昏睡フラット(4)

 それから文彦は、毎日放課後、春の元にやってきた。

 ただし。理術を使ったのは、火曜日その日だけ。

 以降はただただ、彼女をあちらこちらの喫茶店などに連れ回すばかりだった。


「……暇なんですか」


 今日も今日とて、文彦にお洒落なカフェへ連れられた春は、向かいに座る彼へ怪訝に尋ねた。


 本日訪れているのは、車がなければ来るのが不便な位置にある、だが「行った」と言えば女子高生であれば大抵の人が羨ましがるだろう人気のカフェ。

 怪訝に思いながらも誘惑に負け、春は今日も今日とて美味しそうなパンケーキを注文する。

 脳裏には、春より更に輪をかけて甘い物が好きな友人の姿、すなわち杏季の姿がよぎるが、一抹の罪悪感を彼女は押しとどめる。これは決して抜け駆けではない。むしろ不本意だ。


「というか。三日連続ですけど、仕事とかどうしてるんですか」

「無職だったらどうする?」

「ちょっと引くのと同時にこれまでの料金をきっちり支払わせていただきます」

「冗談だ。ちゃんと働いてるから心配するな」


 にっと笑って、上機嫌な文彦は弁解する。


「定時できっかり働くサラリーマンみたいな仕事じゃないけどね。春が想像しているよりしっかり稼いでるから、心配はしなくていい」

「それにしても、こう、毎回毎回奢ってもらってるのは、流石に申し訳ないんですが……」


 春を連れ回す際の経費は全て文彦がもっている。月に数度であればまだしも、毎日となると結構な出費だ。

 おまけに春が躊躇ちゅうちょするのもお構いなしに、文彦はそこそこの値段のものを注文してくれるので尚更だった。合計すれば、春の小遣いならとうに一ヶ月分が飛んでいる額だろう。


「高校生がそんな心配するんじゃない。オレが食べ盛りの女子高生に餌付けしたいだけなんだから」

「いろんな意味で不穏に聞こえるんですがその台詞。ってかやっぱりその自覚あったんですか」

「その割、君は素直に食べるよねぇ」

「目の前に美味しいもの出されたら食べるしかないでしょう! こちとら日中勉学でブドウ糖使いまくってるんですよ!」

「そして寮に戻ってまた夕食を食べる、と」

「……あ、駄目だ。駄目そうな気がしてきた……カロリー的にこの数日、本当にアウトな気がしてきた……」


 春はテーブルに肘を着き頭を抱えた。彼女の反応を見て、文彦は楽しげに顔を緩める。


 なお、本日の春は私服である。これもまた文彦による所業だった。


 いつものように文彦が迎えに来た時。この数日は素直に着いてきた春が、珍しく何か物言いたげにしているのを見て、彼は尋ねる。


「なんだい。逆らえないのは分かっているだろう」

「分かってますけど。一つ、要望を言ってもいいですか」

「モノにもよるけどね。聞いてみないことはないよ。……何だい?」

「制服なのが、嫌です」


 彼女の進言に、文彦は目を瞬かせた。

 おずおずと春は続ける。


「学校帰りだから当たり前なんですけど。制服だと、なんだかこう。

 ……援助交際みたいじゃないですか」


 一瞬、呆気にとられてから。

 文彦は吹き出し、盛大に笑い声を立てた。彼は腹を抱えて笑いながら、目尻から涙を拭う。


「そうだった。よく考えればオレは二十八だった」

「よく考えなくてもそうですよ」


 笑われたことに少し憮然としながら春は訴えた。


「だから、一旦寮に戻って着替えさせてもらえませんか。どうせ戻ってこざるを得ないですし。それくらいなら、いいでしょう」

「いや。そういうことなら、もっといい手がある」


 何かを思いついた文彦はそのまま春を車に乗せる。辿り着いたのは、郊外にあるブティックだった。


「……何でまた、こんな小洒落たお店ですか」

「ユニクロがいいかい?」

「流石にそれで全身固めるのはイヤです」

「じゃあ大人しくここで手を打たれてくれ。安心しな、そこまで高い店じゃない」


 やはり春は渋ったが、ここでも文彦に押し負ける。


 そういった経緯で彼女は現在、文彦の選んだ洋服に着替え、珍しく可愛らしいレモン色のワンピースなどに身を包んでいるのだった。制服でいるよりだいぶ気は楽だが、これはこれで気恥ずかしい。

 春がパンケーキを攻略するのを眺めながら、自分は珈琲をすすりつつ彼は尋ねる。


「そういえば、春はどの学部を受けるんだい」

「私は教育学部です。県内じゃなく東京の大学を受けようと思ってるんですけど」

「東京ねえ。じゃあ来年は家を出るのか」

「上手く行けば……ですけどね。

 そういえば、あなたはどこ大出身なんですか」

「オレはW大。の、法学部」

「めっちゃ頭いいじゃないですか!!」

「いや? 別に、指定校推薦で行ったから、たいして勉強してた訳じゃない」

「出た出た頭のいい人の台詞……! 推薦がとれるって時点で私にとって雲の上の話なんですけど!」

「まあオレは天才だからねぇ」

「そう言われるのはそう言われるのでむかつく!」

「はっはっは忸怩じくじたる思いであがくがいいよ受験生」

「ホントにいい性格してますよね!?」

「褒めてくれてありがとう」

「一切合切褒めてません」


 笑って軽口を叩きながら、ふと春は我に返る。


 目の前にいるのは、高神楽文彦だ。

 葵に地属性の精霊を憑かせて傷つけた。夏には廉治に組して彼女たちを翻弄した。そして今は春を古属性たらしめ手中に収めた、目下の敵。


 ところが彼女は今、彼を前にして連日お茶をしている。



 ――何だ、これは。

 ――これじゃあまるで、ただの。



「……あの」


 しばらく逡巡した挙句。

 フォークをお皿に置き、春は改まって文彦を見つめる。


「どうして、こんなことをするんですか」

「こんなこと、……ねえ」


 真顔になって、文彦は頬杖をついた。

 一度口を開くと、そのまま春はせきを切ったように話し始める。


「葵くんに精霊を憑けて。私を古にして。毎日のように連れ回して。

 でも葵くんみたいに戦わせるでもなく。ただ本当にあちこちに連れ回すだけで。

 私を古にしたのには、何か目的があったんでしょう。

 何をさせる気なんですか。

 何と戦えというんですか。

 からかって遊んでるだけなんですか。

 何が、目的なんですか。

 どうして、こんなことをするんですか」


 うつむいたまま、一息に彼女は言い切った。


 このままでは、勘違いしてしまいそうだった。

 文彦と春は決して友好的な関係ではない。ないはずなのだ。


 初日こそ警戒していた春だが、気が付いたらまるで旧知の友人のように会話をし、気を許してしまいそうな自分がいる。

 この数日の彼は毒気がない。今までの印象とあまりに違う彼は、変に気取ったところも怪しい素振りもみせない、ただ等身大の人間だった。よく似た別人と言われても端から見れば信じてしまうかも知れない。いっそ、そう思いこめれば気が楽だったのだろう。

 だが、紛れもなく目の前にいる高神楽文彦は、彼女の友人の敵であり、彼女を現在進行形で使役し縛り付けている敵なのだった。


「愚問だねぇ、畠中嬢」


 ずい、と前に乗り出し、文彦は下から春をのぞき込む。


「ならば逆に問おう。『何故オレはこんなことをするのか』。

 君はどう考える、春?」

「馬鹿にしてるんですか」

「とんでもない。至ってオレは大真面目もいいところだよ」


 目を細め、文彦は薄い唇を笑みの形に引き延ばす。真意の見えぬその眼差しに、ぐ、と春は気圧された。

 久しぶりに見る、その表情。

 春と過ごす間は青年のようにからからと笑ってみせた彼が、しばらく見せることのなかった表情だった。


 口ごもった春を眺めながら、文彦は彼女の返答を待っている。煙に巻くことも無視することもしないその様は、これまでに聞き知っていた『高神楽文彦』と比べれば、確かに真面目な対応なのかもしれなかった。


「……言われても、困ります。分からないから聞いている」

「成る程。それは至極もっともだ」


 乾いた笑みを浮かべて、文彦は続ける。


「困るよねぇ。真意が読めない、心理が読めない、意味が不明で動機が不純、やりにくいったらありゃしない。

 そりゃ、まあ――その通りだからな」


 文彦は体を起こし、珈琲をストローでかき混ぜる。


「もう一度だけ聞いてあげよう。『何故、オレはこんなことをするように見える』?」


 春は唾を飲み込んだ。

 彼の口調には、曖昧に濁して逃げることを許さない、有無言わさぬ響きがあった。

 おずおずと、彼女は答える。


「……私は、あなたの過去も現在も未来も知りませんけれど。当てずっぽうでも、あくまで私の主観で答えるなら。

 呪いみたいに、見えます」

「呪い?」


 聞き返した文彦に、春は頷いてみせる。


 咄嗟に思い浮かんだ言葉だった。

 けれども口に出した後で、春は自分でもすとんと納得のいった心地がしていた。


 怪訝で甘美な言葉をもって相手を惑わし、平然と嘘も吐く。

 相手がどんなに傷つこうといとうことはない。


 だが。

 この数日見てきた彼は、本当にそうだっただろうか。



「全てを。周りをとりまく何か全てを闇雲に。呪っているような気がします。

 けど、それと同時に。……呪いから、逃れようとしているように」

「……ふ」


 文彦は、何かをこらえるように微笑した。

 唇に人差し指を沿わせ、文彦は低い声で歌うように告げる。


「オレはねぇ、春。んだよ」

「……どうでも、いい?」

「あぁ」


 肯定し、殊更に強く文彦は反芻する。


「オレは、心底どうでもいい。どうでもいいんだ。

 理術も、精霊も、聖獣も、高神楽も、世界も、過去も現在も未来も来世も、御大層なお題目の何もかもがね」


 言って、彼は大きく息を吸い込み。

 ごく静かな声で、吐き出した。



「君は世界の為に人を殺せと言われたらどうする?」

「……え」



 言葉を失い、春は動きを止める。


「なぁ、馬鹿馬鹿しいじゃないか。大義名分の為の取捨択一、それを選べる立場の人間には、どれほど大層な価値があるんだろうな」


 ぴんと真っ直ぐに人差し指を立て、それを文彦は春の額に突き立てる。

 と、そのまま指をしならせて彼女のおでこを弾き、文彦は表情を緩めた。



「――悪かった。忘れておくれ」



 寂しげに笑いながら、文彦は誤魔化すように春の頭を撫で、一人ごちた。






+++++



「分かった。じゃあ、春。今度の土曜日デートしよう」

「……は?」


 帰り際。寮のすぐ脇の道に車を停めた後で、脈絡なく彼は宣言した。


「いや何が『分かった』なんですか」


 春のつっこみは華麗に流し、文彦はハンドルにもたれかかる。


「それでどうする。行くか、行かないか」

「拒否権はないんでしょう」

「よく分かってるな、いい子だ」


 春はため息を吐き出してバッグを抱える。


「どこに行くんですか」

「川と山、だな」

「ざっくりですね」

「あぁ、ざっくりだ。親衛隊に後を着いて来られちゃ適わんからな」


 言って文彦はちらりと寮の窓を見やる。もしかすると、潤か誰かがこちらを覗いているのかもしれない。


「さて、そろそろ門限だし残念だけど今日は帰るとするよ。

 ところでそろそろお休みなさいのキスのご褒美をくれてもバチはあたらないんじゃないかと思うけど」

「顔面思いっきりグーパンしていいですか」

「冗談だ。オレはまだ警察の世話になりたくはない」


 けらけらと笑い文彦は手を振る。

 すっかり慣れてしまった車の助手席から飛び降り、春は過ぎ去る文彦を見送った。

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