ドラマーの思春期的葛藤

「月谷さん。僕と付き合いませんか?

 勿論、男女交際という意味でですけど」


 奴の台詞を聞いたとき。

 ああ、コイツとうとう受験勉強のしすぎで頭沸いたのか可哀相に。

 と、現代社会の抱えた闇たる受験戦争における病理という深刻な弊害について思いを馳せた。



+++++


――2005年10月4日。




 良い子も悪い子も普通の子もこーんにーちはー!

 どうも、皆のアイドル・月谷つきやじゅんでっす。はーいみんな拍手ーぱちぱちぱちぱち。

 おおっと、いきなり前触れなしに私が出てきたからって驚いて顔をしかめてくれるなよお嬢さん、折角の可愛い顔が台無しだぜ? 笑顔はすべからく女性を一番美しく彩るもんだ、麗しの君マドモアゼル。野郎は知らん。


 と、前座はこの辺にしておいて。


 秋晴れの良き日。長髪ナルシストこと京也の野郎が、奴にしては珍しく愉快なネタを運んできて、私達は大いに盛り上がった。

 勿論私も例にもれず、久々に潤さんの腕が鳴るぜと士気を高めていた訳だけれども。めでたく我らがテトラゴンの復活が決まったその翌日、私はちょいとばかし悩んでいた。


 何を隠そう曲の練習、とりわけ練習場所についてだ。


 あっきーはボーカルだから端から心配ない。その気になれば風呂でもどこでもいつでも歌えるし、思い切り歌いたければカラオケという非常に便利な設備だってある。お金はかかるけど。

 なっちゃんは自前のキーボードがあるから、寮の自由時間にヘッドホン着用で堂々と練習できる。

 はったんも知り合いからサイレントベースを借りられたみたいだし、時間帯を選べばこれまた問題なく寮で練習できた。


 けど、問題なのは私だ。

 私の場合にはドラムという楽器の性質上、どうしても練習するにはさわりがあるのだ。


 文化祭で演奏したくらいだから、練習用のドラムを借りるあてはあった。けど、いかな消音仕様になっていたとしても、ドラムは叩けばそれなりに音が出る。寮ではとても練習できない。この時期にドラムなんか叩いていようものなら、私の方が代わりに袋叩きにされたって文句は言えないし、多分あいつらストレス発散に喜んでやる。


 文化祭ん時は、学校の音楽室やその辺の空いてる教室で練習させてもらってたけど。いくら私でも一、二年生を差し置いて、受験生であるはずの自分が陣取るには気が引けた。

 ていうか女帝が怖い。超怖い。見つかったらマジ怖い。


 そんなこんなで、喜んで引き受けたは良いものの、私は少々思案にくれていたのだった。

 ま、引き受けた以上は何が何でもどうにかするし。頑張ればカラオケに無理矢理持ち込んでやるという荒業もあるから最終的にはどうにかなるだろうけど。でもどうせだったら、もうちょっと準備万端で挑みたい。

 はったんは演奏テープを使う手も、なんて言ってたけど、それだと楽しくないじゃんか。うちらも全力で楽しんだ上で、最高の舞台をお届けしたいに決まってる。


 かくしてしばらく思い悩んでいた私だったが、悶々と一日を過ごした後の放課後、ふと妙案が思い浮かんだ。

 潤さんまじ天才。

 ともあれ、思いついたなら善は急げだ。

 愛車のキキララ号(自転車)に飛び乗り、私は走る。






+++++



「おいこら鬼畜メガネ! ツラと場所貸せや!」


 景気よく私がドアを開けば、景気の悪い顔つきで、鬼畜メガネこと水橋みずはし廉治ゆきはるは胡散臭そうに振り向いた。


「道場破りみたいに突然ドアを蹴り空けないでもらえますか騒々しい」


 そう言って奴は眼鏡をくいと上げる。いやー、今日も華麗にスカしてるねえ。


 学校帰りに颯爽と訪れたのは、舞橋市内は大通りにあるとある三階建てのビル。

 とあるも何も、夏休みまではチームCが根城にしていた場所、かつ現在は代わりに潤さんが第二の根城にしてやろうと目論んでいる建物だ。

 その三階の部屋の奥、二つの扉を潜り抜けた先に奴が居た。


 夏の一件で、水橋廉治は黒幕だった。

 二ヶ月ほど前にはこいつを中心にそりゃあもういろいろやらかされ振り回された訳だけれども、それも今は過ぎたことだ。あっきーの保護者たる宮代くんに相当絞られたみたいだしな。今更どうこう言う筋合いはない。

 現在のこいつのポジションとしては、潤さんのアジトの鍵を持ってる管理人兼、暇つぶし要員というところに納まっている。


 そんな鬼畜メガネは何故かここを本拠地にしているので、来ればそれなりに顔を合わせるのだ。今じゃすっかり顔なじみであり、集中が切れたりしたら、ついでに三階に行って奴を冷やかすのが私の習慣だった。


 え、そもそも何で私がここに出入りしてるのかって?

 バカ野郎、勉強の為に決まってんだろ。


 かつてこのアジトには、京也やアオリンたちも自習室として使用すべく入り浸っていた。

 だったら潤さんがここに入り浸っても何の問題もないわけで、実際使ってみたらすこぶる快適もいいところなのだ。

 図書館と違って席取りに目を光らせることもなければ、飲食をする際に別室に行ったりという気を使うこともない。空調も自販機もお手洗いもあるので、自習をする上じゃ困ることは何もないのだ。


 そもそものきっかけは、チームAKYによる勉強会の開催だった。月に何回か、うちらは勉強会を開催している。けど、いくらなんでも七人という人数は京也の家じゃ手狭だって事で、アジトに白羽の矢が立ったのだ。


 一応のオーナーである小動物こと高神楽直彦氏に、京也が使用許可は取っている。他に使う予定もないから、住人たる鬼畜メガネがいいと言うなら別に構わないんだとさ。夏の迷惑料もかねて、うちらには自由に使わせてくれるって宣言してくれた。太っ腹だねブルジョアジー。

 そして勿論のこと鬼畜メガネにもオッケーを言わせ、めでたくここはチームAKY桜咲くプロジェクトのメイン会場となったわけだ。


 以来、味をしめた私は、勉強会以外にも休日はもっぱらここで自習に勤しんでいるのだった。


 とはいえ普段からここを使っているのは、こいつの他に私しかいない。皆は勉強会の時以外はあまりここには来ないようだった。

 ま、京也は自宅で一人だし、アオリンたちは図書館のが遙かに近い。女子メンバーも高校が近いから自習場所には事欠かないからなあ。


 もっとも理由はそれだけじゃなく、夏の余波が大きいんだろうなと思う。私は気にしちゃいないけど、わざわざ黒幕だった鬼畜メガネと積極的に関わりたくはないんだろう。

 勉強会の時には皆も来るけど、わざわざコイツと絡んでる奴はいないし、アオリンはあからさまに嫌そうだしなぁ。


 だから私も、隠してるわけじゃないけど、ここに来ていることは皆にとりたてて言っていない。

 実は、高神楽文彦の変態野郎にはったんが付け狙われてた時に、あいつの情報をちょちょいと聞き出したのもこいつからだ。言っても良かったんだけど、やっぱりなんとなく情報源は伏せた。

 あっきーには感づかれそうだったけどな。誤魔化せたからいいけどさ。

 十歳児め、やるな。



 話がずれたけど。

 今回、ドラムの練習場所にと私が目を付けたのもこの場所だ。

 独立した建物だから、音を出しても懸念すべき相手は奴一人。

 おまけにもっぱら奴がいるのは三階なので、一階で消音仕様のドラムを使う分にはそこまで影響はないはずだ。地下室を使っていいとの許可がもらえたら尚のこと、地下は防音仕様になってるから普通のドラムで心おきなく練習が出来る。


 相変わらず仏頂面を浮かべている奴に、私はかくかくしかじか、と事情を説明した。


「いいですよ」


 すると思ったよりあっさり許可が出た。話分かるじゃん鬼畜メガネ。


「近隣のことがあるので、早朝や夜間を避けてもらえれば問題ないでしょう。地下室も使いたいなら構いませんけれど」


 素晴らしい、流石は鬼畜メガネ。お前は鬼畜でも心の広い鬼畜メガネだよ! と心の中で拍手喝采に褒めたところで、奴は「それにしても」と余分なことを付け加える。


「この時期に学園祭出演とは何考えてるんですか貴女たち。いや、貴女方らしいですけど」

「息抜きだって必要だろ」

「それは一理ありますが。息抜きの規模が大きくないですか」

「器の大きい潤さんに見合うように息抜きもでかくねーとな!」

「そうですか。……いつも思いますけど、月谷さんの頭は器も大きい上に大分めでたそうですよね。別に大学に受からなくても一年中桜が咲いてそうな気がします」


 呆れ顔で奴はふっと笑った。

 おいこらどういう意味だ貴様。


 ちょっといらっとしたので、悪戯にあいつのすました顔へちょっと水でも浴びせて驚かしてやろうと思った。これもまた、たまーにある奴とのやりとりだ。

 私の動きに気付いたのか、勝手知ったる様子で奴も少し身構える。

 しかし動きは私の方が早い、手で防ぐ前に顔面へ水鉄砲をくらわせてやるぜ!

 と、勢い込んだところで、


「いっつぅ!」


 手に鋭い痛みが走った。

 私は出した手を反射的に引っ込め、腕を抱えて座り込む。


 夏の戦い以来、たまに発症することのある左腕の痛みと痺れ。

 普段は大丈夫だけど、理術を使おうとしたり、それ以外にも長時間勉強をしたときには痺れが出ることがある。

 右手だったら理術も問題なく使えるんだけど、今はうっかり左手を出してしまったのだ。右手にバッグを持ってたのが良くなかったな。

 日常生活に支障はないけど、ちょっと面倒だ。いい加減治んねーかな。


「それ……どうしたんです」


 ぼんやり考えていたところに上擦った声が聞こえた。顔を上げれば、奴が大きく目を見開いてこっちを見つめていたる。


 あ。……やっべ。


 私はミスったなぁ、と心の中で舌を出した。

 腕のケガのことは、京也以外、誰も知らない。他の皆に心配をかけたくなかったし、それならずっと隠し通せ、とあいつに言われていたからでもある。

 だけど、バレちまったもんはしょうがない。仕方なしに私は簡単に説明する。


「左手で理術を使おうとすると、たまに痛みや痺れがでるんだよ。

 ここに潜入して、しこたまお前にやられた時以来だな。戦いの後遺症? かなんかだろうってことらしいけど。

 この件、京也以外は知らないんだ。だから誰にも言うなよな」


 念の為、釘を刺しておいた。まあ私以外と会う機会があまりないだろうから、大丈夫だろうけどさ。

 すると、奴は何ともいえない表情になって黙り込んだ。

 あれ、ちょっと反省してる?

 少し面白がって顔をのぞくが、なんだか奴は本気で考え込んでいるみたいだった。


 ……いや、何もそこまで気にしなくていいのに。

 夏の戦いでは、別に左手を重点的に攻撃された訳じゃない。他でもないお前が一番知ってるだろ。

 私だってどうしてここに痛みが出るのか不思議なくらいなんだ。多分なんかの偶然だぜ?


 あまりに黙りこくっているので、どうしたものかいい加減に私も流石に焦り始めた、そんな頃。

 奴はふと真顔のまま言い放つ。



「月谷さん。僕と付き合いませんか?

 勿論、男女交際という意味でですけど」



 お前、疲れてるの?






 何を言われたのかすぐにはよく理解できず、しかし何度言葉を分析しても、奴が言っているのはそういう意味だった。

 何しろご丁寧に注釈つきだった。間違う余地はない。


 待て。

 待て待て待て待て。

 おかしいだろう。

 いや、本当にもう。

 いやいやいやいやおかしいだろう。


 たっぷり数秒、言葉を失ってから口をついて出たのは、至極まっとうな問いかけだった。


「お前、私のこと別に好きじゃないだろ!」

「好きですよ、生物として興味深いです」

「それ人間として見てねーよな! 珍獣として見てるよな!」

「おや、自覚してましたか」

「てんめえええええ!」


 拳を握りしめて私が怒鳴っても、奴の表情は変わらない。

 ただ真面目な眼差しでこちらを見返してくるばかりである。


「……真面目に言ってんのか?」

「冗談で言うようなことではないでしょう。大真面目ですけど」


 しれっと動じることなく奴は言う。眩暈めまいがしそうだった。


 あっきーなら分かる。

 なっちゃんも、そんな奴がいたら抹殺対象だけど、大いに頷ける。

 はったんだって勿論だ。


 けど、私が。

 私なんかが。

 月谷潤とあろうものが、男女交際などというちゃらついた所業に勤しんでいい筈がないのだ。


 だってそうだろう。

 私は、月谷潤だ。

 そもそもそういった物事からは一切合財、除外対象で然るべきなのだ。


 こいつは一体、何を考えているんだ。


 だがここで、奴がこの発言をするに至った文脈を思い出し。

 押し込めていたかつての記憶に苛立ち。

 私は、左腕を握る力をぎりりと強める。


「まさか。てめーのやらかした傷の責任を取ろうなんて考えてんじゃねえだろうな」


 ひくりと、自然に口の端が引きつる。


「ふっざけんなよ」


 まだ痛みの残証が残る左手を壁にガンとぶつけ、目一杯に奴を睨んだ。

 いらないんだよ。

 そんなものは、いらないんだよ。


「同情で付き合ってもらうほど落ちぶれちゃいねえよ。そんなモン頼んだ覚えはねえ、私は間に合ってる」

「違います、真意はそれじゃない!」


 慌てて奴は立ち上がり、私の左手首を掴む。


「……すみません。言い出したタイミングが悪かったですね。それとこれとは関係なしに、これは僕からのお願いなんです。

 言い換えましょう、月谷さん。

 僕と、付き合う『ふり』をしていただけませんか?」


 激高した私の発言に被せるようにして言い直した台詞に。

 私は、上げていた手をするりと降ろす。


「……どういうことだ?」

「ええと……これには、のっぴきならない事情がありまして……」


 私の手を離すと、奴はどこか歯切れの悪い口調で視線を泳がせる。


「実は先日、とある女子に告白されたんですけど。断ったんですが、彼女がいないなら一度試しに付き合ってくれと、しつこく食い下がって来てましてね」


 なんだ。話がまったく予期せぬ方角に行ったぞ。

 ん? どういうことだ?


「つい、こう……彼女がいるとの嘘をついたんですが。そうしたら、実際にこの目で見るまで諦めないと更に食い下がって来まして」


 おいなんだ、漫画かなんかかその展開。

 はあ。なるほどね。リアルであるんだ、そんなこと。


「つまり、その彼女のふりをして欲しいってことか」

「話が早くて助かります」

 

 ため息を吐き出し、奴は頭を抱える。

 成る程、いきなり変な話をしだした理由は分かった。けど。


「そこまで言ってるなら、付き合ってやりゃいいじゃん」

「貴女は、自分にとっては初対面の相手かつ見た目も性格も好みからかけ離れている人と付き合う気になれます?」

「う」


 ならない。

 そもそも面識が充分あって、別に嫌いじゃない相手だって、今まさに躊躇している私がいる。

 いや、今回のは彼女のふりをして欲しいってことだからノーカンか。


 珍しく奴は両手を合わせ、頼み込む姿勢で続ける。


「というわけで、可及的かきゅうてきすみやかにどうしても僕には彼女が必要なんです。

 あと、できればかなり厄介な相手なので、卒業するくらいまで『ふり』を継続していただけると助かります。月谷さんが嫌でなければ、ですけど」


 なんだか妙な話になってきた。

 行きどころのないさっきの怒りが、今じゃすっかり困惑に変わっていた。

 何とも言えずに黙りこんでいると、奴は畳み掛けるように告げる。


「僕と付き合うと、いくつか利点がありますけど」

「何だよ」


 怪訝に聞き返せば、奴は指を立てて利点を列挙し始めた。

 新手のセールスか。


「一つ。いつでもこの施設へ自由に出入りできる」

「む」

「合鍵……欲しくないですか?」

「むむむ」


 思わず声が出た。

 現時点で私はこのビルに自由に出入りしてるも同然、と思ってるかもしれないが。実は決してそういうことでもない。

 こいつが居なければ当然入れないし、居ても寝ていたら入れない。

 この野郎、低血圧ですこぶる朝が遅いのだ。お陰様で私は、二回に一回は空振りをくらってる。

 けど、ここの快適さを知ってしまったら、もう図書館には戻れない。


「一つ。苦手な政治経済を教えてあげられます」

「何で苦手だって知ってるんだよ」

「貴女、前に自分で言ってたじゃないですか。

 政治経済は僕の得意分野です。何せ、志望が経済学部ですし」

「まじか。何でそんな小難しそうなとこ行くんだよ」

「いや、医学部志望の貴女に言われたくないですけど……。二次試験の問題でも結構、教えられるレベルではあると思います」


 うむ、とまたしても呻く。

 あっきーもなっちゃんも歴史選択だし、はったんは現社だからそこまで政経の範囲をカバーしてない。他の男連中に至っても、文系理系問わず何故か誰一人、政治経済を選んでいる奴がいないのだ。

 私だって本当は好きじゃない科目なんか選びたくなかったけど、志望校の選択科目の関係で仕方なかったんだ。地理はそもそも授業で習ってないから選びづらかったし、流石に日本史や世界史を勉強する余裕なんかないんだよ……。

 悲惨な点数って訳ではないけど、穴が大きいのは事実で。かといって本番の試験で大きいウエイトを占める訳じゃないから、時間を裂くのもおっくうで放置してるんだけど、教えてもらえるなら正直ありがたい。どうせならセンター試験で満点近くは欲しいんだ。


「一つ。割と料理が得意なので、休憩時間にでも振舞うことができますよ。からあげでもホットケーキでもなんでも好きなものを」

「まじか」


 何なのお前万能なの。

 なお私は以前からあげを作ろうとして、フライパンでキャンプファイヤーを起こしかけたことがある。なっちゃんに料理禁止令出された。解せない。


 三つの条件を挙げ終わると、奴は申し訳なさそうに顔をしかめる。


「言葉が足りず申し訳ありません。要は、僕の我侭わがまま……勝手な都合なんです。

 ……確かに腕のこと、責任を感じていない訳ではないです。夏にあれだけ迷惑を掛けましたから。

 だからその分も、仮初の彼氏彼女という関係性を介して少しくらいあがないたいんですよ。勉強会にこの場所を開放しているのは僕の功績じゃないですから。お金はないですし、できることはこの位ですけれど。

 僕の望みと贖罪が含まれていて、身勝手なのは承知ですが。

 頼まれてもらえませんかね」


 むう、と私は腕を組んだ。

 正直、奴が挙げた条件は魅力的だった。実に人の心がうずくポイントを抑えていて癪だけど。ぶっちゃけありがたい。


 それによくよく考えれば彼女のふりをすればいいというのは、別段大きな支障はなかった。ふり、である故に、恋人のように振舞えという訳ではないのだ。

 彼女のふりをしたところで気にするような相手もいないし、生活だっていつもと変わらない。元々、土日にはもれなく顔合わせてるんだし。

 妙な同情やら憐みやらなんやらだったら願い下げだけど。奴が言うような理屈なら、分からないではなかった。


 そうならそうと早く言ってほしい。

 こちとら場所を借りる手前、奴には借りがある。助けが必要なら、考えてやらないではないのだ。


 ふり、ということだったら、まあ。

 協力して、やらなくもない。


「……しゃーねーな。頼まれてやるとするか」

「恐れ入ります」


 心底ほっとしたように奴は表情を緩めた。

 告ってきた女の子がそんなに嫌だったのか。まあ、しつこく絡まれるのは厄介だよなあ。


「ったくよお。紛らわしい言い方するんじゃねーよ。同情とかいったら危うく顔面殴りたくなるところだったぜ」

「人の事、言えたクチですか……」

「ん?」

「いえ、なんでも」


 ぼそりと言って、奴は素っ気なく目を逸らした。

 なんだ? ま、いっか。


「けど。私なんかでよかったのか。もっと他に適任がいただろ」

「僕は男子校ですから、女性との交友関係は狭いですよ」

「でも。あっきーとかなっちゃんとかはったんとか、その辺のメンバーだってたまに顔合わせてるし」

「……貴女、そのメンバーに頼んだら、もれなく竜太なり貴女なり染沢さんなりにタコ殴りにされるの分かって言ってます?」

「あ」


 そうだった。

 確かになっちゃんに手を出したら間違いなくこいつをボコす自信がある。

 自分で深く頷いていると、奴は顔を上げてしれっと言ってのける。


「それに。貴方が相手なら、僕はやぶさかではありませんけれど」


 何言ってんだこいつ。

 いや、ホント何言ってんだこいつ。


「第一。全く何も好意を持てない相手だったとしたら、しません」


 代名詞で言われて、一瞬、私は首を傾げた。

 何のことを話しているんだこいつは。

 あんなこと。



 そして、途端に思い出した。


 

「なあああああああああああお前ええええええええええええええええ!?」

「騒がないでください近所迷惑ですドラム禁止にしますよ」


 あああああもうホントなんなんだよこいつは!!!


 自分の意思とは無関係に、手がわなわなと震える。怒りと動揺とで無駄に顔の温度が熱くなるのを感じるが、対して奴は至って動じず涼しい顔なのがいただけない。


 もうホント勘弁して欲しい。

 もう本当に勘弁して欲しい。



 忘れていたのに。

 忘れようとしていてあげたのに!!!



「ともあれ。

 これからよろしくお願いしますね。潤さん」


 せめてもの抵抗に、私は精一杯奴を睨みつける。

 だが、いつものように相手には全く効果がなく、逆にただただ相手を無駄に面白がらせるだけだった。


 ああ。

 無性に腹が立って仕様がない。

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