
彼女の説明に納得したように、廉治は頷いた。
「じゃあ、後で買いに行きましょうか。あまり先延ばしにしてもなんですし、明日はどうです?」
「土日でもいいぞ?」
「週末はどうせ寮の方で何かあるでしょう。
あと。その頃には畠中さんと仲直りしてるでしょうから、この土日くらいはこっちに来ないで寮でゆっくり過ごしたらどうですか」
「……するかどうか分からねーし」
途端に声のトーンを落として、潤は拗ねたように呟いた。もぞもぞと腕の中に顔を埋めそうになった潤を、廉治は呆れ顔で見遣る。
「杏季さんが提案したの、どう考えても半分はその為でしょう。
それと。実を言えば今回の件、草間さんから既に話は聞いていました」
「……は?」
「金曜日に誕生会をやってそこで二人を和解させるから、僕からもあの馬鹿を説得してくれとの話が草間さんからきたんです」
「はぁあ!?」
「奇声を発してもそういうことですよ」
手にしたシャープペンのノック部分で潤の額をこつんと突き、廉治は少し意地の悪い表情を浮かべる。
「とはいえ。僕からくどくど言っても貴方は素直に聞いてくれそうにないですからね。
さっき潤さんにはこの話は終わりだと言われましたが、原因の一端は僕にもあります。だからせめて、逃げ場を奪おうかと思いまして。
土日は保険ですけど。万一明日誰かに会って、間違っても金曜日に別の約束を取り付けられないよう、誕生日当日まで潤さんの時間は僕が確保させていただきますよ」
「お前なぁ……」
複雑そうな表情で潤は額を押さえる。
廉治は更に続ける。
「それに。潤さんはもう、畠中さんと仲直りしたくてしょうがないみたいですから、今更言ってもうるさく思われるだけでしょうし」
「……何でそんなこと分かるんだよ」
「そりゃあ分かりますよ。一応僕は、彼氏かっこ仮、ですから」
「ばっかじゃねーの……」
力ない声で呟き。
結局、腕の中に顔を埋めた潤だった。
ぽつ、と雨粒がガラス叩く音に、廉治は背後を振り返り、窓を覗き込む。
窓の外では、冷たい雨が灰色のアスファルトを黒く濡らしていた。予報では今日一日、曇りのはずだった。にわか雨かと思えたが、思いの外、降りはいいようだ。
行かなくて正解だったみたいですね、と廉治は呟く。それに潤は曖昧な音で返事をした。
「……なんだ、今の……?」
潤は口の中で、自分にしか聞こえない程度の音量で呟き。
もそもそと腕に埋めた顔を横にずらすと、じっと窓を叩く水滴を見つめた。
「ちきしょう10点負けたー!!」
「たった数週間で僕に敵うと思わないでくださいね」
雄叫びを挙げて潤は頭を抱える。
潤は政治経済の過去問にて、見事に廉治へ敗北を喫したところだった。
「ってか何だよ。何だよ!? きゅうじゅうはちとか!! アホなんじゃないの!?」
「これでも僕は満点狙ってたのでむしろ悔しいんですけどね。因みに潤さんが間違えたここの問題、先日解いたのと類似のものですけどまた間違えたんですか」
「ちっくしょー!!!」
採点したノートのページをくしゃりと握りしめて潤が突っ伏す。
恨めしげに間違えた問題を睨んだ潤を余所に、廉治は壁に掛かった時計を見上げた。
「潤さん。そろそろ時間ですよ。今日は雨森さんの家に寄って行くんでしょう」
「あっヤベそうだった」
瞬時に切り替えて、潤は立ち上がる。
素早く荷物をまとめ、彼女は急ぎ鞄を背負った。
「じゃ。ちょっくら行ってくるわ。今日もありがとな!」
「あの、潤さん」
空に手を伸ばし、廉治は潤を引き留める。
ドアに手をかけていた潤は、何事かと後ろを振り返った。
「何だ?」
「……いえ。その」
一瞬躊躇してから、廉治は手を下ろし、何食わぬ様子で続ける。
「気を付けてくださいね」
「大丈夫だって、子供じゃあるまいし」
「いえ。夜道もですが、アルスに気を付けてください」
「ああ……うん、確かにそれは気を付けた方がいいな。さんきゅ。
じゃあ、またな」
苦笑いを浮かべ、潤は今度こそ部屋を後にした。
ばたりとドアが閉じ、彼女が勢いよく階段を駆け下りる音が響く。やがて遠くの方からかちゃりと金属音が聞こえると、彼女の立ち去った建物にはがらんとした空気が漂った。
「……そういう。こと、でしょうね。潤さん」
一人取り残された廉治は、ぽつりと呟いた。
肘を付いて両手を組み合わせ、廉治は祈るような体勢になる。そのまま彼は、悲痛な面持ちを隠すようにその顔を両手で覆った。
「これ以上。貴女は犠牲になるべきじゃない。誰の為にも……まして、僕のためには」
組んだ手に額を付けて、何かを思案するように呟き。
廉治はそのまま静かに目を閉じた。
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