騒然ナチュラル(2)

「突然物騒ねぇ。そんなに焦らなくても相手はしてあげるわよう」


 身構えた春へ、苑條は悠然と言ってのけた。彼女の余裕は、周りを取り巻く味方の数がいつもより多いことと無関係ではないだろう。


 苑條の周りには三人の人間が立っていた。身につけた服は全員、チェック柄のスラックスに同色同柄のネクタイという、見覚えのある紅城学園の制服だ。ただしチェックの色は、深緑、紫、赤と全員が異なっている。

 三人とも白いシャツの上には、ブレザーの替わりに大きめのパーカーを羽織っていた。深くフードを被っているため、全員はっきりと顔が見えない。


「今度こそ本気出して奪いに来たって訳か」


 四人をぐるりと見回し、文彦は唇を歪めた。


「だがな苑條。あんただって我々の協定、誓約の制約ぐらいは当然知っているだろう。

 理術の研究実験に係る分野は影路のテリトリー。

 ただし『古』だけは除外される。

 古属性は『御堂』が守り『高神楽』が管理する存在であり、決して『影路』が手を出してはならない。

 忘れたとは言わせねぇぜ」

「勿論、覚えてるわよう」


 にたりと苑條が笑う。

 彼女は文彦から告げられても、全く動じる気配はない。


「でもね。その制約には例外があるのよう」

「……例外だと?」

「アナタは知らないかもね? 渦中にいたのだもの」


 両腕を広げ、苑條は高らかに告げる。


「後に付け加えられた例外はこう。

『家系に連なる純然たる古へは、影路の介入は許されない。

 ただし、』。

 つまりあなたが古に創りあげたその子は、影路が堂々と所持できる被験体ってわけ。勿体ないからまだ上には知らせてないけどね?

 因みにこの特例はね。大っぴらには言えないんだけど『影路の実験・研究において、一般人への介入は本人の同意が無い限り許されない』って条項も取っ払われるのよう。

 影路にとっても勿論、高神楽にとっても『後天的古属性』の研究は最重要事項だから、個人の意思より公共の利益、何よりも確保すべき最優先のモルモットってワケ」


「何だと……」


 力のない声音でそう呟いてから、文彦は静かに目を見開いた。

 苑條を食い入るように見つめ、彼はかすれた声で続ける。


「苑條。あんた、まさか」

「心苦しくて言えなかったのよ。アナタだって聞きたくなかったでしょう?」


 台詞の内容とは裏腹に、苑條はまったく悪びれない口調で言う。


「例の『彼女』は、苑條紀美香があれこれ楽しく実験台にさせていただいてました、なんて。

 こんな症例、類を見ないもの。もっといろいろやりたいことがあったんだけど、その前に上にとりあげられちゃったのよ。

 だから、今度はまだ上に報告しないの。アタシの気が済むまで研究し尽くしてから、出涸らしを提出してやるわあ」

「…………!」


 側にいる春はぞくりと震え上がった。

 振り向かずとも、文彦の殺気が背筋に伝わる。おそらく怒気に溢れた眼差しで苑條を睨みつけているに相違ない。


 事情は分からないが、二人の会話の内容は理解できた。

 すなわち春は、今や影路にとって格好の獲物となってしまったのだ。


 苑條の言うことが本当であれば、仮にこの場で苑條から逃れたとて、今度は影路のもっと上層部から狙われる恐れさえある。

 元より苑條は、一般人であろうとなかろうと春と葵に手を出そうとしていたわけだが、古属性となった今や、大義名分をもって春を捕獲できる状況になってしまったのだ。


 流石に春は血の気が引いて、文彦に問いただしたい衝動に駆られる。だが背後から感じる迫力に、彼女は振り返ることができなかった。


 一方で、苑條は素知らぬ顔で髪をかきあげる。


「あら嫌だ。逆ギレされる筋合いはないわよ。あなただって今、その子に同じことをしてるじゃない」

「てめーと一緒にすんじゃねぇよこの外道が」

「アナタの陳腐な台詞、ぜーんぶブーメランになって返ってくるって思い出した方がいいわよう?」


 苑條はせせら笑った。

 と。張りつめた空気の中、唐突に春のポケットの携帯電話がけたたましいベルの音をさせて鳴り出す。

 彼女はびくりと縮みあがった。マナーモードにしていたはずなのだが、潤に電話をかけた際にでも間違えて解除してしまったのだろうか。


「出なさいな、お嬢ちゃん。出るのよ」


 命令口調で苑條は春に言い、次いで隣の人物にちらりと視線を送る。


「いーちゃん、お願いね」

「言われずとも分かってますよー、姐さん」


 緑のチェック柄の服を着た人物が、軽い口調で答えた。高めの声音ではあったが、声質からしてどうやら男のようだった。

 彼はポケットから携帯電話を取り出すと、恭しくそれを苑條に渡した。受け取った苑條はそれを慣れた仕草で耳に当てる。


「……出てみろ。春」


 どうしたものかと硬直していた春だったが、文彦に促され、おそるおそる携帯電話を手に取る。画面を開けば、着信主は潤であった。

 嫌な予感しかしない。


「……もしもし」

『もしもし、はったんか!?』


 焦ったような潤の声が耳元に響いた。

 春が二の句を告げる前に、潤は勢い込んで続ける。


『今、うちらも刀音川に行こうとしたんだけど、寮を出たところで影路深月って人に足止めされてて。しばらく動けそうにないんだ。だから、もしかしてそっちに苑條たちまで行ってるんじゃないかと思って。

 今、はったんの所はどうなってる!?』

「ごめん。……一足、遅かったみたいよ」


 言葉少なにそう告げ、春は電話を切った。

 緑のネクタイの人物は、春が通話を終えた後で確認するように苑條を仰ぎ見る。


「だ、そうですよ姐さん。深月さんところも順調なようです」

「ありがとねぇ、いーちゃん。と、今は『フィフス』だったわねえ」


 苑條は耳元に当てていた携帯電話を彼の手元に落とす。それを受け取ると、彼は一歩下がり、苑條の斜め後ろの位置で待機する。自然と、紫と赤の服を来た人物が前に出る形となった。


「さあて。これで邪魔は入らないわ。折角作ってくれたとこ悪いけど、その子はアタシがもらってくわよう。

 行きなさい、『フォース』『イレブンス』」


 苑條の声を合図に、二人の足が地面を蹴る。


「春」

「“スケルツォ”」


 文彦に短く命じられるのとのとほぼ同時、春は右手を前に差し出して唱えた。

 稲妻の閃光が迸り、フォースとイレブンスの2人に襲い掛かる。

 が、彼女の攻撃を見越していたかのように植物の蔓が上空へ伸び、彼らに達する前に雷を防いだ。一人はどうやら草属性のようである。


「今のお前はあとの術を使いこなせる筈だ。柔軟に考えろ」

「分ってますって!」


 文彦の指摘に、春は愚問とばかりに叫んで答えた。

 彼の指示により戦闘態勢に入った春だったが、彼女とてただ嫌々戦い始めた訳ではない。文彦の言いなりになるのは癪だが、影路に捕まるのは御免なのだ。


 一時、植物に覆われて見失った敵の姿が、蔓の影から踊り出る。

 春の目前に現れたのは、赤の服の人物のみであった。もう一人の紫はどこに行ったのか、と思うが、行方を捜している暇はない。

 まだ慣れぬ術の名を思い返し、春は自分の手の平ではなく、相手の足元の地面へ意識を集中させた。


「“トゥイードル・ディー”!」


 彼女の一声で、河原の石ころががらりと動き、足場が崩れる。

 春の術で赤の人物の足場が崩れ、駆けてきた彼は大きくバランスを崩した。

 が、倒れるまでには至らず、少しばかり後ろへ体勢を崩したのみでその場に踏みとどまった。


 はずみで、はらりとフードが外れ、顔が露わになる。

 続けざまに術を放とうとした春は息を飲み、既に雷を呼び出しかけていたその手を止めた。


 春の反応より少し遅れて体勢を整えた整えた彼は。

 彼女を見つめ、口元へ穏やかな微笑みを浮かべる。



「……葵、くん……!?」

「春さん、ごめんね」



 静かに言い、葵は春へ右手を向けた。






 植物の防壁から赤の人物が仕掛けたとほとんど同時。彼女よりも少し後ろに居たはずの文彦の目前へ、音もなく紫の人物が現れる。

 不意を突かれた文彦は、強かに相手の蹴りを受けた。が、すんでのところを腕でガードし、腹部へのダメージは免れる。

 数メートル後ろへ飛び退いてから、自身も臨戦態勢で構え直した文彦は顔をしかめた。

 攻撃を受けた刹那、黒いフードの下から見えた顔に心当たりがあったのだ。


「お前は……」

「久しぶりだな」


 バリトンの声が冷たく響いた。

 文彦は怪訝な眼差しで彼へ問いかける。


「どうしてお前が、影路側そっちにいるんだ」

「ちょっとした事情があってね。影路に居させてもらってる」

「……姫さんに虫がつかないよう、春を替え玉にしようって魂胆か?」

「さあてね」


 彼は、軽い口調で小首を傾げてみせる。


「そこんとこは、ご想像にお任せするとしよう。けど、好き勝手に予想するのは結構だがね」


 また音もなく風のように文彦との距離を詰め、彼は殴りかかる。

 今度は反応の早かった文彦が、両手でそれぞれ彼の拳を受け止めた。

 彼の拳を受け止めたまま、じりじりと牽制が続く。


「言ったろう。生憎と今現在、俺は『影路』で動いてる。あんたの戯言を聞く耳なんか持っちゃいねぇよ」

「お前を引き込める望みはねぇってことか」

「元から味方でもないだろ」

「……違いない」


 膠着こうちゃく状態が崩れ、数発、拳を打ち合った後、二人は再び一定の距離を取った。


「参ったな。正直、お前とは戦いたくなかった」

「腕が鳴るだろう?」


 相対していると、彼の目線を窺うことはできない。

 だが、フードの下から覗いた口が、にっと笑ったのが分かった。


「俺はあんたとずっと戦いたかったけどな。残念ながら俺んとこは、派手にやりあおうって気がないからねぇ。夏だってあいつに任せて大人しくしてるっきゃなかった。

 白黒つけるまたとないチャンスだ」

「言ってくれるねぇ……」


 文彦は彼と同じように口元へ笑みを浮かべてみせた。が、その目にいつもの余裕はない。

 彼らは、半身を引いて身構えた。




「さあ。真っ向勝負と行こうぜ、高神楽文彦」

「ああ、相手しようじゃないか。……影路の」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る