遅々ストリンジェンド(3)

 苑條は地に伏したまま動かない。先に起きあがったのは、苑條に追従している者の方だった。隣の苑條を眺め、手を貸したものかと思案しているようだったが、行動に移すより先に足下からぼそりと小さな声が聞こえた。


「……あたし。アレ、持ってないのよねぇ」


 彼女の発言に、隣の人物の伸ばしかけた手が止まり、肩がびくりと跳ねる。顔色は窺い知れないが、面の向こうから固まったようにじっと苑條を見つめているようであった。


「欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!」


 苑條は両の拳をぎりりと握りしめてから、白衣に付いた土を払うこともなく立ち上がる。そして、ぐっと勢いよく顔をあげると、にたりと笑みを浮かべてみせた。



「モルモットじゃあ勿体ない。あたしのにしてあげるわぁ」



 葵は顔をしかめ、何も言わず右手を広げる。


「“ゼータ”」


 今度は苑條の足下へじぐざぐに亀裂が走る。足をとられながらも苑條は素早く手近な木の枝へ蔓を伸ばし、木の上に避難した。葵は舌打ちする。


「喜びなさいよぅ」


 枝の上に立ち上がり、恍惚とした笑みを浮かべながら苑條は告げる。


「この前のあの子と一緒に、あたしのコレクションに加えてあげる。イレブンとトゥウェルブで、ほとんどコンプリートよぅう」

「何をほざいてんのかさっぱり分からねぇが」


 葵は苑條と、次いで下の地面に取り残された人物とに鋭い眼差しを向けた。


「させてたまるかってんだよ」

「『ナインス』、やっちゃいなさい」


 葵と苑條の声が響いたのはほぼ同時で。

 苑條の台詞を合図に、狐面の人物が動いた。


「“鬼宿きしゅく”」

「“デルタ”」


 打ち出されたのは炎。人一人は容易に飲み込んでしまうだろう大きさの炎は、しかしまた葵の作り上げた土壁で阻まれた。

 文字通り高見の見物を決め込みながら、苑條は思案するように頬へ人指し指を当てる。


「こんなことなら、ナインスじゃなくサードの方が都合よかったかしらねぇ? でもあの子は、連れてくるのが厄介だし」


 ナインス、と呼ばれた人物から繰り出される攻撃は、直彦と同じ炎属性のもの。

 しかし葵の地の理術でことごとく防がれてしまう。傍目に見ても、不利なのはナインスの方であった。葵へは攻撃がかすりもしていない。


「ナインス、とは言えど。ぱっと見、葵ちゃんの方がずっと圧倒してる。ぶつけてみたいわねぇ、他のコレクションとも」


 ほう、と彼女は息をもらし。


「欲しい、わぁ」


 堪えきれず苑條は、くつくつと声を立てて笑い続けた。




 葵とナインスが戦っている傍らで、場の流れに置いて行かれた杏季と京也は、ただただ呆然と二人の戦いを見守っていた。


「どう、しよう。はじまっちゃったけど」


 おろおろと杏季が視線を彷徨さまよわせた。だが葵の優位が彼女にもはっきり分かるようで、どうしたものかと困惑はしつつも、そこまでの焦りはない。

 京也は葵の立ち回りを感嘆しながら眺めつつ、慎重に言う。


「こりゃ下手に入っていかない方が良さそうだ。かえって足手まといになりかねない。今のとこ、葵が有利なようだし」


 京也の術は、こと対人戦では危険すぎるため、これまで戦闘目的で使用した経験がほとんどない。実践ではろくに立ち回ることもできないだろう。

 杏季は覚醒までしているが、同じく術の使用は不慣れだ。夏の終わり、扉を開く際に放った術だって、廉治の指導があってようやく使えた程度なのである。


 確かに二人は理術の段階としては上かもしれないが、戦いの場面で使用することに限れば、他のメンバーの方が余程も慣れているのだ。むやみに加勢したところで、かえって状況を悪化させかねない。

 幸いにして葵は危なげなく戦いを続けており、ただの一度も敵の攻撃を受けてはいない。今は出る幕がなさそうだった。


 二人は物陰に隠れて様子を窺っているのだが、まだ彼らは苑條に見つかってはいないようだった。このまま隠れつつ様子見を続け、もしもの時には加勢すれば良いだろう。

 そう彼らが判断した矢先だった。



「おおっと。こいつぁ、意外なお客様が来たもんだね」



 突然、背後から聞こえた声にぞわりと背筋を凍らせ、京也はばっと振り返った。

 いつの間にか音もなくそこに現れたのは、高神楽文彦だ。

 杏季はひっと音のない悲鳴をあげ、身を縮めた。

 怯えきった杏季を背で隠しながら、京也は怪訝に彼へ尋ねる。


「なんで、あんたがここに居るんだ」

「そいつぁこっちが聞きたいね。どうやって嗅ぎつけたか知らないが、俺だって君らを呼んだつもりはない」


 杏季と京也とを交互に見つめてから、文彦は残念そうに肩をすくめ、両手を広げる。


「生憎だけど、このショーは君たちへの見せものじゃないんだ。本来の迎賓げいひん、望まれた貴賓きひん、迎えるべきVIPは別に居る」


 朗々と喋り、文彦はすっと両手を二人の顔の前にそれぞれ伸ばすと。


「お呼びじゃあないプリンセスとナイトは」


 両方の手を、パチリと鳴らした。



「……指をくわえて手をこまねいていておくれ」



 彼が、そう呟いた時には既に。

 杏季と京也の姿は、跡形もなくその場から消えていた。




 さっきまで二人のいた場所から興味を失ったように視線を外すと、少し先でナインスとの攻防を続ける葵の姿が目に入る。


「さぁ。もう少しばかり持ちこたえてくれたまえよ、葵」


 戦う葵の耳には届かない程度の声音で、彼は呟く。


「いざ――我らが姫殿下を、お迎えにあがろうじゃあないか」






+++++



 視界が眩み、目の前が真っ白になる。

 立ちくらみのような感覚に襲われて平衡感覚を奪われるが、完全に体勢を崩す前に不意に体は軽くなった。

 一瞬だけ訪れた奇妙な不快感に疑念を覚えながらも、杏季と京也はゆっくりと目を開けた。


「……はい?」


 状況が飲み込めず、杏季は瞬きを繰り返した。

 右に左にと、あちこちを見回した後で、同じく戸惑っている京也をおずおずと見上げる。


「えっと……私たち、さっきまで澪標公園にいたと思うんだけど……。

 ここ、どこ?」


 緑の木々が広がっているのは先ほどと同じ。

 だが、今までいた場所よりも木の本数は少なく、視界もだいぶ開けている。緑の向こうには高くそびえたビル群が立ち並んでおり、微かに聞こえてくる水の音は近くに噴水があるのだろうことを示していた。

 澪標公園には噴水はなく、辺りに高いビルも建ってはいない。

 さっきまでいた澪標公園とは、明らかに違う。


「どこ……だろうな……」


 京也も唖然として辺りを見回すしかなかった。

 澪標公園どころか、これまでの記憶を辿ってみても見覚えのある場所ではない。舞橋市では見たことのない光景だ。

 二人が無言で立ち尽くしていると、不意に後ろから聞き慣れた声がする。


「お前ら、どうしてここに居るんだよ?」

「臨!?」


 京也たちを驚いたように見つめていたのは、裕希だった。

 彼に似たような問いを返そうとした京也は、ふと昨日のチャットでのやりとりを思いだし、もしやと周りのビルを見回す。


「ちょっと待て。ってことは、ここは」


 京也は裕希の両肩を掴んだ。


「おい臨。ここは、どこだ」


 怪訝な顔つきで裕希は答える。


。東京は日比谷の、かの有名な日比谷公園だけど……なんでまたそんなことを」

「やられた……」


 肩を掴んでいた手から力が抜け、京也はずるりとその場に座り込む。杏季も理解したようで、苦々しい表情を浮かべて両頬に手を当てた。

 話についていけず、相変わらず怪訝な表情のまま裕希は首を傾げる。


「どうしたの。その様子だと、仲良く東京にデートに来たって訳じゃなさそうだけど」

「恐れ多くてンなこと出来るかよ。って問題はそこじゃない。

 さっきまで僕らは澪標公園にいたんだ。

 けど、急にやって来た高神楽文彦にここに飛ばされたんだよ。お前だって夏にやられただろ。公園から澪神宮まで琴美ちゃんと飛ばされたろうが、それと一緒だよ」

「あいつに? 何でまた、今更あいつがそんなこと」


 肩にかけていたバッグを背負い直し、裕希は訝しげに言った。京也は首を振ってため息をつく。


「僕だって聞きたい。お前に教えられたとおり、澪標公園に葵を探しに来たはいいけど、そこに高神楽文彦も現れたんだ。苑條とグルなんだか無関係なのかは分からないけどな」

「は?」


 裕希は間の抜けた声をあげた。

 隣で杏季が付け加える。


「昨日のチャットで予想してた通り、染沢くんはやっぱり苑條って人に会いに行ってたんだけど、交渉に行った訳じゃなかった。

 どうしてかは分からないけど染沢くんは地属性の術、それも開眼してるレベルの術を使えるようになってて、それで苑條を倒そうとしてるみたい」

「……ちょ、待てよ。何だよそれ、どういうことだよ」

「僕らだって意味が分からないよ。どうして葵があんな術を」

「違う、そういうことじゃない。ちょっと待て」


 裕希は額に左手を当て、二人の発言を遮るように右手を広げた。


「えっと……どこから突っ込んだらいいのか分かんねー、んだけど……」


 にわかに考え込み、うなり声をあげる裕希を杏季は心配そうにのぞき込む。

 やがて彼女の肩に手を乗せると、裕希は珍しく神妙な面持ちで、杏季と京也へ順番に視線を合わせた。



「いいかよく聞け。

 俺は、

 そして今日、お前らにアオの居場所を教えてもいない。

 そもそもアオの今の居場所なんか知らない。一緒にいないんだから知るはずないだろ」



「……え?」


 今度は杏季が間の抜けた声をあげた。一瞬呆けた後で、慌ててポシェットの中から携帯電話を取り出し、メール画面を彼に見せる。


「でも、さっきもゆうくんからメールで、染沢くんの場所を知らせてくれたけど」

「……マジかよ」


 杏季の携帯電話を手に取り、差出人が臨心寺裕希となっているメールの画面を裕希はまじまじと見つめた。

 視線はそのままで、裕希は二人へ静かに告げる。


「金曜日からずっと、俺は東京へ泊まりがけで模試を受けに来てたんだよ。今は模試が終わって、帰りがけにふらっと辺りを散歩してたとこなんだ。

 携帯電話は寮に忘れてきて、今も俺の手元にない」


 裕希の言葉に、二人は言葉を失った。

 静かに裕希は続ける。



「俺は、昨日チャットしてたことだって知らないし、苑條とやらがなんなのかだって、どうしてそいつと戦ったり交渉する必要があるのかってことも知らない。勿論、アオの居場所だってな。

 物理的にも論理的にもアオの居場所を連絡できるはずがないんだ」


 杏季の携帯電話を片手で閉じ、裕希は顔を上げる。



「誰かが俺のフリをして、お前らを動かしたんだ」






+++++



「ちょーっと誤算でしたねぇ」


 体育座りでパイプ椅子に腰掛けた少年は、頬杖をつき口を尖らせながら言った。少年は携帯電話をいじりながら、不満そうに画面を眺めている。


「オトコギライだから件のおひいさまが来るはずないって言ったの、シグさんじゃないすか」

「上手いこと事が進まなかったからって、お兄さんの所為にするんじゃないよ」


 手慰みにボールペンをくるりと回しながら、向かいの椅子に腰掛けた青年、シグが苦笑いで答えた。


「最終的に彼女が来るのを阻めなかったのはイツキだろ」

「だってあそこで食い下がっちゃったら怪しまれるでしょうよ。ただでさえこっちはバレやしないか冷や冷やしてるんですからね」

「そりゃそうだけど。堂々と人の携帯かっぱらってる奴が何を言ってるんだい」

「だって、こっちは別にバレようがないじゃないですか」


 舌を出しながら、イツキと呼ばれた少年はポケットからもう一つ、白い携帯電話を取り出してみせた。


「当の本人とは連絡のつけようがないんですから。メールが来たとしても、文字通り全部僕の手の平の中ですし、本人との齟齬が生じようもないですよ。

 ただそれももうすぐタイムリミットで、遅くても夜にはバレますけど。だからこそ、今日ケリをつけられたら楽だったんですけどねぇ」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくの面持ちでそれをいじっていると、タイミング良く手にしていた携帯電話が震え出す。反応しているのは、件の白い携帯電話の方であった。

 画面を眺め、イツキはすっと目を細める。


「白原杏季、からの着信ですね」


 シグはボールペンを唇に当て、天井を仰ぐ。


「あのおひいさまが電話、ねぇ……。

 ……バレたか」

「の、ようです。何も気づいていないのであれば、模試を受けている筈の『彼』へは電話してこないでしょう」


 タイムリミットですねぇ、と少しばかり残念そうな声色でイツキは呟いた。

 その後で、ふと思いついたように彼は携帯電話をシグの方へ差し出す。


「シグさん、出てみます?」

「出てどうするよ。声の情報を漏らすだけだろ。

 それに多分、かけてるのは十中八九、一緒にいるもう一人のヤローだ。どうして好き好んで野郎と話さなきゃならないんだい」

「でっすよねー。放置しときます」


 言ってイツキは携帯電話をテーブルの上に放り出した。しばらく携帯電話は震え続けていたが、やがて諦めたように振動は止まる。


「に、しても。ここで高神楽が絡んでくるたぁな」


 ちらりとシグは視線を上げ、部屋の隅で彼ら同様、椅子へ座り込んでいる青年へ声をかけた。


「なあ、深月」


 手にしていた本から顔を上げ、影路深月は無言でシグを見つめる。


「絡んでるのは長男だけなんだろ」


 シグの問いに、横からイツキが口を出す。


「長男だって十分厄介じゃないすか。出来ることならあの人とは一切関わりたくないですよ、僕」

「長男なだけまだマシだろ。次男が関わってるならもっと厄介だ」


 二人のやりとりを目で追いながら、ミツキは持っていた本をぱたりと閉じた。


「ま、ま、ま。……真意は見えないけど。関わっているにせよ、いないにせよ、問題はないよ。何れにせよ」


 窓の外に目をやり、ミツキは沈み始めた夕日を眺めながらぽつりと呟く。



「誤差の範囲内だ」

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