ボーカルの恒常的懊悩

――2005年10月5日。




 綺麗に青い秋空を見上げて、ため息を一つ。


「どうしよっかなぁ」


 思わず一人で呟いて、私、白原しろはら杏季あきは首をひねる。

 何度目か分からない逡巡と、相変わらず煮え切らない自分への苛立ちに、意図せずまたため息が出た。駄目だなあ。ため息をつくと幸せが逃げるのに。


 私は今、駅の方角へ一人で歩いているところだった。

 理由の一つは、駅前のミスドで百円セールが実施中だからだ。ミスドさんにはいつも大変お世話になってるけど、とりわけセール時にはすかさず行脚あんぎゃする。

 だって普段だと数個しか買えないけど、本当はもっと色々食べたいもん。ミスドは幸せだけど、選ばなければならないのがつらい。セールは高校生の経済力にとってありがたいのだ。……結局、いつも以上の金額を買っちゃうんだけどね。

 夕ご飯? 食べるよ。ドーナツはおやつだもん。ご飯以外にドーナツ数個くらいだったらぺろりといけます。甘いものなら食べられる!


 ただ、ミスドは駅前だけでなく街中にもある。(ここは前に、はったんと影路かげろ深月みつきくんがお茶をした場所だ。)どちらの店舗も徒歩で行ける距離ではあるけど、街中のミスドの方が近いから、普段だったらそっちに行くことが多い。

 本日、わざわざ駅前に向かっているのはもう一つの理由が原因だった。


 もう一つの理由は、ドーナツを調達した後、別の場所に行く、かもしれないからだ。

 そしてこれが、さっきから私が悩み続けている内容でもあった。


 悩んでいるのは、カラオケに行くかどうか、だ。

 いつもなら悩むことなんてない。カラオケは好きだし、暇さえあればみんなとちょくちょく行っている。

 なのに何故、今回悩んでいるのかといえば。それは、行くメンバーが私しかいないから。

 つまりは一人でカラオケに行く、からなのだった。


 来週の日曜日、私たちは舞橋中央高校の学園祭に出る。なので、勉強の合間にみんなそれぞれ自分の楽器の練習をしていた。

 私は楽器じゃなくてボーカルだけど、同じく曲をさらいなおした。好きな曲だから元々歌詞はほぼ覚えてたし、改めて覚え直したから今はもう全部ばっちりだ。音程もとれてるし、そこの問題はなかった。

 けど、本番みたいに、しっかりとした声量で歌ってはいないんだ。

 部活をやってた時ならまだしも、今は引退してるから最近は全然声出しをしていない。いくらマイクだからって、小さい声じゃだめだからね。


 土日には、つっきーがアジトを借りる約束をしてくれたから、そこでみんなと合わせて練習できる。でもみんなは平日の隙間時間にもきっちりやってるのに、私だけ不完全な状態で挑むのは申し訳なかった。

 だからカラオケに行って、歌う曲そのものはインディーズのだから入ってはいないけど、せめて声を出す練習が出来ればと思ったんだけど。


 なんのことはない、私は小心者で臆病なのだ。一人で行く、ということに躊躇して、ぐじぐじと悩み続けていた。

 一人でなんか行ったことがない。けど他のみんなも勉強の合間に忙しく練習をしているのに、みんなを誘うわけにはいかなかった。

 だからミスドのセールにかこつけて、ひとまず駅前まで来ている。カラオケは駅の近くにあるのだ。

 どうするかは決めかねていたけど、ミスドで買い終わる時までに決めればいいし、仮に諦めて引き返すことになったとしても、ドーナツは手に入るから無駄にはならないしね。


 悩む時間の延長。そして、実行できなかったとしても、まあいいかと思えるような予防線を張る、ずるい方法。

 あたしのよくやる手、です。




 決めかねているうちに目的地について中に入れば、店内はいつもよりそれなりに混み合っていた。セールの時はだいたいこんな感じだ。

 ひとまず私はもやもやとした思考を隅に押しやり、トレイとトングを手にして臨戦態勢に入った。


 まずい。既につっきーに依頼されたDポップが売り切れている。

 いつもつっきーはDポップを狙うけど、あれ足りなくないのかな。私は物足りない感じがしてしまう。もっと同じ味をがっつり食べたい。


 既に駆逐されたDポップはさておき、まずは素早くチョコレートのポン・デ・リングを確保。期間限定とか言ってるけど、ずっと販売してくれないかな。絶対みんなそれを望んでると思うんだけど。


 そしてなっちゃん用にチョコファッション、はったん用にハニーチュロ。つっきーは何がいいかな……適当に買った中から選んでもらおう。


 ハニーディップやダブルチョコレート、フレンチクルーラーは大好きだけど、元の値段が安めだからセールの時はそこまで食指を動かさないようにしている。でもやっぱり、つい買っちゃうんだけどね。


 狙うのはエンゼルフレンチ系列だ。ただこの類は、本日中に召し上がらないとふわふわ度が減少してしまって悲しいので、あまり沢山は買い込めない。兼ね合いが必要だった。

 そこの隙間に、前述したダブルチョコレートやチョコファッション系などが投入される。

 私の好きなオレンジとチョコのマフィンは、残念ながらこれも売り切れ。でもかえって良かったのかもしれない。美味しいけど、さすがにカロリーが凶悪だし。


 そして実はずっと気にしていた期間限定の商品が目に入る。じゃがいもの衣にチョコやはちみつなどの甘いっものをミックスし、甘じょっぱさを売りにしてる商品で、賛否はあるけど私は大好きだ。

 けど例によって割引適用外……だけど私はこの子が好きなんだ……。

 十秒ほど悩んですかさず乗せた。


 トレイの上がなかなか充実してきたところで、吟味はラストスパートに入る。さっきよりは余裕を持ちながらショーケースの中を見回していると、ふと、近くの人のトレイが目に入った。

 ごっそりうずたかく積まれたポン・デ・リングの山。

 思わず目を見開く。

 私はこれでも、少し重なってはいるが、ドーナツはトレイに平置きで収まっている。が、その人は分量が多すぎて、ドーナツの上にドーナツを積み重ねまくっており、文字通り山になっていた。なかなか見ることのない壮観なビジュアルである。凄い。


 仲良くなれそう。

 と、思ったら。


「あれ、びっくりした。杏季?」


 もう友達だった。


 声をかけられてびっくりする。凄まじいことになっているトレイに目が向いて気付かなかったが、学ランを羽織った彼は臨心寺りんしんじ裕希ゆうきくんだ。

 思いっ切り知ってる人だった。


 そして店内で結構、浮いていた。ただでさえ女子率が高い店内で、男子高校生が、しかもトレイにドーナツを山盛りにしているのだ。仕方がない。

 男子高校生でなくても浮いてると思うけど。


 彼もどうやらセールを狙ってここに来たクチらしかった。お互いに挨拶をすませたところで、改めて私は彼のトレイを遠慮なくまじまじと見つめる。


「それ、すごいね……」

「セールなんだから買い込まないといけないだろ」


 それは分かるけど、流石にここまで食べられない。ざっと数えたところ、二十個近くはありそうだ。

 二箱分……。男の子凄いな。


「ポン・デ・リングばっかりだね」

「もちもちしたの好きだし。それに柔らかい系のだと、明日になったら固くなっちゃうじゃんか。一人だとどーしても一日じゃ食えないから」

「えっ一人!?」


 聞き捨てならない台詞が聞こえた。

 待ってこれ一人で食べるの……?


「うん。別にこれくらいなら二日くらいで食べるけど」


 しかも二日って。一日一箱って。

 男の子凄い。


「友達と食べるのかと思った……」

「野郎は甘いの食べない奴、結構いるからな。だからか学校の近くにはこーいう店全然ないんで、セールの時に遠征してこっちまで来てる」

「舞高からだと、街中のミスドのが近いんじゃないの?」

「あそこチャリ置き場狭いもん。その割に混んでるからこっちのが楽。チャリだとたいした距離じゃねーし」


 そっか、と納得したところで、私はふと懸念事項に思い当たった。もしかして、裕希くんと一緒に店に来ている友達がいるのではないかという懸念だ。

 染沢くんだったらまだいい。何回か顔を合わせてるし、染沢くんとならそれなりに会話はできる。

 でも、他の知らない男の子だったら、やっぱり私はまだ怯えてしまうだろう。その姿は、裕希くんには、あまり見られたくない。

 だけど、近くにそれらしき人は見当たらなかった。私の目線に気付いたのか、裕希くんの方が先に言う。


「俺一人だよ」

「よく来たね!?」


 思わず高い声で言ってしまった。私にとってはありがたいけど、男の子一人でミスドって、ちょっとハードルあるんじゃないのかな。


「基本、ここに来るときは一人だよ。たまーにアオは一緒に来てくれるけど、離れてるからあんまり付き合ってくれない。

 甘いの好きだからホントはもっと来たいんだけど、流石に遠いから面倒なんだよな。だからセールの時に買い込むんだけど、二日で消える」


 釈然としない面持ちで、裕希くんはじっとトレイの上のドーナツを見つめた。


 なるほど。

 甘いもの、好きなんだ。


 でも、男の子で甘いもの好きって、結構、難儀だと思う。そういう店って、男の子だけだと入りづらいところ、多いもん。女の子同士やカップルばっかり。まして、一人だと尚更だ。

 なのに裕希くんは堂々と一人で買いに来ている。

 凄いなあ。私だったら、絶対一人じゃ入れないよ。

 と、そんなことを思っていたら。


「とんでもない奴がいやがる……」


 また知っている声がした。

 店の入り口を振り向けば、そこにいたのは雨森あめもり京也きょうやくんだ。

 赤のネクタイに灰色のスラックス、そして紺のブレザーという舞橋中央高校の制服を着た彼は、背が高いことも相まって非常に良く似合っている。

 いいなああの制服。学ランも格好いいけど、ブレザーもブレザーの良さがありますよね。ネクタイって素敵だと思う。

 男の子は苦手だけど制服は好きです。


「あれ、京也。お前も買いに来たのか」

「僕は通りかかっただけだ。臨、お前、なんだよそれ」


 雨森くんは裕希くんのトレイを指さした。裕希くんはトレイに視線を落とし、さらりと答える。


「ドーナツだけど?」

「見れば分かるよそういうことじゃない! 多すぎるだろ!?」


 あ、同じ男の子から見てもそうなんだ。ちょっと安心した。

 雨森くんは呆れたようにドーナツと裕希くんとを交互に眺める。


「お前はその薄い体格のどこにカロリーが行ってるんだ」

「細長いお前に言われたくないけどな」


 裕希くんもまた雨森くんを上から下まで見回しながら言い返す。それはすごく同意するよ。


 そろそろ周りの人の視線が痛いので、私は一足先に会計に行くことにした。二人のやりとりを背中越しにぼんやり聞きながら、別の学校の男の子たちと喋ってるなんて数か月前には考えられなかったなあ、なんてしみじみとしていると。


 ふと、名案が浮かんだ。


 ……いや、名案っていっても、これを提案すること自体もまた、……勇気が要る。結局のところ、踏み出す度合いとしては変わらないのかもしれなかった。

 何を選ぶかは私次第だ。でも、……やっぱり何もしないのは、嫌だ。


 会計を終えた私は、おずおずと二人に歩み寄る。


「あの。二人って、この後は、何か予定あったりする……?」

「ない!」

「僕も、特にはないけど」


 二人からは即座にそう返事が返ってきた。

 心苦しい。……けど。


「もし、もしホントに暇だったらで、いいんだけどね。

 ……お願いが、あるんだけど……」


 両手を合わせて、私はぎゅっと目を閉じた。






+++++



「久しぶりだなー! すげー楽しみ」


 受付に並びながら、裕希くんが弾んだ声を挙げた。

 私はひっそり胸を撫で下ろす。良かった。そんなに迷惑じゃ、なかったみたい。


 今、私たち三人は、揃ってカラオケ店に来ている。

 名案、というか、さっき私が思いついたのは。二人を誘い、三人でカラオケに行くことだった。


 一人でカラオケというのはなかなか高かったハードルだけど、誰かと一緒なら、カラオケ自体は好きだし悩むことはないのだ。この二人に会えて本当に良かったと思う。

 ただ。男の子と一緒に行く、というまたちょっと別のハードルはあったわけだけど。……ここだけの話、雨森くんじゃなく染沢くんだったら、多分、無理だった。言い出せずにあの場で別れていただろう。


 事情を説明したら、二人は快く一緒に来てくれた。ありがたいなあ。本当に二人は優しい。いや、私が慣れきってないだけで、染沢くんも勿論いい人なんだけど。

 受付を済ませ、部屋に移動しながら雨森くんがこっちを振り向く。


「でも、意外だな。杏季ちゃんから誘われるとは思わなかった」


 私だって誘えると思ってなかったです。

 追いつめられた咄嗟とっさの行動というか、何かに突き動かされた衝動というか。窮鼠きゅうそ猫を噛む? なんだろ。

 曖昧に微笑むと、裕希くんがぐしゃぐしゃと私の頭を撫でてくる。


「成長成長」

「う、あ、はい」


 すみません、突発的な行動なので、そんなに成長できてない気がします。そもそも私の都合に二人を巻き込んじゃってるし。


「でも、二人ともごめんね突然。ただでさえみんな忙しいのに」

「『ごめんね』より『ありがとう』を言える良い子になりましょう」

「ありがとうございます……」

「よろしい」


 納得したように頷いて、裕希くんは手を離した。

 裕希くんと一緒にいる時は、こう。知り合った時の出来事が出来事だったからかもしれないけど。

 なんだか、もっとしっかりしなきゃいけないなって気がします。




 男の子とカラオケに来るのは初めてだ。

 けど、実を言えば、男の人とカラオケに来てみたいとはずっと思っていた。私の好きな曲、男性アーティストのが多いんだよね。でも私、声が高いから自分じゃ歌えないんだもん。目の前で歌ってくれたらいいなあって。人が歌ってるの聞くの、好きなんだ。

 つっきーはバンプ歌ってくれるし、それはそれで恰好良くて素敵だけど、男女で声質はやっぱ違うからね。


 どういう曲を歌うのか聞くついでにそんな話をしてみたら、意外そうな顔で雨森くんが聞いてくる。


「僕らを誘ったところをみると、てっきり前にもあるのかと思ってた」

「今日は必死だったの! それに知ってるでしょ、誘える人なんていないよ!」


 何を今更! 今ここにいる二人が本当にギリギリだったのだと声を大にして言いたい。……言わないけど。

 でも雨森くんが気にしていたのは、そこじゃなかった。


「いや。宮代みやしろとはよく行ってるのかと思ってた」


 あ、そうだったね。ギリギリでもなんでもなく、この二人以上にお構いなしに言える相手が一人いた。

 けど、別の意味で彼は除外されちゃうんですよ。

 私はぶんぶんと首を横に振る。


「りょーちゃんとも行ったことないよ。ほとんどカラオケ行ったことないんだって。りょーちゃんは誘っても来てくれないんだよ。何度もお願いしたんだけど」


 りょーちゃんこと宮代みやしろ竜太りょうたが学校で所属するコミュニティには、カラオケに行くという文化がないらしい。代わりに友達とつるむ時はボーリングが多いんだそうだ。

 聞いた時には、へえ、と思ったけど、逆に考えれば私はボーリングに行ったことなんて一度もなかったから、周りのメンバーによるんだろう。


「でも、りょーちゃんは歌が下手って訳じゃないんだよ。音楽の成績良かったし、音感もあるし、小学校の合唱コンクールでは指揮者賞取ってたし!

 ただ好き好んでカラオケに行く気にはならないってだけで。だからりょーちゃんと会う時にはちょっと行く場所に困るんだけどね。大抵、お茶するくらいかな」


 念の為、りょーちゃんの名誉のためにそう付け加えた。

 そう、だから似たようなパターンになりがちなんだけど、文句は言えない。私は私でボーリング行く気にならないし。

 それに会えるだけで嬉しいから、極論どこだって構わないのだ。


 暢気なことを考えていると、ふと違和感に気付いた。

 二人は微妙な表情を浮かべて黙り込んで、でも何か物言いたげな様子で、けど私から少し視線を逸らしている。

 あれ。何か変なこと、言ったかな……。

 どうしよう。気に障ること言っちゃったかな……。


「なあ。その、杏季ちゃん。……非常に聞きづらいんだけど、正直ずっと気になっててさ。一つ聞いてもいいかな」

「な、なんでしょう」


 びくりと身構えて私は身体を固くした。

 雨森くんは少し間を置いてから、おずおずと尋ねる。



「杏季ちゃん。宮代と、付き合ってる?」



 ああ。

 ……そういうこと、か。



「付き合ってないよ」



 私は即答した。

 自分でもびっくりするくらい、乾いた声だった。


「そうなのか」

「うん。幼馴染ってだけ」

「でもさ」


 黙っていた裕希くんが、横から抑えた声で指摘する。


「ぶっちゃけ傍からお前ら見てると、……というか。宮代を見てると、その過保護っぷりが尋常じゃねーんだよ。いくら幼馴染でも、おかしいだろ」

「……そうだね。ただの幼馴染じゃ、ないかもしれない」


 小学生の時に助けてもらったことを、さて置くとしても。普通じゃないことは自覚している。多分、気付いてないのは、りょーちゃんの方だ。


 ただの幼馴染の方が、私だってよっぽども楽だっただろう。

 諦めることだって、できたかもしれない。


「私はずっと前からりょーちゃんのことが好きだよ。

 でも、りょーちゃんは私のことを決してそうは見てない」


 ついつい固く言ってしまってから、私は努めて明るく笑う。


「私がそこまで男の子が苦手じゃなかった頃……確か小学校低学年の時かな? 子供会か何かの行事でキャンプに行ったんだ。りょーちゃんも一緒に参加してた。

 同じ地区の子は別の班にされちゃうから、班行動は別々だったんだけど。オリエンテーリングの時に私の班、迷子になっちゃって。私は足を挫いちゃうし、結構大騒ぎになったことがあったんだけどね」


 懐かしいなあ。

 私より下の学年だった男の子が、一人で勝手に森の中に分け入っちゃって。その子を探してるうちに、私たちは、山を一つ越えて隣の市まで行っちゃったんだよね。

 おまけに今度は私が高台から落ちて足を挫いちゃって、班のメンバーもばらばらになって。年上のお兄さんに背負ってもらって、なんとか帰ってこられたけど。

 因みに、最初にはぐれた子はしれっと一人でキャンプ地に戻ってた。ある意味これも、男の子は信用できないと思った出来事の一つだったかもしれない。


 十年近く前の話なのに、あの時のことは鮮明に覚えてる。

 それだけ衝撃だったから。

 まだたったの一桁の年齢の私にも、分かってしまったから。



「年長の人に背負われてようやく帰ってきたときにね。りょーちゃんは血相を変えて飛んできたんだけど。

 その時りょーちゃんは私に、『』って言ったんだよ」



 百香ももかちゃんは、私の弟と一緒に消えてしまったりょーちゃんの妹だ。

 あの瞬間、私は嫌というほど自覚した。

 宮代竜太における、自分の立ち位置をいうものを。


 そしてそれは。今現在も、決して変わってはいない。



「りょーちゃんはね、私の中に百香ちゃんの影を見てるだけなの。

 だから。りょーちゃんがきちんと私と百香ちゃんとを区別して考えるようにならない限り。私の恋は、永遠に叶わない」



 負け惜しみに注釈を付けたけど。本当は、分かってるんだ。

 どんなに未練がましくしがみ付いていたところで、今のままでは決して私の恋が実ることはないってことを。

 かといって、私は十年経過してもその感情を捨てられずにいる。


 悩む時間の延長。

 そしてりょーちゃんが一緒にいてくれるからと、いつまでも予防線を張り続けている、ずるい方法。

 昔からあたしのよくやる手なんだ。



 言い終わって顔を上げれば、二人はさっきよりもひどい顔をしていた。

 やだなぁ。

 そんな顔、しないでよ。

 話さなきゃよかったかな。辛気臭い感じになっちゃって、二人に申し訳ないことした。つい、感情が先走っちゃって言っちゃったけど。よくないなあ。


「大丈夫だよ。

 もう私、その時から諦めてるの。ただ、引きずり続けてるだけで」


 そう、だから大丈夫。何も痛くないし、何も感じない。

 とっくに分かってるんだから。






+++++



 一時間半が経過し、全力で歌いきった私たちは店を後にした。

 最初に変な話をしちゃったけど、その後はすぐに気を取り直して歌い始め、楽しく盛り上がることが出来た。やっぱり二人は優しい。

 そして二人とも歌が上手かった。特に裕希くんが凄い。しかも私の好きな曲を沢山歌ってくれたので大変満足です。忙しいだろうからそんなには無理だけど、また来たいなあ。


 時刻は十八時半。門限まではあと三十分だ。ぎりぎりってとこかな。けど、ちょっと走ればなんとかなるだろう。

 帰ろうとしたところで、裕希くんが私の前に自転車をまわしてきた。


「杏季、門限ギリだろ。乗ってけよ」

「へ?」


 予想外過ぎて、思わず変な声を上げてしまう。裕希くんは顎で荷台を指し示した。

 二人乗りってことらしい。


「でも、遠回りになっちゃうでしょ?」

「いいから乗れよ。俺の門限、一時間先だし。送ってくから」


 紳士! わあ、私なんかの為にすみません。自分が誘ったのに本当申し訳ないな……。

 自転車の二人乗りはいけないことだけど、でも少しだけ。今日だけは甘えてしまおう。何だかちょっと、疲れたし。二人に、吐き出せたからかな。


 遠慮がちに荷台へ横座りする。前につっきーの後ろに座った時は普通にまたがったけど、相手が男の子なので流石に自粛しました。

 因みにその時は春日先生に見つかって非常に怖かった。……人通りの少ない裏道を走ってもらおう。


「しっかり掴まれよ」

「了解です!」


 私はがしりと荷台の金属を掴む。

 と、裕希くんが怪訝な表情でこちらを振り向いた。


「どしたの?」

「……いや、なんでも」


 なんだか楽しげに笑った雨森くんが「じゃあ僕はこっちだから」と颯爽と手を振る。ああ、ごめんね私だけ。雨森くんだって似たような距離歩くのに。というか途中までほとんど同じ道なのに。

 そんなことをぼやいたら、二人揃って「男だから大丈夫」と一蹴された。紳士。

 雨森くんに手を振ると、私を乗せていつもより重いだろう自転車は動き出す。お手数おかけします。




 私の要望通りに人通りの少ない裏道を走っていると、ぽつりと裕希くんが言う。


「なあ杏季。お願いがあるんだけど」

「何?」

「俺、甘いものが好きなんだ」


 裕希くんは少し言いづらそうな様子で続ける。


「ホントはもっと色々行きたい店はあるんだけど、流石に男一人じゃ入りづらくてさー。ミスドくらいなら大丈夫なんだけど。

 だから、その。……たまに付き合ってくれると、嬉しいんだけど」


 後ろに乗っているから、裕希くんの表情は分らない。けど、その口調や雰囲気から、多分彼は今、勇気を振り絞って言ってるんだろうなということは伝わってきた。


 なんだ。

 裕希くんだって、何でも大丈夫な訳じゃ、なかったんだ。


 少しほっとして、そして少し嬉しくなって、私は明るい声で答える。


「いいよ。お金のこととかあるから、そんなに頻繁には行けないかもしれないけど」


 私のお小遣いは甘いものと本とで消える。けど好きな作家の新刊は当分出なさそうだし、しばらくは甘いものの方にお金を掛けられそうだ。


「本当にいいのか?」

「うん、大丈夫。私も大好きだから!」


 にこやかに言ったら、裕希くんはしばらく黙り込んだ。

 やがて、押し殺したような声で呟く。


「……本ッ当に厄介だ」

「何が?」

「なかなか中に入れないって話!」


 言って、裕希くんは立ち漕ぎを始める。泡を食って、思わず裕希くんの学ランの裾を掴んだ。


「こ、怖い怖い怖い怖い!」

「一挙両得だろ。早めに帰れるし」


 何言ってるのかよく分かんない!

 さっきまで凄い紳士だったのに。

 やっぱり男の子って、よく分からない!

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