HAPPY END 02:覚醒の姫君
――2005年8月22日。
舞橋市は今日も快晴だった。
クーラーの効いた部屋の中で引き篭っていたい、うだるような暑さの中。彼女はとある場所に向かう。前にも一度訪れたことがあるが、自分の意志で訪れるのは初めてだ。
細長いビルの中へ入り、階段を登る。しんと静まり返った建物の中は彼女の足音以外に物音がしなかった。人が居る気配がない。だが、外出中でなければここに彼はいるはずである。
潤から聞いたとおり、彼女は彼の居所である三階の部屋の前までやって来た。暫し扉の前で心の準備をしてから恐る恐るノックをすると、中から声が聞こえ、入るように促される。
失礼します、と小声で言い、杏季は静かにドアを開けた。
部屋の中にいた人物は、こちらに背を向けるようにして壁に掛けられたカレンダーを見つめている。彼の手には、カレンダーへ印を付けるのに使われたのだろうペンが握り締められていた。
「……あの」
言葉に詰まり、杏季は入り口で立ちすくむ。どうにも気後れして中に入れずにいた。ぐずぐずしている彼女に業を煮やしたのか、怪訝にビーは杏季を振り返る。
「畏まらなくていいですよ。昨日は僕に対してあんなに啖呵を切ってたじゃないですか」
「そ、……そうでした」
赤面して杏季は下を向いた。確かに、彼に臆するのも今更だった。
杏季は部屋に入りそっと扉を閉める。
「随分と、元気そうですね」
ビーの言葉に杏季は頷く。
「うん。私は、ただ疲れてただけだから。みんなと違って」
「他の方々の様子は、どうですか?」
「えっと、染沢くん……グレンくん以外は、大体もう元気だよ。こっちゃんが呼んでくれた理術のお医者さんのおかげで。流石に、染沢くんは絶対安静だけど。でも、明日には起き上がってもいいって言われてた。
そうそう、つっきーは、なっちゃんなっちゃんなっちゃんって騒いで大変だったよ。自分も重傷な癖に、そればっかだった」
「相変わらず。……あの人、らしいですね」
ビーは目を閉じた。笑っているのだろうか、と杏季は勘繰る。
「それで。昨日の今日で、どうしたんですか」
単刀直入にビーは本題を切り出した。
杏季は手にした紙袋をビーへ差し出す。
「これ。千夏さんから、頼まれたの。どうせあいつは掘り出さないだろうから、千夏ねーさん権限で掘り出しておいてって。
中は見てないよ、断じて。土がついてたから、それは綺麗にしてきたけど」
「……覚えて、いたんですね」
ビーは懐かしそうにそれを手に取った。紙袋の中に入っていたのは、古びた缶だ。気まずそうに杏季は視線を反らす。
杏季は昨日の時点で密かに千夏から頼まれ、先ほど澪神宮の一角からその缶を掘り出してきたのだ。かつて千花と千夏、それとビーとが埋めたタイムカプセルなのだという。
「ありがとうございました。
……そうですね、姉さんの言うとおり。きっと僕はそのままだったでしょう」
ビーは蓋を開けることなく、それをまた紙袋に仕舞いこんだ。
『約束の日は。……今年の夏だったのよ』
千夏はそう言っていた。約束の日、即ち千夏の二十歳の誕生日はもうすぐだったが、しかし三人が揃ってそれを掘り出すことはできない。
顔をあげ、ビーはふと思い出したように杏季へ尋ねる。
「ところで。どうしてナツ姉さんは、核とナイフを取ったんですか?
ナイフはなんとなく分かりますけど。大方、核を破壊させないように没収したんでしょう」
「うん、ナイフを没収したのはそうだよ。核に関しては『千花だけ綺麗な核を持ってるのズルいじゃない、折角だしお揃いがいい!』と言っておられましたが」
「バカですかあの人は。いやバカですけど」
呆れてそう言った後で、ビーは何かに気付き動きを止めた。
「……お揃い」
彼は再び紙袋から缶を取り出す。先ほどは手を付けずにいた蓋に手を掛け、彼は数年越しであろう缶の封を解いた。
中を見てしばらく沈黙し、それからビーはふっと息を漏らす。
「あの人は大概バカですね。……一体、僕がいくつだと思ってるんだ」
彼は缶の中から、ネックレスらしきものを取り出した。首に掛けられるように紐がつけられた、小ぶりのナイフの形をしたペンダントである。
「幼い頃、姉さんと千花さんがお揃いで持っていたものです。当時、それを羨ましがっていた記憶があります。
姉さんは杏季さんにタイムカプセルを掘り出してくれと託した。こっちが僕に行き渡ると分かってたから、あの人は代わりに僕のナイフを持って行ったんだ。
……バカですか」
独り言のように言い、ビーはそれを静かに握り締めた。
しばらく彼の様子をおずおずと見守っていたが、やがて杏季は思い切って問いかける。
「ねえ。私は、……千花さんに、似てる?」
杏季の質問に、ビーはそのまま息を止めた。
重ねて杏季は更に問う。
「それと千夏さんはなんとなく、つっきーに似てる。……よね?」
「……お笑い種ですよね」
ビーは机に寄り掛かり盛大に息を吐き出した。嘲りを込め、彼は吐き捨てるようにごちる。
「敵対する側の人間に、ナツ姉さんの影を見て。
利用するはずだった張本人に、千花さんの影を見て。
……僕は、冷静でいることが出来なかった」
ぽつりと杏季は呟く。
「私は、千花さんとは違う」
「ええ、分かっています。……混同する方が、愚かだ」
ビーは窓の外に視線をやった。三階のこの部屋の窓からは、比較的遠くの景色が見渡せる。流石に澪神宮までは、見ることが出来なかったけれども。
「僕は、古が嫌いです」
はっきりとビーは言う。
「けれども。……あなたのことは、古だとかそういう点を抜きにして、ただの人である白原杏季として思っていければいいと、そう思うんです。
一般多数の古とも、千花さんとも、別に」
「……できれば」
少し嬉しさに顔を緩ませながら、杏季は控えめに要望を付け加える。
「古が全部ひっくるめて嫌いってのも。そのうち考え直して貰えたら、嬉しいんだけど」
「そうですね。……考えて、おきます」
ビーも少しだけ表情を緩ませて、そう答えた。
「僕は失敗しました。完全に、僕の負けです。
けれども。……昨日貴女がしたことは、ただの保留に過ぎない」
「それでも」
拳を握り、杏季はまっすぐに彼を見つめる。
「私が知った。私たちに、知れた」
「……そうですね」
強い彼女の言葉に、ビーは素直に頷いた。
「春になったら。――手伝って頂けますか。全てを、取り戻す手伝いを」
「勿論」
にんまりと杏季は満足げに笑みを浮かべた。
「そういえば、さ。チームCのCって、千夏さんと千花さんのC?」
ビーは奇妙に表情を固め、杏季から目を反らす。照れているのだ、と気付いて、杏季はなんとなく愉快な気持ちになった。
思えば、今まで『余裕の笑み』か『冷静沈着』しか見ることのなかったビーの表情を、杏季は昨日今日でたくさん目撃している。それはかなり貴重なことなのかもしれない。
不精不精ながら、素直にビーは認める。
「……それだけでは、ありませんけどね。概ねの由来はそれですよ。なんで、そんな気付かなくていい部分に気付くんですか」
「あ、それは私たちもチーム名をこないだ考えてたからで。それで、こっちの由来はなんなのかなって気になってたからなんだけど。
私たちのは、つっきーが響きだけで『チームAKY』って決めちゃったから、意味とかはあまりないんだけどね。アルファベットの意味合いは絶賛募集中」
彼は片手を腰に当て、やれやれと言わんばかりにもう一方の手を振った。
「あなたたちの場合、『あり得ない奇跡を呼び起こす』でしょう。
本当に、――とんでもない」
何気なく言ったビーの案に、杏季は目を見開く。
「……それ、採用してもいい?」
「お好きにどうぞ。みなさんが嫌がらなければ」
感嘆の声を挙げて満足そうに頬を緩ませた。「扉を開けちゃったり、いろいろみんな凄いことやってたもんねー」と杏季は改めて感心したようにこくこくと頷く。
自分のことは除外してそう言う杏季に、ビーはどこか呆れたように、どこか優しい眼差しで見遣った。内心でいろいろと思うところはあったが、あえてそれは、言わない。
彼の心情は露知らず、杏季は暢気そうに「けど、」と両手を組み合わせて言う。
「一番の奇跡は、みんなと出会えたことだと思うの。
いろいろあったけど、もしこういうことがなかったら、みんなと会えなかったかもしれないもん。あなたも含めて」
ついつい咳き込みそうになって、ビーは口元を押さえる。
「……そういう恥ずかしい台詞を簡単に口にするの止めてもらえますか。こっちが恥ずかしい」
「そう? 本当のことだけどなぁ」
「ああもう、本当に――あなたって人は」
一遍の曇りもなくただ嬉しそうに微笑む彼女を見て、ビーはまた何事か言うのを諦めた。
にこにこと笑みを浮かべていた杏季だったが、はっと何かを思い出して動きを止め、勢いよくビーを振り返る。
「あ、あの。……教えて欲しいことが、あるんだけど」
「何ですか?」
杏季は少しだけためらってから、ビーの瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。
「あなたの、名前。
もう敵じゃないもん。コードネームなんか使う必要、ないでしょ?」
意外な質問に、ビーは目を丸くする。
その後で、彼は至極、愉快そうに笑みを湛え、目を細めた。
「
水橋千夏という駄目な姉を持つ、向こう見ずで冷酷無比な一介の高校生です」
腰を折り、優雅に一礼してみせた後で、彼は冗談めかして「あなたのお名前は?」と彼女へ問い返す。
柔らかく微笑み、彼女はそれに応えた。
「白原杏季。
臆病で甘ちゃんで男子恐怖症を鋭意改善中な、世界と世界の番人をまとめて救いたいという壮大な夢を持つ、一介の高校生です」
冗談めかして杏季はスカートの裾を摘んでお辞儀する。
顔を見合わせ、杏季と廉治は屈託なく笑った。
+++++
時は現代、二十一世紀。
とある平和な街、とある何の変哲も無い日常で。
「だあー! 髪を引っ張んじゃねぇこのメガネが!」
「うるさい、貴様が私の目の前で見えるか見えないかの瀬戸際の状態でうなじを隠すのが悪い」
「私の所為なの!? 私が悪いの!?」
「駄目だ更なる色気が欲しい。ねえつっきー、暑いから君に水ぶっ掛けてもいいよね」
「虐めじゃね!? おかしくね!? 私にかけても涼しくないよ!?」
「あ、はったんここに水鉄砲があるよー」
「おうこらイイ度胸だな十歳児……」
「十歳じゃないもん!」
「水も滴る! いい男! よしキタあっきー、それを私に渡すんだ!」
「私は女だ! いや水かかったらアレだけど!」
「駄目だよはったん、水が滴ったら乾燥ワカメじゃなくふやけたワカメになっちゃう」
「なっちゃぁぁぁぁん!?」
いつものように、いつもの四人組がはしゃいでいた。
じりじりと照りつける太陽、それに負けじと彼女たちは弾んだ声をあげている。
潤の手に、補助装置はない。
春の手にも当然補助装置はなく、代わりにお菓子の入った紙袋が握られている。
奈由は、傷の治った腕を軽く伸ばした。
杏季の髪は、市販の可愛らしい髪飾りで結わえられている。
ひとしきり笑ったあとで、春は号令を発した。
「さて、行きますか! うかうかしてると時間に遅れちゃうよ」
「別にいいじゃん、あいつらなんだし待たしとけばさぁ」
「良くねぇ! 時間にルーズなのは許さんぞタラシ!」
びしりと春は潤を指差して渇を入れる。だが潤は「えー」と口を尖らせ、焦る気配が微塵も無い。
にやにやと笑みを浮かべて奈由が春の顔を覗き込んだ。
「はったんは、一刻も早く合流したいもんねぇ」
「えっ、いや、うん合流はしたいけど。向こうに悪いもん」
彼女の返答に、やはりにやりと笑みを浮かべて奈由は潤を急かす。
「ほらほら、アオリンとかは病み上がりなんだから無理させないようにさっさと行くよつっきー」
「へいへーい」
奈由に言われ、潤は頭の後ろで腕を組みようやくその気になった。
「ま、早めな気もするけど行きますか! みんなの快気打ち上げ!」
杏季が同調して腕を元気に上へ振り上げた。
「でも、快気で打ち上げって謎だけどねー」
「大人しくしてられないんでしょ、どこかのタラシみたいに」
奈由がぼそりと言う。潤はまた「なっちゃぁぁん!?」と声をあげた後で、杏季に向かって釘を刺す。
「言っとくけど逃げんなよ十歳児? 長髪ナルシストは確かに危険だが別に取って食やしねーからな? アオリンとかきっと傷つくぜ」
「臨少年もねー」
奈由がちゃっかり付け加えた。
杏季は両の拳を握って潤に反論する。
「逃げないもん! みんな好きだもん!」
「ほー、その言葉、全員集合したらみんなの前で言えよ?」
「……。い、言えるもん! 平気だもん!」
「よし、一秒でも躊躇したらミスドあっきーのおごりな」
「ふええぇぇぇん!」
例によって潤にいじられた杏季を春が撫でる。
いつものやりとり。
平和で騒々しい、いつもの日常。
「――よかった。無事に、越えられた」
杏季の耳に、ごく微かな呟きが届く。
今の声は誰だっただろうと、心の中で首を傾げたが。
「はいはいはい! なんにせよ歩こう! いつまで経っても進まないじゃん!」
杏季の思考は、春の仕切り直す声に遮られた。
気を取り直して、杏季は同調して頷く。
「そだね! ホントに遅れちゃう。たいむいずまねーだよ。過ぎちゃうのは打ち上げ花火みたいに一瞬だよ」
「よっし」
潤は目的地のある方角へ向き直り、右の拳と左の手の平とを打ち合わせた。
「全力で今日も楽しみますかっ!」
「おうよっ!」
示し合わせもしなかったのだが、自然に四人とも動きが揃う。
彼女たちは、青空に向けて威勢よく腕を振り上げた。
(第1部:タイドウ編……完)
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