染沢葵の事情
弄ばれていることは分かっている。
が、それでも葵は本望だった。
「ごめんね、病み上がりなのに頼んじゃって」
「いえっ! 大丈夫というか問題などあろうものかというか、実際にもうとんでもないです!」
若干、意味不明な受け答えで
自然に笑えていないような気がして葵は冷や汗を流す。それは何も、暑さゆえの仕業ではない。
だが幸いにして、この違和感のある挙動もさして気にされることなく、目の前の人物――
日が傾き始める頃合いでも、まだまだ暑さはしつこく肌にまとわりつき、影法師も短い夏の午後。葵と春は、二人きりで街に買出しに出かけていた。
目的の物は事前に予約してあったため、取りに行くだけで済む。だが一人で持つには量が多いために、葵は荷物持ち要員として駆り出されたのだった。京也に。
今朝方、何も知らない葵は、朝型の彼としては珍しく、二度寝して九時頃まで眠りこけていた。メールの着信音で目覚めた彼は、京也から届いたメールを寝ぼけ眼で確認するやいなや。
一気に覚醒すると共に、跳ね起きた。
『――……というわけで大荷物になるだろうから、春ちゃんと2人で商品を取りに行ってきてくれないか? もう注文はしてあるから、取りに行くだけで大丈夫だ。予約の時間は5時な。
因みに待ち合わせとかの詳細は直接、春ちゃんとやりとりしてくれ。春ちゃんには言ってあるから問題ないぞ』
「……おお……」
由々しき事態だった。
大慌てで時計を確認すれば、まだ午前九時。定められた時間は午後であったため、今から準備したとして時間はたっぷりある。
しかし。
――心の! 準備が!! できねぇだろうがアホ!!!
内心で京也に渾身の力を込めて文句を言う。
せめて前日に言え、と不満の一つも送りたいところだったが、あいにくそんな余裕は彼にない。それに、おそらくこの状況を京也を始めとする面々に楽しまれているとはいえ、嬉しい申し出なのは違わなかった。
とにもかくにも、と葵は転がるようにベッドから降り、カーテンを開ける。
すると、再び携帯電話の着信が鳴った。また京也だろうか、と手に取ると、ディスプレイには見覚えのある別の名前が表示されていた。
『From:草間奈由
健闘を祈る☆q(≧∇≦*)(*≧∇≦)p
P.S.ちょっとくらい時間に遅れて寄り道とかしちゃってうっかりランデブーっても構わないよ☆(*´ω`*)』
「…………」
思わず携帯電話を放り出しそうになる。
京也からのメールを見た時点で、おおかた奈由あたりの差し金なのではないだろうかとの察しはついていたが、推測に間違いはなさそうだった。
ため息を漏らして携帯電話をベッドに放り出し、葵は身支度にかかる。
着替え始めたところでまたしても静かな部屋に着信音が鳴り響いた。また誰かの茶化すメールか、と気にせず葵は手を止めず支度を続ける。
だがしかし、しばらくしてからふと彼は違和感に気付いた。
先ほどとは違う着信音。
そして、いつもなら数秒で鳴り止むはずの着信音が未だに鳴り続けているという事実。
メールでは、ない。
「……はっ!?」
葵は携帯電話に飛びつく。
そこのディスプレイに表示されているのは。
「もっ、もしもし!?」
『あ、おはようございます畠中です。もしかして寝てた? 突然ごめんね』
「大丈夫です起きてましたまったくもって問題ないです!」
『ならよかった。あのさ、京也くんからのメール見たかな? 電話のが早いかなと思って、連絡しちゃったんだけど』
「無論! です!
ちょうど! ちょうど俺から連絡しようかと思ってたところです! むしろ連絡させてしまい申し訳ない!」
どっと体から冷や汗が出るのを感じる。
心の準備どころではない。
しかし数分の差であっても、一応は事前に予告をしてくれた京也に感謝する葵だった。
あれから一人でてんやわんやの大騒ぎを繰り広げてから、あっという間に約束の時間になり、なんとか現在、葵は春の隣にいるのだった。
「大丈夫?」
「えっはっいやこの位全然まったく問題ないっすよ!」
店で受け取った品物は3袋あったが、重い方を2つとも葵が引き受けていた。葵は両手にさげたビニール袋を、中身を崩さない程度に軽く上に持ち上げてみせる。片方は2リットルのペットボトルが数本入っていたので結構な重量があったが、夏までずっと部活で鍛えていた彼にしてみたら大したことはなかった。
「そうじゃなくて。……怪我の方とか」
気遣わしげな目線で春はおずおずと尋ねる。言われて初めて、「ああ」と葵は自分の体を眺めた。
件の最終決戦にて葵はいたく負傷していたが、幸いにして既に怪我はほぼ治っている。しかし服の隙間からは、直りかけの傷痕と絆創膏、そして手首には包帯が巻かれている。
さりげなく包帯は隠しながら葵はにこやかに言った。
「俺はもう大丈夫ですよ。ありがとうございます」
表情を曇らせた春は、真っ直ぐに葵を見つめた。
「本当に。ありがとね。なかなかちゃんと、お礼を言えなかったけど。葵くんに庇ってもらったおかげで、私はほとんど無傷で済んだから。……代わりに、葵くんに怪我させちゃったけど」
「や、その」
妙に焦って葵は目を逸らす。
「気にしないでください、俺が勝手にやったことで。春さんが、気に病むことは何も無いんすから」
「……ありがと」
何か言おうか躊躇いつつも、それを飲み込んで春は笑った。
「ねえ。せめて片方、持たせてくれない? 怪我人なんだし」
伸ばしてきた春の手を葵はすかさず避ける。
「それは駄目です」
「何でよ」
「駄目なものは駄目だからです」
「なんで駄目なんですかこの後に及んでも敬語の葵くん」
「……いや、それとこれとは話がですね」
荷物を持つ持たないの攻防を静かに続けながら、ふと春が訪ねた。
「そういえば、葵くんも呼ばれたってことは、彼も呼ばれてるの?」
「ユウですか」
「そうそう。臨心寺くん、来るの?」
「多分、趣旨も趣旨だし呼ばれてるんじゃないかとは思いますけど……いや佐竹が阻止したらどうか分からないですけど。
あいつ、今日は寮にいなかったんで直接は聞いてないです」
「そっか。じゃあ行ってのお楽しみかあ」
思わず、葵は一瞬手が止まる。
「……春さん、あいつが来るの楽しみなんですか」
「うん。ほら、あっきーとこーちゃんと、どんなやりとりするのか気になるじゃん。あからさまなのにあっきー本人は気付かないしさ、こーちゃんは殺気だってるし。当事者だと意外に気付かないものなのかねー」
「あ、ああ! そうですね、確かに」
「取った!」
「あっ」
春の発言に気を取られている隙に、ペットボトル入りの重い方の袋を握られる。が、葵も頑なに手を離さない。
「……渡しませんよ」
「強情だね……」
「そっくりそのままお返しします……」
しばらく二人で袋を引っ張り合った後、春は提案した。
「じゃあさ、二人で持とうよ。袋のヒモ片方ずつ持ってさ」
「……は」
「ないしは私が持」
「駄目です」
「ならもういいじゃない、間とって半分こで」
「……や、でもそれじゃ」
無邪気な笑顔でもって、じっと春は無言で葵を見つめプレッシャーを放つ。
観念して葵は片方のヒモを放し、ため息をついた。
「これじゃ、せっかく荷物持ちに駆り出された意味がなくなるじゃねぇか」
「あれ、そこ気にしてたの?」
「当たり前だろ。何のために俺が来たって、重いものを女子に持たせないため以外の何があるってんだよ!」
少々むきになって言う葵に、春は思わず感嘆の声を漏らす。
「……おお……!」
「何ですか」
「そういう風に扱ってもらったのって、ひっさびさ! ていうか下手したら初めて!」
「ええっ、普通そうじゃねぇの!?」
「いやいやいや、女子校育ちだとないんですよこれが! ていうか女子校だと何でも自分でやんないとだしね。中学でもそういうポジションじゃなかったし」
「いやそれはおかしい高校はともかく中学でないとかそれはおかしい春さんの中学の奴らがおかしい」
見も知りもしない春の中学の男子に悪態をつきつつ、葵は顔を上げた。
「……あ」
不意に葵が歩みを止めたので、春も一緒に立ち止まる。二人の間で重みのあるビニール袋がぐわんと揺れた。
葵は道路を挟んだ向こう側へ目線を向けていた。彼の目線の先に広がっていたのは、塀に囲まれた小さな墓地である。
「どうしたの?」
「いや。……近い、から」
何が、と尋ねようとして、春は葵の表情をみて固まった。
代わりに葵が答える。
「兄貴の、名目上の命日が。……うちの墓地はここじゃないんですけどね。思い出して」
ふ、と表情を崩して、葵は間をつなぐように続けた。
「来月、九月の十七日なんで。
……その日が兄貴の命日だって、信じてないつもりなんすけどね。まさかよりによって、兄貴の誕生日と同じ日なんで。忘れたくても忘れられない」
一呼吸おいてから、葵は一歩前に踏み出した。慌てて春も追いかける。
「何か、すいません。気にしないでください」
「や、それは別に」
「すいません、急に立ち止まっちゃって……でッ!?」
ぐい、と手をとられ葵は再び立ち止まった。
今度は春が急に立ち止まり、葵と一緒に持つ袋を引っ張っているのだった。
「な、んですかッ!」
「いや、葵くん怪我人だし、私が持とうかと」
「だから俺が来た意味なくなるじゃねぇかっ!」
「いいんですー、私が勝手に持ちたいだけだから葵くんは気にしないでくださーい」
「わがままですか!?」
反射的につっこんでから、葵は春の顔を覗き込み、面食らう。春は何故か、不満そうな表情で葵を見上げていた。
「気に病まないでよ」
「……え」
「葵くんが私に気に病まないでって言うんなら、私も葵くんに気に病まないでって言う。じゃないと、ずるいでしょう」
言って、春は葵と手にしていた袋を差し上げた。
「半分こ」
葵は一瞬、きょとんとしてから、
「……はい」
微笑んで、一緒に持つ袋を持ち上げた。
がさりと無遠慮な音を立てるビニール袋が、何故か耳に心地いい。
「そういえば、もう5時半だね」
「じゃあそろそろ時間じゃねぇか、急がないと」
「みんな揃ってるかな」
「あいつらのが近い場所だし、大体揃ってるんじゃないですかね」
夕暮れ時に、細い線で繋がった二人の影が伸びる。西の空を橙に染める夕日は、明日もきっと晴れだろうと思わせた。
なお。二人の間の距離感に、少しばかり分かりやすい変動があったことについては、二人とも気付いていない。
当事者は、意外と気付かないものなのだ。
数分前に、春が言った。
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