戦慄インテルメッツォ(3)
「概ね察しがついたろう。俺が動いていたのは、この事件が原因だ」
静まり返った面々を見渡して、竜太は淡々と述べた。
「俺たちはガキの頃、それぞれの妹弟合わせて四人が大抵いつも一緒だった。俺と杏季が小学校にあがってから頻度は減ったけど、それでも多い方だったろうな。
扉の事故があったのは、いつものように四人で遊んでいるときだった。
突然現れた白い空間に百香と凛太が引きずり込まれて、そのまま行方知れずとなった。
俺と杏季は助かって、その場に残された」
竜太は手の平を上に向けて、京也に向けて右手を突き出す。無言のまま京也は新聞記事を彼に返した。
彼は受け取った新聞記事を丁寧にファイルに挟み、再び鞄の中にしまう。鞄を肩にかけ直してから、気を取り直したように竜太は続けた。
「昔は、釈然としないままでも、そのまま普通の生活を送ってたよ。子どもだったからな。杏季がいたからまだよかったものの、どうしようもなく俺は無力で、悲嘆にくれるだけで何もできなかった。
けど本当のことを知ってから、いてもたってもいられなくなったんだ。
知ったら、疑問を持たずにはいられないだろう? 今のこの世界に。平穏な暮らしに。
不完全な世界のシステムに、今なお犠牲になり続けている人がいることを。
不完全な世界の所為で、俺たちの妹弟が奪われたことを」
感情を込めず、事務的な口調で竜太は語った。
「だから俺は、志を同じくした廉治と組んだんだ。
欠陥だらけのこの世の中を、どうにか修復できないか模索するために。
誰かを犠牲にすることなく、二度と同じような犠牲がでない方法を探す為に。
――感傷的に表現するなら、馬鹿げた不均衡をつくりあげてしまった世界への復讐に」
ここまで言い終わると、竜太は重苦しい空気を払拭するかのように苦笑いしてみせた。
「こんなところだよ、俺の理由は。
京也がさっき指摘した部分は、……確かにそうだな。あれは、本当に誤算だった。杏季がいれば、あいつの目的ならばすぐに達成できるってことも、感づいてはいたんだ。
でも、迂闊だと責められてもしょうがないけど。それでも俺は、まさか杏季に手を出されるなんて思ってもみなかったんだ。あいつも俺と同じような立場で、理解してくれているのだとばかり思っていたから。
俺は心底、あいつを信用していたんだ」
表情を曇らせて竜太は唇を噛んだ。無意識に彼は自分の拳を握りしめる。彼の爪は痕が残るほどに強く皮膚に食い込んでいた。
竜太が口を閉じ一呼吸おいたのを見計らって、静かに葵が尋ねる。
「あんたは。……俺をチームCに勧誘した時、言ったよな。裏で暗躍してる連中を出し抜いて理術の秘密に迫れば、きっと真相に辿りつける、道が開けるって。
けど、あんたは最初から裂け目のことも扉の事故の真相も、既に全部知っていたんだな。知っててそれを俺たちに言わなかったのか」
動じず冷静に竜太は葵を見つめた。
「言ったらお前は信じたか?」
「……それは」
問われて葵は言い淀む。
夏休みに琴美から聞いた際は、状況が状況だっただけに、さもありなんと割り切ることもできた。
だが、まだ葵本人もチームCを取り巻く状況も平穏な日常の延長線にあった時に聞いたならば、どうだったか。
にわかには信じ難い話を、そう易々と受け入れたとは思えない。
「いくら事実だって、あんな荒唐無稽な話、会ったばかりのお前らに話す勇気がないよ。
時が来たら言うつもりだった。皆が信ずるに足る、その状況を作り出せるまで」
竜太は緩慢な仕草で首を横に振った。
「それに、中途半端に原因だけ聞いて何になる。知ったところで、その先の打開策がはっきりしていない段階だったら、歯痒さが増すばかりだろう」
「でも、俺は真相が知れれば、それで……」
「グレン。いつの間にあんたは、そんな程度で満足してしまっていたんだ?」
葵の言葉を遮って、竜太は微かに目を細める。
「俺が葵から聞いた参戦理由は、『あの時のケリを付けたい』。
つまりそれは、兄さんの失踪の原因を突き止め、黒幕を白日の下に晒して、名実ともにお前の安寧を取り戻すことだったはずだろ。
『グレン』の目的は、ただ兄の失踪の原因を知る、それだけじゃなかった筈だ。
そしてお前は、」
言葉を切り、竜太は射抜くような眼差しで真っ直ぐ葵を見据えた。
「葵は。『兄を連れ戻そう』と思ったことは、なかったのか?」
竜太の言葉に葵は面食らって狼狽する。聞いていた他のメンバーも、彼の発言に少なからずぎょっとしたようだった。
「……だって。そんな、そんな大それたこと」
「大それたこと、そう思うのは、裂け目に飲み込まれるなんていう人知を超えた出来事に巻き込まれたのだと葵が知ってしまったからだろう。
その前はどうだった。自分の手に負える範囲なら、あわよくば、可能であれば。
……事の真相や敵がいた場合の報復、なんて御託はどうでもいい。真相だとか黒幕だとかは、所詮、過程にしか過ぎないだろう。
実際の、根本の、本当にグレンが叶えたい望みは、そこだったんじゃないのか」
何も言えずに葵は立ちすくんだ。構わず、竜太は続ける。
「覆水は、盆に返らない。良く知られた故事だ、小学生だって知っている。
けど、たとえどんなに労力がかかろうとも、零れた水を盆に返すことは、不可能ではないはずだろ。
床に零れたなら、布やスポイトで吸いとって元に戻せばいい。
地面に水を吸われたなら、水分を抽出して絞り出してやればいい。
裂け目に人を奪われたなら、そこから取り返すことだって出来る筈だ」
竜太は、朗々と告げる。
「俺は今でも願ってる。
何が何でもあいつらを、こちらの世界に連れ戻してこようと。
百香と凛太、二人とも取り戻して、元のこちらの世界に連れ帰ってくる。それが、俺の望みなんだ。
失われたものを取り返すために。
杏季が心の底から笑うことができるように」
迷いなく、竜太は言い切る。
彼のあまりに揺るぎない口調に、隣にいる杏季すらも、二の句を告げることが出来なかった。
「本気で言ってるの……りょーちゃん」
しばらく時間が経った後、おずおずと杏季が問いかけた。
何の気負いもなく竜太は微笑する。
「本気じゃなかったら、貴重な高校生活の限られた時間を費やしたりしない」
杏季の頭に手をやり、駄々っ子に言い聞かせるように竜太はくしゃくしゃと彼女の髪を撫でる。されるがままになりながら、杏季は少しばかり批難の色を浮かべて彼を見上げた。
「でも、ちょっとくらい何か言ってくれたっていいじゃない。
そりゃ、足手まといだったかもしれないけど。りょーちゃん、一言も言ってくれなかった」
「そりゃそうだ」
真顔になり、竜太は手を止める。
「成功するか分からないんだぞ。何も知らない状態のお前に、あれこれ残酷な情報を吹き込んで、妙な期待を持たせたくなかった。
さっきも言ったけど、不可能と断ずるのは早計でも、難しいことに変わりないんだ」
竜太はちらりと杏季の後ろに視線を泳がせ、付け加える。
「そもそも俺のやろうとしてることを話すにしたって、肝心な情報については、どうあっても俺はお前に伝えることができなかったんだ。判るだろう」
口を尖らせて杏季は拗ねたように顔をしかめる。
「判んないよ。留学前だったら時間くらいあったはずでしょう。何回か会ったりもしてたのに」
不服そうな杏季の表情を見て、竜太は口を閉ざし、逡巡するようにしばらく動きを止めた。
やがて彼は顔をあげ、とある人物に目を向ける。
「琴美」
「何でしょう?」
話をふられるのを察していたかのように、余裕たっぷりの語調でもって、これまで沈黙を保っていた琴美は答えた。むしろ、琴美の周りにいたメンバーの方が、彼女を呼び捨てで呼んだことを含めて
潤たちの間に漂う緊張した空気に構うことなく、竜太は淡々と琴美に尋ねる。
「お前、どこまで話してあるんだ?」
「その場その場で現状で足りると判断したところまで」
探るような眼差しで竜太は目を細めた。
「そうか。つまり、話してないんだな?」
「何のことでしょう?」
にっこりと笑みを浮かべて琴美はわざとらしく小首を傾げてみせる。眉間に皺を寄せて竜太は軽くため息を吐いた。
「ったく、これだからNの人間は、性根まで訓練され過ぎてて困る」
「あら、心外ですね。私は
「生来の性質でもなまじ馴染み過ぎてて厄介だ」
ややぶっきらぼうに言い捨てると、竜太は思案するように人差し指を右の頬骨にあてがった。
「けど、確か確認するまでもなく……今はもう縛られてない。お前の思惑通りにはいかないな、琴美」
「あはは――何する気ですか貴方」
後半は早口で語気を強め、琴美は懸念の表情を浮かべる。
「ちょっとばかし、内緒話をしようかと思ってね」
悪戯めいた表情で竜太は唇をつり上げた。
琴美は珍しく不機嫌な表情を露わにし、抑えた口調で抗議する。
「これ以上のことをお話しするのは如何な事かと思いますがね。彼女たちにはもう今後、理術の世界に深入りしないよう、術までかけさせてもらっている訳ですし」
「いいだろ、どうせ大体のことは知ってるんだ。今更、一つ二つの情報が増えたところで変わりゃしないさ。ここまで来て伏せとくのは杏季が可哀相だし、隠し事してるようで俺が嫌だね。
むしろお前の手前、黙っててやったことを感謝して欲しいくらいだ」
両手を広げて竜太は肩をすくめた。
「ま。立ち話じゃなんだから、きちんと結界を張って情報漏洩の阻止に努めるよ。それでいいだろう、『護衛者』さん?」
「なん……!」
拳を握りしめた琴美のことは無視し、竜太は後ろを振り返る。
「ワイト」
そして裕希を呼び、彼を冷やかに見つめた。口調は穏やかだが、先ほどまでの雰囲気と一転、唇を引き結んだ彼の表情は固い。
一見して彼の心情は汲み取れないが、表に出さぬよう感情を抑えているかのようにも見えた。
「悪いが、人避けの結界を張ってくれないか。ちょっとの話ではあるけど、ここから先は他の連中には聞かれちゃいけない話だからな。
葵の闇でもいいが、こと会話に関することだから音のお前の方が適任だろ」
一呼吸おいて、竜太は妙にゆっくりと台詞を続ける。
「何度か、この公園で閉鎖空間を作り出したお前なら、手慣れてるはずだよな?」
「……ああ」
押し殺した声で裕希は返事する。そのまま彼は目を閉じ、静かに歌い始めた。
やはり歌詞は外国語であり、おまけに今回は隣にいる葵でさえも聞こえるか聞こえないかの小声で歌っているので、よく聞き取れない。どこかで聞き覚えのあるメロディーだったのか、春は腕を組んでしきりに首を捻っていた。
裕希がメロディーを紡ぐに従い、地面から透明な膜のようなものがゆっくり立ち上ってくる。太陽の光に当たり七色に光る膜は、シャボン玉のそれに似ていた。膜は公園の敷地をぐるりと取り囲み、ドーム状に彼らのいる公園を覆おうとしている。
「安心しろよ、琴美」
ポケットに手を突っ込み、裕希の紡ぐ閉鎖空間が作り上げられていくのを見上げながら、竜太はついでのように言った。
「お前が危惧してる事まで話す気は無いからさ。
とはいえ。もう、お前がどうこう言える立場じゃないけどな」
「…………」
琴美は答えない。
黙り込み、彼女もまた閉鎖空間を見上げた。
やがて上空まで達した膜は一つに繋がり、公園を完全に覆う。そこで裕希はようやく歌うのを止めた。
脱力し、小さく息を漏らした裕希に、京也は何気なく尋ねる。
「どうした臨。今日はやけにおとなしいな」
彼の問いかけに、裕希は口をひくつかせて、目を合わないまま答える。
「知らなかったか。人見知りなんだよ、俺」
「二重に嘘だろ、それ。女性陣や僕はまだしも、お前は宮代に前から会ってるだろ」
「ああ」
上の空に答えて、裕希は言葉を濁す。
「ちょっと……な」
彼の態度を怪訝に感じつつ、京也もそれ以上は言及しなかった。
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