ギャラリー2の感情的思惟
しばらく堪えてたけど、一度出てしまえば次から次へと連鎖を起こす。一応は周りに気を遣って、あからさまに見えないよう極力噛み殺してるけどさ。どうしたって眠いもんは眠い。
コンテストが始まって四十分。そろそろ俺は飽きていた。
演奏してる連中には悪いけど。でも知り合いのいない学園祭でバンドを聞くのはなかなかにきついものがある。知人がいなけりゃ演奏そのものに目を向けるしかなくなるけど、好きな曲なら厳しくなるし、知らない曲なら乗れないもんな。
だけど、退屈そうにしているのは俺ぐらいみたいだった。アオだって何だかんだ楽しげに聞いてる。多分、俺が下手に耳が肥えてるのがいけない。
半分くらい閉じかけた目を誤魔化すように手元のプログラムに目を向ける。プログラムは滞りなく進んでるけど、ようやく半分ちょっと越えたところ。杏季たちが出てくるのはまだ数組先だ。
え。俺?
だらりとパイプ椅子にもたれ掛かりながらコーラを飲む。……と思ったら、既に数滴しか残ってない。もう一本くらい買っといてもらえばよかった。
舞台を見れば、ちょうど演奏が終わったところだ。アオに目配せして、俺はそっと席を立った。
体育館を出ると、どっと気が抜ける。なんか、こーゆー場って妙に空気が張りつめてるよな。まだバンドだからいいけど、もうちょい堅苦しい演目とかだと特に。
肩が凝る。ま、俺はただの観客なんだけどさ。
自販機で買った時にはもう次の演奏が始まっていた。今からは入りにくいし、入ってもどうせまた眠くなるだろうしで、俺は二本目のコーラを飲みながら区切りのいいところを待つ。
途中で入っていく奴もいるけど、俺みたいに待ってる奴もロビーにはちらほらいた。何気なく辺りを見回していたら、同じく待機している奴、そのうちの一人と目が合う。
「あ」
「ん?」
その顔には見覚えがあった。しょっちゅう見てる顔に似てる。
思い当たって、俺は人差し指を立てる。
「
「正解」
すかさず答えると、相手、月谷潤の弟の恵もまた俺を指差す。
「そういうお前は、臨心寺裕希だ」
「正解」
へえ、と感心しながら、俺は月谷に歩み寄る。
「よく覚えてるな」
「一回会ったろ」
「そりゃそうだけど」
月谷恵とは杏季の誕生日に一回会っている。だけど本当にその一回だけだし、それだってほとんど一瞬だった。それに、俺からしたら知らない顔はこいつだけだったけど、こいつからしたら知らない顔ばっかの集まりだった筈なのにな。
ただ恵の中身については、話をよく聞いてるし、なんだったら俺らのチャットやメールにおもむろに登場したりするから、ネット上で話はしてるんだけどさ。
顔こそ合わせてないけど、たまに打ち合わせたり雑談するときは何故かこいつも常連だ。
それに顔は月谷姉の方と大体似てるから、あまり新鮮味とかはない。
「お前、確かいつもは東京だろ」
「この土日はちょっと帰ってきてるんだ」
そうか。姉貴が舞台出るもんな。何だかんだ、仲良いのか。
「奈由のミニスカを拝みに来た」
いきなり予想を覆された。
大概、唐突だな。人のことは言えねーけど。
「お前、草間狙いなわけ?」
「当たり前だろ。お前らがしゃしゃり出て来るより遥か昔から、俺は奈由に愛を解き続けている。よっぽど俺は大先輩だ」
「つまり落とせてないんじゃねーか」
「難攻不落過ぎて困るんだよなー。そして責めるにあたり一番邪魔なのが潤という」
「ああ」
それは納得する。月谷(姉)ガードは強力だ。
にしても。マジで草間狙いだったのかこいつ。
確かに毎回飽きずに草間ばっか狙い打って、
月谷(弟)は手を打って、思い出したように俺へ釘を指す。
「いちお、お前らの狙いは把握してるから安心はしてるけど。間違っても奈由には手出しすんなよな」
「興味ねーから心配すんな」
杏季を除いたとしても、草間だけは色んな意味で手を出したくない。顔は可愛いけど中身が怖いから嫌だ。
……いや。佐竹がいた。あいつが最狂のトップだった。
恐ろしい者を思い出してしまったので、別の話題にすり替える。
「そういや、ミニスカって言ってたけど。制服で出るんじゃねーの?」
「俺がとっておきの舞台衣装を用意してやった」
腕組みして月谷(弟)は自慢げに告げる。
「楽しみにしてろよな。因みに杏季ちゃんのは一番ふりふりで可愛らしい仕様になってる」
「何それテンションあがる」
「奈由のは清楚かつ艶やかで、クールビューティーな魅力を最大限に押し出した」
「ごめん聞いてない」
雑談をしていたら、ようやく演奏が終わった。他の待機していた連中と一緒に、俺と月谷(弟)こと恵はそっと会場へ入る。
あと、残りは三組だ。
+++++
がくり、と横揺れに衝撃が走り、俺ははっと目を開ける。
衝撃の来た方を見れば、右に座った恵のポージングからして、奴に肘で小突かれたらしかった。
やべ。寝てた。
眠い目を無理矢理に開けながら舞台を眺めれば、照明の消えたそこには誰の姿もない。どうやら全ての出場グループの演奏が終わったようだ。
頃合い良く司会のアナウンスが聞こえる。
『それでは審査の間、特別ゲストによる演奏をお楽しみください。
テトラゴンの皆さんです!』
危ないところだった。周りに合わせてだらだらと拍手をしながら、心の中でひっそりと恵に感謝する。
観客の拍手を合図に再び舞台に照明が付き、袖からよく見慣れたメンバーが現れ、
目え覚めた。
可愛いじゃん。
一瞬だけ舞台から目を離し、俺は恵へ無言で親指を立ててみせた。奴もぐっと指を立てて返してくる。
左隣に座った葵を横目で見ると、俺みたく反応こそはしてないけど、瞬き一つせずにガン見してる。
感触はお察し。
月谷弟の言ったとおり、杏季の服はひらひらのふりふりだった。他メンツの服よか二割り増しでひらっひらな気がするけど、きっと気のせいじゃない。
ぱっと見のデザインは同じに見えるけど、よく観察すればちょっとずつ違う。個々に合わせてディテールを変えてるから、皆よく似合ってる。
とりわけ杏季は大変よくお似合いです。普段、どうしたって制服姿が多いから貴重なんだよな。
こんなことならカメラでも持ってくりゃよかった。
と思ったら、右隣からシャッターを連写する音が聞こえた。
抜かりねえな。
俺も俺で携帯電話を構える。くっそ、遠い。後で現像してくれ。草間しか写ってなかったらどうしよう。
数枚、画質の悪い写真に晴れ姿を納めたところで、俺は携帯の蓋を閉じた。
そして、スポットライトに照らされた杏季を見つめる。あいつは屈託ない笑顔で、いつもとは何ら変わりがないように見えた。けどな。
俺としちゃ眼福だけど。杏季当人が心配だった。
多分。あいつは今日、生理の初日か二日目だ。
十月だけど、今日は人によっちゃ半袖でもいいくらいの陽気だ。けど、あいつはさっき、ブレザーを着た上にニットのベストまで着込んでいた。
杏季はその日、盛大に体調を崩す。とりわけ冷えてしまうと、元来の冷え症も
いくら冷え症って言っても、今日は流石にベストを着こむほどの気温じゃない。なのにあそこまでの厚着をしてるってのは、きっとそういうことだ。
何でそんなことを知ってるのかって?
別に、杏季を観察して探り出した訳じゃねえよ。そこまで俺は気持ち悪い奴じゃない。
他ならぬ杏季が、前に俺に教えてくれたんだ。今日みたいに具合悪そうにしている理由を聞いたら、そういうことだって話してくれた。
いやさ。おかしいだろ。
彼氏ならまだしもさ。付き合ってもない野郎にそうそう言うようなことじゃない。
だからあいつは俺のことを恋愛対象として認識してないし、一旦気を許した相手には不作法な程、男女の垣根を取り払い過ぎなんだ。
杏季には、男に易々とそんな話すんなって釘を刺しといたけど。俺に言われなかったら、いずれ京也とかにまで似たようなことを話してたに違いなかった。まあ京也だって俺と同じように
『レディース・エーン・ジェントルメーン! 皆さんこんにちは、多分絶対知らない人ばっかだと思いますが、期間限定ガールズバンド・テトラゴンでーす!』
『今日は光栄にも、審査してる間のゲストとしてお呼び頂き参上いたしましたー』
『おおおすげえ今回はちゃんとジェントルがいる!』
『普段はジェントルいないからね!』
月谷姉と畠中がマイクを持ってやりとりを始めた。持ち歌は一曲だけだから、ただ演奏するだけじゃなく、トークで時間を稼いで場をつなぐらしい。
さっきまでのコンテストの講評めいたものを話しながら、テンポよく会話する。聞き取りやすいし、会場からはそれなりに笑いも出ていた。上手いなあいつら。
舞台上の傍らで杏季は笑う。
見た目には体調不良などおくびにも出していない。いつものあいつと比べたって今の立ち振る舞いは堂々としたもので、舞台の上は確かに得意なようだった。
杏季は演劇部に所属していた。生憎と俺は演劇部としての舞台は今までに観たことがないけど、舞高演劇部の連中に聞いてみたら、結構演技は上手いらしい。
普段の杏季は見るからに分かりやすい。
多少の付き合いがあれば、今どんな感情なのか、何を考えているのかは大体分かる。
けど、あいつは普段でも、大丈夫じゃない時に大丈夫に見せる演技は異様に上手いんだ。
だから、アオが
取り繕うのが難しいほどに相当やばいってこと。
今の服装は半袖にミニスカート。おまけに体調は最悪だ。
照明が当たるから舞台は暑いっていうし。短時間だから乗り切れるとは思うけど。無理してないといいんだけどな。
月谷と畠中のトークが一段落つき、いよいよ曲が始まろうとしていた。それぞれが定位置について、舞台も会場もしんと静まり返る。
相変わらず朗らかな笑みを浮かべた杏季は最前列だった。ボーカルだから当たり前なんだけど。
……我侭だけど、あんまり前面には出ないで欲しいんだけどな。
いや、出て欲しいんだけど。どっちだよ俺。
ひとまず俺はまた携帯電話を構え、隣の恵を小突いて写真を撮らせる。頼むから、現像したら草間だけだったなんてオチはやめろよ。
月谷のドラムが軽快に鳴り響き、演奏が始まる。畠中のベース、草間のキーボードが加わって、あまり長くはない前奏が終われば。
杏季の伸びやかな歌声が会場に広がった。
ああ。
いいな。
俺からしてみりゃ恐ろしく高いキーで、杏季は臆することなく最初から全開で歌い上げる。その堂々たるや見事なもので、まるでホンモノのプロのボーカルみたいだった。いつものあいつからは想像できない。
元から杏季は声が高い。だから高音部分は得意で、他の奴だと大変な部分でも難なく歌いこなせている。
あいつは低い声が出ないってふてくされてたけど。高音に強いってのだって、強力な武器だと思うんだけどな。
曲はインディーズの曲だから、会場にいる連中は知らない奴が多いだろう。でもノリが良い曲だから、知らなくても入り込みやすくて皆が聞き入ってる。
ただ。選曲が良かったのはあるけど、それだけじゃなく。二週間しかなかったにしては月谷たちの演奏も上手いし聞けるけどさ、それだけじゃなくて。
きっと、杏季の効果が大きいんじゃないかって思う。
カラオケに行った時も思ったけど、杏季の歌声は聞いていて心地いい。
音程がとれてるのは勿論だけど。ただ歌ってるだけじゃないっていうか。
きっとあいつは、歌でも『演技』してる。そのまま正しく歌詞を紡ぐだけじゃなくって、ちゃんと曲に、歌詞に、アーティストに、感情移入して歌ってるんだ。だから聞く側にも、伝わってくる。
それから今は。
本当に、楽しく歌ってるんだろうな。
聞き惚れてたら、あっという間に曲は終わった。
杏季は、満面の笑みでぺこりと頭を下げる。
よかった。
確かに体調はこの上なく悪かったかもしれない。けど今のあいつは本当に心から楽しそうで。舞台の楽しさが不調をも上回って、忘れさせてくれてるのかもしれない。
素直に俺は、舞台に出てくれて良かったなと思う。こんな杏季の姿を観られたなら、俺は満足だった。あの笑顔はきっと、演技じゃない。
会場中で拍手が響く。片手間の定例的なものじゃなく、本心からの拍手だった。そう思う。身内だから、そう思いたいのかもしれないけどさ。
演奏が終われば四人の出番は終了だ。審査も終わったのか、久々に司会がマイクを握る。
『ゲストのテトラゴンの皆さんでした。皆さん、もう一度盛大な拍手を』
『ちょっと待った!』
無事に終わりかけていたところで、突然乱入する声。
撤収しかけていた舞台上の四人は、何事かと手を止める。様子を見るに、事前に示し合わされていたくだりではないようだ。会場の奴らと同じく、四人もきょとんとしている。
……どこかで。乱入した声には聞き覚えがあった。
司会のいるすぐ側、関係者席と思しき辺りから、すっと立ち上がる影がある。
「な」
ナオ。
立ち上がったのは、
さっき、杏季が探していた当人だ。
『この場を借りて、言いたいことがあります。
ボーカルの、白原杏季さん』
……まさか。
話したいことって、このことなのか。
わざわざ宮代が事前にメールで知らせてきたのって、このことなのかよ。
けど。杏季は今日、本調子じゃないんだ。折角、いい感じに終われたのに、何やってんだよお前。
舞台の延長ならなんとかなっても。いきなり名指しのこんなピンポイントで、不意打ちみたいな真似してくれるなよ。動揺するだろ。それでまた体調が悪くなったらどうす
『あまり直接話せたことはないけど。実は、ずっと好きでした。
俺と付き合ってください』
は?
手からペットボトルがごとりと落ちた。
両脇から。視線を感じる。
ごめん。今、お前らに構ってる余裕ない。
やめろ。
やめろよ。
事前に、よりにもよって宮代から予告されてたのは。
そういうことだったのかよ。
やめてくれ。
今、杏季に。あんな場所で、そんなことを言ったら。
あいつは。取り繕うに決まってるだろ。
最初は目を見開いて一瞬動揺した、ように見えた。
やがてマイクを手に持ち。
杏季は、照れくさそうに微笑んだ。
『えっと、いきなりで、ちょっと私も何て言ったらいいか分かんないですけど。
友達としてから、なら。喜んで』
会場から。さっきの拍手より大きい、耳をつんざくような歓声が聞こえる。
うるさい。
黙れよ。
何も。
何も、知らない癖に。
あいつが本当は誰のことを思ってるのか、何年間その気持ちを抱え続けてたのか、その所為でどれだけ苦しんできたのか、何にも知らない癖に!!
宮代。
てめえ、何考えてんだよ。
あんたのメールとシチュエーションとで、二重に杏季は逃げられなくなった。
他ならぬあんたからの頼みで。
杏季は決して逃げられない。
ああ答えざるを得ない状況になるのを知っててお前はメールを出したんだろ。
あんたは。杏季の保護者を気取ってるあんたは。
どんだけ杏季を苦しめりゃ気が済むんだよ。
俺は、あんな笑顔が見たかった訳じゃない。
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