騒然ナチュラル(6)

 首元から剥がれ落ちたチョーカーを眺め、次いで自分の首をひたひたと触る。

 もうそこには確かに何も付いていないことを確認すると、久路人は飛び上がって深月に抱き着いた。


「いよっしゃああああああ! やった、深月ちゃんまじグッジョブ!」

「久路人さん、暑苦しい」

「褒めたのに!? こういう時くらいもっと優しくても良くない!?」


 悲痛な声を久路人が挙げるが、真顔で深月は邪魔そうに彼を押しのけた。


 彼らの目の前には、呆けた表情でへたり込んでいる苑條がいた。まだ起きたことが信じられずにいるようで、金魚のようにぱくぱくと口を開け閉めしている。


「さぁて、苑條紀美香。……覚悟は、できてるよな?」


 苑條へ告げた深月の隣に、フィフス、もとい安居樹が、すっと進み出る。


「深月さん、僕にやらせてくださいよー」

「樹さんは駄目。洒落にならなくなるから」

「じゃあ深月、ここはお兄さんに任せてみようか」

「紫雨さんも駄目。各方面で深刻な問題になるから」

「ミツキちゃんミツキちゃん!」

「久路人さんは引っ込んでろ」


 三人の進言を突っぱね、深月は改めて苑條を見遣る。


「適任者はいなさそうだし。ここは、代表して俺がいくよ」


 淡々とそう宣言し、深月は彼女へ向けて右手を伸ばす。

 人差し指と親指を立ててピストルの形にすると、深月は苑條へ狙いを定めた。


 苑條は、何事かを言おうとしたようだった。

 が。


「今更、誰もあんたの言葉なんか待たないんだよね」


 それすら遮り、深月の指先から小さな弾状のものが何十発も連射される。

 凄まじいスピードで打ち出されたその物質は、水。苑條の身体にぎりぎり当たるか当たらないかぐらいのところで次々に水の弾丸は弾け飛ぶ。

 直接当たりはしなくとも、高密度で圧縮されている水の塊だ。小さいながら、爆ぜる瞬間には相応のエネルギーが発散される。

 大きなダメージは無くても、衝撃は容赦なく彼女を襲った。間髪入れずに襲い来る何十発もの弾丸は、身体的な痛みより心理的な恐怖を誘発する。


 そして眼球の数センチ手前で弾け、遂に気絶したらしい苑條は、ぐったりと崩れ落ちた。

 深月は手を止めると、まるで銃口の煙を払いでもするかのように人差し指を唇に当てる。


「感謝してよね。手加減の仕方を知らない連中をわざわざ止めてあげたんだから。

 ま。聞こえてないと思うけど」

「……一番エグい癖してよく言うよ」


 ぼそりと久路人が呟いた。

 しっかりと届いていた彼の言葉に、深月は人差し指を久路人に向ける。一声挙げて、久路人は樹を楯にして隠れた。



 事情が呑み込めぬまま、春は一部始終を呆然と見守っていた。

 と、そこへ潤と杏季、そしてひどく深刻な面持ちの奈由が駆け寄ってくる。


「あれ、皆。どうしてここに」


 言ってから春は気付いた。

 先ほどの電話によれば、潤たちの足止めをしていた筈の深月本人がいるのだ。彼女たちがいてもおかしくはない。

 春の疑問には答えず、詰め寄った奈由は春の両肩をがしりと掴む。


「はったん。どうだった」

「なんとかなったよ。葵くんと他の人が手伝ってくれたおかげで、聖獣は解放出来た」


 朗らかに答えるが、奈由は表情を変えずに首を振る。


「違う、それじゃない」

「え? あ、今の深月くんたちのあれこれ? これはちょっと私にも状況が分からな」

「違う、そうじゃない」

「はーいなっちゃん、気持ちは分かるけどとりあえず今は置いとこうなー」


 潤が奈由を春から引きはがした。

 何故か悔しげにしている奈由を見て、春は首を傾げる。


「大丈夫ですよ、皆さん」


 彼女たちのやりとりを聞いて、何かを察したらしい樹が手を挙げた。

 彼の右手には小さなビデオカメラが握られている。


「例の名場面は僕がしっかりきっちり録画しておきましたから! 後で皆さんには謹んでダビングした奴を送付しますね!」

「でかした少年!」

「樹てめぇ何してくれてんだ!?」


 奈由と葵がそれぞれ正反対の反応をした。

 やはり一人会話に着いていけず、きょとんとした春である。



 深月は葵に歩み寄り、労いの言葉をかけた。


「大役、お疲れ様。苑條の采配のせいで、とんだ災難だったね葵さん」


 樹が横からひょいと会話に入る。


「あれ、僕は労ってくれないんですか。あのオバサンを始終相手にしてたの、僕なんですけど」

「はいはい。樹さんもお疲れ様。でも今日イチいい働きしてくれたのは」

「それは勿論。葵さんの活躍のおかげです」

「やるしかねぇだろうが。……流石に、諸々焦ったけどな」


 気が抜けたのか、今更になって葵は脱力し深く息を吐き出した。




 葵が春を抱きすくめた時。彼は耳元で春にこう言った。


 「今から高神楽のネックレスを奪い取る。そしたら春さんの中に居る聖獣を解放してください」と。


 その後で彼は樹たちに合図を出し、フォースこと紫雨が文彦よりネックレスを奪い取って春へ渡したという訳である。


 なお決行の合図は、『てめぇに渡してたまるかよ』という件の台詞だ。

 無論、この台詞は、深月たちによる悪ふざけの代物だった。




「畠中姉さん」


 いつの間にか春の前に進み出た樹が、申し訳なさそうに両手を合わせて謝罪する。


「すみません。僕らは僕らの目的があって、ちょっと色々騙す形になっちゃいました。

 けど安心して大丈夫っすよ、僕たちは敵じゃないんで」

「そーいうこと! 詳しいことはあとで葵ちゃんに聞いてもらえれば分かると思うけど、ホント大丈夫だから!」


 樹の肩に手をかけて久路人が便乗した。

 じとっとした眼差しで樹が久路人を振り返る。


「何ですか今日イチなんにもやってない久路人さん」

「俺やったよ!? めっちゃ働いたよ! 車の運転!」

「ただのドライバーじゃねぇか」

「俺が居なかったら深月ちゃんここに来られてないからね!?」

「居なかったら深月さんはタクシー使ってましたよ。別に久路人さんである必要性はないでしょ」

「扱い酷くね!?」


 またしても悲痛な叫びをあげた久路人だった。

 二人のやりとりを横目に、深月は春と葵を順に見つめる。


「だから俺は言ったっしょ。特に染沢さんは、気を付けろって。

 『俺なんかより高神楽のあの変質者に警戒した方が良い』ってさ」

「……確かに、その通りだったね」


 春は苦笑いを浮かべた。

 思い返してみれば、当初は深月の方を疑っていたのだ。同じ影路側であった苑條が動いていたので致し方ないこととも言えるが、実際に葵と春に手を出したのは高神楽文彦だった。何度も狙って来こそすれ、結局のところ苑條は何も出来ていない。

 深月は倒れた苑條に視線をやってから、慇懃いんぎんな口調で言う。


「とはいえ。主体ではないにしても、利用する形で俺らの事情に巻き込んだのは事実だから。

 ごめん」


 頭を下げた深月に、春は戸惑った。

 また彼女は何も事情が分からない。けれど、見る限りでは彼らもまた苑條に踊らされていた被害者なのだということは分かった。謝罪されたとて、どこか落ち着かない心持になる。

 と。



「あんたにしちゃあ、随分と杜撰ずさんな計画だったな。影路の御曹司よ」



 ずっと黙り込んでいた人物が、口を開いた。

 はっとして春が振り向けば、真っ直ぐに深月を見据えた文彦がそこに立っていた。

 彼は不敵に笑みを浮かべる。

 それは、ここにいる全員が良く知る彼の表情。

 紫雨との戦いでやや着衣が乱れてはいるが、いつもと同じ余裕の様相の高神楽文彦である。


「オレがここに来ることも、相棒の名前がそのネックレスに刻まれていることも。全部は勘だろう。あんたは偶然に助けられたってことだ」

「偶然じゃない」


 顔を上げた深月は、鋭い眼差しで彼を見返した。


「ただの当てずっぽうでここまで派手に動く訳ないだろ。あんたの事情を知ってたらごく自然な帰結だよ。

 聖獣の名前はそのネックレスにこそ刻まれるべき……否、刻めないだろうし。

 あんたが今日この場所に間違いなく来ることは分りきってたからな」

「……成る程ねぇ。そういうことか」


 深月の解答を聞くと、文彦は静かにきびすを返した。


「さて。邪魔者は退散するとしようかね」


 一歩、足を踏み出した後で、彼は何かを躊躇するように立ち止まった。

 そして、振り返らずに呟く。



「じゃあな、春」



 それだけ言い残すと。

 文彦は、すっと姿をくらました。


「……やっちまった」


 彼が去った後で、ひくりと深月は口を引きつらせた。


「うっわ。うっわ、マジか。やられた。そういうことか」

「どうしたの、深月ちゃん?」


 急に動揺しだした深月へ久路人が怪訝に尋ねた。

 深月は二の腕をさすりながら、慄いて答える。


「俺らの粗を指摘するフリして、ソレを俺が知ってるのかどうか聞き出しやがった」

「ソレ、って」

「高神楽文彦の過去」


 短く答えた深月の言葉に、春はどきりとした。

 思わず彼女は、文彦の消えた方角を振り返る。だが、当然ながら彼の姿はない。

 まだ辺りにいるのかもしれないが、どう目を凝らしたところで文彦の姿を見ることは叶わなかった。

 春の様子を見つめながら深月が提案する。


「この後、もし時間あるなら、お昼を食べがてら答え合わせ兼ねて話でもしようか。あの人のことも含めて。

 奢るよ、久路人さんが」

「俺!?」


 急に話を向けられた久路人が動揺して左右を見回した。

 が、フォローする人物は誰もいない。

 そんな久路人には構わず、樹は苑條を指差す。


「別にいいですけど、この人はどうするんですか」

「適当な人に適当に引き取らせるよ。ま、こっちの後始末は後でいいっしょ。紫雨さん、連絡しといて」

「はいよ」


 深月に言われ紫雨は軽く返事をした。彼はまだ目深くフードを被ったままだ。

 パーカーのポケットに手を突っ込み、紫雨は肩をすくめる。


「そうしたら、お兄さんは一足早くお暇するとしますかね」

「あれ、来ないんですか? 行かないんですか? 帰っちゃうんですか? いいんですか?」

「黙れ樹」


 紫雨は低い声で樹をたしなめると、左手をひらりと振る。


「じゃあな。また、後で」


 ごくあっさりとした口調で言って、紫雨という青年は去って行った。




「じゃ。どうする、行く?」


 深月の問いかけに、奈由は大人しい杏季をちらりと見ながら控えめに挙手する。


「ここに一名、不参加が確定している子がいます。

 あとどちらにせよ、昼食の件とか寮母さんに言わないといけないんで、あっきーを送りがてら一旦、寮には戻りたいんですが」 

「ああ、それはね。仕方ない」


 頷いて深月は納得した。

 隣で久路人がぐっと拳を握る。


「何かちょうど三対三で合コンみたいだね! あ、違った葵ちゃんいたから四対三か、残念」

「おい何言ってんだお前」

「あ、それ聞いて途端に行く気が失せました」

「余分なこと言うんじゃない久路人さん!!」


 深月はぴしゃりと久路人にかみついた。


 潤と奈由は行く気のようだったが、春は少しだけ躊躇していた。

 事情が知りたいのは山々だったが、やはり影路と、御三家の人間と行動を共にするのは気が引ける。

 結果的に助けられたとはいえど、春は苑條の凶行や文彦の振る舞いを目の当たりにしている分、尚更だった。

 加えて、彼女には他にも気になることがあったのだ。


「この前の口裏合わせでは言えなかったけど、弁解しておくよ」


 そんな春の迷いに気付いてか、改めて深月は告げる。


「たかが一般人が開眼したくらいで、影路は手を出しゃしない。

 本来であればスカウトする時にだって、双方が納得する条件を取り付けて来てもらうさ。

 それと。曲がりなりにも御三家の一派に所属してる身だし、多分、を少しは提供できるかと思うけど。

 ま……そんな訳で。よければ、どう?」


 あくまで彼女の気持ちを尊重しながら、穏やかに深月は言った。

 彼の言葉を聞いて。

 悩んでいた春は、決心したように頷いた。

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