うましかもの(2)

「だから何であの野郎と一緒にいたのかって聞いてんだよ!」

「つっきーには関係ないでしょ!」

「関係ないって、あいつが先月、何やらかしたか忘れた訳じゃないだろうが! 何を考えてんだよ!?」

「それはもう終わったことじゃん!」

「終わったからいいってもんじゃねーだろ! 何も無かったからいいようなものの、よりによって何であいつなんだよ!?」

「そういうつっきーだって、うちらに彼氏が出来たって黙ってた癖に。しかも相手はあのビーでしょう」

「あのって何だよ。それにさっきも説明しただろーが、彼氏じゃねーって言ってんだろ!」

「どうだかね? 彼氏のふりとか言いつつ、何だかんだ毎日アジトに通ってるくせに。最近いっつもつっきーがどっか行くから謎だったけど、そういうことだったんですねぇ?」

「そりゃそうだけどな! 別にあいつに会いに行ってる訳じゃねえよ! だったら、はったんだって来ればいいだろ。アジトには誰が行ったっていいことになってるんだしさ!」

「行く訳ないでしょ。二人の仲をお邪魔したくないですし?」

「だからそんなんじゃねえっつってるだろ!」

「どうですかね、自分で気付いてないだけなんじゃないの?」


 感情的で荒い潤の声と、険のある春の声とが、交互に廊下へ漏れる。ドアは堅く閉ざされているが、声は外まではっきりと聞こえていた。

 二階に来たはいいものの、交わされる応酬の迫力に気圧されて杏季は思わず身をすくめた。


「なっちゃーん……」


 か細い声を上げて、杏季は潤と春の部屋の前に張り付いている奈由の元へそろそろと歩み寄った。

 奈由は杏季を一瞥すると、渋い表情を浮かべたまま呟く。


「どうっしょもない……」


 杏季に向き直ると、奈由は壁により掛かって腕組みする。


「本っ当、どうしょもない。

 あの人たち。お互い似たようなことしてた癖して、何言ってんの」

「ははは……」


 杏季は乾いた笑いを浮かべた。

 今来たばかりの彼女だったが、会話の内容を聞いて喧嘩の原因はおおよその検討がついた。


「何? はったんも今日、文彦氏に会ってたの?」

「うん。はったんが高神楽文彦と会ってるところにつっきーが鉢合わせたらしいよ。

 まあ、つっきーはつっきーで、水橋氏とデートにしけこむところをはったんに見られてる訳だけど」

「あ。なっちゃんも知ってるんだそれ」

「聞いたのは寮に帰ってからだけどね。大騒ぎだったもの」

「ですよねぇ……」


 まさに混乱の現場に居合わせていた杏季は深く頷く。もっとも潤と廉治の場合は、彼女の言い分を聞く限り他の事情がありそうだったが、今はそこを気にしている場合ではない。


「うーん……ナコさんにミッションとして頼まれたはいいけど、ちょっとこの状況はインポッシブルじゃない?」

「そうね。放っといていいかな、あっきー」

「放っとくかはさておき、現状は自然収束するのを待つしかなさそう……下手に間に入っても、今はこじれるだけじゃないかな」

「うん。こじらせる自信があるよ私は」

「待機してようか……」


 据わった目つきの奈由は、彼女は彼女で二人へ静かに憤っているらしかった。

 一方の杏季は、困惑こそすれ、四人の中では一番落ち着いていた。事情を聞いて思うところはあったけれども、既に感情を出すタイミングを完全に逸していたのだ。

 室内ではまだ二人の口論が続いている。


「だいたいつっきーは自分のこととなると本当に考えなしだよね何が彼女のフリをして欲しいだよ嘘に決まってるでしょそんなもんつっきーに近付くための口実に決まってんじゃんほいほい騙されやがって本当にバッカじゃないの」

「だったらそっちだって同じじゃねえかよ体の良い口実作ってはったんに近付いてるだけだろうがあんな野郎スキ見て何か企んでるに違いないだろ他に何があるんだよ現にあいつの思惑通りすっかりほだされちまってんじゃねーか!」

「絆されたとか言わないでよ!」

「事実を言ってるだけだろうが!」

「月谷の変態! ばかったれ!」

「変態はてめーだろ! っておい、ざっけんな畠中!」


 ぼふ、というくぐもった音が響いた。どうやら枕か何か、柔らかい物を投げつけた音らしい。

 ようやく声が途切れたかと思うと、乱暴にドアが開く。中からつかつかと歩み出てきた春は、ドアの影になる場所にいた二人には気付くことなく、下に降りて行った。


「自然収束したね」

「してないと思うな……」


 縮こまる杏季を余所に、奈由は音を立てずに廊下の端まで駆けた。

 彼女はリビングからの吹き抜けになっている場所で手すりから身を乗り出すと、階下の寮生に向かって手で大きくバツ印を作ってみせた。その後、続けて幾つか身振り手振りで合図を送る。彼女の動きに、下の寮生たちが同時に無言で親指を立ててみせた。

 戻ってきた奈由へ、杏季がこっそり聞く。


「なっちゃん。今の何?」

「『話し合い決裂。フォーメーションCでよろしく』って合図」

「いつの間にそんなの決めたの……ってか、フォーメーションCって何?」

「『何も気付かないフリして自然に飯を食う。かっこ、月谷と畠中はさりげなく席を離し、別々のグループが会話をすること、かっことじ』」

「……今は一番適切な陣形かもね」


 杏季は疲れたように頷いた。

 寮生のチームワークの良さには感謝しつつ、しかし今後の展開を考えるとどうしても気が重くならざるを得ない杏季だった。






+++++



 夕食後。入浴も済ませ、後は寝るだけという状態の杏季の元へ、遠慮がちなノックの音が響く。

 扉を開けば、そこに座り込んでいたのはしおれきった潤だった。


「あーっきぃぃぃぃぃ……」


 情けない声を挙げると、潤は両手を合わせて懇願する。


「今晩、泊めてください……」

「いいけど」


 苦笑して杏季は潤を部屋に招いた。

 慎重にドアを締め切った後で、杏季はベッドに座り込みながら言う。


「なっちゃんの部屋に行くかと思ったよ」

「門前払いを食らった」

「ああ……」


 先ほどの奈由の様子を思い出し、杏季は納得したように相槌を打った。冷やかに追い払う様が目に浮かぶようだ。

 唸り声をあげながら杏季のベッドへ遠慮なしに転がった後で、潤はぽつりと問いかける。


「あっきー。私がしたのは、そんなにいけないことなのか」

「それ自体が、物凄くいけない……ってことは、ないと思うよ」


 考え込みながら、杏季は言葉を選びつつ続ける。


「つっきーもユキくんも誰かと付き合ってる訳じゃないし。二人が同意の上でそういう関係やってるなら、そこまで責められるようなことじゃないと思う。

 ユキくんのことを好きって子には悪いかなと思うけど。一度断ってるのに食い下がってるのはその子なんでしょう。事情が事情だし、仕方ないかな、とは思う」


 二人の喧嘩の後で、杏季は潤と廉治の事情について話を聞いていた。それを踏まえた上で、彼女は潤に素直な気持ちを述べる。


「要は。二人は夏のことがあるから、簡単に感情で割り切れないってことなんじゃないかな。

 多分、はったんやなっちゃんと比べるとユキくんに一番悪い感情を抱いてないのは私だと思うし、甘いところはあるかもね。

 けど。どちらかといえば、何よりも」


 少しだけ責めるような口調で杏季は尋ねる。


「何で話してくれなかったの」

「……ごめん。言い出しにくくて」


 杏季の枕を抱きしめて潤は顔を埋めた。いつもとは逆に、杏季が潤の頭を撫でながら、「まあ、気持ちは分かるけどね」と笑う。


「一番はそこじゃないかな。つっきーがはったんに怒ったのも、そういうことでしょ」

「でも、はったんは相手が高神楽だし!

 ……いや、うん。要はそういうこと……なのかもしれない。

 いや、でもあいつはヤバイし、うん。ヤバイ。つまりやばい」

「やばいしか言ってないよつっきぃ」


 潤は一旦起き上がってヒートアップしかけるが、すぐ冷静になった。また顔をベッドに沈めて彼女は呻き声を挙げる。


「じゃあ。あっきーは、はったんと高神楽文彦についてはどう思ってる?」

「うーん……ユキくんと比べると、高神楽さんとはったんとの方が、正直あまりいい気はしない。けどこれは、単純に私の感情だからね。

 はったんがそうしたいって言うなら、止める気はないよ。私は又聞きだけど、あの人の話を知ってからは、一方的に悪い人とは思えないしさ。

 それにうちらの中で高神楽さんのことを一番よく知ってるのは、はったんだと思うし」


 無言で潤は杏季の言葉を聞いた。反応がないので潤がどう思っているのかは分からない。顔を埋めているので表情すら窺うことはできなかった。


「つっきー。正直なところ言っていいですか」

「何でしょう」

「ぶっちゃけ、さっきの痴話喧嘩にしか聞こえなかった」

「痴話とか言うな」


 潤は顔を伏せたまま器用に杏季の頬をつねった。彼女の手から逃れると、杏季は懲りずに続ける。


「怒らないで聞いて欲しいんだけど。二人とも、彼氏を無碍むげにされて怒ってるようにしか聞こえなかったよ」

「いや、だから違うってば」

「分かってる。でもつまり、二人ともユキくんなり高神楽さんなりを信頼して一定以上は大切に思ってるってことでしょ。変な意味じゃなくてね。

 だったら私は二人とも止めないよ。二人が信頼してる相手なら、私も信頼しようと思う。

 前のことを思い出すと心配はするけど、今の話を聞く限りじゃ、前とは違うって思うから。

 もし、万が一つっきーやはったんを傷つけたりしたら、その時には怒るけど。それだって怒る相手は二人じゃない」


 まだ顔を伏せたままの潤の頭に、戯れに杏季は枕をぎゅっと押し付ける。奇声を発しもがく気配がして、ようやく潤は顔を上げた。

 潤の目を覗き込んで、杏季は彼女の額を突く。


「今日はつっきーを部屋に入れたけどさ。明日はどうか分からないよ。なっちゃんはどうせ二人とも突き放すだろうからね。

 私、つっきーもはったんも両方の話は聞くけど、どっちの味方もする気はないよ。こんなのでバラバラになるのは嫌だもん」


 奈由は二人とも拒絶する。

 杏季は二人とも受容する。

 方向性は真逆だろうけれども、おそらく奈由は奈由で、杏季と似たようなことを考えているのだろうと、杏季は根拠はなしにそう思った。二人がそれで、意外にバランスは取れているのかもしれない。

 不意を突かれた潤は目を瞬かせてから、しみじみと呟く。


「あっきー。君はそのなりで案外、大人だな」

「渦中にいないからだと思うよ」

「普段はほわほわしてる癖してやるじゃねぇか十歳児」

「十歳じゃないもん。やっぱつっきー、外で寝る?」

「ごめんなさい謝るわ十歳児」

「つっきーのばーか!!」


 むきになった杏季に、ようやく潤は笑い声を立ててみせた。






 しばらく杏季の部屋の前で佇みながら、やがて踵を返した影がある。


「……先を越された」


 口惜しい表情で、春は一人呟いた。

 どうせ潤は奈由のところに行くだろう、と見越していた。考えが甘かったらしい。

 奈由のところへ行く勇気はなかった。潤が盛大に奈由に追い返されたのだ。春だって立場は同じだった。


 自室に戻り、一人だけの部屋で寝転がる。二人でいると狭く感じる部屋も、今日はやけに広く寒々しく感じられた。


「弱ったなあ」


 思えば。物理的に皆と離れることはあっても、心理的に隔たってしまうことは、今だかつてなかった。

 例え部屋に誰もいなくたって、隣を覗けばいつだって話せる相手がそこに居たのだ。それは実家にいて実際に離れている時だって同じだった。


 けれど。今はすぐ近くに見知った顔がいるというのに、誰を尋ねることも出来ず、その距離が妙に遠い。この寮生活で、ここまで一人になったのは初めてだった。


 悶々とした行き場のない感情を抱いていると。ふと脳裏に、葵の顔が思い浮かぶ。

 だが今回の場合、彼こそが最も相談が出来ない相手だった。


「……弱ったなぁ」


 二度目の独り言を呟いて。

 枕を抱きしめ、春はベッドの上で丸くなった。





+++++




「ばかなのか?」


 思わず、独り言が漏れた。

 情報提供者から来たメールをもう一度、最初からじっくり見返すが、生憎と誤読などでは決してない。


「いや、ばかなのか?

 は??

 よりによってこのタイミングで???

 ケンカ?????」


 呆れと戸惑いと焦燥に呆然としながら、またもや独り言を吐き出した。

 首を振りながらも、メールの先頭まで戻って送信先をチェックし、仲間も同様の情報を受け取っていることを確認すると。タイミング良く、相手からの着信が来る。


『ばかなのかあいつは?』


 全く同じ感想が電話の向こうから返ってきた。


「まあバカなんじゃないかな……」

『まあバカだからな……』


 いつも飄々として自信家な彼であるが、珍しく電話口の向こうで疲れた口調である。


『どうせ潤がふっかけたんだろうが。春ちゃんのところは何も変わってないはずだ』

「妙なところで影響受けたな。前にはこんなことなかったのに」

『……俺が。あの時の介入を止めたから、だろうな』


 ややあって、彼はため息交じりに続ける。


『学祭の時。前回は、俺が邪魔をしてたからな。

 結果、水橋にバレるタイミングが早くなって、潤にあんな関係を持ちかけたからだろ』

「それで今回はこじれたって訳か。

 ……いやそれ、ただの逆ギレじゃないか」

『逆ギレだろ。だからバカだって言ってんだよ。

 ただ、ケンカ自体については。俺らの目論見を差っ引いても、タイミングがタイミングだから、きっと女性陣が取りなしてくれるだろうとは思う。俺からも頼んどくよ。

 しっかし、こうなると。――春ちゃんの側にも影響が出かねないな』


 相手の言葉に、携帯電話を持つ手へ力がこもる。


「どうする。介入するか」

『そうはいっても、俺らが手を出せるところじゃないだろ』

「かといって、このままじゃちょっとまずいぞ。あっち側へのキーを握ってるのは春ちゃんしかいないんだ。杏季ちゃんのことが上手くいけば致命傷にはならんかもしれないが、圧倒的に情報量が足りないままだ」

『分かってるよ。つまり、だ。

 介入するのは、


 はっとして、その言葉に息をのむ。


『ぼちぼち。あいつらも、こっち側に取り込もうじゃんか』

「――頃合いか」


 小さく頷き。

 彼は、無意識に自室の窓へ視線をやった。




 二人のケンカが、人知れず波紋を呼んでいたことに。

 当然のことながら当事者たちは、何も気が付いていない。

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