遅々ストリンジェンド(1)
土曜日の夜。夕食を終えた四人は、潤と春の部屋に集まっていた。
本日、夜の7時から彼女たちはチャット上にて話をすることになっていた。昨日のうちに潤が皆に連絡をとり、春と葵に起きた出来事についてかいつまんで説明をしている。
ただ琴美は、都合がつかないとのことで不参加が決定していた。
四人は各々、椅子やベッドに腰掛けながら、春のサイドボードの上に寮で借りたノートパソコンを広げ、他のメンバーがログインするのを待機している。彼女たちは個別のパソコンは所持していなかったが、寮ではノートパソコンの貸し出しを行っており、申請すれば二時間を上限に使用可能だった。
約束の十分前になり、誰かがログインした旨を知らせる効果音が鳴る。ポテトチップスをくわえたまま潤はパソコンの方を振り返った。
「お、来た来た」
「誰?」
潤の肩越しに春が画面を覗き込めば、そこには見覚えのあるハンドルネームが表示されている。
[ヴィオ さんが入室しました]
「『ヴィオ』。わっかりやすいな。京也か」
「流石、彼は十分前行動で律儀だねぇ。どこかの遅刻魔タラシとは大違い」
「すーみーまーせーんーねー」
ふて腐れて春に言いながら、潤は素早くキーボードを陣取り文字を打ち込む。
テトラゴン:よっす! よく来たな、うちら除いて一番乗りだ
ヴィオ:なんだよテトラゴンって
テトラゴン:テトラゴンは四角だろ、だから四人組ってことだ!
テトラゴン:というわけで舞女ズは全員揃ってるぞ
ヴィオ:四人で一つのパソコン使ってるのか?
テトラゴン:そうそう。どうせ同じ部屋にいるし、別々だとまどろっこしいじゃんか
テトラゴン:なお今現在打ってるのは四人の中で一番タイプが早い潤さんでっす!
テトラゴン:崇めろ讃えろ敬いたまえ!
ヴィオ:テンションで分かるわ 引っ込め乾燥ワカメ
「にゃんろおおおおおおおおおおおおおお!!!」
文字上でも普段と変わり映えのない応酬を繰り広げながら、潤は唇を歪める。
既に一人でヒートアップしつつある潤を横目に、奈由は壁掛け時計を見上げた。まもなく約束の時間だ。
「皆、来られるかな?」
「もう時間だし、そろそろ集まるんじゃない? あ、ほら」
再びログインを知らせる音が鳴り、春は画面に目を向ける。
そこに表示されていたのは先ほどよりシンプルなハンドルネームだった。
[D さんが入室しました]
「……は?」
意外な名前の
「『D』、……Dって、アオリンでも臨少年でもないし、
……ま、おま、まさか『ディー』!?」
ディー。
それは、かつて月谷恵、正しくは恵の姿に扮した潤がコードネームだった。
潤は目を見開いてパソコンに取りつく。
「てんめえええええ何でお前が参加して来てんだよ恵いいい!!!」
「私が呼んだの」
至って落ち着いた声音で奈由が答える。
勢い込んで潤は振り向いた。
「は!? なっちゃんなんで、だってコイツ関係ないじゃんか」
「だからこそ、だよ。知ってるでしょ、情報収集は彼の得意分野。パソコン使うのに時間制限かかるうちらと違って、自分のパソコン持ってるからもうちょっと自由にできるしね。
こっち側の目線じゃなく、一般の枠から『影路』を調べたらどういうのが出て来るか、それをお願いしたの」
「にゃるほどねえ」
面白くなさそうな表情を浮かべつつも、一応納得して、潤は頬杖を付いた。
今度は潤の代わりに奈由がキーボードに触れる。
テトラゴン:お疲れ様! 忙しいとこ調べてくれてありがとね☆
D:君の為に馳せ参じたよマイスイート
テトラゴン:あはは☆ いっぺんその締まりのない口を矯正するために口の中にハバネロでもぶっこめばいいんじゃないかな(人´ω`).☆.。.:*・
D:ハバネロの辛さと熱とでますますもって情熱的な語り口になるんじゃないかと
テトラゴン:そのまま焼け
無表情でキーボードを叩き続ける奈由と、画面に表示されるテンションの高い文字列とを杏季は不可解そうな表情で交互に見つめている。
同じく圧倒された面持ちで静観していた春だが、ふと気づいて時計を見上げれば、既に約束の時間は過ぎていた。
「どうしよ。まだ葵くんたちが来ないけど、先に始めちゃう? 何か急用ができたのかもしんないし」
「じゃあ。早速、恵氏に聞いてみますか」
答えながら、奈由は潤よりゆっくりとしたスピードで文字を打つ。
テトラゴン:それで、首尾はどうだった? 何か情報あった??
D:結論から言えば、非常に分かりやすいのがヒットしたよ
D:影路で調べて真っ先に引っかかってきたのが、K・Mコーポレーション。医療機器、薬品を取り扱ってるメーカーだ
D:本社の他に大小いくつかの研究所があるけど、全部が県内にある
D:そこのトップが影路真守って奴だ
腕組みして潤は壁にもたれかかった。
「そんなに多い苗字じゃねーし、可能性は高いだろうけど。確定って訳にゃいかないだろうなぁ。ま、影路深月本人がヒットするわきゃないだろうけど」
ぼやくが、しかし続く恵の書き込みに彼女たちは身を乗り出す。
D:これだけじゃ何とも言えないけど、一つ確かなのは、K・Mコーポレーションはただの医療品メーカーじゃないってこと
D:ここは、特A機関だ
ヴィオ:特A機関?
「……特A機関?」
京也のコメントが表示されるのと、潤が呟くのがほぼ同時であった。
傍らで奈由がぼそりと声を漏らす。
「特定ARCANA PROJECT……」
彼女の言葉に三人は目を向けるが、それよりも恵の打ち込む説明の方が早かった。
D:特A機関、『特定ARCANA PROJECT認定機関』。
D:政府から理術の研究や実用開発を特別に認められた団体、組織のことだよ
D:理術の医療機器に関しての独占企業だ。夏に潤が使った抑制装置『ジュール』、あれを開発・生産したのもここだったってわけ
潤はごくりと唾を飲み込んだ。
理術の研究を行うことは一般的に禁止されているが、特別に認可された場合はその限りではない。
理術の研究が認可されている企業でもって、その代表が影路であれば、関係している可能性は極めて高いだろう。
恵は更に続けて情報を打ち込む。
D:それから。もう一個、どっちかっていうとこっちの方が興味深いんだけどね
D:影路でもう一つ、引っかかった団体があるんだ
テトラゴン:どこ?
どことなく緊張感を漂よわせながら奈由は尋ねる。
恵のタイピングは早い筈だが、彼の解答が表示されるまでにはひどく時間を感じた。
D:紅城学園
「……え?」
表示された文字を見て、春は声を挙げる。
紅城学園。
それは先日に春を訪ねてきた、影路深月の通う学校だった。
D:当然知ってると思うけど、舞橋市北部にある私立学校。幼稚舎から大学まで併設する結構大規模な学校だな
一拍置いてから、恵は立て続けに打ち込む。
D:紅城学園の理事長は『影路真咲』
D:そしてここもK・Mコーポレーションと同じように、特A機関だ
「何で学校がそんなものに指定されてんの!?」
「いや。別に、そこまでおかしな話じゃないよ。紅城学園には大学があるもの。大学は研究機関でしょう」
高い声を挙げた潤へ、目線はパソコンに向けたまま冷静に奈由が告げた。
ディスプレイには、続けざまに恵の補足が表示される。
D:因みにこの特A機関に指定されてる大学は
D:日本広しといえど、この紅城学園だけだ
「なんでだよ!」
今度は奈由が真顔でつっこんだ。
「何で東大でも京大でも東工大でもなく地方の私大オンリーなの。いくら実績ある一大学園都市とはいえさー……!」
言いながら奈由はうんざりとした声色で、一人頭を抱える。
「うっわ、やだわ……ホントやだわ……。
紅城学園、理学部あるから志望大の一つだったのに。状況的にほぼ黒確定じゃん……」
奈由の志望する学部は県内の国公立大学には存在しない。私立でも理学部があるのは紅城学園のみであったので、彼女からすると非常に不本意だったようだ。
恨めしげに画面を見つめるが、表示される文字が変わるわけではない。思案する暇があるだけ、まだこのタイミングで判明したことを幸いとすべきだろうかと奈由は唇を尖らせる。
奈由が思いがけず志望校の再考を迫られている一方で、杏季は携帯電話をいじっていた。開いていたのはメールの画面で、宛先は竜太だ。
もしかしたら深月について、竜太が知っているのではないかと思い立ったからだった。先日、影路の情報をもたらしたのは他ならぬ竜太だし、年齢が近いのであれば知っていても不思議ではない。
経緯まで併せて説明するとどうしても長くなってしまうので、ひとまずメールの本文には『影路深月って人、知ってる?』とだけ記載し、竜太に送信する。
返信が来るまでにはしばらくかかるとふんで杏季は携帯電話を閉じた。が、ほとんど間もなく携帯電話が震えだしたので、驚いた杏季は思わず声を挙げた。
慌てて画面を確認すれば、電話の着信である。発信元は竜太だ。やけに早いな、と目を見張りながら杏季は電話に出る。
「あ。もしもし、りょーちゃん? あのね、今」
『何で杏季が深月を知ってるんだよ!?』
盛大な竜太の怒鳴り声が聞こえ、思わず杏季は携帯電話から耳を離した。離れていても彼の声が聞こえたようで、他の三人は何事かと杏季の方を振り返る。
『何があった、性懲りもなく杏季に手を出してきたのかあいつ!?』
「ち、違うの。私じゃなくて、はったんに!
えっと、みんないるし、ちょっと説明がいるから、スピーカーモードにするね!」
彼の剣幕に、たまらず杏季は早口でそう言って、携帯電話を放り出した。
全員にやりとりが聞こえるようにした後、杏季に代わり春が事情を説明する。チャットの内容まで含め一部始終を話し終えると、竜太はようやく落ち着きを取り戻して言う。
『まさか本気で接触してくるなんてな。こんなに分かりやすく動くとは思わなかった』
「その様子だと、知ってるみたいね?」
『ああ、知ってるも何も影路深月は』
一呼吸置いてから、溜め息と一緒に竜太は吐き出した。
『高神楽でいえば文彦・直彦と同じような立場だよ。
現在の影路トップ、紅城学園理事長の息子だ』
「わぁお……どいつもこいつも……」
潤がチャットのメンバーへ状況を報告しながらも天井を仰ぐ。これで少なくとも、紅城学園については影路の関与に疑いようがない。
「じゃあ、K・Mコーポレーションってのは?」
『理術の医療機器や薬品の専売メーカーだってのは知ってる。十中八九、影路の深部が関係してるだろうけど、俺も詳しくは知らない。
俺だってDDの教育プログラムに添った知識と、ちょっとしたプラスアルファ程度しか知らないんだ。学園のことを知ってるのだって、DDでの教育が紅城学園で行われるからだよ。それに深月は同級生だから』
彼は確かにDDにいた。だが渦中にいたとて、それがDDの教育プログラムである以上は差し障りのない限られた知識しか与えられないのだろう。
恵が知り得た情報に多少色を付けた程度しか、彼も知らされてはいないのだ。
『俺からは何とも言えない。けど、もう一度言わせてくれ。
頼むから影路とは関わってくれるな。……本当に、俺だって得体が知れないんだ』
どことなくトーンの下がった声色での忠告に顔を曇らせ、彼女たちは竜太との通話を終えた。
潤に代わって今度は春がチャット上の二人に経緯を報告し終えると、まるでタイミングを見計らったかのように、入室のアラートが表示される。
[ワイト さんが入室しました]
春の肩越しに潤が画面へ身を乗り出した。
「お。ようやく来たか、臨少年。アオリンも一緒かな?」
「それにしちゃ名前だと一人っぽいけど」
春が手を伸ばして文字を打ち込むより先に、画面には相手のコメントが表示される。
ワイト:ごめん、遅れた
ワイト:なあ、一応確認するけど、アオって来てない?
チャット上にいるのは、今現れたワイトを除けば、京也と恵、そして彼女たち四人だけだ。葵はまだ来ていない。
だがここで確認するまでもなく、そもそも葵と裕希は寮で同室であった筈だ。
首を傾げながら春は答えを打ち込む。
テトラゴン:来てないよ。時間よりちょっと前からうちらはログインしてるけど、その時にもいなかったし
ワイト:アオの様子がおかしい
ほぼ同時に二人のコメントが画面に映る。
女子たちが目を見開いている間に、素早く続く文章が打ち込まれた。
ワイト:今日、俺はちょっと講座受けに行ってて一日外に出てたんだけどさ
ワイト:帰ってきたら、全身傷だらけになってた
「はぁ!? それって、もしかして影路絡みで、何かあったってことか!?」
ヴィオ:タイミングからして嫌な予感しかしないな……
潤と京也が同様の懸念を浮かべる。
発言こそないものの、他のメンバーも同じことを考えているに相違なかった。
ワイト:話を聞こうとしたけど、はぐらかされたし
ワイト:今日はあいつ、外泊許可取って出かけたみたいで、ほとんど話できなかったんだ
ワイト:けど俺、明日も一日模試で夜まで動けないんだよ
ヴィオ:おいおいマジかよ……
ヴィオ:ちょっと明日、様子見に行った方がいいかもしれないな
ワイト:悪いけどそうしてもらえると助かる
顔を曇らせて、奈由は口元に手を当てる。
「何か、とんでもない事態にでも巻き込まれてなきゃいいけど……」
「まあ既に巻き込まれちゃいるけどね……アオリンもはったんも……。
ともあれ、ちょーっとアオリンの様子はうちらで見に行った方がいいな。京也に頼んでもいいけど、あいつ一人じゃ頼りねーし、私も行ってこようかな」
腕組みして潤は一人で頷いた。
と、黙り込んでいた杏季がおもむろに手を挙げる。
「私が行く!」
「はあぁ!?」
潤が素っ頓狂な声色で叫んだ。
「お前、何言ってんだよ!? あっきーが行ったら駄目だろが!」
「それはこの前までの話でしょ?」
だが杏季は怯むことなく、堂々と続ける。
「今、危ないのははったんだし。むしろ今回、一番安全なのは私でしょ?
もし万が一、影路とか危ない人が現れたとしてもだよ。私が危険な状況なんだったら、こっちゃんは正々堂々と来られるでしょ」
言い返そうとして、しかし杏季の発言は的を得ているので、潤は言葉を濁す。
「確かに、そうかもしれんけどさあ……。うーん……でも、今回はそうなのかなあ……」
「けど、冷静に考えれば、そう……だよね。
それに、あっきーならさ。ぶっちゃけ覚醒までいってるから、下手にうちらが行くより、よっぽど何かあった時に対抗できる」
春もまた、煮え切らないながらも同調した。
訝しげに潤はまじまじと杏季を覗き込む。
「そっか。よくよく考えればそうなのか。十歳児だけどそうなのかあっきー……!」
「十歳じゃないもん! ってふねららいれよつっきぃ!」
潤は釈然としないままに膨れる杏季の頬を引っ張った。
ワイト:白原さんは止めといたほうがいいんじゃ……
テトラゴン:大丈夫! 平気だよ! いってくる!
どことなく不安に感じているのは女子たちだけではないらしい。当の本人だけがいやに張り切っていた。
軽快にキーボードを叩く杏季を見ながら、ふと潤はあることに思い至る。
「ちょっとまて肝心なことを忘れてるぞあっきー。
お前、一人で行ってちゃんとアオリンと話できんのかよ」
「あぁ。だったらそれこそ、京也くん連れてけばいんじゃないの」
奈由は手の平を打った。
「他に行くとしたら、一番無難なのは彼でしょ。
開眼してるから狙われる可能性はあるけど、光属性だからいざとなったら逃げられるだろうし。私とつっきーじゃ、アオリン同様に抵抗出来ないしさ。
それにもしアオリンがやばい状況なら、尚更つっきーと私は動かない方がいいよ。次に来るのははったんのとこだろうし、人目を減らさないって意味で寮は手薄にしない方が良い」
「むむむ……そうか……。
確かに、それが一番、無難だな……」
自分に言い聞かせるかのように潤は唸る。
春は北側にある窓の方へ顔を向けた。カーテンが閉めてあるため外の景色は何も見えない。だが何となく、目を反らすことが出来ずに春はじっと窓を眺める。
胸騒ぎがしていた。
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