月谷恵の事情
「……ん」
オレンジジュースを飲みながら携帯電話を眺めていた奈由は、ふと潤に向かって手招きする。
「つっきー。ちょっと」
「んん? どしたのなっちゃん」
「いいから」
奈由は立ち上がると、潤を連れてそそくさと部屋の外に出た。
「なんだろ?」
春は首を傾げる。杏季も二人の消えて行ったドアを見つめて、同様に首を傾げた。
しばらくしてから、勢いよくドアが開く。室内にいたメンバーは顔をあげてそちらを注目し、思わず動きを止めた。
そこに居たのは、赤と白のコントラストが目に眩しい、もこもこの服を身に着け、白い袋を背負った人物。
紛れもないサンタクロースの恰好だった。
「はーい皆様、メリークリスマース☆」
「どうした頭でも沸いたか月谷」
反射的に京也は言う。
と、相手を見つめ、怪訝そうに京也は眉を寄せた。
サンタクロースはにやりと笑いながら、京也を指差し彼を牽制する。
「うっせ、南半球じゃ真夏でクリスマスだぞ!
というわけで、あっきー! プレゼントだ!」
「えっ」
サンタは素早い動きで杏季の隣に座り込み、白い袋の中から包装された小ぶりの箱を取り出して彼女の手をとり、その上に載せた。
「どしたの、つっきー? 改めて。さっきみんなから貰ったのに」
「だからホラ、クリスマスって体で! 受け取っとけ!」
「でも、それじゃ、なんだか悪いよ」
「いーのいーの、貰っとけって。折角あっきーの為に入手したんだから」
半ば無理やり手に押し付けられ、杏季は申し訳なさそうにしつつも顔を緩ませる。
「じゃあ、ありがたく貰っとくね。つっきーの誕生日には私も奮発する!」
「あ、それはいーよいーよ」
片手は杏季の手を握ったままで、サンタはぶんぶんと勢いよく手を横に振った。
「やりたくてやってるだけだからさー。大丈夫、気を遣わなくって。ホント、何も気にしなくていいよ。だってさ、それはホラ」
ぼん、とおもむろに白い煙が立ち上る。咄嗟のことに杏季はびくりと身じろぎし、周りのメンバーも思わず目を細めた。
やがて煙が晴れると、にっとした笑みを浮かべて杏季の目の前に座っていたのは。
「『俺』は、潤じゃないからな?」
「おいこらテメェ恵ーーー!!!」
ばん、とドアが開くと同時に、似たような声で二人分の台詞が重なる。
ドアを開けたのは、先ほど部屋を退室した潤。
その後ろからは、腕をぶらぶらと疲れたように揺らした奈由の姿が見えた。どうやら、これまで奈由が潤を抑えていたようである。
奈由が潤を部屋の外に連れ出したのは、恵が潤に化けて乗り込むするためだったらしい。事前に理術を使って性別を変えておき、服が違うことでばれないようにわざわざサンタの格好になって、無理やり理由をこじつけつつ乱入を果たしたのである。
潤と同じく、恵は恵で性別転換型の理術性疾患なのだった。
サンタに扮した恵は、既に男の姿に戻っていた。恵は、目を白黒させている杏季の頭を「驚かせてごめんなー」とぽんぽんと叩き、腕組みしながら立ち上がる。
「どうしたバカ姉貴、そんなにがなり立てると血圧上がってやがて死に至るぞ」
「上がってたまるか女子高生なめんな!」
「てめえは女子高生っつーより男子高生だろこのタラシめ」
「あんたがいうな! この女装変態スケコマシ野郎!! くたばれ!!!」
「語彙が貧困だと苦労するよなー」
勢い込んで叫ぶ潤に対し、あくまで淡々としたテンションに徹する恵だった。
「やっぱり、お前の方だったか……」
苦笑して京也が呟く。昼間に本屋で当人に会っていたことで、なんとなく京也は違和感を感じていたのだ。
「おう。案の定、お前は気付いてたな。俺が見込んだ通りだ。黙っててくれてサンキュ」
「なんでわざわざ、こんな真似したんだよ」
「だって杏季ちゃんのことを祝いたいのは山々だけど、俺だって分かったら気後れして普通に話をしてもらえないじゃんか。それに一応、俺は部外者だし。
かといって、折角帰省してるのに人づてに渡すのも味気ないだろ」
しれっと恵は言う。
「因みに、お前らへの差し入れにも別途お菓子持ってきて、それは奈由に渡しといたから。後で食べろよなー、東京土産だ心して食えよ」
「そりゃどうも」
京也はひらひらと右手を振った。
一騒動が済んだのを見届けて、遅ればせながら奈由が部屋に入ってくる。恵はすかさず彼女の元へ歩み寄り、さりげなく手を握った。
「ありがとう奈由、ご協力感謝するよ」
「気安く触るなこのタラシ。それに、あっきーの手を握るのは、いくらつっきーに化けてるからって悪ノリ過ぎ。知ってるでしょう」
「ごめんナチュラルだった。いっけね」
「一回、締めとこうか?」
「俺の可愛い奈由に絞殺されるならそれはそれは本望だよ」
「止めとくわ私の娘たちが穢れる」
「つれない奈由も可愛いよ」
「くたばれタラシ」
奈由は恵の手の甲をつねる。しかし彼はめげず、手を離そうとはしない。
「くたばれタラシ!!!」
潤が恵に蹴りを繰り出すが、すっと恵は軽やかな身のこなしでかわした。そのままドアの近くまで退散すると、無表情のまま恵は額に人差し指と中指を付ける。
「というわけでスペシャルゲストの恵くんでした。
さらばだ諸君、よいホリデーを。アディオース」
やはり淡々とした口調で言い残し、恵は瞬く間に撤収していった。
「……なんだあれ、なにあれ」
展開についていけず呆然として葵が呟く。
「あー、あれが、その……つっきーがビーのアジトに占有するときに騙った、ホンモノの月谷恵くんです……」
「あれが……あれか……」
春の説明に、葵はそう発することしかできなかった。
裕希は部屋の片隅で、手にしていたグラスを強く握る。
「タラシの、親玉か……」
「落ち着け臨。あれはただのバカだ」
恵の消えて行ったドアを見つめながら、京也は独り言のように呟いた。杏季はまだ驚き冷めやまぬ表情でぼうっとしており、奈由は小さくため息を吐く。
目線をドアに釘付けたまま、潤はぷるぷると肩を震わせていた。
「あ……ンの……」
ぐっと彼女は拳を握りしめる。手の平に、自分の爪が食い込むほどに。
「あんのバカ恵ーーーーーッ!!!」
渾身の力を込めて。しかしご近所さんに配慮しつつ、声量は抑えながら。
潤は、お腹の底から吐き出した。
恵の乱入で一悶着あったものの、パーティーの盛り上がりに支障はない。時間が経つにつれ狭い部屋ながら話の輪はばらけ、メンバーは思い思いに話をしている。
大人数であるため、一人暮らし用の設備しかない京也の部屋のテーブルでは全員が収まりきらない。というわけで、あぶれた京也と裕希は、壁に寄り掛かりながら部屋の端でくつろいでいる。京也は裕希が本日、杏季と一緒にいた経緯を聞いていたところだった。
「……そりゃ難儀だったな。今どき野良犬とか、珍しい」
「ほんとだよ。ぎりぎりなんとかなったから良かったけどさぁ」
面白がって京也は詳細に切り込む。
「で、そっから夕方まで、一体何の話をしてたんだ?」
「宗教の話とか、ポン・デ・リングの話とか」
「びっくりするほど恐ろしく色気のない話だなそれは」
想定外の回答に、京也は思わずグラスを強く握りしめた。紙コップであれば、危うく中身がこぼれているところである。
「っていうか宗教ってなんだ宗教って」
「杏季の家は真言宗で、俺んちは名前に臨ってある割に曹洞宗だとか。あとは修験道にロマンを感じるとか禅宗に対しての憧憬とか」
「何でそのネタで高校生の日常会話として盛り上がるんだよ」
ふと京也は、先ほど杏季が裕希から御守りを受け取った時の反応を思い出す。
純粋にプレゼントを貰ったことに対して喜んでいたのかと思ったが、あながちそればかりが理由ではないのかもしれないと京也は勘繰った。
「……そんなつもりは、なかったんだけどな」
裕希は頬杖を突きながら、おもむろにぽつりと漏らす。
「見られたこと、か」
「で、泣かせたことだよ」
グラスの中のコーラを一息に飲み干してから、裕希は神妙な顔つきになって言った。
「俺さ。お前らと違って、疾患を治したいだなんて、真剣に思ったことなんかなかったんだ」
「僕だってそこまでじゃないぞ。言っただろ、僕はベリ子たちを引き抜くためにチームCに行ったのであって、理術性疾患は便宜上の理由だったって」
「けど、治るもんなら治りたいだろ」
「……そりゃ、そうだろ。当たり前だ」
京也もまた頬杖を突く。
「んなもん、日常生活送るうえで無いに越したこたぁない。滅多に起こらないことではあるが、その滅多な時に備えてるのも面倒だ。
それに、いざ人に見られた時の対処が厄介だしな。僕は幸い、ほとんど周りに知られずに育って来たけど、……杏季ちゃんみたいな子だっている」
裕希は無言で頷いた。
「臨はどうなんだ。今までに」
「見られたことはある。けど、大した被害を被ったことはないよ。物分かりのいい連中だったり、理解のある身内だったりで」
空になったグラスを床に置き、裕希は胡坐をかきながら背を逸らして頭を壁に付ける。
「けどさ。それはある程度、既に完成された関係だからこその反応なんだよな。全てが全てそうかといったら、違う。
いっそ月谷みたいにあそこまで徹することが出来ればいいのかもしれないけど、俺の場合それは出来ない。目につきすぎるから」
黙って京也は彼の話を聞いている。自分でも考えがなかなかまとまらないのだろう、散漫に裕希は続けた。
「確かに理術を使わないでいれば、疾患は基本的には発症しないけど。でも覚えてるだろ、ビーの言ってたことを」
「ああ」
京也はあの日、澪神宮でビーが話したことを思い出す。
理術性疾患は、理術が存在するから起こる。本来であれば理術と同様に、こちらの世界には存在しえないものなのだと。
理術性疾患は、理術と同様に異世界から持ち込まれたものなのだ。本来であれば、彼らは普通の人間として、理術性疾患などというものに惑わされることなく生活している筈だった。
「まあ今回は、疾患が出るような状態で理術を使わなければ、杏季を助けられなかったんだけどさ。
何で、理術はこの世に存在するんだろうな。理屈は聞いたさ。けど、意味は解らないだろ」
「さっぱり分からんな」
「そもそも。理術が来た経緯は、理解するとしても。
何で、元々は関係なかった俺達まで理術を使えて、元々存在しなかった理術性疾患なんてものに罹患してるんだ?」
「その辺りは……」
ちらりと琴美を一瞥して、京也は小声で言った。
「教えては、くれないんだろうな」
そこは納得しているのか、諦めたように裕希はため息を吐く。
「約束、だからな。ビーがべらべら喋ってたけど、一般人には出過ぎた知識なんだろう、これも。一般人の俺たちは、然るべき研究機関が開発した理術性疾患を抑制する薬なんかを、指をくわえて待っているしかない」
言ってから、裕希は思いついたように目を見開く。
「……俺が、やればいいんじゃないのかな」
「へ?」
「俺がその然るべき研究機関に行って、あれこれ探ればいいんじゃないかな」
「おい待て」
焦りつつも声を殺しながら京也は裕希を制止した。
「それだって、駄目だろうが。今後は理術に関して深入りしちゃいけないってのが、琴美ちゃんにかけられた術での約束の一つだぞ」
「分かってるよ」
同じく押し殺した声で裕希は反論する。
「けど、それはあくまで一般人としての立場からだろ。もし今後、きちんとしたルートできちんとした機関に所属するなら、あいつだって反対はできないはずだ」
「それは、……もしかしたら、そうかもしれないけどなあ」
渋い表情で京也は唸った。裕希は声を抑えたまま続ける。
「あいつの組織みたいなとこを敵に回して無茶なことをするわけじゃない。大学を出て研究室で実績を勝ち取ってから、正規のルートで本丸に行ってやるんだ。文句はないだろ。
俺は知りたいんだ。外来の疾患だけを駆除する方法だってあっていい筈だろ。
それに。……頭っから異世界の云々、全てを全て信じてる訳じゃないけど、理術とそれにまつわる事柄を研究することは、ひいてはあいつのルーツに関することだから。
なんでこんなことになっちまったのか。知りたい」
聞こえているのか、いないのか。
普段、地獄耳の琴美は、彼らの会話に反応することは無かった。
「葵さん」
ざわめきの中で、琴美はおもむろに葵へ声をかけた。先ほどの奈由ではないが手招きし、琴美は部屋の隅に彼を呼ぶ。
「ちょっと、いいですか」
「……何ですか」
若干、怯えながら葵は琴美のいる壁際ににじり寄る。
「やだなぁ、そんな怖がらないでくださいよう。ちょっと、言っておきたいことがあっただけですから」
怖がらないのが無理がある、と思いながらもその言葉を葵は飲み込んだ。
葵が小声の届く範囲まで近づいたのを合図に、琴美はふっと真顔に戻り、低い声で囁く。
「補助装置なしに、本人でも無意識に開眼してしまうケース、ないしは光や闇の属性が追加されるケースというのは。異世界との接触があった時、がほとんどなのですよ」
「……え」
突然、振られた話の内容に、葵は戸惑う。
「葵さん、貴方は闇属性ですよね。それは……お兄さんが消えた、その日から発現したのではありませんか?」
困惑しながらも、無言で葵は頷く。葵の答えが分かりきっていたかのように琴美も素早く頷くと、更に彼女は続けた。
「葵さんの場合、それは闇属性の発現という形で現れた。けれど異世界と接してしまうと、開眼という、本来は一般人にあるまじき段階のことが引き起こされてしまう事も十二分にありうる。
それもあるから、我々は必死に裂け目を塞いでいるんです。無論、一番大きい理由は事故が多発していたことですけれどもね」
怪訝な表情を隠しきれず葵は尋ねる。
「……何故それを、俺に」
「なんとなく……このことは、お伝えしておこうと思いまして」
含みを持たせた言い方で、琴美は毒のない笑みを浮かべた。
「これは本当に、今のメンバー以外にはくれぐれも内緒ですよ。この話だけは、以前にお掛けした術から、特例として外しておきますから」
琴美は人差し指を唇に当ててみせる。
「もう、会うこともないかもしれないですし……。杏季さんたちと違って、学校も違いますからね。餞別だとでも、思ってください」
「……餞別」
「ないしは」
更に抑えた声で、琴美はぼそりと早口で言う。
「予防と対策、ですかね」
そこで急に話を打ち切り、彼女は立ち上がった。側に置いてあった荷物を手にすると、用事があるので早めに帰る、今日は自宅に帰るので寮にも戻らない、と琴美は周りに事務的な口調で宣言する。
「それでは、皆様」
早々に帰り支度を済ませた琴美は、部屋のドアノブに手をかけた。
「御機嫌よう。いい夜を、お過ごしくださいね。……さようなら」
挨拶をして扉を開き、琴美は部屋を出る。
扉が閉まる前に、杏季は琴美に向かって、ぶんぶんと大きく手を振った。
「今日はありがとう、こっちゃん。またね!」
彼女の言葉に琴美は少し、顔を上げ。
やんわりと、微笑んでみせた。
「……ええ。新学期に」
ぱたんと、静かな音を立ててドアが閉まる。
もうすぐ夏休みが終わる。
秋は、すぐそこだった。
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