遅々ストリンジェンド(2)

――2005年9月11日。




 葵に会いに行く、と決めたはいいものの。寮を出ている今、肝心の彼の居場所は検討がつかない。


 が、そこでとある案を提示したのが裕希だった。

 彼は隙を見て葵の携帯電話をいじり、現在地を割り出せるよう細工したらしく、動きがあれば彼に居場所が分かるようにしておいたらしい。今回に関してはありがたい反面、その技術を怪しいことに使ってくれるなと彼女らは危惧した。


 そして翌日。裕希の指示に従うままに杏季と京也がやってきたのは、澪神宮よりも更に北へ進んだところにある川沿いの澪標みおつくし公園だった。

 公園とはいえ、舞女近くにあるおなじみの公園とはまるで規模が違う。あそこは文字通りの公園だが、ここは緑豊かな公園部分の他、バラ園や球場など様々な施設が併設されており、非常に広い。一目で見渡せないどころか、自転車でまわったとしてもだいぶ時間がかかる場所である。

 公園の入り口にて自転車を停めると、池のほとりで京也は目を細めながらあたりを見回した。


「ここに葵がいるって言っても、どこを探したもんかな」


 案内板を見上げながら杏季が建物の建ち並ぶ一角を指さす。


「染沢くん、何部だったんだっけ? もしかしたら部活の後輩の応援に来てるのかも」

「葵は確か剣道部だよ。けど澪標公園に武道館はないから、その線は薄いと思うよ。別の部の友達の応援にしたって、この時期、運動部はどこも引退してるだろ」

「そっか……」


 杏季は顔を曇らせた。


「じゃあ、やっぱり昨日心配してた目的の可能性のが高いってことかな」

「だろうな。こんだけ広けりゃ、戦えそうな場所はいくらでもあるだろうし」


 案内板上の数多の箇所を視線で追って、京也は静かに息を吐き出す。



 彼女達が危惧していたのは、葵は単独で苑條と対峙しようとしているのではないかということ。

 すなわち、今日この澪標公園にて、一人で決着をつけようとしているのではないか、という懸念だった。


 春と葵が襲われた時の状況を考えれば、次回は春に矛先がいくだろうと考えるのは想像に難くない。状況と葵の性格とを考えれば、その前に苑條をどうにかしてしまおうと思い立つのは自然な流れともいえる。

 葵が皆との接触を避けていたのは、皆に止められることを見越してだと考えれば、昨日葵がいきなり外泊した理由もチャットに来なかった理由も説明がつくのだ。


「あいつはたまにひどい無茶しやがるからな……」


 苦々しい表情を浮かべて京也は呟いた。

 彼らは苑條との戦いを実際に見たわけではない。だが話を聞く限り、そしてこれまでの葵の戦いを見る限り、深く検討するまでもなく結果は明らかだった。

 葵一人で戦っても、勝ち目はない。


 だが葵とて、それは重々承知しているはずだった。おそらく彼が苑條と会うとしたら、目的は別のところにある。

 すなわち、交渉。

 元々、苑條が狙ってきたのは葵だ。自分を身代わりに、春に手を出さないよう取引しようとしている可能性は十分にあり得る。

 それが彼女達の推測だった。



 無論、外泊もチャットに来られなかったのも単なる偶然で、今日も全く関係ない用事でここへ来ている可能性だってある。だがタイミングからして、嫌な予感は拭えない。

 頭から一旦、様々な不安を振り払うと、京也は行く手に広がる林を見やった。


「とりあえず、近い場所からしらみつぶしに見てくしかないかな。二手に分かれて」

「それは駄目」


 ぴしゃりと杏季が言った。


「雨森くんだって開眼してるんでしょ。もしもの時があるといけないから、単独行動は避けなきゃ」

「……そうでした」


 杏季からの指摘に、夏までの彼女を思い返して不思議な心地になりながらも、彼らは葵を探し始めた。






 しばらくして二人が葵を発見したのは、木々に囲まれ視界の悪い、奥まった場所だった。周りに人通りはほとんどない。この辺りは季節の花が植わっていることもなく、運動施設への通り道からも外れているため、わざわざここを通る人はあまりいないのだろう。


 葵は目立たぬよう松の木に寄りかかり、正面の一点を見つめている。誰かを待っているようなその素振りは、昨夜の彼らの予想がそう間違ってはいないのではないかということを匂わせていて、焦ったように京也は葵へ呼びかけた。

 声を聞き、葵は驚いて振り返る。


「何でお前らがここにいるんだよ」


 京也と杏季という珍しい組み合わせに目を見開きながら葵は尋ねた。葵の元へ駆け寄ると、杏季が追いつくのを待たずに京也は畳みかける。


「お前を探しに来たんだよ。お前、昨日話し合いに来なかっただろ。何かよからぬことを企んでるんじゃないかと思ってね。

 例えば、春ちゃんの身代わりに自分を差しだそうとしてるとか」

「……相変わらず勘がいいな」


 ばつが悪そうに葵は頭をかく。


「その反応は図星って捉えていいか?」

「満点じゃねぇけど、ほとんど正解だからな。そう思ってくれていい」


 含みのある発言に少し引っかかりながらも、京也は葵の腕を掴む。長話をしている暇はない。いつ敵がやってくるか分からないのだ。


「行くぞ。お前に思うところがあるってのは分かるが、一人で抱え込むなよ。後で話は聞く、ひとまずここを離れ」

「帰れ」


 強い声で言われ、思わず京也は怯んだ。その口調はどことなく、彼がまだビーに組みしていた時の姿を彷彿とさせた。

 葵は少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら、先ほどよりは幾分、険のそがれた口調で続ける。


「悪いことは言わない、すぐ帰った方がいい。お前だって開眼してるんだ、目を付けられないとは限らねぇぞ」

「既に目を付けられてるお前を放っていけるわけないだろうが。葵はどうなるんだよ」

「目をつけられてんのと、これからつけられるかもしれないってのは、意味合いが天と地ほども違うんだよ。

 いいから帰れ。俺は大丈夫だ」


 強情な葵の態度に、京也は戸惑いながら次の言葉を探した。だがいつ苑條が来るとも知れない焦りも手伝ってか、彼を説得できそうな言葉は浮かんでこない。

 二人のやりとりを身を縮めて見守っていた杏季が、おずおずと進言する。


「その、もし、これからその苑條って人が来るんだったら、私も参戦するよ。一人より、二人の方がいいだろうし」

「いい、間に合ってる」


 だが彼女の発言もあえなく切り捨てられた。

 数歩、二人から距離をとり、葵はすげなく背を向ける。


「白原こそ、ここに来るなよ。お前が来たら、何もならなくなる。

 いいから二人とも早く戻れ。苑條とは俺がケリをつける。誰の助けも借りる気はない」


 双方の言い分は平行線でどうにもらちがあかない。歯がゆさに眉をひそめ、京也がまた葵に歩み寄ろうとした時。



「かぁっこいいわねぇ、葵ちゃん?」



 鳥肌の立つような、粘っこい第三者の声が響いた。

 顔を上げてもそこには深緑の木々が立ち並ぶのみで声の主はまだ見えないが、しかし、おそらくは。


「……来たな」


 葵は前方の茂みに向け目を細めた。

 正面を向いたままで、葵は背後に向けて右手を広げる。

 そのまま彼は一声、呟いた。



「“デルタ”」



 途端。

 ごうっと足下から強風が吹く。が、それはよくよく見ればただの風ではなかった。


 彼らの足下の地面、葵と二人との間の地面が、にわかに彼らの背を遙かに越す高さまで盛り上がっている。

 やげて衝撃が止むと、目の前から深緑の木々は消え失せ、代わりに山の斜面で見るような土の断層が、横に十メートルほど広がっていた。


「へっ……?」


 状況が理解できず、二人は呆けたまま目の前の壁を見つめる。

 理解できぬままそれに手を触れるが、その壁は紛うことなく土で出来ており、今や素手で崩すのが難しいほど強固に固まった防壁であった。


「離れてろ。死角になった隙に、行けよ」


 土壁の向こうから葵の声が届いた。ついさっきまで近くで話をしていたのに、遙か遠くからの言伝を聞いているような気分だった。

 葵は後ろ手で防壁がきちんと築かれたのを確認すると、視線を真っ直ぐ苑條へ向ける。


「よう。この前の決着を、つけに来たぜ」


 現れた苑條は、この前と同じく煤けた白衣を羽織っていた。昼間であるからか前回より血色がいいが、かもし出す不気味さは変わりない。


 そして今回はもう一人、苑條の傍らに佇む人物がいた。背は苑條よりも高い。がっしりした体格と、白いシャツにスラックスという服装からして男だろうか。何故か狐の面を被っているので、その人物の顔を見ることはできない。

 狐面を睨みつけ、葵は顔をしかめた。

 苑條は上機嫌に高い声をあげる。


「それにしても、いい度胸ねぇ……わざわざ、葵ちゃん自らモルモットになりに来てくれるなんて。嬉しいわぁ」


 ふっと葵は微笑を浮かべる。

 それは一触即発の状況であることを忘れてしまいそうな、ひどく穏やかな笑みだった。


「誰が、そう言った?」


 葵は、両手を前に突き出し。



「“ラムダ”」



 歌うように、告げた。

 と。

 苑條の足下がどっと凄まじい圧で盛り上がり、彼女は下から地面に突き上げられた。


「ぐっ……!?」


 完全に不意をつかれた苑條は、そのまま真上に跳ね上がる。唐突にやられた苑條に、隣の人物もまた狼狽うろたえた様子であった。


 防壁を回り込み、葵たちが対峙している場所の側面に移動した京也は、その光景を目の当たりにし息を飲む。杏季も同じだった。


「……うそ」


 瞬きを忘れ、目の前の光景を杏季は食い入るように見つめる。


 それは、彼女達にとってはあまりなじみのない光景。

 だが、一度だけ。

 近しい術は、数週間前に一度だけ目にしたことがあった。


「どういう、ことだよ……」


 掠れた声が京也の口から漏れた。彼の唇は乾ききっている。


 動揺していたのは、二人だけではない。

 同伴の者に助け起こされた苑條も、信じられないものを見るように葵を凝視した。


「……あり得ないわ」

「お前がそれを言うのかよ」


 葵は軽い口調で呆れたように言った。苑條は目を見開いたままぶんぶんと首を横に振る。


「あり得ない。だって、まだ未完成の技術のはずなのに! うちの外でそれが出来る訳がない。

 一体、どうやって……!」

「それは企業秘密、だそうだ。どっちにしても俺の知ったこっちゃねぇ」


 葵は表情を引き締めると、両手の平を胸の前でパンと打ち合わせた。



「逃げんなよ。まだ、終わっちゃいねぇんだ」



 静かに告げ、彼は苑條たちを見据えた。

 離れた場所で身動きがとれずにいた杏季は、混乱したまま初歩的な疑問を口にする。


「ねえ、雨森くん。一応確認、だけど……染沢くんって、草属性で、よかったんだよね」

「その、はずだ」


 二人は、ようやく。

 これまでの皆の予想が、少しばかり異なっていることに気がついた。


「“イプシロン”!」


 葵の叫び声と共に、数カ所の地面が隆起する。またしても苑條と、今度は隣の人間にも命中した葵の術は、敵二人を強かに地面に打ち付けた。



「どうして葵が、使……!?」



 京也の呟きに、勿論、本人からの回答はなく。

 おそらく敵すら予想外の出来事に、何が起こっているのかと推測することすらままならなかった。

 京也と杏季の二人を気に留めることなく、葵は苑條を冷ややかな眼差しで見据える。



「俺ぁ、大人しくやられる気もてめーのモルモットになる気もねぇよ」



 葵は、苑條と交渉しに来たわけでも、春の身代わりに来たわけでも、まして易々とやられに来たわけでもない。



 新たに得た、その『地』の力で。

 真正面から苑條を倒しにやってきたのだ。



「かかってきな、影路一派」



 そう言って、挑発するように仰向けた葵の手には。

 彼らになじみ深い補助装置すらも着いていなかった。

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