高神楽直彦の事情

 春と葵とで買い物に行った時間から、時を遡ること1時間ほど前。

 舞橋市の中枢部よりやや外れに位置する澪神宮に奈由はいた。まだ僅か数日前の暑い夏の日、ビー達との決着の舞台となった場所である。

 夏も終わりに近づいた今、澪神宮はあの日の戦いが嘘のように元の静けさを取り戻していた。だが、一つだけ今なお戦いの痕跡を思わせるものが残っている。


「というわけで最終決戦の折りに奈由さんが生やしたユーカリの木は、まだ澪神宮にひっそりと生えているのでした」

「何とかしようぜ!」


 思わず葵は振り返りざまに叫んだ。




 段々と西に日が傾きはじめたうららかな午後、草間そうま奈由なゆは、葵と肩を並べて澪神宮にそびえたユーカリの木を眺めていた。

 別段、二人は示し合わせたわけではない。葵が澪神宮の側を通りかかった際に偶然奈由と居合わせ、時間もあったことからそのまま流れで一緒に澪神宮へ足を踏み入れたのである。春との約束にいてもたってもいられなかった葵は、待ち合わせ時間より随分と余裕をもって出ていたのだった。


 葵は、目の前にそびえたつ奈由が生やしたユーカリの木を見上げる。


「つぅか全然ひっそりじゃねぇよ。どう考えても違和感ありまくりじゃねぇか」

「違和感とか言わないでください、私の娘に向かって酷い」

「酷いってか事実だよ!

 ってかコレいいのか? 勝手に敷地内に生やしちまったけど、問題になったりしないのか?」


 いくらなんでも、敷地内に突如、見知らぬ木が生えたとなっては、気付かないはずもない。時期が時期であり、さほど参拝客がいないとはいえ、周りが気付かずとも管理している人はいるはずだ。仮に気付いていなかったとしても、それは時間の問題だと思えた。

 しかし奈由はぐっと親指を立て、ポーカーフェイスのまま言い切る。


「大丈夫、なんかよく分からないけど、こっちゃんが話つけといてくれたみたいだし」

「いいのかよ!?」

「その辺の事情は怖くて聞けないので、私は知らない方がよいのだろうなと判断して何も聞いておりません」

「……まあ、佐竹だしな……」


 そこは同意して、葵は静かに頷いた。

 奈由もまた、目の前のユーカリを見上げながら、しみじみと呟く。


「いやー、そんなわけで、私はうっかりこの娘を生やしたこと忘れてたんだけど、こっちゃんにソレ言われたから様子を見に来ようと思って」

「お前、娘とか言いつつ忘れてたんじゃねぇかよ!」

「さあて、忘れていたのか、それとも撤去されぬよう故意に黙ったままでいたか、真相はどっちだと思う?」

「後者かよ!? タチが悪ぃよ!!」

「やだなぁ、そんな断言できるか分からないじゃないか。うふふふふふふ」

「どう考えても確信犯だ!」

「葵くん、日常生活では今回のような用法で多々使われるけれど、本来『確信犯』という言葉は、政治犯のように、政治的信念や宗教的信念やらに基づいて、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪についてのことを指すものなのだよ」

「そこは今回、問題じゃねぇよ!」


 ツッコミの多用で少しばかり息を切らしながら葵は深く息をついた。


「まあ、大騒ぎになってないんだったら、よかったじゃ」

「うん。だから、近日中に撤去されるよ」

「……そ、うか」


 被せられた奈由の言葉に一瞬、葵は声が詰まる。

 よくよく考えれば当然であるが、不意を突かれて葵は戸惑った。奈由の口調も穏やかで、淡々と言ってのけたので、まさかそういう結論に至ったとは思いもよらなかったのである。自分の植物を傷つけられたことに対し、奈由が怒りを燃やすのを葵は目の前で何度も見てきたことがあるだけに尚更だった。

 軽口を叩きながらも相変わらずポーカーフェイスの奈由の顔からは、何も読み取れない。けれども葵はその奥に、彼女が抱いた寂寥感をどことなく感じた。


「だから、見届けに来たんだけどね」


 学校が始まったらそんな余裕もなくなるかもしれないし、と付け加えて、奈由は見上げた目を細める。

 葵もつられて、またユーカリの木を見上げた。




 あの日。奈由がアルドとの戦いで生やしたユーカリの木は、炎をあげて燃え上がった。

 自分がいる場所にまさか火はつけないだろう、と見越しての作戦であったが、アルドの覚悟は奈由の想像を上回っていたらしい。自分と奈由とを巻き込んで、アルドはユーカリの木を燃やしたのだ。油分を多く含むユーカリの葉は、それはもう勢いよく燃えた。

 しかし葉は燃えてしまったものの、木はまだしっかりとそびえ立っている。樹皮は剥がれ落ちてしまっているが、芯の部分はきちんと残っていた。


「よく燃え落ちなかったな」


 葵が感心して言う。


「あの勢いの、しかもアルドの術の炎だろ。残ってる方がすげぇよ」

「ユーカリの芯は絶対に燃え尽きない」


 ぽつりと、独り言のように奈由が呟いた。


「ユーカリの葉はね。オーストラリアでは山火事の原因になったりすることが多いんだよ。周りの植物も巻き込んで、派手に盛大に燃え上がるの」


 奈由は目の前のユーカリの、樹皮が燃え落ちた幹に触れた。


「けどね、葉が燃えても、樹皮が燃えても。

 木の芯だけは、生き残る」

「芯、だけは」


 彼女の言葉を反芻し、改めて葵は目の前の木を見上げる。


「燃え尽きてしまえば」


 ふっと笑みを浮かべて、奈由は呟く。


「燃え尽きてしまった方が、楽なのにね?」


 思わず葵は奈由を振り返り、言葉を飲み込んだ。

 構わずに、奈由は続ける。


「そうそう、葉が燃えやすいのは、周りを巻き込んで燃やし競争相手をなくす意味合いがあるといわれているのだけれど。

 生き残るために、葉は周りを巻き込んで燃えやすく、芯は炎に屈せずただただ強く、炎のその後でも生き返るように、できている。そう創られているから、仮に本人の意思とは違ったとしても、そうなってしまう。

 だから私は、この木が大好きで、大嫌いなのよ」

「……複雑、だな」


 何と言ってよいか分からず、当たり障りのない回答をするので葵は精一杯であった。そんな自分に辟易しつつも、どう答えて良いものやら検討はつかない。


「ええ、そうでしょう。分からないように言っているからね」


 いつものように内心の読めない笑みを浮かべ、奈由は後ろ手に手を組み葵に背を向けた。先ほどと同じように、彼女はユーカリの木を見上げている。


「でも、結局のところは」


 考えた末に、葵は思い切って聞いた。


「好き、なんだろ?」

「……さぁ、どうでしょうね?」


 奈由の表情は、見えない。こちら側に表情を向けていたとて、今の奈由の感情を窺い知ることはひどく困難であろうと思えた。

 それと同様に、奈由がユーカリの向こう側に何を見ているのかは、厳密には分からない。

 けれども。


「俺に言ってよかったのか」


 聞かずにはいられなかった。微細な奈由の思惑は汲み取れず、自分が思っていることはてんで的外れなことかもしれない。だがそれでも、自分に話してくれるということは。


「うーん、理由付けや言い訳はいくらでも重ねられるけれども、シンプルに答えるとすれば。

 信頼のできる鈍感さんですからねぇ」


 葵は苦笑いを浮かべる。

 今日のところは、光栄ととっておくことにした。






+++++



 葵が立ち去った後も、しばらく奈由はその場所にいた。次第に赤い光を増した日はより地平線へ沈み、夕暮れが澪神宮を支配しようとしている。

 日の光に急かされるように、彼女もまた澪神宮を去ろうと数歩歩いたところで、奈由は立ち止まる。後ろは振り返らず、下手をすれば自分の耳にも届くか届かないかくらいの小さな声で呟いた。


「さようなら」


 ユーカリの木は葉をつけていないが、その言葉を代返するかのように、周りの木々が風に吹かれてざわりと音をたてた。


 と。

 ぽう、と視界の隅で、橙に揺らめく光が映る。


 最初は、早々に灯った神宮の明かりかとも思ったが、それにしてはどうも違和感を感じた。炎の位置が、おかしい。

 振り返ると、奈由のいる場所より数メートル離れた場所、その空中に炎がゆらゆらと浮かんでいた。



――……狐火?



 呆気にとられて、心の中でそんな現実離れした単語を思い浮かべる。

 その炎は奈由が振り返ったのを合図に、ぽっと数を増やした。数メートルおきにぽつりぽつりと灯る炎は、夕焼けに染まる境内にぼんやりと線を描く。まるで奈由を導くかのように、炎は澪神宮の奥へと続いていた。


「来いって、訳ね」


 分かりやすすぎるメッセージだった。言わずもがな、怪しいにもほどがある。一瞬ためらうが、しかし奈由は薄ら笑みを浮かべると、炎が呼ぶ方へ踏み出した。

 奈由が炎に追いつくと、炎はふっと煙を出して立ち消える。いくつもの揺らめく炎を消しながら、奈由は歩みを進めた。


 炎の道標を辿れば、それは澪神宮の中に併設されている稲荷神社に向かっている。さほど広くない神宮である、澪神宮の境内にある稲荷神社も小さなものだった。小さく狭くひしめき合った赤い鳥居をいくつかくぐれば、もう稲荷神社の社が見える。

 社の前にある賽銭箱、その手前には数段の石段があり。

 石段へは、奈由の見知った人物が腰かけている。


「……アルド」


 石段に腰かけ、左手の上で炎を灯すアルド――高神楽たかぐら直彦なおひこがそこに居た。


「久しぶり、……って、程でもないな。草間」


 奈由は立ち止まり、やんわりと微笑む。彼がそこに居るのは予想済みだった。この夏に起こった一連の騒動絡みで、何かを仕掛けてきそうな人物のうち、炎を使うのは直彦だけだからだ。

 しかしそれも既に終わったこと。ビーの目論みが潰えた今、思うところはあるだろうが、闇雲に直彦が奈由を狙ってくる理由はない。それに危害を加えるつもりなら、こんなまどろっこしい方法はとらないだろうと思えた。だからこそ、奈由は誘いに応じたのだけれども。


「随分と凝った演出をするのね。嫌いじゃないけど」

「全くだ。……けど、これは俺じゃない」


 首を傾げた奈由に直彦は告げた。


「あんたに用があるのは、俺じゃない」


 直彦は左手を握り、浮いていた炎を消す。

 代わりに社の両脇で、空中に二対の炎が灯った。炎の灯りに照らし出されて、先ほどまでは見えなかったはずの影が浮かび上がる。



「やあ――草間奈由乙女」



 社の後ろから現れたのは。

 夏の騒動で尋常でない強さを見せつけた直彦の兄、高神楽たかぐら文彦ふみひこその人であった。

 流石に警戒して、奈由は一歩後ずさる。


「やだなぁ、そんなに警戒レベルMAXで挑まなくたっていいだろう、今はもう敵も味方も関係なし、同じ舞橋市民の共同体さ。そもそもオレは元から君らの敵じゃない。

 ビーはあの時、確かにそうだったかもしれないが、今も昔はオレはただのパトロンでスポンサーでオブザーバーだ。利害も利益も関係ない、ただの雇われアルバイト――おっとそれよりはボランティアかな――に過ぎない」

「何の、用ですか」


 文彦の言葉を遮って奈由は彼を冷やかに見つめた。

 奈由の目の前には、あの日と同じように全身を黒で固めた服装の文彦と、制服姿の直彦が並んでいる。

 隣に並べてよくよく見れば顔立ちに似た点もあったが、言われなければ二人が兄弟だとは思えなかった。しかし今、社や炎の創りだした幻想的な非日常の空間とも相まってか、恐ろしく二人の纏う雰囲気は似通っている。


「一度、話をしてみたかったんだ。草間奈由乙女と」


 石灯籠に腕をつき、ついでに頬杖もついて、文彦は奈由を見下ろした。


「君は、オレの想像を凌駕した。

 君だけじゃない……他にも何人か、想定よりも面白い人材を発掘することが出来たからね。だからオレはビーに礼を言われるんじゃなく、礼を言って然るべきなんだろう」


 奈由は炎の支配するこの場所から動くことができずにいた。

 炎が作り出すのは、何も光だけではない。その光に対しての影が、より色濃くくっきりと辺りに浮かび上がっていた。まだ今は日が沈み切っていないのが、幸いなのかもしれない。日が暮れてしまったら、完全にこの場へ囚われてしまいそうな気がした。


「オレの先見では」


 にやりと文彦は笑みを浮かべる。

 炎に照らされた彼の表情は、より不気味に怪しく映った。


「草間奈由乙女は、弟に、アルドこと高神楽直彦に負ける筈だった。

 いくら補助装置があるとはいえ、君がこいつに敵う見込みなどないはずだった」

「勝ったわけじゃ、ない」

「負けたわけでもないだろう」


 文彦は石灯籠から離れると、石段を一気に飛び降り、奈由の目の前に着地した。思わずのけぞる奈由の背を左手で支え、人差し指で奈由の顎を引き寄せる。


「オレは君が欲しい。それと同時に。

 君らのお仲間の目ぼしい優秀な原石たちが欲しいんだ。

 なぁに大丈夫、前回あんなに珍重された白原杏季姫には一切合切、手を出さないさ。そんな恐ろしい真似、オレには出来ないね。実に嘆かわしいよ、ビーの先行きが、さ」


「何を、言って」


「そのまんまの意味だよ。君はいずれオレのものにする、そして君の仲間も、ね。どんなに足掻いたって、この先見は覆させはしないさ……だからこその意味を交えての、不確定要素を不可侵のままにしようとしているのだから」


 至近距離で覗きこまれ、奈由は混乱した。非常によろしくない状況なのは痛いほど分かったが、身体が思うように動いてはくれない。

 その時、不意に奈由の携帯電話が鳴った。それを合図にはっと我に返り、奈由は文彦から飛び退る。


「邪魔が入ったようだね」


 両手をあげ、文彦は一歩後ろに下がった。


「今は下話に来ただけだよ」


 どこに隠し持っていたのか、文彦は服と同じく黒い帽子を被る。帽子に手を添えたまま、文彦は奈由に背を向けた。


「勝って嬉しい花一匁、負けて悔しい花一匁。

 オレはいずれ、勝って君たちを貰いに行くよ。

 ……一番欲しい子は、君ではなくあの子だけどね」


 言うと、来た時と同じように文彦はすっと姿をくらました。同時に、直彦の炎も消える。

 後には、妙な静けさと、奈由と直彦が残された。


「……何を、するつもりなの」


 随分と経ってから、奈由は直彦に問いかける。


「さあな」


 言いながら直彦は立ち上がった。ポケットに両手を入れ何事もなかったかのように歩き出し、彼は奈由の横を通り過ぎる。


「俺にはあいつの考えていることなんざ分からない」

「じゃあ」


 奈由は直彦を追い身を翻した。彼を追いながら、続けて奈由は問いかける。


「どうして今回、一緒に来たの。もし何をするつもりか知らなくても、あの人は大概にも……程がある。下手したらビーの時よりも厄介な事かもしれないって、予想つくでしょう。

 どうして手を貸しているの。いくら、兄とはいえ」

「……あんたの言葉を借りるなら」


 直彦は立ち止まる。鳥居を抜け、二人はユーカリの木の根元まで辿り着いていた。


「『そう創られているから、そうなってしまう』。

 俺はそう育てられたんだ。だから」


 直彦は唇を噛み締める。



――……仮に、本人の意思とは、違ったとしても。



 思わず奈由は尋ねていた。


「燃え尽きる方が、楽なのに」

「それでも」


 直彦はユーカリの木を見上げる。


「俺には、決まっていることだから」


 ただ、それこそ決まりきった答えを反復するかのように。

 感情のない声で、直彦は答えた。


「この木が、なくなってほしい?」


 奈由の問いに、しばらく黙り込んでから。

 直彦は、小さな声で答えた。


「切に――な」


 ざわりと、風に吹かれてユーカリの葉が音を立てる。

 そろそろ、本格的に日暮れだった。






 奈由は、直彦が去るのを見届けてから、自分も神宮を後にしようとしていた。そろそろ彼女も、行かなくてはならない。

 外界から隔てる鳥居を出たところで、そういえば、と奈由は思い出して携帯電話を取り出した。あの時、タイミング良く着信がなかったら、まだ彼女は文彦に絡まれていたかもしれないのだ。

 一瞬、潤からかと見紛うが、それが別の人物からのものであったことに気付いて、奈由は思わず口元を緩ませた。


「……もう」


 内容を確認し、奈由は呟く。


「バカばっかり」


 因縁の場所を後にし、奈由は夕暮れの道を急いだ。

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