うましかもの(1)

「別に、送ってくれなくても大丈夫ですよ? 駐車代もかかっちゃいますし」

「もう日が暮れてるんだ。夜道を一人で歩かせる訳にゃいかないだろ」


 さらりと言い、彼は春の隣に並ぶ。申し訳なさを感じながらも、何故か少し浮き足立った気持ちで春は顔を綻ばせた。




 春は今、文彦と共に夜道を並んで歩いている。

 本日は、用済みとなったサイレントベースをお礼の品と共に文彦へ返却し、ついでにお茶をしてから寮に帰宅するところだった。今回は弦を切ることもなく綺麗な状態で返すことが出来たので、秘かに春は胸を撫で下ろしている。


 これまで彼と出かけた際、帰りはいつも寮の前に車を横付けにしてもらっていたのだが、今日は違った。狭い道に車が停まると否応なしに目立ってしまうからだ。

 九月に文彦に連れまわされた時は、潤たちの知るところであったので別によかった。だが聖獣を通じて生じた、彼との奇妙な使役関係は、既に終了している。本来であれば、彼と春が会う理由はない筈だった。

 そんな後ろめたさがあって、学園祭の為に文彦からベースを借りたことは皆に秘密にしている。なので、それを潤たちに見つかるのは少々抵抗があったのだ。

 春は離れた場所で降ろしてくれれば構わないと言ったのだが、文彦がそれを却下し徒歩で春を送り届けることになって、現在に至る。




「それにしても。あっきー、大丈夫だったかなぁ」


 気が緩んだ春は、空を見上げながら独り言のように呟いた。彼女の発言を拾い、文彦が聞き返す。


「何かあったのか?」

「あれ、弟さんから聞いてないですか。

 昨日あっきーの新しい護衛者が、御堂紫雨って人に決まったんです。文彦さんと戦ったあのフォースって人に。

 で。今日はあっきー、その人に連れてかれてるんですよ」


 春の説明に、文彦は「ははぁ」と意味深に声を漏らした。


「紫雨がねぇ。ようやくあいつもそこまで来たか」

「あいつって、知ってるんですか?」

「知ってるも何も。紫雨は元々オレの弟子だ」

「弟子ぃ!?」


 またしても登場した日常であまり聞き慣れぬ言葉に、春は目を見張る。


「弟子って。理術の、ってことですか」

「それもあるな。理術と、ついでに空手や武道を全部オレが叩き込んだ。

 一応、公式な場所だとオレのが上ってことになってるけど。今じゃあいつの方が強いかもしれないな。それもあって余計にあの時、紫雨は好戦的だったんだろうよ」

「はぁ……」


 あの時、春は自分のことで精一杯だったため、文彦と紫雨との戦いはほとんど見ていない。だが聞いたところによれば、二人は理術というよりほとんど武術で張り合っていたらしかった。そういう事情であるなら、紫雨が文彦と互角に争っていたのも納得できる。

 感心してから、春はとあることに気付いて首を傾げる。


「けど、あの人は影路側でしたよね」

「それなんだよ」


 文彦はにわかに立ち止まる。いつの間にか、もう寮の前だ。


「オレの弟子とは言えな。高神楽寄りとは言えないんだ、あいつは。

 確かに昔はオレが鍛えてたけど、ある程度成長してからは、高神楽寄りと思われないよう意図的に接触を控えてたくらいだからな。

 あくまでずっと御堂の嫡男として中立を保ってきたはずなのに、どうしてあっちにいたのか、それが分からん」


 へえ、と春はまた違った意味で感心してみせる。


「文彦さんでも。分からないこと、あるんですね」

「馬鹿言え。オレには分からないことばっかりだよ」


 顔をしかめて文彦はぽつりと呟いた。


「紫雨のことだって分からないのに。もっとずっと近くにいる奴のことすら、オレには皆目、検討がつかない」


 どこか歯痒さを含有した物言いに、春は顔を上げる。

 尋ねようと口を開きかけるが、その時ちょうど視界の隅に見慣れた人物の姿が映った。はっとして春は寮の方へ向き直る。


「ナコさん」

「あら。春ちゃんお帰りなさい」


 光継寮の入り口に立っていたのは、寮母の撫子だった。普段はこの時間帯、室内で雑務をこなしていることが多いのだが、中に虫でも入って来たのか、何かを外へ追い出しに来たらしい。玄関先でちりとりをぱたぱたと叩いている。

 文彦は彼女を見ると、ぎょっとして身体を強張らせた。彼の反応に春もつられてどきりとする。

 撫子は文彦の姿を認めると、不思議そうに春と彼とを見比べた。


「その方は?」

「この前、練習用のベースを貸してくれた人なんですよ。知り合いのお兄さんで。今日、返したところなんです」


 冷や汗をかきながらも春は淀みなく答えた。高神楽直彦は知り合いには違いないのだから、決して嘘ではない。

 彼女の説明に、撫子は「そうだったんですか」と頬に手を当てて文彦に頭を下げる。


「その節はうちの生徒がお世話になりました。ありがとうございます」

「いいや、その。お構いなく。たまたま弟から話を聞きまして、都合がついただけですから」


 早口で言いながら、文彦は手を横に振った。

 文彦の挙動は些か固かったが、特に撫子に疑いは持たれなかったらしい。彼女は微笑みを浮かべながら、今度は春に伝える。


「それじゃ、もうすぐ夕ご飯だからね。早めに戻って来なさいな」

「はあい」


 撫子は最後にまた文彦へ会釈すると、室内に戻って行った。

 扉がぱたりと閉まるのを見届けると同時、春の隣で深いため息が聞こえる。


「焦った……!」

「何をそんなに動揺してるんですか。やましいことがある訳でもないのに」


 自分も焦っていた癖に、春はしゃあしゃあと言った。だが彼の方が余程も焦っていたお陰で、逆に彼女は冷静に慣れた節があるので、却って好都合だったかもしれない。

 からかう春を軽く睨みながら、文彦は抑えた声音で弁解する。


「当たり前だろう。女子高生と歩いてる二十八の不審者だぞ。焦りもするさ」

「自分でソレ言うんですか」

「普段から自分に対する評価はそこそこ正確に下してると自負してるんでね」


 言いながら文彦は舌を出した。

 扉の方を気にしながら踵を返すと、文彦は背を向けたまま言う。


「じゃあな春。わざわざ悪かったね」

「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました」


 ひらりと手を振り、彼は足早に暗い路地を去っていた。




 文彦の姿が角に消えるまで見届けると、春は自分も寮に戻ろうと振り返る。

 すると、またしても視界に見知った人物の姿が入ってきて。

 今度は、本格的に硬直した。


「……つっきー」


 春がこれまで背を向けていた側の路上にいたのは、唖然とした表情の潤である。

 彼女は真っ直ぐ春の方を向いてはいたが、視線は文彦が過ぎ去って行った方角へ見据えられていた。思わず春は手の平を握りしめる。

 何かを言いかけて、音にする前に春は口籠り。

 やがてようやく口にできたのは、何の変哲もない言葉だけだった。


「……お帰り」

「おう……ただいま」


 闇に沈んだ路上に佇む彼女たちを、小さな街灯が照らし出す。

 気まずい沈黙が二人の間に流れた。





+++++



 18時58分。

 腕時計の文字盤をちらりと見遣り、杏季は光継寮の門へ飛び込む。入り口までは全力疾走だが、ドアノブに取りついた後は出来るだけ静かに扉を開けた。

 音を立てず、彼女は器用に素早く体を室内へ滑り込ませる。しっかり戸を締めると、はあ、と息を吐き力尽きたように膝へ手をやった。

 どうにか無事、門限に間に合った。


「お帰りなさい杏季ちゃん。またギリギリね」

「ごめんなさーい!」


 恐れていた声が聞こえて、杏季は弾かれたように顔を上げた。呆れた表情で杏季を見下ろす寮母・鳴宮なるみや撫子なでしこは、エプロンで手を拭いながら意地悪く言う。


「他の子はもう全員帰って来てるよー」

「ですよねえ……今日って誰も塾とかなかったですもんねえ……」


 愛想笑いを浮かべて誤魔化し、靴を脱ぎながら杏季は言い訳する。


「実は今日たまたま、こないだ退寮した琴美ちゃんに会いまして。ちょっと話し込んじゃったんですよー」

「あら、懐かしいわねー。あんまり学校では話さないの?」

「クラス違うからタイミング合わないし、忙しいのか放課後もなかなか会えないんですよね。すぐ家に帰ってるみたいで」

「大変なのね、琴美ちゃん」


 撫子は少し顔を曇らせた。琴美は杏季と同様に一年生の時からこの寮で暮らしていた。退寮したとはいえ、親心さながらに心配なのだろう。

 下駄箱に靴をしまい、杏季はひらりと玄関ホールに上がった。撫子は腕組みして、しかし表情は穏やかなままで彼女へ釘を指す。


「門限破った訳じゃないし、うるさいことは言わないけど。こんなすれすれにならないよう次は気を付けるんだよ」

「はーい」

「返事だけはいつもいいんだけどね」

「う……すみません……」


 苦笑いしながら、内心で杏季は心底、安堵した。いい加減、彼女は門限間際の駆け込み常習犯なので、今日こそは絞られるかと覚悟していたのだ。琴美と会ったという理由があったのも良かったのかもしれない。


「じゃあ、早く部屋に荷物置いてきて夕食にするよ。……と言いたいところだけど」


 意味深な微笑みを浮かべ、撫子は告げる。


「杏季ちゃんにはその前に、特別ミッションをお願いしていいかな」

「えっ! ……な、何でしょう」


 もしや軽めの罰当番でも申しつけられるのかと、杏季はひやりとした。

 が、撫子の表情を窺うに、どうやらそういう訳ではないらしい。

 撫子は浮かない表情で言う。


「奈由ちゃんと一緒にね。ちょっとあの二人をどうにかしてきてくれないかしら」

「あの二人、って」


 言い掛けて杏季はびくりと肩を震わせた。

 聞こえてきた怒鳴り声に、目を見開いて杏季は階段の方へ顔を向ける。内容までは聞き取れないが、二階から響いてくるのは嫌というほどに聞き覚えのある声だ。

 表情を固めたまま、杏季は小声で尋ねる。


「……何があったんですか」

「私も事情がよく分からないんだけどね」


 ため息をつき、撫子は視線を階上に向ける。


「どうも二人とも、お互いの王子様が気にくわないみたい」

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