昏睡フラット(3)

――2005年9月13日。




 翌日。無事に回復した春は、朝から学校へ登校していた。

 放課後はいつもであれば下校時刻まで自習をするところなのだが、先日のことがあるので無理は禁物とばかりに一足早く帰宅する。

 まだ掃除当番が掃除を終わらせてすらいない時間、彼女が早々に校門を出ると。


「やあ、春」

「…………」


 不意をつかれた春は思わず固まる。

 待ち受けていたのは、妙に上機嫌な高神楽文彦だった。


「えらく真っ正面から来ましたね……」


 聖獣から聞いてはいたものの、流石にここまで早く接触があると思っていなかった春は、驚きを隠しきれずに呟いた。


 いつものように人をくったような笑みを湛えながら、しかしいつもと少し違っていたのは彼の服装である。ラフな格好ではなく、今日はかっちりと決めたグレーのスーツ姿だ。普段はどこか目立って周りから浮いている文彦だったが、本日の彼はごく自然に町の風景に溶け込んでいる。

 爽やかで真面目そうな社会人風に全身を固めた彼は、端から見たら春の親戚か誰かに見えるに違いない。実際、彼のことを不審に思う人物はいないようだった。


 彼の登場と、いつもの雰囲気とのギャップの両方に春が戸惑っていると、文彦はいきなり本題に入る。


「今から出掛けようじゃないか」

「え?」


 聞き返すと、文彦は歯を見せてにやりと笑う。


「どうせ相棒にあらかたの話は聞いたんだろう? 残念ながら君に拒否権はないよ」


 言うと、彼は先立って歩き出したす。春が着いてくるのかを確認しようともしない。

 一瞬、このままこっそり帰ってしまおうかとの考えがよぎるが、その前に体の方が勝手に文彦を追って歩き出した。やはり聖獣の言うとおり、今の彼女は文彦の命に反する行動がとれないらしい。

 どちらにせよ聖獣の名前を探るには彼と関わらなければならないのだから、と思い直し、諦めて春は彼の後を着いていく。


 しばらく歩き、辿り着いたのは大通りの前にあるコインパーキングだった。駐車してあったその中の一台、黒いSUV車の前で彼は立ち止まる。

 目を瞬かせて、春はその車を二度見した。


「……車?」

「なんだ。気に入らないかい?」

「いえ。そういうことじゃなく」


 意外に思って、春は文彦を見上げる。


「いつもの瞬間移動じゃないんですか」

「そうそうあんな手段は使わないよ。毎回毎回使ってたらオレがへばっちまうだろう」


 笑い飛ばして文彦はひらひらと手を振った。

 でも、と春は首を傾げる。


「いつも突然、現れたり居なくなってるし。しょっちゅうというか、毎回会う度に使ってるイメージがあるんですけど」

「あれは、そう見せているだけだ。周りからオレの姿が見えなくなるよう、隠蔽してるだけだよ。この前だって使っただろ、苑條と葵が戦っているところで。

 今日だって春が来るまで使ってた。いくらオレでも、あまりに長時間女子校の前で佇んで居ちゃあ怪しまれるからな」

「あの術は、聖獣の力じゃないんですか?」

「ステルス機能は元来オレの力だよ。ややこしいけれどね。苑條の時のあれは、適用範囲を相棒の円の中にしたってだけだ。

 隠蔽の術が使用できるのは闇属性の奴らだけじゃない。フィールド丸ごと覆い隠すのは闇や音でないと厳しいけどな」


 存外あっさり語る文彦に、春はまた戸惑いを覚えた。

 普段は肝心なことを隠し、回りくどい発言をするばかりなので、素直に説明されるとかえって違和感を感じるのだ。

 だが、今の話が偽りというわけでもないだろう。わざわざ嘘を吐く理由がない。

 更に文彦は付け加える。


「お前らの前で使ったのは、そうだな……夏に廉治が大暴れしてた時と、一昨日、杏季姫と京也を飛ばした時、春を連れてった時。それだけだよ。

 瞬間移動なんて大層な術なんざ、そう易々と使える代物じゃないのさ。使うにしたって相応の条件が要る」

「どんな条件なんですか?」

「教えない」


 文彦は舌を出して拒否した。そう簡単に手の内は明かしてくれないようだ。

 とはいえ、その反応も含めてどこか以前とのギャップを感じ、春は拍子抜けするのだった。


「そんな訳で、ちょっと距離があるから本日は車だ。乗りな」


 彼の台詞に我に返り、春は少したじろぐ。


「知らない人の車に乗っちゃいけないって、小学生の時に先生から習いました」

「そうか。なら、仕方がない」


 文彦は車のロックを解除しドアを開ける。


「オレは知らない人じゃないから、なんの問題もないよな?」


 にんまり笑んで言った文彦に、観念して春は助手席に乗り込んだ。






 文彦の車に乗せられた春は、だが幸いにして拉致らちされるなどということはなく。向かった先は、先日も訪れた澪標公園だった。


 本日の目的は、古属性となった春の理術の具合を見ることらしい。

 春の憑いた聖獣は、覚醒まで至っている。すなわち自然系統全ての術を使えることになるので、それを春がきちんと使用できるか、どの程度まで古属性と、すなわち聖獣となじんでいるのか確認がしたいようだった。

 公園の人目に付かないエリアに入り込み、春は言われるがままに術を放つ。水に風、草に地、そして雷。最初は戸惑ったが、どれもすぐに春は使いこなしてみせた。


「ひゅー、やるねぇ」


 春の放つ理術に、文彦は満足げに口笛を鳴らす。

 一方、一通り試し終わった春は、釈然としない表情で首を捻った。


「どうした?」

「普段と変わった感じがしないんです」


 自分の手を見つめたまま春が難しい表情で告げる。


「勿論、水とか風とか別の術が使えるようになったのについては、そりゃ変わってますし感動すらしてますけど。それじゃなく前に自分の属性だった雷の術についてです。

 前と大差ないというか、むしろかえって弱くなってる気がするんですけど」

「そりゃあそうだ」


 事も無げに文彦は答えた。


「覚醒した古とはいえ、使えるようになった自然系統の術自体は覚醒段階に至らない。使えるのは、開眼段階の術までなんだ」

「そうなんですか?」

「古は広く『召還』の属性。覚醒した古が自然系統の術を使えるのは、要は市井にいる精霊を召還しているからだ。

 葵に憑いてた地の精霊みたいな奴をその辺から呼び出して、一時的に力を借りているんだよ。召喚できる精霊は自我があり、自我がある精霊は即ちその時点で開眼しているから、術の威力は開眼程度。

 ただし覚醒という段階は、精霊の力と人間との血統・関係とが組み合わさって初めて生じる状態だから、野生の精霊に一時力を借りたくらいじゃそもそも成り立たないのさ」


 意外そうに春は顔を上げる。


「じゃあ、人間と一緒にいる精霊の方が、強くなり得るってことなんですか?」

「基本はな。野生のものでも覚醒程度、あるいはそれ以上の能力をもつ存在もいる……が、こっちの世界にゃ生息してないらしいぜ。

 今、春に憑いてる聖獣が例外なんだ。普通は覚醒レベルまでいった精霊や聖獣は、人なんかに宿らないんだとさ」


 やや控えめに文彦が言う。人づての情報なのか、彼自身も詳しくは知らないようだった。

 気を取り直して彼はまとめる。


「つまり、さっき呼び出したその辺の雷の精霊より、単純にこれまで春の使っていた雷の精霊の力が強かったってだけだ。覚醒した自然系統の術者が集まれば、自己防衛反応の絡みはさておき、単純に術の威力自体じゃ古は適わないからな。

 そう考えると、少しばかり勿体なかったな。こちらの住人のくせ、春は限りなく覚醒に近い状態までいってたみたいだから」

「なら、戻します?」

「ご冗談を」


 思わず軽口を叩いた春に、同様に軽く返した彼は、春の頭を優しく小突いた。


「じゃ。天気も怪しくなってきたことだし、そろそろ切り上げようか。

 帰る前にちょっと飲み物買ってくるよ。何がいい?」

「毒入りとかでなきゃ何でも良いです」

「……君はオレをなんだと思っているのかね」

「怪しい人」

「今日はきちんと見えるようにキメてきたつもりなんだけどねぇ」

「逆に怪しかったです」

「春はもうオレにどうしろというんだ」


 文彦は苦笑いを浮かべた。少しだけ勝ったような気がして、春は一人ほくそ笑む。


 その後、無難にスポーツドリンクを頼んだ春は、文彦の手にしていたバッグを預かり、一人佇んでいた。

 スーツに合わせて選んだのだろう黒のビジネスバッグには、ほとんど中に何も入っていないらしく非常に軽い。

 何気なく手にしたバッグを眺めていると、春は昨日、聖獣から聞いた話を不意に思い出した。


 文彦は、聖獣の名が刻まれた『何か』を所持している。


 手元のバッグに視線を落とし、じっと眺めた。まさか知られたくない情報を、当人の元へむざむざ置いていくような真似はしないはずだ。だが、もしかしたら、という事があるかもしれない。

 春は辺りを見回し、まだ文彦の姿が見えないことを確認すると、おそるおそるバッグのファスナーに手を伸ばす。


「なーにをしてるのかなぁ、春?」

「ヒッ」


 素で悲鳴が出て、春は思わずバッグを取り落としかける。いつの間にか、二本のペットボトルを手にした文彦が春のすぐ横に立っていた。

 彼はひょいと春からバッグを取り上げる。


「せっかく隠蔽についての話が出たから、実際に見せて驚かせてやろうと思ったらこれだよ」


 文彦は疑念の眼差しで春の顔をのぞき込む。


「相棒から聞いたな」

「何がです?」


 努めて平静な口調で答えたつもりだったが、冷や汗は止まらない。お見通しだといわんばかりに文彦は息を吐き出す。


「流石にてめーの弱点をむざむざ預けるほど間抜けじゃない。

 大事なものは、いつも肌身離さず身につけているに決まっているだろう」


 文彦は冷たいペットボトルを春の首に押しつけた。別の意味合いでまた春は飛び上がる。


「オレから逃れたきゃ、力づくでぶんどってみな」

「頑張ります」


 ペットボトルを受け取りながら、春は渋面で受け答える。


「私の底力、ナメないでくださいね」

「へえ」


 買ってきたばかりのジュースの蓋を開けながら、文彦は目を見開く。


「あの子たちも、参戦する気満々なのか」

「満々ですよ。覚悟しててください。

 いや……まだ、何も考えてないですけど……」


 尻すぼみになった宣戦布告に対して何も言わない文彦に、春は穿ったような眼差しを向ける。


「うちらが寄り集まったところで、どうせ大したこと出来やしないと思ってるんでしょうけど」

「いや、思っちゃいない。けど、まあ……」


 語尾を濁して文彦は空を見上げる。


「……そうしてりゃ、良かったんだろうけどな」


 文彦は独り言のように呟いた。

 怪訝に春は彼を見上げたが、その言葉に続きはない。




 ぽつりと地表に雨粒が落ちる。

 いち早くそれに気付くと、会話を切り上げ二人は車に向けて駆けだした。車に乗り込むとタイミングを見計らったかのように音を立てて雨が降り出す。

 予報では、これから夜明けまでしばらく雨は降り続ける見込みだった。






+++++



 メールの着信を見て、奈由は椅子から立ち上がる。

 荷物をまとめて学校を出れば、舞橋女子高校から一本道を隔てた向かいの公園、夏にも馴染みのその場所で、葵が待っていた。


「これ。頼む」


 言葉少なにそう言い、彼は紙袋を奈由に手渡した。

 春への見舞いの品だった。彼女に渡して欲しいと葵に頼まれ、奈由は彼の到着まで自習室で待機していたのだ。

 無言で受け取ってから、奈由は既にきびすを返そうとしている葵を呼び止める。


「会って行かなくていいの」

「いい」


 振り向きもせず葵は短く答えた。

 尚も奈由は語りかける。


「寮に行きにくいなら、来てもらおうか」

「大丈夫だ」

「はったん、今日は元気だよ」

「なら良かった」

「はったんは怒ってないよ」

「知ってる」

「じゃあ、少しくらい」

「そういうことじゃない」


 葵は肩越しに振り向いた。

 その表情は固く。

 目には、隠しきれない悲痛な色が浮かんでいた。


「……俺が、合わせる顔がねぇんだよ」


 再び前に向き直ると、葵は鞄を肩に担ぎ直す。


「呼び出して悪かったな、草間。……よろしく頼む」


 言い残し、葵はその場を後にした。

 かける言葉が見当たらず、託された紙袋を握りしめたまま、奈由は葵を見送ることしかできない。


 空から、ぽつりと雨粒が落ちる。

 雨が降り始めるようだった。






 雨の降りしきる交差点にて、赤信号で立ち止まる。

 人々が行き交う雑踏の中で、傘を差した葵はぼんやりと佇んでいた。淀んだ空は、今の自分の心を映しだしているかのようで、気分が悪い。

 しかし降雨で傘を差していれば、人の顔を見ることも見られることもなく、かえって好都合だ、と思う。

 取り留めもなくそんなことを考えていると、背後から不意に抑えた声が聞こえる。


「染沢さん」


 その声には聞き覚えがあった。誰だろうかと一瞬考え込んで、思い至った葵は硬直する。

 胡乱うろんな人物の来訪に、葵は振り向くことが出来ない。


 声は、葵にのみ届く音量でもって彼に語りかける。



「理由は省くけど、状況は把握させてもらった。染沢さんが高神楽に利用されたことも、畠中さんがあの高神楽文彦にとられたことも。

 シンプルに聞くよ。

 畠中さんを、助けたい?」



 葵は息を飲んだ。

 尚も声は、淡々と続ける。



「一筋縄ではいかない。相手はあの高神楽だ。危ない橋の一つや二つは渡ることになるし、無償で済む話じゃあない。染沢さんには、かなりの代償を払ってもらうことになると思う。

 それでも、畠中さんを助けたい?」



 歩行者用の信号機がぱっと鮮やかな青に変わる。葵の周りの人々は動き出すが、彼はまだ、動けない。



「話を聞く価値がないと思ったなら、そのまま行ってくれて構わない。

 けど。話を聞いてもいいと思ったのなら、後ろを振り向いて欲しい」



 葵は。

 掴んだ傘の柄を、ぎりりと握りしめた。

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