雨森京也の事情
冷房を求めて京也が本屋の扉をくぐれば、そこには似たような考えで集った客がごったがえしていた。さすがは夏休みといったところか、と内心で彼は独りごちる。
混雑した店内を縫うように進み、彼は店の奥へと踏み込んだ。
彼、
とりたてて欲しい本や雑誌があるわけではなかったが、CDも売られている本屋は時間つぶしにもってこいであった。
店を練り歩いていると、ふと見覚えのある横顔を見つけて彼は立ち止まった。
小麦色の肌に、少々跳ねた短い髪。無心に雑誌を立ち読みしているその人物は。
「……月谷?」
声に気付き顔を上げた人物は、訝しげに京也を振り返った。
その視線を捉え、京也はぎくりとする。
確かに姿は
他人と言うには似すぎているが、潤と断じるにはどこか不自然だ。
そもそも潤だったら、京也を見かけた時点で悪態の一つで付いてよさそうなものである。
どちらかといえば、以前に彼女が京也と共にチームCに潜入した時、その姿に似ているような。
そこまで思索してから、彼の脳裏に別の人物の名前が浮かび上がった。
「……もしかして、
その単語に反応し、彼は瞬きして目を見開く。
改めて京也が目の前の相手を見れば、その人物は潤より少し身長が高かった。京也と並んで遜色ない高さである。加えて、痩せ型ではあったが体格もしっかりしており、微々たる相違点を総合すれば、彼が紛れもなく男だということが分かった。よくよく見れば、髪の毛も彼の方がくせが少ない。
他にも何度か指摘されたことがあるのだろうか。慣れているのか、さして動じもせず彼は肯首する。
ややあって彼は、ぴんと指を伸ばして彼を指差した。
「当たり、だけど。そーゆーそっちは、……長髪ナルシスト、こと、雨森京也だな」
「な……」
ずばり言い当てられ、京也はたじろぐ。
しかし自分のことを潤が話したのだろうと思い当たって、すぐに気を取り直した。髪が長い男子高校生など、彼の他にそうはいない。
「認めたくはないが月谷潤曰くその通りだけど、姉弟そろって無遠慮極まりないなお前ら……。どうしてまたそんな不名誉極まりない呼称で認識されてるんだ僕は」
「しょうがないだろ。あの潤の説明なんだからさー」
雑誌を置き、左手を立てて少し悪びれた表情をしながら、潤の双子の弟・
「よう。重々知ってると思うけど、俺はバカ姉貴こと潤、あいつと双子の月谷恵だ。
久しぶりだな、京也? 敵地に潜入して以来?」
「……久しぶりじゃあないだろう。一応は初めまして、だ。こないだ潜入したのはお前じゃなく潤の方な」
「そうとも言うな」
「そうとしか言わねーよ」
ぼやいた京也に、恵は軽く左手をひらひらと振ってみせた。ポーカーフェイスながらふざけた物言いの彼にため息を付いた後で、京也は確認する。
「……つまり。何が起こったか、全部、把握してるんだな」
「一応な。訳が分からないなりに全部記憶してる。潤の馬鹿が本当迷惑かけたな」
淡々とした口調のまま恵はさらりと続けた。
「俺を呼んでくれさえすりゃ、ビーなんて奴ぁすぐに片付けてやったのになー」
「……なるほど血が繋がった姉弟だな」
「残念ながらどんなに否定したくとも超血は繋がってるからなー。しかし俺のが有能だ」
「その物言いもそれっぽいぞ」
「潤は口だけだろ。俺は実際に有能すぎて、困っちゃうくらい天才的な恵くんです」
「どう考えてもあいつと双子だな……」
呆れて京也は苦笑い交じりに言う。
恵と潤とは一見した姿はよく似ていたが、口を開くとその様相はだいぶ異なる。潤は喜怒哀楽をストレートに言葉へ込めるが、対して恵は常に平坦な調子一辺倒だ。感情に合わせてころころ表情が変わる潤と比べても、恵は口調と同じくほとんど表情を崩さない。その辺りはどちらかといえば奈由と似ていた。
そう考えて記憶を辿れば、恵に変装していた時の潤は感情をあまり表に出さないよう努めていたように思える。あの時の潤が少しそれを抑えるだけでがらりと雰囲気は変わっていたが、目の前の恵はそれ以上だ。
しかし喋っている内容や調子のよさは、潤と血を分けた双子のそれである。
「ま。こんな髪をしてたら嫌でも誰か分かるか。それにしても姉の月谷にゃどんな吹聴されてるのやら」
京也は諦め口調で言った。
一方で恵は、そーだなー、と頭の後ろで腕を組みながらすっと目を細める。
「お前のことをすぐにそうだと認識できたのは、それだけが理由でもないけどな」
「……どういうことだよ?」
「お前がお前たりうると認識できたのは、偏にあんたが他ならぬ『雨森京也』だからだ。
お分かり?」
「いや、……全然分からないんだけど」
困惑しきって京也は眉を寄せた。表情はそのままで口角だけにっと引き上げてから、恵はやはり淡々とした口ぶりで言う。
「仮にお前の髪が短かったとしても俺はあんたを雨森京也と見破れただろうよ。
何故なら俺は、他の連中が想像するより遥かに多くの雨森京也の情報を有している。
そしてそれは、何より君が俺たちにとって、極めて重要な人物であるということに他ならないってことだよ、京也クン?
なんてったって、この夏から始まった一連の出来事において、一刻も早く会いたかった二人の人物のうちが一人だからな」
思わず京也は息を飲み、じっと恵を凝視した。
素直に解釈すれば、潤の話す内容には京也の話が他の人物のものより多かった、印象深いものであった、ということだ。元より潤と親しかった者を除けば、確かに京也が一番、潤と関わっていた。そうだとしてもおかしくはない。
だが恵の言葉には、単にそれだけでは終わらせない意味深な含みがあった。
にわかには深く追求することができず黙ったままでいる京也に、恵は気楽然としたようすで肩をすくめる。
「そんなに気負うなよ。俺はお前と、これからも仲良くしたいと思ってるんだぜ?
なんせ、潤の味方は俺の味方だからな」
恵は京也へ左手を差し出した。
それに応じて京也も反射的に手を差し出す。
「改めてよろしくな、京也」
そこで初めて恵は表情を崩し、にっと京也へ不敵に笑んでみせた。握りしめた手は汗ばんで、ぴたりと二人の手の平を吸いつけた。
彼の笑顔は潤と似ていて、それでも少し違う。
例え潤がまた男に変装していたとしても、二度と彼と潤とを間違えることはないだろうと京也は思った。
「参考までに聞くけどさ。僕の他のもう一人ってのは、誰なんだ?」
「聞かなくても、どうせお前は分かってんだろー?」
試すような物言いで、恵は肩越しに京也を見つめた。
彼の返しに、少し身構えて京也は思考する。いつもの女子メンバー以外で、他に潤と結びつきそうな相手を挙げるとするならば。
一瞬でその名前に思い当たった京也は、眉をひそめて答えを口にしようとした。
が、彼が言うよりも早く、今度こそ馴染みのある姿と聞き覚えのあり過ぎる声が彼らのところに飛び込んでくる。
「あっ恵! だけじゃねぇ、なんでここにいんだ長髪ナルシスト!」
同時に二人は潤を振り返り、渋面でもって彼女を迎える。
「ふらふらしてんのはそっちだろうがバカ姉貴」
「舞橋市街の本屋に僕が居ちゃ悪いか乾燥ワカメ」
「なにこのいきなりダブルの連携攻撃! 潤さんくじけそう! いやくじけないけど!」
相変わらずのテンションに、密かに京也は息を吐き出した。
さっき自分が恵と潤とを間違えて話しかけたことは棚に置き、彼はやれやれと肩をすくめる。隣では、改めて恵がまじまじと京也の横顔を、やはり真意の読めないポーカーフェイスで見つめていた。
二人のやり取りを見た潤が、ははあ、とばかりにびしりと指を突きつけた。
「んだと、さてはお前らで手ぇ組んで、この潤さんを亡き者にしようという寸法か!」
「その通りだバカ姉貴」
堂々と答えた恵を、京也は呆れ交じりで振り返る。
「いつの間にそうなったんだ!?」
「俺がそうと決めたときから」
どこか勝ち誇ったような口調で恵は断言する。
「俺たちゃ、目の前の厄介な強敵を何としてでも打ち破らねーといけないからな」
「厄介な強敵、ね……。
……なるほど。最高潮に厄介であることにゃ違いない」
「そうとも。この馬鹿姉貴に目にもの見せてやろうぜ。俺らの最強タッグは北関東1だよ」
ちらりと自分を一瞥しながら、知った仲のように交わされる二人のやりとりに悔しくなったのか、間に潤が無理矢理割り込む。
「じゃ、じゃああれだ、潤さんは関東1! お前らより上!」
「引っ込め。井の中の蛙、東京を知れ」
「黙れよ都会かぶれがよぉぉぉ!!」
「煩い、ちょっとのことで田舎モノはぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん喚くから困る」
「出身はてめーも同じだろ!? 田舎バカにすんな田舎バンザイ!」
「ここが田舎とは言っていない、天下の県庁所在地で何をほざきますか、過ごし易く素晴らしいこの街をバカにするなんていただけないなー。
みなさーんこの似非郷土愛論者がウチを田舎だってバカにしてますよー」
「殴るよ? 手の平グーに固めて全力で殴っぞ!?」
二人の会話を聞きながら、京也は少しばかり疲弊した色をその顔に浮かべた。
ビーと関わった先日の一連の騒動は、数日前に既に決着をみせている。
だが。これで全て終わりではない、ということはとうの昔に感づいていた。
本来ならば、彼はこんな悠長なことをしている場合ではない。
――……それでも。
事の始まりが何であれ。
今の状況を
それを、正面きって認めることがまだ気恥ずかしかったとしても。
呆れ返りつつ、だが観念したように、京也は堪えきれずに笑みを浮かべた。
「さあて。じゃあ俺は、そろそろ行くかね」
「何か用事でもあるのか?」
荷物を持ち直した恵に、何気なく京也は尋ねた。
潤は目に止まった本を手にとってレジに並んでおり、この場にいるのは二人だけだ。
「墓参り。お盆に帰れなかったからな。バスが来るまで、時間つぶしてたんだ」
そう言って差し上げた紙袋の中には、花束が入っていた。全て、小さなヒマワリである。墓参りと言うよりは、誰かへのプレゼントと言われたほうがしっくりくる花束だった。
「俺と潤の、幼馴染なんだ。まだ小1の時に死んでる。ヒマワリが、似合う子だったんだ」
「……そうか」
「命日は十一月なんだけど、その時は大変でさ。お盆は時期だから、手に入りやすくていいよな」
「ああ、確かにな。僕は、逆に今の時期のが難しくてさ。梅の花だから」
わざと軽い調子で言った恵だが、京也から予想外の反応が来て、目を細める。
「……家族、か?」
「父親だよ。もう十年近く前の話だ。
といっても、今は母親が再婚してる。今の父親はいい人だしね。転勤してるから、一人暮らしではあるけどな」
「そっか。……お互い、苦労するな」
「そうだな」
努めて、互いに淡々と会話を終了させる。
恵の去り際、やはりお互い探るように顔を見合わせるが。
その表向きの表情からは、それ以上のことは読み取れなかった。
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