遅々ストリンジェンド(5)
「自滅って、どういうことなの」
「単純なことさ。
葵に、能力の高い『地の精霊』を受け入れられるだけのキャパシティがなかった。それだけのことだ」
文彦は事も無げに言ってのけた。
意味が飲み込めず黙り込む春に、彼は静かに問いかける。
「春女史。君は理術の仕組みについて、考えたことはあるかい?」
「……仕組み? 仕組みって、属性とかそういうこと?」
「ああ。属性は、生まれ持った血筋や周囲の環境、そういったものに左右されて、生まれ落ちた時点でほとんど決定される」
春の反応を待たず、文彦は続ける。
「自然界には『
そして人間の体には、生まれたときから数多の精霊珠が宿っているんだ。
精霊珠には種類や個性があってな。その人間の中に一番多く存在する種類の精霊珠が、宿主の理術の属性になる。
つまり炎の精霊珠を一番多く宿していれば炎属性に、地の精霊珠を一番多く宿していれば地属性になる。
これが理術の属性のメカニズムだ」
彼が何を意図して語り出したのか分からず、春は困惑する。隣の葵が気がかりで、一見関係のない話を聞き続けるのがもどかしくはあった。
だが、おそらく彼の話の先に、春の知りたい情報がある。
早口で、ごく事務的に文彦は語り続ける。
「通常であれば、一番勢力の大きい精霊珠、すなわち理術の属性として発露した種の精霊珠は、精霊珠同士が寄り集まり、『精霊』という一段階上の構成体へと変化する。
この精霊を目覚めさせた状態が開眼だ。
ただし。中には、精霊が形成されるところまでいかない人間もいる。
それが
空人は、開眼したくても開眼すらできないことがほとんどだ。補助装置を使やぁそこそこの力は出るが、開眼には恐ろしく時間を掛けないといけない」
ここでようやく言葉を切り、文彦は葵を一瞥する。
「葵は空人だった。
覚醒は勿論のこと、開眼すらままならない程度の能力しか有さない、ね。
だからこいつは半年も補助装置を使っておきながら、仲間内で一人寂しく開眼できなかったのさ。
もっとも、だからってそう葵を責められる訳じゃない。こっちの世界の人間は大半が空人だ。京也のようにおいそれと開眼できるメンバーが集っていた方が珍しいんだよ」
「……じゃあ葵くんが開眼した状態の地属性の術を使ったのは」
「空人がまっとうに理術を使うにゃ、二つくらいしか方法がない」
春の呟きを無視し、更に彼は言葉を重ねる。
「『聖精晶石を使う』か、『強制的に精霊を憑かせる』かのどっちかだ。
前者はさておくが、後者の場合。……さっきも言ったように、人は基本的に生まれたときに持っていた精霊を宿し続けるが。
上から別の精霊が憑いた場合、属性が変わることもあり得る。
もっとも。元からの自分の属性が一番相性がいいに決まってんだ。上から憑かせた属性によっちゃ、相性の良し悪しで不具合が生じることは多々、あるけどな」
「……まさか」
春は倒れ伏す葵を見つめた。
先ほどまでの葵の戦いと、文彦の説明とが、結びつく。
「あんたが、葵くんに地の精霊を憑けたの!? 葵くんのこの状態は、相性の悪い精霊が憑いた所為で負荷がかかってるからってこと!?」
「ご名答だね」
文彦はまたしても低く口笛を吹く。
「けど勘違いするなよ。これは葵自身が望んだことだ。
オレはその願いを叶えてやったまで。単純に、こいつにその度量が足りなかっただけの話だよ」
「…………!」
言葉が出ず、ただただ春は文彦を睨みつけた。彼はその眼差しに怯むこともなく、畳みかけて尋ねる。
「こいつを助けたいか。畠中春」
「当たり前でしょう! 元に戻しなさいよ、今すぐに!」
「そいつぁ無理な相談だ」
ひらひらと手を振り、文彦は残酷に笑う。
「一度、精霊を宿してしまった以上、元はヨソモノとはいえ既に宿主と融合している。無理矢理にはがしたところで今よりも厄介な不具合が生じるだろうさ。それこそ命の保証はしない。
ただ、一つだけ。
救える可能性があるとしたら、あんただけだ」
急に水を向けられた春は、きょとんとして自分を指さす。
「……私?」
「そう」
文彦はチェシャ猫のようににんまりと唇を引き延ばし、人差し指で春の首元を、とんと突いた。
「あんたは、聖精晶石を宿してる」
まるでナイフを突きつけるかのように春の首元へ指を向けたまま、文彦は彼女の瞳をのぞき込む。
「不思議に思わなかったか。異世界の血を引いているわけでもない、長く補助装置で修行を詰んだわけでもない、それなのに君はこの夏あっという間に開眼してみせた。
おそらく畠中春、君の体内で聖精晶石が結晶化しているんだ。本来ならば排出されるところを、人体にそのまま巣くってしまった」
「は……」
何をバカな、と言い掛けて、思い当たる節のあった春は口を閉ざす。
確かに春は、こちら側の人間としては規格外だった。通常であれば数ヶ月はかかるところを、ものの三日で開眼してみせたのは他ならぬ彼女だ。
思い返せば、聖精晶石の効力が切れたかどうかは彼女自身も確認していない。
聖精晶石の効力が切れるかどうかというタイミングで補助装置を使い始めたので、以後の力が補助装置に依るものなのか、それとも聖精晶石の力が残っていたのかは判別がつかない。
そして結局、有耶無耶の状態で春は開眼してしまっている。
聖精晶石が彼女の体内に残ったままだとしたら。
あれほどあっさり開眼したのも、理屈が通るのだ。
混乱する春の耳元で、文彦は囁く。
「時間がないから完結に話そう。
このまま放っておけば葵は死ぬ。助けるには、精霊を引きはがさにゃならない。
憑いてしまった精霊を安全に引きはがす方法、それは『古属性の精霊が離れろと命じる』ことだ。上位種たる古から命じられれば、自然属性の精霊は大人しく言うことを聞く。
……ただし。白原杏季姫のように元々古属性の人間がそれをやったところで駄目だ。葵に憑いた精霊は外から来た精霊で、人間の体内に端から宿っていた精霊とは少しばかり勝手が違う。
葵に憑いた精霊に言うことを聞かせるには、あの精霊そのものを生み出した母体たる古の精霊、そいつの命令が必要だ」
文彦は、くい、と春の顎を持ち上げた。
「古属性になれ、畠中春」
「は……?」
春は
彼は後ろを振り返り、手で何者かを引き寄せる。すると、先ほどまで春たちを取り囲んでいた件の影が、すっと文彦のすぐ後ろまで忍び寄った。
影は、地に伏していた胴体をゆるりと持ち上げる。体を起こせば、周りの木立とそう変わらない高さにまでなった。
「こいつが、葵に憑いた精霊の母体である『古属性の精霊』だ」
二、三度瞬きして影を見つめながら、春は座り込んだまま思わず後ずさる。
「な……これ、あなたの使役してる霊、なんじゃ」
「ああそうだ。細かい事情や御託は置いておけ。
大事なのは、こいつを
文彦は改まって春に向き直った。
どこか他人事のような口調で、彼は宣告する。
「畠中春。君がこれを憑かせ、自分のものとすることができるのならば。
その後で君が命じれば、葵に憑いた地属性の精霊は瞬く間に葵から離れるだろう。
ただし古の精霊は、葵に憑いたものより何倍も何十倍も人を選ぶ。よほどのキャパシティがなければ、憑かせることすらまず不可能だ。
異世界人も含め、これまで何人もの人間が試してきたが、こいつを宿すことのできた人物はかつて一人しかいなかった。
現状もって身近に、こいつを宿らせることのできる人物がいるとすれば。
こちらの世界の人間でありながら、理術界の
すなわち畠中春、君しかいない。
逆に君が駄目だとしたら。
葵を助けられる見込みは、限りなくゼロに等しいだろう」
文彦は両手を広げ、彼女を試すような口調で告げる。
「さあどうする、畠中春。精霊達に愛された、稀有な潜在力を持つ雷鳴の乙女よ」
春は目線だけちらりと背後の葵を見やってから、静かな声で尋ねた。
「……私が、もしあんたの言う力を宿すことが出来たなら。本当に葵くんを解放できるのね?」
「勿論さ。君にこの膨大な力を受け止めきるだけの度量があるのなら、ね」
春は黙って文彦を見据えた。彼は値踏みするように春を見つめ返し、満足そうに唇の端を歪める。
「……駄目、だ……!」
春の背後で倒れ伏した葵は、歯を食いしばりながら春の方へ手を伸ばす。しかしその距離は近いはずなのに遠く、手はむなしく空を掴むばかりだった。
「俺は、春さんにこんなことをさせるために、やった訳じゃねぇ……!
これは、罠だ。最初っから、あいつは、こうするつもりだったんだ。こいつのいう事に耳を貸しちゃ駄目だ、春さん……!」
「悪あがきは止し給えよ、葵」
酷く低く、文彦の声が響く。
「ありがたいことじゃないか。
それに。……今更にその台詞を聞く彼女だとでも思うのかい? 自分の胸に手を当てて、よくよく考えてみな」
くっと葵は顔を歪めた。
全ては自分のしでかしたことだった。
文彦から持ちかけられたのが怪しい話だというのは、端から分かっていたことだ。だが自分の
それ以上に、ひとまず自分のことを棚に置いてでも叶えたい目的があったからだった。
そしておそらくは、春もきっと。
「安心しろよ。仮に駄目だったところで死にはしないさ。葵が瀕死の状態になっているのは、
開眼している春ならば、憑かせる段階での相性はあれど、いざ憑いた後に負荷がかかることはあるまい。成功したらば、拒絶反応がでることは皆無と言っていいだろう。
もっとも、不適合だった場合には……ちょっとやそっと、痛い目くらいはみるかもしれないが、な」
「……てめぇ。もし春さんに何かあったら、ただじゃおかねぇぞ」
「死に損ないが、指一本でもオレに触れられるかよ。身の程をわきまえろ。
言っておくが、もし彼女が適合しなかったら、本気で死ぬのはお前の方だ」
文彦は興味を失ったように葵から視線を反らした。
そして無言のまま文彦を見据え続けている春へ、促す。
「覚悟はできてるかい? ……春」
「当たり前じゃないの」
春はわずかに震える体を諌めるように唇を噛みしめ、拳を握った。
「そいつをよこして御覧なさいよ。
あんたの言うところの御大層な古に、なってやろうじゃないの」
「……上等だ」
文彦は静かに笑い、右手を上空に差し上げた。
「行け。ようやく出番だぜ、『相棒』」
文彦は緩慢な動きで、その手を春に向けて振り下ろしていく。彼の手の動きに合わせ、影が春の方へ首を近づけた。
「さあ――お試しといこうじゃないか!」
文彦は勢いよく手を振り下ろす。
思わず春は目を閉じた。閉じた瞼の向こう側が、日が陰ったように暗くなる。
瞬間、頭から水を浴びせられたような衝撃が彼女を襲う。
が、皮膚の感じる感触は液体のそれよりも弾力のあるものだ。まるでゼリー状の物質に飲み込まれてしまったかのようだった。
しばらくの間は息を止めていたが、包まれている時間があまりに長かったため、ついに春は息を吐き出す。途端に鼻と口から、容赦なくそれがなだれ込んだ。
水とは違う。空気ともまた異なっていた。肺の中に直接、温かな溶液でも流し込まれているような気分だった。だが不思議と苦しさは感じない。
やがて、影が迫って来たのと同じくらいの唐突さで、不意に身体が解放される。
自分でも意識しないままに目を開けると、春は自分の両手をぼんやりと見つめた。
ゆらり、とほんのり藍色に染まった視界が、揺れる。
「……判、った」
そして、葵の方を振り返り。
ほとんど何かに突き動かされるがままに、朗々と告げる。
「今すぐ彼から離れなさい、『ローシェル』!」
彼女の声が響くと、葵の身体から、ふわりと深緑色のもやが立ち上る。
と、葵の苦しそうな息が軽くなり、重い枷が消え失せたように身体は身軽になった。解放された彼は呆然と春を見上げる。
「……あぁ、やっと」
掠れた声でそう漏らしながら、文彦は自分で自分の喉元を締め付けた。何かを話し出しそうになるのを、必死に堪えているようでもあった。
彼は、静かに佇む春の元へ歩み寄る。
「お待ち申し上げておりましたよ。姫君」
文彦は、彼女の前に
恭しく春の手の甲へ口付けた。
夢うつつに、ぼんやりと開いた春の双眸は。
すっと光が差し込み視界の晴れた深海のように、煌めく青色に染まっていた。
(→→→開演)
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