戦慄インテルメッツォ(2)

「りょーちゃん、お帰りなさい!」

「ただいま。お待たせ」


 杏季の出迎えに、彼は屈託ない笑顔で応える。


「無事でよかったよー!」

「大げさだろ。危険な国に行ってた訳じゃあるまいし」

「だってー! 海外だよ、海外なんだよ! 怖いもん!」

「心配しすぎなんだよ、お前は」


 言って、彼はぐりぐりとやや乱暴に杏季の頭をかき撫でた。

 髪型を乱され、口を尖らせた杏季は彼から距離を取る。しかし本当に不満な訳ではないようで、また彼女は楽しそうに笑ってみせた。




 周りでは、硬直したままのメンバーが二人の様子を見守っていた。

 耐えかねた潤が、ぷるぷると指先を震わせながら皆の気持ちを代弁する。


「あ、……ああああああっきーが、気安く、男に、抱きついた!?」


 潤の反応に驚き振り返ると、きょとんとして杏季は首を傾げてみせる。


「あれ? 皆に話してなかったっけ? りょーちゃんのこと」

「いやうん、『りょーちゃん』についてはもう耳タコな程度に話を聞いていたけれども」


 混乱する潤の横で、春もまた戸惑いながら左の人差し指をこめかみに当て、自分の記憶を辿る素振りをする。


「えっと、……『りょーちゃん』って、男だったの!?」

「……あり」


 杏季は悪気のない表情で頬をかいた。


「あり。言ってなかったっけ?」

「だったらこんなに驚いてないよ!! ……なっちゃん、知ってた?」

「……知らなかった」


 奈由もまた呆けた表情で呟いた。


「あっきーの友達だから、てっきり、女かと」

「だよねぇ……」


 ため息交じりに漏らし、春は脱力する。

 彼は呆れ半分、面白半分の表情を浮かべ、杏季の肩をぽんと叩いた。


「おいこら杏季。友達が驚いてるぞ。俺のことは、寮のメンバーは承知済みなんじゃなかったのか」

「だってー! てっきり、とっくに話してたものだとばっかり思ってたんだもん。あ、りょーちゃんのエピソードとか細かいこととかその辺は知ってるよ!」

「だってじゃないだろ」


 彼は杏季の頬を軽くつねる。


「いいから紹介してくれ。話が進まない」

「はぁい」


 気を取り直し、杏季は皆に彼を紹介する。


「えっとね。この人が、『りょーちゃん』こと宮代みやしろ竜太りょうたくん。

 私の幼馴染なの。中学と高校は私が女子校だったから別だけど、幼稚園と小学校はずっと一緒だったんだよ」

「宮代竜太、……知ってる!」


 杏季の説明を遮り、潤は改めて驚きではっと目を見開いた。


「W大附属の三年だ。模試では五教科合計得点、いっつも順位が一桁に入ってる!」

「……エッ」


 潤の言葉に、春は手にしていた冊子を開いた。総合順位が載るページを開けば、一番上の非常に分かりやすい場所に、彼の名前が掲載されているのが目に入る。



『1位:宮代竜太(W大附属高等学校)』



「載ってる。……一位って、ちょ、一位って」


 流石に狼狽して、春は思わず声を漏らした。

 竜太は「ああ」と、何ということはないとばかりに顔色一つ変えず頷く。


「よく俺なんかの名前覚えてたね」

「そりゃ覚えてるわ。一応、模試の結果はチェックしてるけど、毎回毎回目に入ってくる名前だからな」

「そんな、大げさだろ」

「あまりに常連だろ! 総合でも個々の科目でもさ!」


 春は別のページをめくった。どの教科のページにももれなく彼の名前は掲載されており、その横にはほとんど一桁代の数字が並んでいた。

 ほうっと感嘆のため息をついてから、奈由がじっと竜太を見つめる。


「でも、そういうことか……色々と、これで繋がった」

「確かに。この人がりょーちゃんなら、そうだよな。納得した」

「なるほどねぇ。そりゃ、仕方ないわ」


 腑に落ちた様子で、女子三人はしみじみと頷いた。




 彼女たちの中で、二重の驚きがようやく収まった頃。

 それまでずっと無言を保っていた男性陣の中から、葵がぽつりと声をあげた。


「……どういう、ことだよ」

「そういう事だよ。今さっき杏季の説明した通りだ」


 竜太は意味ありげに不敵な笑みを浮かべた。

 葵と竜太を交互に見比べてから、杏季はおずおずと葵に焦点を定める。


「りょーちゃんのこと、知ってるの?」

「知ってるも何も……」


 葵は、信じられないといった面持ちで首を横に振る。裕希もまた竜太を見つめながら、彼らしくない憔悴しょうそうした表情を浮かべていた。

 どこか面白がるような微笑を湛えた竜太を真っ直ぐ見据えながら、葵は告げる。



「俺が知ってる名称は、『ロー』。

 夏休み前はビーの代わりに俺らを仕切ってた、チームCの本当のリーダーだ」



 一瞬。

 沈黙が訪れた後で。



「えええええええええええええええええええええええええ!?」



 今度は杏季含めて、彼女たちは盛大に声をあげた。

 潤たちは勿論のこと、竜太のすぐ傍らにいる杏季も、彼を見上げながら凍りついている。

 竜太は固まる杏季の頭をぽんぽんと撫でた。


「そうだ。驚いたろうけど――事実だけを述べれば紛れもなくその通りだよ、杏季。

 俺は、杏季の幼馴染の宮代竜太。

 かつ、チームCのリーダー『ロー』。

 但しそれは、今日の趣旨を考慮すると厳密には正確じゃない」

 

 一人、悠然としたようすで、竜太は状況を整理しきれずにいるメンバーを見渡す。


「どうせなら細かい質問が出る前に、お前らを呼び出した理由を説明しておこうか。

 まず。現在、チームCは本来の状態に戻っている。さっきビーの仮リーダーとしての資格を剥奪してきた」

「剥奪……って」

「そのままの意味だよ。ついでにちょっと、あいつを殴り飛ばしてきた」


 潤の疑問にさらりと竜太は答えた。その回答に潤はぎょっとして口をぱくぱくとさせたが、彼は気に留めない。


「つまり現在、目下この中でのリーダーは俺だ。

 というわけで、戻ってきたリーダーからのまず最初の指令だ。

 ――本日をもって『チームC』は解散とする」


 他者に口を挟ませる余地なく、彼は淀みなく宣言する。

 矢継ぎ早に判明した事実に、暫くの間、誰も何も言うことが出来なかった。


「どういうことだよ」


 やがて沈黙を破ったのは葵だった。彼は眉根を寄せて、一歩、竜太に詰め寄る。

 すっと目を細めて、竜太は何食わぬ顔で答える。


「言っただろう。そのままの意味だ。今日で俺たちは解散、ただそれだけだよ。何も難しいことはない」

「そうじゃない。何を今更、言ってるのかって話だよ。大体そもそも、俺たちはとっくにメンバーから抜けている」

「判ってるよ。葵の言うことはもっともだ」


 腕を組んで竜太は続ける。


「けど俺がリーダーなら、事実上ほとんど別のチームに戻る。夏休み中の状況とは否応なしに変わってくるだろ。

 だからこそ今後についてはっきりさせておいた方が、お互いすっきりするじゃないか。けじめの為に、お前たちにも伝えておくに越したことはないだろ。

 それで今日、夏の一件の『被害者側』たる杏季たちと一緒に、ここに呼び出したんだ。その方が話が一度に済んで早いだろうから」


 語る竜太の言葉に、葵は複雑な表情を浮かべたまま黙り込む。

 竜太の意図はまだ不明瞭だったが、彼の主張は整然として歪みがない。ビーこと水橋みずはし廉治ゆきはるがリーダーだった際によく感じていた含みはなく、言葉の裏に後ろ暗い思惑があるようには思えなかった。

 数か月前を思い返し、葵は目からうろこが落ちる思いだった。彼がリーダーだからこそ葵は仲間になったのだ。葵が惹かれた理想を掲げていたのは、廉治ではない。

 清廉潔白な綺麗すぎる宮代竜太の理想を、葵は信じたのだ。


「りょーちゃんが、皆も一緒に呼んでくれって言ったのは、それが目的だったの」


 杏季の問いに、竜太は微笑する。


「女性陣については、お土産もメインの目的の一つだけどね。でもうん、そうだよ。

 ここの人たちは言わば、あいつの敵側で共同戦線を張ったメンバーだろ。だから同じ場で話してしまっても構わないかと思って。

 どっちにしろ、杏季たちには謝罪しないといけない」


 竜太は姿勢を正し、女性陣に向けて深々と頭を下げた。


「本当に、迷惑をかけて申し訳なかった。やらかしたのはあいつでも、根本は俺の管理不行き届きだ。あいつなら問題ないと思って、ろくに監視体制も整えないで任せて行った俺がバカだった。

 この大事な時期に関係ないことに巻き込んで、危険な目にも遭わせてしまって。すみません。本当に、謝っても謝りきれない」


 思いがけない彼の誠実な謝罪に、潤はたじろぐ。


「いいよ。私らは、ただあっきーの心配して騒いでただけだから。それに、もう済んだことだろ」

「そうそう。問題があったのはどう考えてもビーの方なんだしさ。……まあ、理術の研究みたいなのをすること自体がアレだけど、それはともかくとして、ねえ」

「うん。諸悪の根源はあの氷男だし」


 穏やかな表情で春と奈由もまた頷いた。氷男という奈由の発言に、秘かに何人か吹き出しそうになったのはご愛嬌である。

 三人の言葉にようやく顔を上げるが、彼は浮かない表情のままであった。竜太はそのまま杏季に向き治ると、彼女の頭を自身の肩のところへ引き寄せた。


「特に杏季。怖がらせて、辛い思いさせてごめん……ごめんな」


 悲痛な竜太の声色に、杏季は焦って両腕をじたばたとさせる。


「大丈夫だよ! 私は大丈夫! りょーちゃんがリーダーだったのは驚いたけど。でも、りょーちゃんが悪いわけじゃないもん」

「俺の所為だよ。俺が悪いんだ。……もっと、きちんと整えていれば、こんなことにはならなかった」

「大丈夫だよ!」


 杏季は竜太から離れ、彼の両腕を掴んだ。


「りょーちゃんは悪くない。確かにいろいろあったけど、でも、そうじゃなきゃ分からないこととか会えない人とか、いっぱいあったし。

 いつも、りょーちゃんは助けてくれるもん。りょーちゃんの所為で悪かったことなんて、今までだって一つもない!」


 必死な杏季の訴えに、竜太は少し表情を緩める。無言のまま竜太は、杏季の頭にそっと手を乗せた。




「解散するのは分かったけど。どうしたってこんなあっさり畳むと決めたんだ」


 京也が竜太に問いかける。


「僕にとっちゃ、大元が解散してくれるならありがたいのは山々なんだけど。だけどそっちだって理由があったんだろ」

「俺たちのチームが存在し続ける方が有害だと思ったからだよ」


 竜太は目を細め、唇を引き結んだ。


「あいつはね。俺が最も禁忌とした出来事に手を染めたんだよ」

「禁忌……って」

「あいつは俺の杏季に手を出した」


 さらりと竜太は言った。あからさまな台詞に京也はぎょっとするが、竜太は構わず険しい顔で言い切る。


「元々の俺の目的から決定的に外れてしまう、忌避すべき状況になってしまった。

 だから解散することにしたんだ。俺が御しきれないのだったら、誰かに利用されかねない土台が下手にあるよりは何もない方が良い」


 竜太の話に納得した素振りはしつつも、京也は少しだけ怪訝な色を浮かべ首を傾げた。


「しかし、だ。そもそもどうしてチームCを作ったんだよ。さっき春ちゃんも言ったように、理術について深く知ること事体が本来はタブーだろうが。

 まして予めそれなりに知識を持ってたのだとしたら、いずれ矛先が杏季ちゃんに及ぶかもしれない、なんて可能性には思い当たっていいはずだろ。だのにどうしてわざわざ首を突っ込むような真似をしたのかが分からん」


 ちらりと杏季を一瞥して、竜太は考え込む素振りをした。


「その説明は、俺の一存じゃ決められない。……それに、出来ることなら杏季の前で話したくない」

「教えて、りょーちゃん」


 杏季が竜太の裾にすがりつく。


「私だって、りょーちゃんがなんでこんなことしたのか知りたいよ」

「杏季」


 たしなめるような口調で竜太は静かに言う。


「夏に起こったこと、俺は全部を知らない。でも概要なら話は聞いたよ。

 この夏休みに、杏季は知らなくていいことまで知ってしまった。俺と同じように。

 だからこそ、そこまで知ったなら予想がつくだろう。

 俺が、どうして動いたのか」


 言われて即座にはぴんときていない杏季だったが、やがて何かに思い当たったように目を見開くと、ぎゅっと更に強く拳を握りしめた。


「りょーちゃん。……もしかして」

「言ってもいいか、言わないかはお前が選べ。俺はその通りにするよ」


 しばらく逡巡して、杏季は視線を空に彷徨わせる。

 だが、やがて彼女は静かに深呼吸すると、決心したように竜太を見上げた。


「聞く。話して。もう蚊帳の外は嫌なの」

「……分かった」


 竜太は頷き、肩にかけていた鞄から青いファイルを引っ張り出した。

 厚いファイルの中から取り出したのは、古い小さな新聞記事の切り抜きだった。劣化を防ぐめか、ラミネートで加工されている。

 竜太は近くにいた京也にそれを手渡す。


「これって」

「読めば分かるよ」


 短く竜太は告げた。

 他のメンバーが京也の周りに集まるが、文字が小さいため内容を確認するのは難しい。じれた潤が京也を急かした。


「何の記事なんだ?」

「子どもが神隠しに遭ったって見出しの新聞記事だよ。十年くらい前の。おそらく扉の事故の、だろ。紗開町で、遊んでいた子供が二人、不意に行方をくらましたって……」


 記事を目で追いながら、彼は息を飲む。

 一呼吸おいてから、意を決したように京也は口にした。



「行方不明になった子供の名前は、『白原しろはら凛太りんた(5)』と『宮代みやしろ百香ももか(4)』」



 京也と同様に、誰かが息を飲む声が聞こえる。

 恐る恐る、春は顔を上げて、杏季と竜太に視線を移した。杏季は困ったような表情で竜太の傍らに佇んでいる。

 竜太は落ち着いた様相のまま頷き、肯定する。



「宮代百香はおれの妹。白原凛太は杏季の弟だ」



 古びた新聞記事には、こう記載されていた。


 遊んでいた子供は四人。

 うち、神隠しに遭わずに済んだ二人の子供は、行方不明となった二人のそれぞれのだった、と。

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