早々アラルガンド(4)

「あーずーまーちゃーん」


 寮の玄関先で腰に手を当て仁王立ちでもって春を待ち構えていたのは、化粧っ気はほとんどないながらも凛と見目麗しき女性、鳴宮なるみや撫子なでしこ

 舞橋女子高校、光継寮こうけいりょうの寮母である。


 まだ年齢は二十代後半との噂だが、無地のシンプルなエプロンを身に着け、髪を低めのお団子にしてくくった姿は、寮母として堂に入っていた。その名にふさわしい、おっとりした物腰と聖母のような彼女の優しさに、寮生たちは敬意を込めて「ナコさん」と呼ぶ。


 だが。

 そんな彼女だからこそ、怒った時には誰よりも怖い。

 手を上げたり怒鳴るようなことは決してしないが、静かな怒りを抑えながら訥々とつとつと叱る口調、そして浮かべる微笑みが何よりも恐ろしいと、規則破りなどで失態を働いた寮生たちは口をそろえて言う。


 そんな穏やかな微笑を湛えた寮母が、春の前に立ちはだかっていた。

 撫子の後ろの方には、茶化し半分、怖いもの見たさ半分で談話室のドアから覗き込んでいる潤と杏季がいたが、今の春に二人を気にする余裕はない。

 春はやや下がり気味の視線を彷徨わせながら、生唾を飲み込んでおずおずと口を開いた。


「……ただいま戻りました」

「今は何時?」

「……七時十五分です」

「寮の門限は何時?」

「……七時です」

「特例の申請は?」

「……しておりません」


 撫子は一つ息を吐きだし、静かに続ける。


「春さんは真面目に過ごしてたし、今まで規則破りとかしたことなかったものね。だから私もびっくりしてるの。きっと今回は、たまたま都合の悪いことが重なっちゃったんだろうって思ってはいるんだけど。

 けど、規則は規則だし、分かってるよね?」

「分かっております……! 本当にすみませんでした!」


 深々と春は頭を下げた。

 普段の行いが功を奏したのか、さほど撫子はとがめる気がないようである。


「ところで。そこの覗き込んでる子たちも、大人しくしてないとペナルティ付けるわよ」


 撫子の言葉に、物凄い早さで潤と杏季は室内に引っ込んだ。

 どちらかというと、いつも門限ギリギリに滑りこんだり、門限破りをやらかした挙句に窓から侵入しようとした前科がある潤の方が立場は危うい。

 杏季は杏季で、門限こそ破ったことはないものの、潤に感化されギリギリの時間に滑り込みセーフの事例は何度もあった。


「それで。門限に遅れた理由は?」


 問われて春は、一瞬口ごもる。


「……友達とお茶していて、時間を気にするのを忘れてました」

「らしくないね。次からは気を付けなさい。まして受験期なんだから、息抜きも大事だけど抜きすぎるのはよくないよ」

「はい。本当に申し訳ないです……」


 再び頭を下げながら、春の脳裏には先ほどの出来事が渦を巻いていた。


 影路かげろ深月みつき苑條えんじょう紀美香きみか

 そして、戦いの後でふと感じた疑問。

 とても寮母に話せる内容ではない。

 もやもやした気持ちを抱えながら、談話室で待機している三人組を思い浮かべ、春は唇を噛み締めた。






「どうだった。はったん」

「土日は謹慎で外出禁止なのと、三日間の罰掃除……」

「ご愁傷さまです」


 撫子が去った後、談話室のソファーに沈み込みながら春は溜め息を吐いた。

 春を労わった後で、奈由はちらりと潤を盗み見る。


「ついでにタラシも罰則受けたら面白かったのになあ」

「なっちゃんひどい! 私何もしてないのに!!」

「いつもナコさんに迷惑かけてるのは圧倒的につっきーでしょう」

「ぐ……そ、そんなことないよ! 大丈夫だよ!」


 拳を握って潤が断言するが、まったく説得力がない。

 そういえば、と春はふと奈由に尋ねる。


「あれ、てか皆はむしろ、帰るの早いね? なっちゃんとあっきーは、金曜って八時ぐらいまで授業じゃなかったっけ?」

「秋期になって時間割が変わったの。金曜の塾は早い時間に変わったから、授業が終わるのは六時半で、申請しなくてもぎりぎり間に合うんだよ」

「そっか。だからかぁ」


 納得して春は頷いた。

 今現在、談話室にはいつものメンバー四人しかいない。週末なこともあってか、金曜日に塾や習い事の予定を入れる寮生は多く、まだ帰宅していない者が多いのだ。

 潤たちは既に夕食を済ませていたが、もうすぐ塾組が帰ってくるので、春はそれから一緒に夕食にすると先ほど撫子に言われたばかりだった。


 春は顔を上げ事務室の方を窺った。別の仕事をこなしているのか、寮母が談話室に戻って来る気配はない。

 そして、四人以外のメンバーがこの部屋に来そうな気配も。


「ちょっといいかな。……あのさ。私が、今日遅れた理由なんだけど」


 抑えた声で、春は三人に今日の出来事を話し始めた。






「はったんよりも強力な変態が、二人もいた、だと……!?」

「おいこらタラシそこかよ!?」


 説明し終えて開口一番そう感想を漏らした潤に、春は勢いよく噛みついた。


「何? 今までの私の話聞いてた!?

 確かに変態オンパレードだったけど問題はそこじゃないだろタラシ!」

「いや他の部分もスゲー気になるは気になるんだけど、まずそこに焦点を当ててみるのが一応の礼儀な気がした! すまん!」

「何の礼儀だよ!」


 脱線した後で、すぐ真顔になった潤は胡坐あぐらに頬杖を付いた。


「しっかし、いきなり影路が、それも立て続けに出てくるたぁな。

 なんだかんだ言ってその影路深月って、苑條ってのとグルだったってことかな?」

「うーん……それはどうかなぁ」


 腕組みして春は考え込む。


「確かにタイミングが出来過ぎてはいるんだけどさ。だったら、もっと賢いやり方があったんじゃないかって思うんだよね。わざわざその前に私と話す理由はないでしょ」

「苑條が来るまでの時間稼ぎだったのかもしれないじゃんか」

「でもさ。稼いで、どうすんの? 深月くんが自分で戦った方が早いじゃん」

「苑條のが深月よりは強いから、とか」

「それだったら、いっそ苑條に合流して戦えば良くない? 多分そこでもう一人来られたら、うちらは逃げらんなかったよ」


 苑條は加勢を求めるでもなくあっさりと退いている。おまけに見た限りでは苑條が有利な状態のままで、だ。

 もし深月が加勢してきたなら、春と葵は負けていただろう。春は彼女の蔓を抜け出したとはいえ、数種類の属性を操る苑條に翻弄ほんろうされていたし、葵は開眼していないのだ。

 ここで取り逃してしまえば次回からは警戒の手が強まるだろうことは予想に難くない。二人が共謀しているならあの場で退くメリットはないように思えた。


 クッションを抱きかかえた杏季が付け加える。


「そもそも、苑條って人は染沢くんを狙ってたんでしょ?

 けど深月くんって人が話をしたがったのは、はったんだし。染沢くんが来たのは、たまたまだもん。

 私たちが塾じゃなきゃ4人で乗り込んでただろうし、こっちゃんの電話が通じてたらこっちゃんが行ってたから、染沢くんが来る可能性はむしろ低かったよ」

「そっか。アオリン狙いだったら、別にはったんとこに来る必要はないもんな……同じく開眼してるリン少年のがよっぽどアオリンといる確率高いし。女子校よか男子校に行く方がハードルも低いだろうしなぁ」


 難しい表情で潤は腕組みしながら唸った。考え込みすぎて、杏季を巻き込みながらソファーに倒れ込む。

 押しつぶされた杏季の奇声を尻目に、奈由は神妙な様子で告げる。


「何も断定はできないけど、用心だけはしといた方がいいね。

 もし本当に影路深月って人がミスドで話したのが事実で、苑條が襲ってきたのがただの偶然なら、影路深月側からこれ以上の接触はないと思うけど。

 また深月って人が何か理由を付けて接触しようとしてきたら、一人で対応しない方が良いよ」

「そうだね」


 春は深々と頷いた。

 潤の下敷きになりながら、杏季が不安そうに自分の手を握る。


「大丈夫かな。開眼してるってばれちゃったし、雰囲気からして今度は染沢くんだけじゃなくはったんのところにも来そうだけど……。はったん狙われたりしないかな?」

「とりあえず、すぐには動きがないと思うよ」


 冷静に奈由が言う。


「だって。はったん、土日は外出禁止だし」

「あ」


 潤と杏季は、春を見つめながら呟く。


「……確かに、寮にまで侵入して来やしないだろーな」

「趣旨が趣旨だから、人のいるとこではやらなそうだね」


 納得して二人は頷いた。


 かつて京也たちが敵側だった時に寮まで来たことはあるが、それは交渉を目的としていたからだ。それに当時の狙いは聖精晶石であり、本人ではない。

 苑條の性質や目的からしたら、真正面から来るとは考えにくい。無理矢理に侵入してきたならそれは犯罪だし、いくら苑條とはいえ流石に警察沙汰は避けるだろう。

 何食わぬ顔で正面からやって来たとて、そもそも謹慎中は面会が謝絶されるので、入り口で拒否される。その間にどうにか対策を考えることは可能だ。

 潤は勢い良く起き上がり、ついでに杏季も助け起こしながら言う。


「じゃ、この土日で何か対策練らないとな。念のため、あいつらにも情報流して、一緒に会議すっか。リン少年も京也も開眼してる訳だしな」

「でも、はったんは寮から出られないよ?」

「チャットなら出来るだろ。それにむしろ今は外に出ない方が良い。

 私らも土日は基本、大人しくしてた方がいいかもな。はったんの謹慎が解けるまでに色々考えとこう。場合によっちゃ、来週の勉強会は延期した方が良さそうだ」

「そだね。じゃあ、皆の予定聞いて会議の時間決めよっか。今日だといきなりすぎるし、明日のが良いよね」

「そーしよう。まずはメールで概要だけ報告しといて、土曜日の都合の良い時間を聞いて調整すっか」


 潤と杏季が今後について話を進める中。

 静かに奈由が春へ尋ねる。


「ねえ、はったん。こっちゃんから、連絡来た?」


 奈由の言葉にどきりとしながら春は答える。


「……来てない」


 春が感じていた疑問は、まさにそれだった。


 琴美は、理術の秘密を彼女たちに話す時に術を掛けている。約束を破った場合には、その事実がすぐに琴美に知れる、という術である。

 該当するのは、『琴美の話した内容を、その事実を知らない部外者に口外した場合』。

 もしくは、『制御装置以上の理術を使用した場合』である。


 部外者に口外しない、という部分はそのままの意味なので置いておくとして。

 問題は、後者の制約だ。


 文言通りの意味でとれば、これは杏季しか該当しない。制御装置が制御しているのは、古が世界に影響を及ぼすレベルの術なのだから。


 だが琴美が術を掛けた時には、制御装置や理術の仕組みについてまだ説明されていなかった。その時点で春たちは制御装置について『ある程度の強さの理術を制御するもの』と認識している。すなわち、開眼以上の力の理術だ。

 だから琴美は便宜上べんぎじょうそう発言しただけで、おそらくは『開眼以上の理術を使用した場合』に琴美へ伝わるのだと解釈するのが正しいのだろう。


 つまり、深月との話はともかく、苑條との戦いは琴美に知られていてもおかしくないのである。


 いや。

 琴美の術が正しく機能しており、『制御装置以上の理術』という文言について先ほどの解釈が正しいのなら。

 知っていなければ、おかしい。



「何か用事があるんじゃないかな。受験生、なんだし」

「今の時点で連絡がないのは、そうなのかもしれないけど」


 髪を耳にかけながら奈由は眉をひそめて続ける。


「さっきの言葉を借りるなら。こっちゃんの退寮もタイミングが良過ぎるんだよ」

「……どういうこと?」


 少し悩んでから、奈由は潤と杏季には聞かれないような音量で呟く。


「こっちゃんは、あっきーの危機が去った時に。つまり、ビーとの戦いが終わって、お目付け役のりょーちゃん、宮代くんが帰ってきた途端に退寮した。

 退寮するのは家の事情って言ってたけど。もしかしたら正確には、組織の都合なんじゃないのかな。護衛するあっきーの危険が少なくなったから、体制が緩められたのかもしれない。

 それに今回は、……こっちゃんの気持ちは別としてさ。多分だけど、彼女の立場だと、御三家の一つが絡んでるのって相当動きづらいんじゃないかな」


 琴美がいるのは、古保護機関のナイトメア。

 そして今回、狙われているのは杏季ではない。古属性でもなんでもない、この前までただの一般人だった畠中春だ。

 ナイトメアに所属する琴美として、真っ向から彼女を助ける正当な理由は作れない。


「こっちゃんの助けは見込めないと思った方が、良いかもしれない」


 顔を曇らせ、奈由はぽつりと言う。

 春も、ただ黙って頷いた。

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