ギャラリー1の精神的敗北

 日曜日。俺こと染沢そめざわあおいは、ユウと一緒に自主舞央祭、舞橋中央高校の学園祭に来ていた。


 理由は勿論、春さんたちが舞台に出ると聞いたからで。ならばと諸手を上げて、俺たちは応援というか鑑賞に駆けつけたのだ。

 といっても、雨森は運営側だからユウと二人だけだったけど。

 たまには一日くらい息抜きもいいよな。


 中央高校の学園祭に来るのは初めてだった。仲のいいダチもいなかったし、そもそも俺は他校の文化祭自体にほとんど行ったことがない。舞女の文化祭はユウに引っ張られて行ったんだけどな。その時には春さんたちのことは知らなかったから、今思うと少し残念だ。


「でもさ。舞台見るのはいいけど、ちょっと残念だよな」


 俺の思考を見透かしたように、ユウこと臨心寺りんしんじ裕希ゆうきが唐突に言う。到着するなり屋台を駆け巡ったユウは、いつかの花火大会のように両手へ大量のビニール袋を提げていた。いつもながらすげえよな。

 気付けば手にしていたはずのイカ焼きは既に姿を消している。お前、いつ食ったんだよ。

 呆れながらも、俺は先ほどの台詞を聞き返す。


「残念って、何がだよ」

「もし舞台に出ないんだったらさ、一日一緒にまわれたじゃん。舞台が終わった後ってなると、ほとんど時間ないし」


 口を尖らせてユウはパンフレットを睨む。

 プログラムによれば、コンテストが開始となるのは午後一番の一時半から。終了予定時刻は三時だ。春さんたちの出番は審査している間だというから、二時半を過ぎる頃だろうか。そこから撤収して自由に動けるようになるのは三時過ぎになってしまうだろう。

 だが学園祭は午後五時に終了するから、彼女たちが解放されてからは一時間半程しか楽しむ時間がないのだ。


「仕方ねぇだろ。大事な出番があるんだからさ」


 諦め口調でそう言うと、ユウはじっと俺の顔をのぞき込んでくる。


「アオは畠中がフリーだったとしても誘えそうにないもんな」

「放っとけ」


 図星だった。

 仮に四人が舞台に出なかったとしても、いやむしろ出なかったとしたら決して俺は誘えていない自信がある。いやそんな自信、しょうもねぇのは分かってるけど。

 縁もゆかりもない学校の文化祭だぞ。誘える理由がねえだろ。いや、雨森はいるけどさ。


 けど、今回は。時間は少ないながら、舞台が終わったらいつものメンバーで学園祭をまわろうという話になっているのだ。

 俺からすれば断然こっちの方がいい。ゼロとイチとじゃ、えらい違いだ。


「終わった後だったら、打ち上げにかこつけて自然な流れでまわれるから都合がいいだろ」

「そしたら俺らも、余分なメンバーまでいるじゃん」

「別に構わねえだろ。変に気負うよりは、いつもの連中で一緒に楽しめればそれでいい」


 はあ、と首を横に振りながら、ユウはクレープをかじった。


「あんまそういうこと言ってると、誰かに取られるぞ。

 今は女子校だからいいけどさー、大学は共学だし。アオと畠中は学部的に間違いなく別々の大学になるしさ。取られてから泣いても遅いって」


 うるさい。言われなくたって俺が一番分かってんだよ。簡単に出来るんだったら苦労してねえっての。

 苦しくなった俺はユウに話を振る。


「そういうお前はどうなんだよ」

「甘党にかこつけて、たまにスイーツ食べに行こうって言質げんちはとった」


 言質ってお前。

 だがその割に、ユウは難しい表情で眉を潜める。


「でも。あれ、相当だわ。他人のことや相手のことはすげーよく見てる癖して、自分のことは鈍感すぎてヤバい。

 まだあいつが男子苦手だから、俺の場合は当面ライバルが限られてるけど。そいつがラスボス過ぎる。マジでやめて欲しい」

「ラスボス」

宮代みやしろ竜太りょうた。現時点で杏季が好きなのはあの野郎で、俺に勝ち目はないし、俺はそういう目線でまったく見られてない」

「結構、お前には気を許してる感じだけどな」


 会話をすれば、白原の懐き度合いはすぐ分かる。ユウや雨森とはだいぶ自然に話が出来るようになってるけど、俺に対してはまだ固さが残っていた。

 だがその点については肯定しつつも、ユウはやれやれとばかりに息を吐き出す。


「許されてはいる。けど、カテゴリが草間や月谷と一緒なんだよ。

 長らく野郎との接触を断ってた反動か知らないけど。一度気を許すと、男を男と意識しまいとし過ぎて、男女の分け隔てがなさ過ぎるんだ、あいつ。

 だからカラオケだって誘えたんだよ。普通あいつみたいなタイプだったら、女一人で男子を誘うのってもっと躊躇すると思うぜ。なまじ余計に厄介だ」


 ユウの説明に、俺はただ曖昧に頷いた。

 白原の態度については、正直、俺にはよく分からない。白原が俺にまだ慣れていない、とは言ったが。俺だって白原に対して、少し腫れ物を触るみたいに扱っていることがあるのは自覚している。そこは申し訳ないと思ってるけど。

 つまりそこまで俺は彼女を観察していないので、言われても微細な違いは分からないのだ。いつも見ているユウだからこそ気付いたのだろう。目敏めざといから雨森も気付いてそうだけど。


 けど宮代が厄介だというのは、そんな俺が端から見ているだけでもよく分かった。あいつは絶対に敵には回したくないタイプだ。日常でも、恋愛でも。

 ここでふと思い出して、俺は別のことを尋ねる。


「お前、マジでT大受けるんだな」

「受けるよ」


 あっさり言って、ユウはクレープを全て飲み込んだ。さっき食べ始めたばかりなのに恐ろしい速度だった。


 ここ最近、ユウは積極的に東京へ出かけている。難関校向けの模試だったりオープンキャンパスだったり、理由は色々だったけど、帰結するのは同じところだった。

 ずっと近くにいた俺じゃなくても、クラスの連中だって分かったはずだ。ようやく臨心寺裕希が本気を出した、と。

 のらりくらりと生きてきたこいつが動き出したことで、周りの舞高生がこぞって焦り、結構多大な影響を与えていることに本人は気付いていない。

 ……いや。意外に気付いてるのかもな。


「宮代に勝つため。なのか?」

「それだけじゃねえよ。きっかけは確かにあいつだったけど。諸々含めて、単純に今は行こうと思うから行くんだ」


 ユウはきっぱりと言った。詳細は言わないが、実際にはこいつなりの十分な理屈があるんだろう。

 そして一度決めたらちょっとやそっとじゃ揺るがねえし、大抵のことは本当に実現させちまうんだからな。

 普段はちゃらんぽらんな癖に、いざって時のこいつの爆発的な集中力は素直に凄いと思うし、一貫していて好きだ。


 ユウは素知らぬ様子でたこ焼きのパックを開ける。ソースと青海苔の香りが辺りに漂い、腹を鳴らした。そういえばまだ昼飯を食べていない。

 俺も分け前を貰って口に放り込む。時間が経っているからか、生地は少しふやけていて、口の中ですぐにぺしゃりと潰れた。




 しばらく休憩スペースの椅子に座り、ユウの戦利品で腹を満たしていると、人混みの向こうから先ほどの話の当事者が姿を現した。

 いち早く気付いたのはやっぱりユウで、奴の視線を追い、俺も遅れて白原を発見する。


「あっ」


 向こうもこっちに気付いたようで声を挙げたのが聞こえるが、背が低いからか人垣に揉まれてなかなかこちらに来られない。業を煮やしたユウが助けに行き、ようやく合流する。

 今日は割と暖かい日だが、舞女のブレザーの下にベストまで着込んでいて、見るからに暑そうだ。


「二人とも、来てくれたんだねえ。ありがと」


 白原は息を切らせながら弱々しく笑った。笑顔を浮かべてはいるが、どこか浮かない様子だった。

 これは別に俺が目敏めざといという訳では決してなく、単純に白原は分かりやすいのだった。表情を見れば、喜怒哀楽が一発で分かる。未だに距離を掴みかねている俺としては大変ありがたい。

 とはいえここはプロに任せて、俺は後ろで待機する。


「どうした杏季。何かあったのか?」

「えっとね……」


 息を整えてから、白原は力なく辺りを見回した。


「どこかで直彦くん見なかった?」

「ナオ? いや、見てないけど。アオは?」

「お前が見てないなら俺だって見てねえよ」


 四六時中一緒に行動してたろうが。

 俺たちの返答に、白原は少し落胆したようだった。いや、落胆と言うよりは疲労度が増した、といった風か。いずれにせよ元気ではない。


「何。何かナオに用事あんの?」

「ううん。私じゃなくてね。直彦くんがある、らしいんだけど……」


 どうにも煮え切らない様子で白原が首を傾げる。


「りょーちゃんからね、連絡が来たの。直彦くんが私に話があるらしいから、しっかり聞いてくれって」


 白原の言う『りょーちゃん』は、すなわち宮代竜太だ。奴の名前が出て、どことなく隣からぴりっとした気配を感じた。

 ユウが余分なことを口走る前に、慌てて俺は言葉を重ねる。


「メールか何かで直接聞けばいいんじゃないのか」

「私、直彦くんの連絡先知らないから……だから、りょーちゃんづてで来たんだと思う……」


 そうだった。白原が男の連絡先をそうそう知る筈なかった。

 というか、言われてみれば奴の連絡先は俺も知らない。夏までは知ってたけど、チームCが解散して以後はメアドが不通になっている。


「直彦くん、学祭の実行委員らしいから。だから、今日の舞台に関することだったら早めに聞いた方が良いかなと思って、お昼買いにくるついでに探してたんだけど、ちょっと。

 ……ちょっと、人混みで酔っちゃった」


 表情暗いのはそういうことか。

 大ごとじゃねえか。これからが本番だろ。


「平気かよ? 急ぎなんだったら俺とユウで探してくるぞ」

「だ、大丈夫」


 大丈夫じゃなさそうな顔色で白原は手を横に振る。


「もしホントに緊急なんだったら、別の実行委の人から連絡入ってると思うし。話が入れ違っちゃっただけで、既に私たちに伝わってる情報なのかも。時間あったから、ちょっと見てみただけで」

「よし分かった。すぐに月谷たちを呼ぶからそれまで杏季はおとなしく座ってろ」


 ユウは白原の言葉を断ち切り素早く立ち上がると、彼女の肩を掴んで椅子に座らせる。そして携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。事情が判明したら切り替え早ぇなお前。

 ぐったりと座り込むと、白原は口元をハンカチで押さえながら礼を言った。


「お手数……おかけしま……」


 最後の方は消え入りそうになっている。本気でやばそうだぞ。

 ユウが月谷だか誰かに電話している間、いたたまれなくなった俺はおそるおそる手にしていたパックを前に差し出す。


「……たこ焼き、食べるか?」

「食べたら……吐く……」


 すまん。

 そりゃそうだよな。さっぱりした奴や飲み物ならともかく、流石にたこ焼きは無かった。すまん。

 けど白原は口を押さえながら、律儀に背中を丸めて頭を下げた。


「でも、ありがとう葵くん……」


 言われてちょっと申し訳なくなるのと同時、俺は首をひねる。何か、少し違和感があったからだ。

 しばらく考えてから、思い当たった。


 ……ああ。

 名前で、呼ばれたのか。


 思わず俺は、目の前でぐったりしている白原をまじまじと眺めてしまった。




 やがてユウに召集された月谷(こっちはこっちで血相を変えていた)に保護され、無事に白原は引き取られていった。

 春さんじゃなかったのが少し残念だけど。

 そこはそれ、本番とその後の打ち上げを楽しみにしておくことにする。






+++++



 午後一時十五分。コンテストが開始する十五分前、俺たちは体育館に移動し、前の方のなかなかいい席に陣取っていた。

 だが目当ての演奏はあと一時間ちょっとは先のため、当面は気楽に聞き流す心づもりだ。コンテスト終了後が目的とか変な感じだけどな。

 とはいえ、前の方の席なのに演奏が始まってからうろうろ出入りするのは忍びない。ユウを席取りに残し、今のうちにと俺は自販機へ飲み物を買いに行った。


 昼休憩を挟んだからか、俺たちが来たときには体育館にはまだ人がまばらだった。だが開始直前になった今や、続々と人が体育館に吸い込まれていく。メインイベントの名は伊達じゃねえってことか。

 人の流れに逆行し、体育館のロビーにて二本のペットボトルを買う。取り出し口に放り出されたコーラとアクエリアスを拾い上げ、席に戻ろうとしたところで。

 体を起こした俺は硬直する。

 視界の隅に、見覚えのある顔があったからだった。勢いよく振り向けば、奴もまた俺を振り返っていた。


 見間違える筈がない。

 そこにいたのは、高神楽たかぐら文彦ふみひこだった。


「……どうしてあんたが居るんだよ」


 思わず低い声で言うが、奴は眉一つ動かさず手にしていた花束を肩にかけた。


「学園祭に父兄が来ちゃ行けないって言うのか?」


 そうだった。

 高神楽文彦は、さっき白原が探していた高神楽直彦の兄だ。咎められる理由は何もないし、むしろ大手を振って訪れるべきこれ以上ない理由がある。


 けど。

 ……面白くない。


「それに」


 高神楽は俺の反応を見ながら、勿体付けた口調で続ける。


「弟が暗躍するのみならず、可愛い妹分が輝かしいスポットを浴びるというんだ。見に来ない手はないだろう」

「……妹分、だと?」

「春のことに決まってるだろう」


 言い放って、あいつは挑発的に笑った。

 反射的に奴を睨みつける。つい手にも力がこもり、手にしていたペットボトルがへしゃげて間抜けな音を立てた。

 この反応が向こうを喜ばせるだけだろうってのは分かってる。けど、どうしようもねえだろ。


 苛立ったまま、俺は不意にあいつの手にしている物に目が行った。

 黄色系統でまとめられた花束。見た感じだとバラ、か? それにしては少し形が違うような気がするけど。

 いや、問題はそこじゃねえ。


「それは。まさか、春さんに渡す気なのか」

「当たり前だろう。

 何だい。出演者への差し入れを、何の関係もない部外者のお前に拒む権利があるとでもいうのか?」


 言われて俺は口籠った。

 そうだ。いきがって聞いてはみたが、……俺は、別に春さんの何でもない。

 兄でもなければ弟でもないし、先輩後輩の間柄でも学校が同じでもない。……当然、彼氏ですらないのだ。

 あるのは、友人という非常にあやふやな立ち位置だけだった。それだって別に、こいつの花を勝手に拒んでいい理由にはならねえだろう。


 黙った俺に、対峙する高神楽は平然と尋ねる。


「そういう葵は。花束の一つ、差し入れの一つでも持ってきてるのか?」


 ……持っている訳がなかった。

 思いつかなかった訳ではない。考えなかった訳じゃねえんだ。

 けど。結局は思い留まった。本人たちがプログラムに名を載せてないからとか、他校の学園祭だからとか。もっともらしい理由を並べ立てて。


 いや。

 差し入れを持って来たかどうかが問題なんじゃない。

 言い訳ではなく、俺が考えた理由はそれなりにもっともな理由のはずだ。人によっては、確かに嫌がる奴だっているだろう。

 そこじゃねえんだよ。

 俺がこいつに負い目を感じているのは、それじゃない。


「お前らは兄弟そろって奥手だねえ。

 幸政のは、奥手って言うよかツンデレだけど」


 高神楽は少し呆れたように息を吐き出して、それから真顔で俺に向き直る。


「葵よ。草食を気取るのは大いに結構だが、似非えせ紳士ぶるのは大概にしろよ」

「……何が言いたい」

「あんまりてめぇが悠長にしてるようだと。オレが盗っちまうぞ」


 先ほどのユウの台詞が脳裏によぎる。

 ついでに、いつかの深月みつきの言葉も一緒に。


 絶句する俺の横を素通りして、奴は体育館へ向かった。

 しばらく立ち尽くしていた俺は、すぐに戻る気にはなれず壁に寄り掛かって座り込む。入り口で受付に花束を渡す奴の姿が見えて、俺は無理矢理に目を反らした。




 差し入れの有無とか、そんなんじゃねえ。

 結局のところ。俺はあいつに、精神面で徹底的に負けている。

 さっき奴が言ったのが、本気なのかハッタリなのかは分からない。

 けど。

 どっちにしたって高神楽文彦を相手にすることになった俺は、宮代竜太を敵に回したユウと、大差ないのかもしれなかった。




 むしゃくしゃとしてアクエリを半分ほど飲み干してから、不意に頭に思い浮かんだのは、飽きるほどいつも近くにいるユウの姿。

 そして、さっきの白原だった。


 何も変われていないのは、俺くらいなのかもしれない。


 ……ふざけんじゃねぇ。

 いつもみたく鬱々としたテンションになってしまいそうな思考を捻じ伏せるように、力任せにペットボトルを握りしめる。


 てめぇなんかに。

 お前なんかに、負けてたまるかよ。

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