きみとぼくの狂った世界(2)

 扉が開放されたままの鳥居を背に、ビーは凍てついたような冷たい表情で立っている。


 ただそこに居る、それだけなのに、彼の周りだけさながら別世界のようだった。どこか不可侵で粛然とした空気が漂っており、まるで他者の介在を許さない。

 琴美と裕希も既に目を覚ましていたが、異様な空気に圧倒され何も言うことが出来ずにいた。

 ひどく長く感じられる沈黙が続いた後で、ようやく京也が静寂を破る。


「世界を壊す、……そんな、ことが」


 出来るはずがない、と言おうとして、しかし声が掠れて言葉を続けることが出来ず、京也は口を閉ざした。

 虚ろな眼差しで、ビーは静かに答える。


「壊す、は正しい表現じゃない。正確に言うなら、正常な状態に戻したいだけだ」

「正常、……って」


 困惑した色を浮かべ、潤は独り言のように呟いた。

 ビーはその唇に妖しい微笑を湛える。だらりと手を下ろしたまま緩慢な仕草で拳を握り、彼は笑っているとも泣いているともつかぬ微妙な表情で空を仰いだ。


「この世界は狂ってる」


 すっかり日の沈んだ闇夜に、ビーの声が朗々と響き渡った。


 誰も何も言おうとはしない。言うことが出来なかった。敵も味方も、誰しもただビーの声に耳を澄ましたまま硬直している。

 声の余韻が完全に消えてしまってから、ようやくビーは彼らの方を向く。



「貴方たちが得体の知れない異質な存在から脅かされずに済むのも。

 何も考えずに普通の日常を、日々を暮らしていけるのも。

 数年前から扉による事故が発生せずにいるのも。

 全部、全部、それは酷く歪で異常な状態なんだ。

 何の非もない人間の人生を無理矢理に奪った上で、この世界は成り立っている」



 ふっと彼は表情を笑みの形に整えた。


「安心して下さい。僕がすることは、貴方たち害がない。

 まだ少々時間がありそうですからね。この場の立会人であり、この世界の住人たる貴方たちには話しておくべきかもしれません」


 いつもの調子で言い置いてから、ビーはちらりと扉を振り返る。

 杏季が消えていった扉には、何の変化もない。



「大雑把な話なら、そこの護衛者さんから聞いたはずだ。

 この世界には、本来存在してはいけないはずの理術が存在している。

 ここと隣り合う異世界から影響を受け、もう片方の世界に存在し得ない異端の力をもたらした。


 だけれど、……それにしても、おかしいとは思いませんか。

 いくら在り得ないはずの力であるといえ。

 理術の存在が、有用性が、あまりに薄すぎる。


 本来は『在り得ない』ものでも、存在してしまっている以上それは『在る』んだ。

 なのに、理術はそうじゃない。

 誰もが使える力でありながら、それを大っぴらに肯定しようとしない。少しくらい、それを活用する場面があってもおかしくはないというのに。


 開眼前の理術は、確かに使い物にならないほど弱い。しかし今のように方法は確立していなくても、回り道をすれば開眼することは出来るんです。

 開眼することが想像以上に困難であったと仮定しても、理術に関して全く記録が残されていないのは、いくらなんでも不自然が過ぎる。


 お分かりですか。

 理術は、偶発的に、自然発生的に、ただ世界が近かったからなんて理由で生じたものじゃない。


 理術がこちらの世界に来るには『きっかけ』が必要だった。

 そのきっかけは、意図的に人為的に発生したもの。

 だからこそ理術は人の手によって事細かく管理され、台頭してしまうことがないよう、極力、存在感を希薄にされている」



「何故」


 呆気に取られた表情で琴美が呟く。


「何故、……そこまで知っているんですか」

「ここまでの情報は、例え該当者だったとしても知り得ないものなのに……ですか?」


 彼の言葉に琴美は目を見開いた。図星だったようだ。

 彼女のようすを視界の端だけで捉え、ビーは軽く息を漏らす。


「そうですね。例え理術にある程度関わる者であっても、『異世界の影響で理術が存在』し、その為に『世界が不安定で、均衡を保つべく理術を統制している』以上の事は知らされない。

 それこそ護衛者のような、最機密の立場にでも付かない限り」

「世界が、不安定?」


 疑問をぶつけた春へ、ビーは微笑を浮かべて答える。


「ええ。一般人たる貴方たちには、知る由も無かったと思いますけれど。

 この世界は今、非常に危うい状態で存在している。

 それを無理矢理に補強し、そちらの護衛者さんを初め、関係者の皆さんが総力を尽くして平穏な状態に留めている。いつその均衡が崩れ、乱されたとしてもおかしくは無い状況だったんです。

 他ならぬ、異世界の住人の所為で」


 何故か自嘲気味に鼻を鳴らし、ビーはまた表情を引き締める。



「その昔、異世界で大きな動乱が起こったそうです。クーデターにより既存の勢力が倒され、時代が大きく変動した。国は大層荒れに荒れたんじゃないでしょうか。

 ……まあ、異世界の事情はともかくとして。


 重要なのは『その動乱で負けた陣営の連中が、あろうことかこちらの世界に逃げ込んできた』ということです。


 国を追われた異世界の人間が、裂け目を通ってこちらの世界にやって来た。

 ただ古だけが世界を渡るのであればたいしたことじゃない。覚醒した古なら、世界間を行き来することが可能ですから。

 ですが彼らは、大勢の人間を避難させるべく『裂け目』へ大きな道を作った。古以外の人間も安全に逃げ延びることが出来るように。


 その所為で、こちらの世界と向こうの世界はコンスタントに繋がった状態になってしまったんですよ。

 それまでは近いながらも一線は画していて、古だけが唯一繋がることが出来た。けれども裂け目に道を作ったことで、他の人間も行き来が出来るようになっている。

 その際に、こちらの世界に理術が生まれてしまった。向こうの世界の力が流入してしまった所為でね」



 呆気に取られている彼女らは意に介さず、彼は話を続ける。



「勿論。敵から逃げ延びてきた訳ですから、全員の避難が終わった後は追っ手を怖れてその道を塞ごうとしました。

 古の術者が外から術をかけ壁を作る。数年に一度は術をかけ直し、術の強度を保ちながら、一応は元のように二つの世界を隔たっている状態にすることができました。そうしていくことで事は収まった、筈だったんです。


 けれども、それでは完全に塞ぐことが出来なかった。


 世界間を隔絶することは出来ましたが、とある障りが生じたんです。

 それが、扉による事故。

 扉は、彼らがこちらの世界に逃げ込んだ際の名残なんです。裂け目の道を通り、何箇所かに作られた扉を通って彼らはこちらへ逃げてきた。

 扉があった場所、即ち空間の綻びに理術エネルギーが加わると、簡単に扉は開き裂け目に人が吸い込まれてしまう。こういった事故が何件も発生した。


 ……この現状に危惧し、扉の事故をもなくすべく、完全に世界と世界とを塞ぐ為の手段が考案された。それが」



 一呼吸おいて、ビーは真っ直ぐ前を見据える。


「それが、人柱です」


 しん、と冷えた重い空気が肩にのしかかった。

 先ほどからビー以外の人間は黙りこくったままだったが、それでもより一層、彼女らの間に漂う空気は静けさを増した気がした。



「外から塞ぐのでは限界がある。だったら、中から塞げばいい。

 古の術者本人が壁となり裂け目に居続ければ、一段強固な壁になれる。なにせ本人がいるんですから。

 当時、壁を作る役目だった古とその護衛者、二人が犠牲となって、裂け目の内部から壁を構築する役目に就かせられました。

 そうして裂け目の内部から壁を構築することで、根本から道を塞いだんです。人柱は裂け目の中で、自らが礎となって世界間を塞いでいる。


 二人の人柱がいるおかげで、世界間の壁は永続的に形成されることとなった。おかげで定期的に術をかけなおす必要がなくなったばかりか、扉の事故もなくなった。


 めでたし、めでたしというわけですよ。

 ……勝手な都合で、二人の人生を奪ったことは、棚に置いて」



 冷酷に映るその表情の裏で、一体何を思っているのか。

 彼の瞳には、何の色も映っていない。


「そうやってこの世界の均衡は保たれている。

 だのに、まるで自分たちが揺ぎ無い正義で何の非もない、綺麗な存在であるかのように生きている。元々は、自分たちが全ての元凶だというのに。

 先ほども言いましたが、関係者にすらあまりこの事実は知らされていない。肝心なことはひた隠しにして、過去にあったその出来事を忘れようとしているんだ。

 ……関係機関には、基本的に覚醒しうる人材が集められている。だけど何故、自分は覚醒するのか、それすら正しく教えられはしない」


 ふと思い立ったように、ビーは人の悪い笑みで唇を歪めてみせる。


「ああ、折角ですからお教えしましょうか。

 覚醒出来る人間と、出来ない人間との、違いを」

「それは!」


 慌てて琴美が身を乗り出し、氷の柵を握り締めた。


「駄目です。それ、は……!」

「素手で触ると危ないですよ、護衛者さん。

 この後に及んで――何を隠す必要があるんですか」


 ビーは左手を広げ、琴美の足元から切っ先が鋭く尖った氷の円錐を生やした。喉元に氷の刃が突きつけられる形になった琴美は、怯んで半身、身を引く。

 ビーは潤たちの方を振り返って、淡々とした口調のまま告げた。



「覚醒出来る人間と出来ない人間との違いは、然るべき『血』が入っているか否か。

 覚醒出来る人間には、『異世界人いせかいびと』の血が入っているんですよ」



 うわ言のように春が繰り返す。


「……いせかい、びと」

「即ち。元々はあちらの異世界で暮らしていた人間、ということです。つまり」


 ビーは困惑した彼女たちに、具体的な答えを提示する。



 それだけじゃない。そこの護衛者さんも、アルドとベリーも、……そして、僕も。

 僕らは全ての因果を引き起こした、罪人つみびとたちの末裔まつえいなんだ」



 無言で琴美はビーを睨んだ。だが、どこかその視線にはいつものような覇気がない。

 唖然として彼らを見守る『一般人』の春たちは、絶句したまま何も言うことが出来なかった。


「だから。私たちは杏季ちゃんの力を借りて、人柱の二人を助けた上で、ちゃんとした壁を張り直すはずだった。誰も、犠牲にすることなく」


 ぽつりとベリーが呟く。

 はっ、とビーは嘲笑するように息を吐き出した。


「それが出来たら、こんな苦労はしていない。

 誰も何も犠牲にすることなく、もっと強固に世界間の壁を構築する、そんな方法があったなら二年前にだって出来ていた」

「だからってそれじゃ、あんたのやってることは何も変わらない!

 人柱が裂け目の中で安定して壁を構成していられるのは、制御装置の核でその状態を保ち続けているから。だから永続的に壁に成り続けることが出来る。

 けどあんたは、杏季ちゃんにその核を持たせた!

 つまり、要は人柱をすりかえるってだけじゃないの!」


 ベリーの激昂にも構わず、ビーは緩慢に首を傾げてみせた。


「だから、……何か?」

「何かじゃないわよ私はそんなの意味が無いって」

「その認識は正しくない。言ったはずだ、僕は元の正常な状態に戻したいだけだと」


 最早叫び声に近いベリーの言葉を遮りビーは言い放つ。





 不意を突かれ、ベリーは瞠目し黙り込む。



「だから僕はそれを正しい人材に入れ替えようとしている、それだけだ。

 何が、悪い?」



 平然とそう言ってのけたビーの目に。

 迷いの色は、無い。

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