本日の事情

 長い夏の日がようやく暮れ、まもなく日没を迎えようとしている。

 西の空を濃く染める夕焼けを眺めながら、杏季と裕希は縁側でお茶を飲みんでいた。足元では、次の季節を見越した虫たちが少しずつ澄んだ音色を奏で始めている。


「だから思うんだよ」


 裕希は真顔で言った。


「元々の部分、基本のところを忘れちゃいけない。道を外れ過ぎちゃ駄目なんだって」

「でもっ」


 杏季が真剣な口調で食い下がる。


「前に進んでいくためには、新しい試みだって必要になってくると思うの!」

「その結果の、現在じゃんか」

「けれど全部が全部、否定されてたわけじゃない。確かに賛否両論だったけど、それでもあれは私たちに新しい可能性を教えてくれたもの」


 拳を握りしめた杏季は、硬い表情のままの裕希とじっと見つめあった。



「ポン・デ・しょうゆだって美味しかったよ!」

「ポン・デ・リングはノーマルが至高だと思う」



 至極、臨心寺は平和だった。


「いや、あれはないだろ。一緒に出てた抹茶のやつは美味しかったけどさ」

「騙されたと思って食べてみるといいよ!」

「やだよ。それにもう売ってないじゃん」

「うー……」


 あれから二人は、裕希の祖父の計らいで美味しい和菓子を頂きながら、かれこれ夕暮れ時まで世間話に花を咲かせていた。

 平和的かつ真剣な二人の議論はまだまだ続くかに思えたが、それを中断させるかのように杏季の携帯電話の着信音が鳴る。ほぼ同時に、裕希の携帯電話も着信を告げるバイブレーションで震えだした。


「あれ、メール?」


 杏季はバッグを引き寄せ、二つ折りの桜色の携帯電話を取り出すと、メール画面を開いた。裕希もまたポケットから携帯電話を引っ張り出し、外側に付いているディスプレイの表示で送信者を確認する。


「つっきーだ。何か、偶然雨森くんに本屋で会って、今ゲームしてるらしいんだけど、大人数で対戦したいからこれから来いだってー。もしかして、同じメールかな?」

「タイミングからするとそうなんじゃね。俺は京也からみたいだけど」

「私、弱いのになぁ。絶対負けちゃうよー」


 他のみんなは用事があってつかまらないみたい、と呟く杏季の横で、裕希は後ろに手をつき気怠そうな体勢でメールを読んでいたが、不意に彼は動きを止めた。


「げっ……」


 思わずそう漏らし、裕希はがばりと姿勢を正す。もう一度メールの本文をよくよく読み返してから、彼はこっそりと杏季を横目で盗み見た。

 不思議そうに杏季が首を傾げる。


「どうしたの?」

「な、なんでもない!!」


 携帯電話を一旦閉じ、彼は口を引きつらせる。数秒考えてから、裕希は立ち上がった。



――さっさと言えよバッカ!



 心の中で悪態を吐きつつ、再び携帯電話を開く。


「わり。ちょっと、電話してくるわ」

「うん、いってらっしゃいー」


 気楽な杏季の声に送られて、裕希はそそくさと部屋を出た。壁に寄り掛かるようにしながら、先ほどのメールの送信者である京也へ電話をかける。


「もしもし京也さんですか」

『はいはい京也くんですよ』


 一回のコールで電話に出た京也は、裕希の焦燥を知る由もなく気楽に応じた。


『どうした臨。用事でもあって無理か』

「違ぇよ、仮にあったとしてもソレ蹴って行くよ。そうじゃなくて、さあ」


 裕希は口と通話口付近を手で覆い、小声で告げる。


「今、俺、杏季と一緒にいるんだけど」

『はあっ!?』


 電話口で京也の素っ頓狂な声が上がった。


『まさか、臨、お前、既に自前で色々準備してたとかか』

「知ってたらもっとどうにかいろいろしてたよ!

 つうか何、今日がそうだって今まで知らなかったの俺だけか!?

 そういう大事なことは真っ先に俺に知らせろよ! なんで俺が一番後回しなんだよ!! 何それ佐竹の陰謀!?」

『いや、別に今回はそういう訳じゃなく、お前への連絡が遅れたのは単なる役割分担上のなりゆきだったんだけど……悪い』


 勢い込んで言った裕希の口調に気圧されながら、ばつが悪そうに京也は苦笑いする。


『しっかし、じゃあなんで杏季ちゃんと一緒にいるんだよ』

「あー、それは説明めんどいから後で。まあ、この際、杏季が一緒なのは問題じゃねぇよ」


 問題なのは、と言おうとしたところで、別の声が遮った。 


「こーちゃんがどうかしたの?」


 佐竹、という単語が聞こえたためか、杏季が部屋からひょっこり顔を出す。すす、と裕希は更に身を引いて、壁際により密着した。


「杏季さんとりあえずあなたは引っ込んでてください」


 余裕ない素振りで言う。杏季は不思議そうにしつつ、よほど取り込んでいるのか、と思い大人しく部屋に戻った。


「……とりあえず。本人は何も勘ぐってないし、俺がそっちに杏季を連れてけばいいかな」

『頼む。月谷が杏季ちゃんに送ったのと同じ内容だったって言やいいだろ。こっちは、準備OKだから』


 準備OKでないのは裕希である。

 彼にはそぐわないため息を漏らしつつも了解して電話を切ってから、裕希はその場にずるりと座り込んだ。


「……どうすっかなー」


 胡坐に頬杖をついて、裕希は眉間にしわを寄せた。

 何しろ、まったくもって時間がない。

 裕希は薄暗くなってきた廊下の先を、じっと思案するように眺めた。






+++++



「臨が杏季ちゃんと一緒らしい」

「マジか」


 裕希との通話を終了した京也が伝える。テーブルを拭いていた潤は思わず手を止めた。


「何!? いつの間にあの二人で!?」

「会ったのは偶然だとよ。臨は僕のメールで今日のこと知ったみたいだったしな。それで焦って電話してきたみたいだ。多分、自分が一番知らされるの遅かったから、余計なんだと思うけど」


 ああ、と潤は手を打ち合わせる。


「そういえばそうだよなぁ。他のメンバーには頼んであったけど、別に臨少年は何もなかったもんな」

「そもそも僕と葵の参戦だっていきなりだったしな」

「全くだ」


 買ってきたものをテーブルに並べながら、葵が同意した。


「せめて昨日の段階で知らせてくれれば、まだ余裕があったんだけどな」

「ごめんね、ホント唐突だったよねー」

「いや、春さんの所為じゃないから大丈夫」


 葵はコップを持って来た春に素早く弁解する。

 横目で潤を見ながら京也は頷いた。


「会場の確保すら前日の夜中だったからな」


 潤はキッチンに移動していたが、さりげなく申し立てられた苦情を拾い、その場で京也につっかかる。


「急に潤さんがひらめいたんですぅー。つべこべ言うな長髪、あっきーと同じツインテールにすっぞ」

「別に構わないし閃かれるのも大いに結構だが、もうちょい早く閃け」

「無茶じゃね!? ていうかツインテールにしていいの!?」

「あんたが僕の代わりに今度の文化祭で提出する企画書一式作ってくれるならしてもヨシ」

「とんだ重労働!! 他校だけど!?」


 思わず部屋に戻って反応する潤だった。


「こら、つっきー! 水出しっぱなし、勿体ない!」


 春が一喝して、潤の代わりに蛇口を閉めに行く。

 ごめーんと頭をかく潤に、後ろからぼそりと佐竹さたけ琴美ことみが囁いた。


「まったくこれだからタラシはいけませんね。せめて、みたらしだったら皆様の腹の肥やしにでもなったでしょうに、全く空気が読めないタラシで困ります」

「団子にされる!? 潤さん原材料が小麦粉!?」

「小麦粉でいけないこともないでしょうが基本は小麦粉じゃありませんよ一遍いっぺんゆでてやりましょうかこの白玉団子め」

「もうそれタラシ原型ないよね!? てかこっちゃんの所為で団子食いたい」

「口に突っ込んであげますよ、出来てたあつあつの団子を、容赦なく」

「地味に怖い!」


 想像したのか、潤は両手で二の腕を抱きしめる。

 二人がやりとりをする間にも手際よく準備を進めていた春は、やがて息をついて立ち上がると、腰に手を当てて部屋を見回した。


「よし。これで準備は万端だね。後は来るのを待つのみ、と」

「奈由ちゃんは?」


 京也の問いかけに春は親指を立てて応える。


「もう着くってメール来たから大丈夫。あっきー達はまだ二十分はかかるでしょ」

「うっし、じゃあ待機するとしますか!」


 琴美との応酬を終えた潤は、にっと笑みを浮かべて腕を組んだ。






+++++



 日が沈み、長い昼と交代に夏の夜が訪れる。秋が間近であるためか、吹く風は涼やかで爽やかな宵であった。

 ちょうど夕暮れから夜に切り替わった頃合いに、京也の家に辿りついた杏季を迎えたのは、数人分の重なった声。



「誕生日おめでとう!」



 入るなりクラッカーのシャワーを浴びせられ、突然のことに脳が対処しきれず、杏季は目をぱちくりと見開く。

 やがて遅ればせながらやって来た実感に、杏季は顔を綻ばせた。


「う、わ。わああああああああああああああ」


 声にならない声をあげ、杏季はぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「ありがとー! ありがとー! え、どうして? 寮の他のみんながあんまいないし、誕生日はもうちょっと人が帰って来てからって話だったのに!」

「ドッキリやるための方便だっての」


 サプライズが成功し、ご満悦の潤が答えた。


「それに、今年の夏はいろいろあったしな! あっきーの慰労も兼ねて、せっかくだったらこいつら交えてやったら面白いんじゃないかって思ってさ」

「それにしてはあまりに準備期間が」

「うっせ長髪」


 横から口を出した京也に、潤は前を向いたまま裏拳で制止する。額にしたたかにヒットした京也は、無言で潤との攻防を開始した。

 じゃあ、と杏季は後ろで控えめに立ちすくんでいる裕希を振り返る。


「もしかして、今日のは迎えに来てくれたの?」

「いや偶然だろ。そもそも俺んちに来たの、お前じゃんか」

「あ、そうだったね」


 思い出し、杏季は照れ笑いを浮かべた。

 杏季に遅れて部屋に入った裕希は、小さいビニールの袋に包まれたものをおずおずとバッグの中から取り出す。


「これ。誕生日プレゼント」


――いやお前、タイミング早いよ!


 数人がそんなことを思いつつ、彼に注目する。

 同時に、杏季に手渡された包み紙を二度見する。中身はともかく、その形状は何となくどこかで目にしたことのあるもの。

 そう、例えばお正月などに。

 中に入っていたのは、小さな袋に入った水晶のお守りだった。


「知ってたら、もっと早くいろいろできたんだけどさ。何しろ直前だったから、家にあったものだけど。厄除けの御守り」


――お守りかよ!

――お守りかよ!

――お守りかよ!

――っていうか夏にあった厄は結構な部分をお前も占めてるだろ!


 様々な思いを胸に秘めつつ、口には出さずに一同はじっと裕希を見つめる。


「仕方ないだろ時間なかったんだから!」


 各々の内心を察したように裕希は弁解した。

 一方で、杏季は感嘆の声をあげて嬉しそうに袋ごと両手で包み込んだ。


「ありがとー! 大事にするね」


 社交辞令ではなく喜ぶ彼女の姿に、裕希はほっとする。


「杏季はいい子だな」


 思わず裕希はしみじみと口にした。


「よし、じゃあ突然のことで包装もできなかったお詫びに、学業成就の御守りもおまけにつけてやろう」


 言うと、裕希はバッグを逆さにひっくり返す。と、ばらばらと床に何種類ものお守りが散らばった。

 先ほど慌てていた裕希は、目についた御守りをひとまず片っ端から持って来たようだった。京也の家まで来る道中で、プレゼントするのに一番見栄えが良さそうなものをひっそり厳選したらしい。

 呆れた京也が口を引きつらせた。


「アンタ実家の御守りなんだと思ってるんだ」

「商売道具」

「しょっぱいな!」


 霊験あらたかな御守りも、身内の手にかかってはあっさり一蹴されてしまうらしかった。

 離れた場所から成り行きを見守っていたが、大量にこぼれ出た御守りを見て、潤たちは物珍しそうに眺めはじめる。


「おお、すごい。神社やお寺の売り場以外でこんなに沢山あるの、初めて見たかも」

「杏季はいいけど、貰うならお前らは金払えよ。俺がじーちゃんに怒られる」

「お前のバッグを経由したお守りなどいらん」


 即座に潤は裕希に返却した。

 琴美が鋭く目を光らせ、御守りの束の中から一つを抜き出す。


「これは、当分、ずっと、むしろ貴様が杏季さんにあげる御守りとしては、未来永劫必要ありませんね……?」


 すっ、と琴美が裕希の目の前にその御守りを掲げた。そこに書いてあった文字は、『安産』。


「あ」


 ぱしっと恐るべき速度で、裕希は他の人に見られる前に琴美の手からそれを回収した。


「なかったことに」

「貴方の存在も、なかったことに」

「怖いです佐竹さん」


 ただの凡ミスだから勘弁してください、と言い訳をする横で、ふと春と杏季との会話が耳に入る。


「あっきー。これはどう? コレ」


 春が手にしていたのは、『恋愛成就』。ピンクの布地で作られた、可愛らしい御守りである。杏季は可愛い、と声をあげた後で、不意に口をつぐんだ。


「えっと」


 曖昧に笑んで、杏季は首を振る。


「それはいいや」


 そう言って、杏季は学業成就の御守りを手にするのだった。




「さて。御守りはいいとして、主役もそろったことだしそろそろ始めましょうか」


 開始早々からの騒ぎをなんとか収拾させ、一同が席に着いたのはあれから十五分後の事だった。


「という訳で、かんぱーい!」


 ジュースを注いだグラスを打ち合わせ、ガラスの澄んだ音が響く。

 机の上には、杏季の誕生日を祝う食べ物の数々が賑やかに並んでいた。春と葵が取りに行った、唐揚げやポテトなどのおかずが並ぶオードブルにジュース。琴美が買いに行ったお菓子各種。そして奈由が厳選したチョコレートのケーキ。

 テーブルの周囲には、潤が用意したクラッカーの残骸が転がり、壁には折り紙で作られた輪のテープや花が飾り付けられている。

 主役の杏季はと言えば、すこぶる幸せそうな表情でケーキに着手していた。左手首には、女子たちで購入したプレゼントのブレスレットがはめられている。

 思い思いに会話を繰り広げる中で、ふと葵が呟いた。


「八月二十五日か」

「そうだよ」


 すかさず奈由が拾い、春には聞こえない音量でぼそりと言う。


「因みにはったんの誕生日は十二月十七日だよ?」

「……なんでそれを言うんだよ」


 深い意味はないよ、とにんまり笑いながら、奈由は付け加えた。


「因みにはったんとかの誕生日は、普通に寮でメンバー揃ってる時だから、寮で誕生パーティーをするので男子禁制、入れないよ」

「…………」

「もし葵くんがそれを望むなら、今日みたいに皆で騒げる方法を考えなくも無いけれど」

「……交換条件は、何ですか……」

「やだなぁ、私は何も言ってないじゃないかアオリン……でも、物分かりがいい人は、嫌いじゃないよ……」


 奈由と葵の会話が聞こえた潤が思わず身震いする。


「やだ何ここの会話怖い……」


 会話には参加せず、大人しく唐揚げに向き合った潤である。

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