昏睡フラット(5)
「チャンスじゃん」
ぐっと拳を握りながら奈由は言った。春から本日の首尾の報告を聞き終えた直後、件のデート発言を受けて発した台詞である。
無論、恋愛の話ではない。
「休日だったらいつもより時間が長いから、その分、隙が生まれるでしょ。奪えるチャンスがくるかも」
「だな」
胡座をかいた潤も頷いた。
潤は傍らの奈由と杏季とを順に見つめる。
「二人とも、土曜は予定ある?」
「ないよー」
「暇人です」
「よっし。じゃあうちらも可能な限り後を追うか。場合によっちゃ、四人で取り押さえればなんとかなるかもだし。
しっかし『川』に『山』ねぇ……。流石に見越してやがるな。隠しやがって」
腕組みして潤は彼の行き先を推測する。
「川っていっても大小あるけど、それなりの大きさの川……となると、市内で考えられるのは二カ所、
ただ、川ならまだしも山となると、着いてくのは厳しいな。川の時点でどうにかするしかねぇ」
潤の挙げた川であれば、二つとも自転車で十分に行ける距離にあった。
だが山となると、どの山とて距離がある。近くに電車が通っていないのでバスを使うしかないが、本数が少ない上に、場合によっては一旦駅前に戻ってから乗車する必要があった。辿り着いた時、既に手遅れになっている可能性が高い。
彼女の予想に、隣で杏季が口を出した。
「川っていっても県内とは限らないんじゃないの。荒川とか隅田川とか四万十川かもしれないよ」
「いや。それはないだろ」
だがその懸念に潤は即座に首を横に振る。
「高神楽文彦の野郎がはったんに何かさせようとしてるなら、向かう場所はきっと舞橋市内だ。
今まで特には言及してこなかったけどさ。高神楽然り、影路然り、千夏さん千花さん然り、あっきー然り。理術の御大層なあれやこれは、どういうわけかこの街に集中してるんだ。
中枢はおそらく舞橋市にある。裏付けもとったから間違いないと思う。
……ただ、そっから先は見当もつかない」
横目で壁に掛かったカレンダーを見上げて、潤は眉をひそめる。
「ちょっとここ数日、調べてみたんだけどさ。
高神楽文彦は、間違いなくあの高神楽家の長男だ。
けど、どうやらあいつは、実家から半ば勘当されている状態らしくて、次期当主の候補からも外されているらしいんだ。
つまり、御三家たる高神楽家としての権限は持ってない。今回は多分、完全に個人で動いてる。
それだけに。本当に何が目的か分からないんだ。
千花さんの件はあるけど、だったら夏休みの時にもっと積極的に絡んできていいはずだろ」
現在、人柱として裂け目にて秩序を保っているのが、高神楽直彦の姉である高神楽千花。そして彼女は、高神楽文彦の妹にあたる。
彼女を救う考えなのであれば、夏に文彦がもっと関与していてもおかしくない。だが最後の方まで彼はほとんど姿を現さず、結局、
立場上、杏季に手を出すことへの躊躇はあったのかもしれないが、しかし弟の直彦は廉治の片腕として立ち回っていたのだ。
なるほど、と頷いてみせてから、そのまま杏季はこてんと首を傾げる。
「ところでつっきー」
「ん?」
「裏付けって」
「え?」
「私も、りょーちゃんからそう聞いて、話そうと思ってたところだったんだけど。
調べたって、どこからどう調べたの?」
「……細かいこたぁいいんだよ」
杏季の指摘を流し、潤は仕切り直して続ける。
「確かにここ数日の奴の行動は意味不明だけどな。はったんを
ないしは苑條に手を出されないようにガードしてるとも考えられるけど、この際どっちでもいいよ。
問題は土曜だ。平日は時間の制約が大きいし、奴が本格的に動くとしたら休日の可能性が高い。多分、奴はこの日に舞橋市内のどこかで何かしでかすつもりだ。
ただ、まあ」
一旦言葉を切り、潤は渋い表情で呟く。
「……特に何も考えてなくて、単純にマジで女子高生とデートしたいだけだったらその限りではない」
「話聞いてるとあり得そうで怖いよ! いや、はったんが利用されるのも嫌だけど!」
「ほんとにな! あいつやりかねないから怖い!」
潤と杏季の言葉に春は苦笑いする。
先ほどの潤の推測、春を
だが文彦の場合は、単純に遊びたかっただけと言われてもおかしくないところが厄介である。
「その場合でも、うちらが動くことはできるじゃん。聖獣の名前を突き止めちゃえば、利用されることもなくなる」
奈由が冷静に指摘した。
何かの理由があってまだ文彦が春を使わないとしても、それで彼女たちのチャンスがなくなるわけではないのだ。
「はったん。今日まであの人を観察してきて、それっぽいものはあった?」
「……心当たりは、ある」
春は慎重な口振りで言う。
「前、荷物を漁ったときに『大事な物は肌身離さず身につけてる』って言ってたんだよね。けど、肌身離さず持ち歩けるものなんて限られてるでしょ。
色々考えて可能性が高いかなって思ったのは、アクセサリー。それなら毎日身につけるし、外から見えないよう隠すこともできる。
あの人、確か夏に会った時にはネックレスをしてたと思うんだよ。もしかしたらここ数日ずっとスーツなのは、シャツの襟で私に見えないよう隠してるからなのかな、と思って。憶測の域を出ないけど」
「いや。かなりいい線だと思う」
春の話に潤は賛同した。奈由も深く頷く。
「私も覚えてる。可能性は高いんじゃないかな。
落とすリスクを考えたら、他の小物よりはアクセサリーとして身につけてるのが一番安全だと思うし」
始めはおずおずと告げた春だったが、他のメンバーの同調が得られたことで安堵した。
だが、そこで別の壁に突き当たり、春は潤と同時にため息を吐き出す。
「しっかし、……そうなると、難易度は更に高いな」
「ネックレスだと居眠りしてる時に外すのだって難しいよ。本気で無理矢理いかないと駄目かもしれない。
だからこそ、余裕なのかもね。あの人は」
それらしき物が判明しても、奪えなければ意味がない。
聖獣を解放するには、聖獣の名を取り戻すか、名が刻まれた物自体を破壊しなければならない。いずれにせよ文彦の持つそれを一度は手にする必要があるのだ。
浮かない表情の彼女たちへ、引き締めた面持ちで奈由が告げる。
「厳しい、けど。やるしかないね。それしか方法がないもの」
「そう、だね……」
春は頬杖をつき、文彦のことを思い浮かべた。
彼は春たちの企てを予想しているだろうか。
おそらく、何かしら動くだろうことは予測しているに違いない。だからこそ明確な場所は告げなかった。
そうすると端から彼女たちが着いてこられないよう、最初から山へ行ってしまう可能性もある。あるいはどうせ無理だろうと高をくくって、特に予防線を張らないまま動くのか。
春を古にした理由も謎のままだ。苑條が襲ってきた理由は、竜太や深月の話から、また他ならぬ苑條本人の口振りからも分かる。
だが彼女に比べ、文彦の動きは不明瞭な点ばかりなのだ。
また春は盛大にため息を吐き出す。この一週間というもの、物事は目まぐるしく動いているが、肝心の部分については置いてけぼりのままだ。
全ては、その日にならないと分からないことばかりだった。
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