間章:学園祭サラバンド

テトラゴンの華麗なる再来

――2005年10月3日。




 季節は秋。

 十月になり、めっきり涼しくなった舞橋まいばし市は、気持ちのいい秋晴れの日が続いていた。


 吹く風涼やかで過ごしやすいこの季節は、食欲の秋や運動の秋など何をするにも適した時期とされている。

 そして舞橋まいばし中央高校では間もなく、とりわけ芸術の秋を大規模に実践せんとする試みが行われようとしていた。

 毎年恒例の学園祭、自主舞央祭じしゅまいおうさいの開催である。


 舞橋中央高校は生徒の自主自立を重んじる校風で知られる。中でもその校風を最も如実に体現しているのが、年に一度開催される学園祭であった。

 教師陣は成人の同意が必要とされる場面以外、ほとんど関与しない。企画や運営、広報や周辺住人への挨拶周りまで、ほとんど生徒たちの手によって行われている。


 故に、舞橋中央高校の学園祭実行委員は、期間限定の委員会というより、ほとんど部活に近いものがあった。各クラスから毎年2名、情報伝達役として学園祭補助委員が選出されるが、それとは別に執行部なるものが存在しており、彼らにおいてはごく一時期を除いてほぼ一年中活動している。


 執行部に属する期間も三年となれば、多くの事柄については手慣れたものだ。だがいくら経験を重ねた執行部といえど、開催日が近付づけばいくつか頭を悩ませる場面が出てくるようだった。

 今年度の学園祭実行委員長である彼のように。


「あー。どうしたもんかなー」


 テーブルの上に怠惰に突っ伏し、舞橋中央高校普通科三年の堂島どうじま翔流かけるは頬を潰しながら横を向いた。


「なーんで急にキャンセルになるんだよ……」

「何故それを生徒会室でぼやく」


 現生徒会長、雨森あめもり京也きょうやは冷たくあしらった。彼は手にした予算書から目を離さぬまま、頬杖を付く。

 ここは生徒会室。地道に仕事をしている京也の傍ら、実行委員長の堂島翔流は大仰にため息を吐いた。


「なあ雨森。いい案ないか?」

「僕に聞くな。実行委室に行け」

「この時期、実行委室は殺伐としてて休まらねーんだよ。いいだろ別に、どうせ暇してんだからさ」

「僕のどこが暇そうに見えるお前の目は節穴か」

「実行委よりは暇だろ、間違いなく」

「僕の目にはまさにお前が暇人に見えるけどな」


 じとっとした眼差しで京也は翔流を睨んだ。

 彼の友人である堂島翔流は、京也以外の生徒会役員がいないのを良いことに先程から生徒会室で不満を垂れていた。


 話によれば、どうやら問題が発生しているのは、最終日に行われる大規模な舞台企画のようだった。

 舞央祭では毎年のメイン企画として、舞台企画のトリにバンドのコンテストを開催している。全グループの演奏終了後は審査員と観客の投票を集計して各賞を決定しているのだが、投票数が多いので集計が終わるまでに空白の時間が出来てしまうのだ。

 例年は大学生などのアマチュアバンドに出演を頼んでいるのだが、今年依頼していたバンドがメンバーの故障により急に出られなくなってしまった、ということらしい。

 慌てて代打のバンドを探すも、そこは折悪く芸術の秋。心当たりのあるグループはことごとく先約が入っており、実行委員の人脈を駆使しても万策が尽きてしまったということであった。


 とはいえ、実行委員でない京也の知ったことではない。メインの企画が潰れる程の問題ではないのだ。

 しかし友人の手前、京也は思いつくことを適当に述べる。


「外を探すのがキツいなら、校内から適当に引っ張ってくればいいだろ。一人や二人くらいいるだろ、バンドやってる奴くらい」

「その適当が見つからないから困ってんだよ! もれなくバンドやってる連中はコンテストそのものに出るんだ。審査対象になってる奴らを出すわけにはいかないだろ」

「司会に場を繋いでもらったらどうだ」

「コントばりに面白く場を繋げて客を引きつけられる司会がいるなら、もっと舞台企画を豪勢にしてる」

「だったら諦めて、審査終了まで休憩時間にしたらいいだろ」

「そしたら客が帰るだろ。結果が出るまで満員にしとかなきゃ、出てる奴らに申し訳ない」


 こうして何を提案しても堂々巡りの議論が続き、京也はひたすら翔流の愚痴に付き合わされているのだった。

 集中できず、彼は数字の羅列を眺めながらため息をついた。今こうして彼が予算と睨めっこしているのも、学園祭実行委員の予算拡張の希望と既存の予算との兼ね合いが原因なのだから、二重に頭が痛い。


「この際、何か面白いネタでもやってくれよ雨森」

「言うに事欠いて何を言い出すんだお前は」

「いいじゃん。こうなったら責任とって俺も体を張る。生徒会長と実行委員長の二人でコントやろうぜ」

「僕に体を張る理由は全くないな! 一人でやれ!

 そもそも僕はコンテストの後に退任挨拶が控えてるんだ、いらん労力を使う気はない」


 ついに無茶振りをしてきた翔流を、京也は手元にあった缶ペンケースでぐいと押しやる。

 手で防ぎ応戦していた翔流だが、不意に缶ペンケースに目を留めたかと思うと、勢いよく京也から奪い取った。


「これ! 『テトラゴン』じゃんか!」

「は?」


 聞き慣れない単語に京也は顔を上げた。


「何だ、テトラゴンて」

「この前、舞女の文化祭で特別賞とってたバンドの名前だよ。知らないのか?」


 彼はペンケースに貼ってあった一枚のプリクラを指し示す。

 京也の缶ペンケースは、シンプルで無地なデザインであるのを良いことに、悪乗りした女子たちから恰好のプリクラ貼り場にされていた。最近は諦めて好きなようにさせているため、彼のペンケースには本人の写っていないプリクラが何故か所狭しと貼り付けられており、生徒会で事務を行う時用のペンケースに降格している。


 翔流が指示したプリクラは、じゅんあずま奈由なゆ杏季あきといつもの四人組が写り込んだものだ。これもまた彼女たちと勉強会を行った時に、ペンケースを発見した潤が、面白半分に貼りつけたものだった。


 興奮気味の翔流へ、京也は冷静に聞き返す。


「他校の文化祭の事をさも常識であるかのように聞くな。そういうお前は何でそんなこと知ってんだ」

「俺は仮にも一年から実行委やってんだ、敵情視察は常識だろ。それに女子校の文化祭に行かない理由がどこにある。

 演奏上手かったぞ。選んだのがインディーズの曲だったからかトップは逃したけど。お前こそ、友達なんだったら話とか聞かなかったのか」

「僕が知り合ったのはまだ最近だからな。確か舞女の文化祭って6月だったろ」


 改めて京也は、まじまじとプリクラを見つめた。

 春がかつて吹奏楽部だったというのは、話に聞いたことがある。だが吹奏楽とバンドはまるきりの別物だ。それに他の三人が楽器をやっているという話は、思い返してみてもこれまで出たことはなかった。

 濃い付き合いであるため失念していたが、夏に彼らが出逢ってから、まだ二ヶ月も経っていないのだ。

 京也が感慨に耽っていると、翔流は必死の形相で両手を前に合わせる。


「なあ、雨森。彼女たちに、出てくれないか頼んでくれねえかな」


 京也は眉をひそめて渋る。


「何とかしてやりたいのは山々だけど。分かってるだろ、彼女たちは舞女だぞ。うちより遥かにガチな進学校だ。

 しかも本番まで二週間切ってるのに、いきなり出てくれる訳がないだろ」

「駄目なら駄目でいいんだよ。お願いするだけしてみてくれないか、頼む」


 土下座をしそうな勢いで翔流は頭を下げた。

 しばらく思案した挙句、京也は深く息を吐き出す。


「分かった。言うだけ言ってみる」


 両手を挙げて喜ぶ友人を眺め、ひとまず彼の愚痴から解放されたことに安堵するのと同時。

 ふと、その先のことを考え、京也は重い心持ちになるのだった。






+++++



「おう、いいぜ!」


 あっさり返ってきた潤の台詞に、京也は思わず口ごもる。


「……いや、頼んでるこっちが言うのもなんだけどさ。

 受験生、だよな?」

「当たり前だろ!」


 威勢良く潤が親指を立てた。

 会話が噛み合わない。


 言いだしたのが自分である手前、京也が何も突っ込めずにいると、同情したように春が口添える。


「言いたいことは分るよ京也くん。受験生のこの時期に、他校の文化祭にゲスト出演とかホント何浮かれたことやってんだって感じだよね。

 ……でも、つっきーの気持ちも分かる」


 春はぐっと拳を握る。


「楽器やりたい! この際、チューバじゃなくてもいい! 楽器演奏したい!!」


 ストレスの溜まっているらしい春が叫んだ。

 潤は腕組みしながら、真顔で京也に言う。


「たかだか数日間、息抜きにドラムを叩いたところで落ちるような実力では、大学に行ったところで世間に貢献できる人材として大成できないと思う」

「何をもっともらしいことを言ってるんだお前は」


 呆れ顔で京也は潤を見つめる。

 潤の爛々らんらんと輝いた目からは、既に出ることが彼女の中で確定しているのだろう様子が見て取れた。

 先走って早くもテンションの高い潤から目を反らし、京也は春に尋ねる。


「あと二週間しかないけど、それでも大丈夫かい?」

「四か月前は相当がっつりやったから、それなりには何とかなる……かも。

 何とかならなかった場合には奥の手として、前に録った楽器演奏だけのテープを流してあっきーだけ生で歌う!」

「私だけ!?」


 やり玉にあげられた杏季が素っ頓狂な声を挙げた。春は笑って彼女の頭をぽんぽんと叩く。


「ま、それは置いとくとしても。最悪、時間稼ぎをすればいいんでしょ? 私とつっきーはそーいうの得意だから、任せて」


 にやりと笑って、春もまたぐっと親指を立てた。 

 京也は、傍らの小柄な少女をちらりと見つめる。


「杏季ちゃんは大丈夫なのか」

「何が?」


 彼の懸念を余所に、当の本人はきょとんとした様子で首を傾げた。逆に面食らった京也は、ぼそぼそと遠慮がちに続ける。


「いや、うちの学校は普通に男子もいるし。演るとなったら、野郎の前に姿を出さないといけないわけなんだけど」

「ただ舞台で演奏するだけなんでしょ。だったらあっきーは余裕だよ」


 彼の懸念が今一つ飲み込めていない杏季の代わりに、奈由が答えた。


「むしろあっきーが一番、舞台度胸はあるからね。本番前すら一ミリたりとも緊張しないし。あらかじめ決まってる台本や段取りがあるなら、あっきーは誰よりきっちり仕事をこなすよ。事前のやりとりはうちらがやればいい話だし」

「舞台で男の子とやれって言われてるわけじゃないしね。メンバーはこの四人なんでしょ」


 杏季も何でもなさそうな様子で頷いた。

 最後に京也に向き直った奈由が、人差し指を立てて告げる。


「一つ二つ、条件があるんだけど」


 彼の返事を待たず、奈由は淀みなく列挙した。


「一つは、司会の人が男性なら、舞台上であっきーには話をふらないよう配慮してもらうこと。ま、やるとなったらつっきーとはったんがメインでマイク握るだろうし、これはあまり心配しなくていいだろうけど。

 もう一つは、表にでる書類におおっぴらに名前を載せないこと。プログラムとかに、私たちのことを書かないでくれるならいいよ。どうせ繋ぎなんでしょう。

 さすがにこの時期に他校の文化祭ではしゃいでたってなると、肩身が狭いから。見られたもんはしょうがないけど、証拠として後まで残っちゃうのはちょっとね。

 この二つが大丈夫なら、出てもいい」


 京也は黙って頷いた。こうなれば、ほぼ確定だった。おそらく奈由の条件程度であれば、実行委員は喜んで飲むだろう。

 翔流の飛び上がる姿が目に浮かんで、安心したような、どこか後ろめたいような、複雑な気持ちの京也だった。




 かくして、彼女たち四人組。

 ガールズバンド『テトラゴン』は、一日限定で再結成の運びとなったのだった。

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