騒然ナチュラル(4)

 騒々しい着信音が鳴り響き、場を混乱が支配する中。

 動いたのは、フォースだった。


 辺りに気を取られていた文彦の一瞬の隙をつき、彼はすっと体を沈めて足払いをかける。足を取られた文彦はバランスを崩して倒れ込んだ。

 倒れた文彦に馬乗りになると、フォースは隠し持っていたナイフを構える。

 と、彼は鮮やかな手際で、文彦の胸元に見えていた鎖を引きちぎった。


「葵!」


 一声フォースが叫ぶと、葵は春を抱き留めたまま右手をそちらへ向けた。

 素早く伸びた蔓が、フォースがむしり取ったそれを受け取る。


 葵は春の体をそっと離す。すると、彼女の全身にあれほど固く巻き付いていた蔓があっさりとほどけた。


「今だ、春さん!」


 葵の声と同時に、春の手にぽとりと落とされたのは、冷たい金属の感触。

 楕円形をした、銀色のロケットペンダントだった。

 事態に気付いた文彦が跳ねるように立ち上がった。が、フォースに阻まれて再び拮抗状態になる。


 はやる気持ちを抑えながら、春はおぼつかない手つきで、ようやくロケットの蓋を開いた。

 ロケットの蓋に刻まれた文字が、目に入る。

 アルファベットで刻まれたそれは一瞬彼女の頭を真っ白にするが、ワンテンポ遅れて理解し、春は深呼吸した。


「……お待たせ」


 春は、空を仰いで宣言する。



「さあ、これで自由よ! 出てきなさい、『アルファスヴェンガーリ』!」



 朗々と虚空に響いた春の声。

 これまであれほど煩く鳴り続けた着信音までもが止み、辺りはしん、と静まりかえる。

 その静寂を合図に、春の身体から光が溢れ出した。

 いつもの雷、ではない。鋭く目映いそれと違い、もっと柔らかく、暖かみを帯びた光であった。


 彼女から溢れ出した光は一直線に空へ昇り、やがて上空ではっきりとした形を取る。

 細長い胴体に、体中を覆う青白い鱗。頭部には数本の短い角が生えている。

 西洋のドラゴンとも、中国の龍ともまた雰囲気が異なったが、春の身体から解き放たれた聖獣の姿はやはり竜と表現するのが相応しかった。


 文彦の元に居たときには影のようだった聖獣は、今や目を奪われるほどに美しい竜の姿をしていた。元の体表は白いようだが、今は黄金色の光を帯びており、一層に神々しさを増している。


 長い支配から解き放たれた聖獣は、これまでの閉塞感を取り払うかのように恐ろしい速度で空を駆け巡ったかと思うと、今度は音も立てず静かに地へ舞い降りた。

 折り畳まれていたのであろう足で着地した竜は、春と葵へその顔を向ける。


『久方ぶりの自由な身というのは実に清々しいな。これほどまでにはやく駆けることができようとは、思いも寄らなかったぞ』


 春は安堵して、聖獣の額を撫でた。


「待たせてごめん。ちょっと手間取ったね」

『私からすればたいした時間ではない。取るに足らんことだ』


 聖獣は青い宝玉のような目をすっと細めた。

 次に聖獣は、その澄んだ瞳を葵に向ける。


『感謝しよう、少年。私たちが解き放たれたのは、そなたのおかげだ。礼を言うぞ』

「俺は何もしてねぇよ。皆が協力してくれたのと、後は他ならぬ春さんが頑張ったからだ。

 でも、……本当に良かった」


 心底ほっとした面持ちで、葵は息を吐き出した。


 竜は首を持ち上げて辺りを見回す。春と葵の他にいるのは、呆けて座り込んだ苑條と、動きたくてもフォースに邪魔され動けずにいる苑條。

 そして。


 竜は身体を持ち上げ、二人を見下ろした。



『さて。私のような存在がこの場に長居してもろくなことにならんな。ひとまず退散するとしよう。

 後はそなたたちの番だ』



 そう言い残すと。

 竜はふわりと風を起こしながら再び上空へ舞い上がり、瞬く間に姿を消した。




 残された春と葵は聖獣を見送った後、自然と顔を見合わせた。緊張が解けて安心しきったせいか、思わず二人は同時に笑い出す。

 しばらくして笑いの波が収まった後、葵は表情を引き締めて春に向き直った。


「……春さん」

「何?」


 葵は、穏やかな眼差しで春を見つめる。



「お帰りなさい」

「……ただいま」



 少しはにかみながら、春は微笑んだ。




 だが。


「なっ……にをしてくれてるのよおおおおお!!!」


 苑條の怒号で、二人は我に返った。

 見れば、わなわなと全身を震わせながら髪を振り乱した苑條が、血走った目で二人を睨みつけている。今にも襲いかかってきそうな剣幕の苑條に、春たちは身構えた。


 苑條は両手の平を広げる。右手には炎の固まり、そして左手には雷の固まりを呼び出し、感情のままに苑條は春たちへそれを放った。


 春は顔を歪める。

 炎も雷も、今や雷属性に戻った春にとっては、上手く防げる属性ではない。

 葵も草属性であり、炎は不得手だ。いくら苑條が開眼していないとはいえ、避けきるのは難しい。

 舌打ちしつつも、とにかくやってみるしかないとばかりに春は雷撃を手元に呼び出す。


 が、苑條の術が届く前に。



「そいつはこっちの台詞だな。理術第4研究所は主任研究員・苑條紀美香」



 涼しい声が闖入ちんにゅうし、春は発動しかけていた術を止めた。

 苑條の術は、届いていない。


 彼女と苑條との間には、透明な壁が作り上げられていた。苑條の術をあっさりと防ぎきると、ちゃぽんと音を立てて壁は地面に吸い込まれていく。

 水、のようだった。


 春と苑條との間に分けて入ったのは、白いシャツに濃紺のパーカーを引っかけたラフな姿の青年。

 前に見たときと格好は違えど、その人物には彼女にも見覚えがあった。


「……影路、深月くん?」


 春の声に、彼は振り返った。整った顔立ちに切れ長の焦げ茶の瞳は、紛れもなく影路深月その人だ。

 彼は二人に小さく頷いてみせる。


「お疲れさま、畠中さん。

 そして本当にありがとう、葵さん。

 色々気になることはあると思うけど。ちょっと待ってて。俺らの問題も一緒に終わらせるから」


 手短に告げ、深月は改めて苑條と対峙した。ただ何気なく立っているだけに見えて、すっと背筋を伸ばす深月にはどこにも隙がない。たとえ背後から誰かに攻撃されたとて、いとも簡単に攻撃を弾くだろうことが察せられた。

 苑條は戸惑いながら深月を見つめる。


「どうして、あなたがここにいるのよ。まだ、来るはずがない……」

「理由はこれから説明してやるよ」


 深月は視線を左右に巡らす。


 気付けば、フィフスと呼ばれていた人物は苑條から距離を取っていた。フードを外して露わになった童顔の彼は、しかし腹に一物秘めた笑みでもって同じく苑條を見つめていた。

 フォースは文彦の動向に気を配りながらも、やはり苑條を見つめている。

 そして深月の他にもう一人、別の人物が現れていた。彼はフードを被っていない。同じく春にも見覚えのあった彼は、以前、深月に『十六夜』と呼ばれていた人物だ。


 深月は静かに語りかける。


「苑條紀美香。あんたは、本人が拒否しているにも関わらず、被験体として新たな人材を入手すべく一般人に手を出した。

 これは影路の規律に反している」


 彼の言に顔をしかめつつも、苑條はふんと鼻を鳴らす。


「何を言ってるの。この子は古じゃあない。人工的な古は、影路の所有物でしょう?」

「そっちこそ何言ってるんですかぁ、姐さん?」


 いつの間にやら春の後ろに忍び寄っていたフィフスが、彼女の両肩に手をやる。小動物のような丸い瞳が、悪戯めいた色を浮かべていた。


「彼女。畠中姉さんは、紛れもなく『雷属性』ですよ。ほらほら、やっちゃってください、畠中姉さん!」


 困惑しつつも、フィフスに言われるがまま春は術を放つ。

 ぱしりと、苑條の目前で電撃が炸裂さくれつした。彼女も葵もよくよく見慣れた、春の雷属性の術。


 苑條は一歩、後ずさった。

 まだ深月は、皆まで言っていない。

 しかし場の雰囲気に、言いようのない不安感を感じていた。


 唯一フードを被ったままのフォースが、冷たく言い放つ。


「御託はどうでもいいんだ、苑條。

 問題なのは、あんたが縁もゆかりもない一般人に手を出して、建前があるのを良いことにそっくり自分のモンにしようとしてたって事実だよ」


 彼に続けて、深月が苑條へ淡々と告げる。


「『影路の規律に反し、一般人である少女を襲った』。

 本来であれば一般人への介入は許されない。

 今回の場合は開眼しているとて、本人が拒絶しており、おまけに開眼の事実について高神楽の緘口令かんこうれいが敷かれている少女に手を出し、あまつさえ実力行使により強制的にかどかわそうとした。

 これは道義は元より、一研究員の権威を逸脱した行為であり、御三家間の関係を崩しかねない由々しき事態であり、明白に影路の規律に反した行いであり。

 我々の契約のに該当する」


「待っ……! ちょっと、待ちなさいよ!」


 慌てて苑條は手を伸ばす。

 が、深月の追随は止まらない。



「そして。契約の禁則事項に該当する事由が発生した場合には。

 契約に連なる人員の過半数の目撃証言をもち、上層部の承認を待たずして、



 深月は自分の首元に手を伸ばし、二、三個ボタンを外す。


「サード、影路かげろ深月みつき


 深月はワイシャツの襟刳えりぐりをつかみ、ぐっと胸元を広げてみせた。

 彼の首には、黒いチョーカーのような物が巻き付けられていた。


 彼の発言を合図に。

 他のメンバーも同様に首元のチョーカーを晒しながら、次々に名乗りを上げた。




「フォース、御堂みどう紫雨しぐれ


 未だフードを被ったままの青年が静かに名乗った。




「フィフス、安居あんごいつき


 愉しげな笑みを浮かべ童顔の青年が勿体付けて名乗った。




「ナインス、十六夜いざよい久路人くろと


 ようやく出番とばかりに、一番後ろにいた青年は勢いよく名乗った。




「イレブンス、染沢葵」


 そして葵もまた名乗りを上げ、一歩前に進み出た。

 彼の首にもまた、同様のチョーカーが巻かれている。




 深月は。

 彼ら全員を見回した後で、苑條に宣言する。



「以上、『キーパーズ』五名の証人により。

 只今をもって、センサーの契約を無効とする」



 途端。

 ぱりん、と何かが砕けるような音がする。


 彼らの首元のチョーカー。そこに付けられた微細な機械に、ヒビが入っていた。深月は、軽くそれを指で触れる。

 と、限界を迎えたらしい機械は盛大に砕け散り、全員分のチョーカーがはらりと地面に落ちた。



「ま。ちょっと回り道はしたけど。

 どうにかこうにか誤差の範囲内で納まった、かね」



 言って、深月は緩やかに微笑んだ。

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