きみとぼくの狂った世界(4)

 相変わらず、鳥居の中には白い空間がいっぱいに広がり、扉を開き続けていた。

 過去に異世界の人間が通り抜けて来たという扉の向こう、裂け目には、既存の人柱に成り代わるべく差し向けられた杏季がいる。

 異世界の血を引くという、杏季が。


 ビーは茫然としているベリーに視線を向ける。


「ベリーの家が、代々護衛者の家系であったように。

 アルドの家が、本来歴史ある霊の一族であったように。

 理術の力は、血で、家柄で、受け継がれるものなんです。

 基本的に、親から子へは同じ属性が受け継がれるんですよ。この世界では、必ずしもそうでないことが多いですけどね。

 そして白原杏季の家は、由緒正しい古の一族だった。本当であれば、順当にいけば、世界を守るべく壁を作り続けるのは彼女の家系であったはずなんです。

 しかし異世界からこちらに来た折、彼女の一族は記憶を失ってしまった」


 自分の手元に目を落とし、ビーは胸の前に掲げた左手を握り締めた。


「そういう事例は他にも何件かあったようです。記憶を失った人たちは、一般人としてこちらの世界に溶け込み暮らしている。あの白原杏季のように。

 古の家系が消えてしまったので、件の壁は全く別の家系から生まれた古の者により構築された。

 やがて白羽の矢が立ったのが、元は霊の一族であった高神楽家。

 霊ではなく古に生まれついてしまった、高神楽たかぐら千花ちかだった」


 高神楽、という単語に反応し、奈由は自分を打ち破ったアルドの姿を探す。

 その視線に気付いたのか、ビーは肯定するように微かに目を細めた。


「ご存知、アルドの姉君です。そして同時に、先ほど貴方たちとまみえたはずの高神楽文彦の妹だ。脈々と続いてきた歴史ある一族、高神楽家の長女」


 未だ倒れ伏しているアルドを奈由は黙って眺めた。彼の表情は、そこから窺えない。

 何故、アルドがビーに加担していたのかがようやく分かった気がした。人柱となり世界の犠牲となったのが、他でもないアルドの姉であったからだ。

 しかし理由はそれだけではないのだと、数秒の後に彼女は察する。


「人柱は。……姉一人でも、事足りるはずだった」


 力ない声で、アルドは吐き出した。


 ビーは黙って彼を見つめる。

 感情の無い、眼差しだった。


「だけど。姉は自分の護衛者もろとも裂け目に行った。

 ……姉だけじゃ、おそらく術は成功しなかった。護衛者が支えになって、姉を助けたからこそ。人柱として世界は、安定してる。

 その巻き込まれた護衛者が。ビーの義姉あねの、水橋みずはし千夏ちなつだ」


 何かを言おうとするが、しばらく躊躇した挙句、アルドは口をつぐむ。

 そんなアルドを、ただ黙ってビーは眺めていた。




 心底、突拍子も無い話だった。

 何から何まで、信じ難いにも程がある。

 これが夢だったら、何と面倒くさい夢を見るんだと笑い飛ばせたことだろう。何かの冗談だったら、どんなに良かったことだろう。

 しかし、これは夢ではない。残念ながら冗談でもない。その証拠に、潤も春も奈由も、他の誰しもが、今夜の戦いで負った痛みを抱えていた。


 夢なら、醒めないはずがない。

 冗談にしては、本気過ぎた。

 信じないにしては、余裕がなかったのだ。


 最早、一把いっぱに与太話と切り捨てて信じないことの方が難しかった。

 知ってしまった今は、知らない時に戻れない。


 世の中は総じてそういうものだと、切り捨てることは出来る。頭の片隅ではそれを理解しているつもりだった。何らかの犠牲があって、その上に自分たちは存在し生きることが出来ているのだ、と。


 けれど、そう割り切ってしまうには彼女たちは大人ではなかった。

 遠い世界の物事ではない。目の前に、現実は広がっていた。


 ビーがやっていることが正しいとは、思えない。

 しかし。

 目的そのものを、無碍むげに否定することは出来なかった。




 ビーは鳥居に向き合い、その先を睨み据えるようにしながら声を荒げた。


「あの二人の身代わりが白原杏季なんじゃない。

 元々、白原杏季の身代わりであの二人が行かされたんだ。白原杏季がのうのうと過ごしている一方で、彼女のオルタナティブとしてあの二人は犠牲にされた!」


 肩をいからせたまま、ビーは早口でまくし立てる。


「仮に人柱の二人を穏便に助け出すだけだとしても。

 本来の人柱候補であった白原杏季が覚醒しているなら、白原杏季は使われる。どちらにせよそうなるなら、今の時点で人柱をすり替えたとて同じことでしょう?

 そこの護衛者さんの立ち回りで、白原杏季でなくまたあの人が人柱に戻されてしまう可能性も高いですがね。だから僕は、先に白原杏季を裂け目に押し込んだんですよ。

 何が、おかしいというんです? 元から、彼女の役目だったというのに!」

「それでも!」


 琴美は立ち上がり、ビーにくってかかった。


「貴方がしていることが正当化されるいわれはない。

 元々杏季さんが人柱候補だった? はん、何年前の話だっていうんですか。当時、杏季さんはまだ生まれてすらいない。とうに彼女は無関係な世界に生きていた。それを無理矢理に引きずり込んできたのは貴方じゃないですか。

 記憶を失った彼女たちは不可侵である。この原則すら無視する貴方に、知らない杏季さんが罪だの役割を果たせだのとやかく言う資格はない!!」

「……僕の『元に戻す』という言葉は、白原杏季が人柱となるべきだった、その事実を示しているだけじゃない。それには、もっと根本的な意味を含んでいる」


 琴美の台詞にまったく動じることなく、ビーは微笑しながら琴美を振り返る。


「ここで護衛者さんに問題だ。僕は、白原杏季にこうお願いした。

 人柱の持っている核を破壊し、『在るべき姿に戻れ』と願うよう。

 さて、……この行動から導き出される結末とは、なんでしょう?」


 つかの間、琴美は意味を飲み込めずに動きを止め。

 みるみるうちに狼狽ろうばいし、微かによろめいた。


「そんな、事を言ったら……!」


 うろたえ上ずった声を挙げ、琴美は両手で杖を強く握り締めた。


「核を破壊した後で、そんな事を杏季さんがあそこで言ったら。

 ……私たちは、!」

「そうでしょうね。

 覚醒して本来の力を取り戻した純血の白原杏季が『在るべき姿に戻れ』と願えば。

 世界は完全に在るべき姿に戻り、


 ビーはその場にそぐわぬ、至極穏やかな表情を浮かべる。


「覚醒した白原杏季は、世界に干渉する力がある。

 ならば、世界を元に戻すことも可能でしょう。彼女の命で、異世界人は本来居るべき異世界へ引き戻されるはずです。

 もっとも、世界への干渉といったってどの規模の力まで使えるかは不明ですから、実際にどうかは試してみないと分かりませんが。

 目論見が外れ世界が元に戻らなかったとて……少なくとも、二人は帰ってくる」

「なんて、ことを……! もう私たちの居場所など、あの世界にはないというのに!」

「これが。……この方法が、一番いいんですよ」


 独り言のようにぼそりと言ってから、ビーは顔を上げ辺りを見回した。


「ヴィオ、ワイト」


 突然話を振られ、京也と裕希は驚いて顔を上げる。

 久しぶりに聞いた名称だった。いつもの冷たい声色でなく、どこか悲痛な色を含んだ彼の口調に驚き、二人は目を見開く。


「僕がこの目的を達すれば、二人の理術性疾患は治るかもしれないんだ」


 彼の台詞は、二人の驚きに拍車をかけた。

 ビーは京也と裕希を順々に見遣った後で、潤にも視線を投げかける。


「二人だけじゃない。月谷潤さんも、他に苦痛を味わってきた全ての理術性疾患患者の人たちも、みんな救われる。

 理術性疾患は、理術なんてものが存在するから起こるんだ。『在るべき姿』に戻れば、こちらの世界から理術はきっと消え失せる。そうしたら、理術性疾患だって当然なくなるに違いない。

 そして、消えたグレンのお兄さんだって戻ってくる。

 こちらの異世界人が異世界に戻るなら。扉の事故で消えたこっちの世界の人間も、同様にこっちの世界に戻ってくるはずだ」


 痛みで動くことすら出来ないでいる葵も、思わず息を呑んだ。

 京也と裕希、そして潤も、それらの弊害を持っていない春や奈由でさえも。


 伊達や酔狂でビーがそう言っているようには思えなかった。今までに聞いた情報から判断しても、それが納得や同調を得るためのはったりではないと感じられる。確かに彼の言うことにはある程度の信憑性があった。

 何よりビーの言葉には、今まで彼が滅多にみせることのなかった露わな感情が滲み出ていて、だからこそそれが心からの言葉だと疑う余地なく、余計に哀しく響く。


「この歪んだ世界の所為で被った被害、全部を全部、払拭できるかもしれない。

 ……他に、どんな方法があるっていうんだ。失ったものを取り戻すのには、『全部をリセットして元に戻す』しかないでしょう!

 何が、悪いんですか。何が間違ってるっていうんだ!」


 ビーの悲痛な叫びに。

 誰も、何も言うことが出来ない。


 しかし、一瞬の間を置いてから。その静寂を破って、潤が呟く。


「……けど」


 彼女はきっと強い眼差しでビーを見据え、はっきりと言う。



「あっきーは帰ってこない。

 異世界の血を引いてる人間はみんないなくなる。こっちゃんもベリーもアルドも、

 ……お前も」



 ビーは呆気に取られて顔を上げ、潤を見つめた。

 その時である。


 鳥居の白い空間がぐにゃりと曲がり、中から人影が現れた。

 その気配に気付き、はっとビーは後ろを振り返る。


 扉から出てきたのは、杖を手にした杏季だった。

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