きみとぼくの狂った世界(1)

 ねぇ、分かってるよ。

 分かってたよ。




 それでも、あなたを助けたい。






+++++



 分かっていたのだ。


 杏季は、目の前に冷淡な表情で立つビーを恐る恐る見上げた。

 威圧感を感じて、杏季は密かに首をすくめる。二人の身長差は15センチ以上あった。背の低い杏季にとってこの身長差は恐怖を助長するしかない。


 啖呵たんかを切ってビーのところにやって来た杏季だったが、男子が苦手だという問題は解決されたわけではない。

 まして目の前にいるのはビーである。おくするなという方が無茶だった。

 心なしか一層小さくなっている杏季を一瞥し、ビーは表情を変えぬまま口を開く。


「ああ、無理して喋ってもらわずとも構いません。僕は君が男子嫌いで、男子と喋るのもいとわしいということを承知していますから。僕の言うことを素直に聞いてくれれば、それでいい」


 黙りこくったままの杏季を意に介さず、ビーは鳥居を向いて淡々と説明する。


「まず君にやってもらうのは、ごく簡単なことです。

 先ほど僕らがやっていたように、この鳥居に向けて理術を放ち、裂け目へと繋がる扉を開けてもらいます。

 御覧のように既に扉は開いていますが、まだこれでは小さい。人が通れるくらいの大きさ、出来れば鳥居いっぱいにまで扉を広げてください。

 ……しかし、本当に君たちは驚異的に単純ですね」


 彼の言葉に杏季は顔を上げた。ちょうど振り返ったビーと目が合い、彼女は硬直する。


「ここまで簡単に事が進むとは思っていませんでした。強制的に君をさらってくる手段も考えてはいましたが。想定以上に、君は僕にとって有利に動いてくれました」

「……分かってたよ」


 消え入りそうな声で杏季が呟いた。

 杏季の返答に、ビーは目を見開いた。視線を泳がせながら、彼女はおずおずと続ける。


「私より警戒されてないはったんを連れてく方が楽だったからでしょう。扉を開けられる人材なら、人質には一石二鳥だし。

 私をここに引きずり出してくるには、一番手間がかからなくて楽な方法だよ」

「……古の特性なんですか、これは。こういう時に限って……妙に鋭い」


 僅かにビーは目を細め、杏季を見下ろした。びくりと身を震わせ、杏季は顔をうつむかせる。その一方で彼の言葉の意味を図りかね、内心で疑問符を浮かべた。

 不可解に眉をひそめてから、ビーはいぶかしげに尋ねる。


「分かっていながら、何故君はここに来たんですか」

「……気が、済まなかったから」


 相変わらずのか細い声で、杏季は俯いたまま答える。


「元々、これは私のことだから。たまたま開眼しちゃった所為ではったんは巻き込まれたけど、私がどうにかしなくちゃいけないことのはずだから。

 もし私が行かなかったら。はったんが無理矢理、危ないことをさせられるかもしれない。話を聞く限り、他の人には無理でも古だったら出来ることって多いもん。私の方が成功率が高くて、安全なんだったら、私が行くのが一番いい」

「君の行動で、世界が大変なことになるとしても?

 古の力が有する危険性についても、既に君は分かっているはずだ。僕が何を企んでいるか知れない。

 この軽率な行動によって、もしかしたら仲間を含めた全員の安全が脅かされるかもしれないとしても、君は僕の元に来たというんですか」

「そんなことには、きっとならないと思ってるから」


 杏季は勇気を出し、そっと顔を上げた。怯えた眼差しのまま、それでも彼女は意を決してビーの目を見つめる。


「きっと……そこまで酷いことは、きっとしない」

「どうして根拠なくそう断じる事が出来るんですか」

「みんな悪い人たちじゃ、ないもの。……今は、立場が立場だから、こんなことになっちゃってる、けど」


 杏季はベリーのことを思い出していた。敵の立場でありながら、まるで友達のように杏季を思いやってくれた彼女。攻撃対象であるはずの杏季を目の前に、本気を出すことが出来なかった彼女の姿。


 あまり接触はなかったが、ビルに連れて行かれた際に少しだけ話したアルド。あの時に会話を交わした彼は、杏季に戸惑うただの高校生だった。


 その二人を引き抜く為、一時的にチームCへ潜入していた京也。


 そして、葵と裕希。紆余曲折あったものの、最終的には味方になってくれた二人。


 疑問を抱きながらもビーに加担していた彼らは、ただ儚い願いを託していただけだった。微かな希望に、一縷いちるの望みをかけて。


 杏季は目の前のビーを改めて見上げた。


 人質にされた春のことを思い浮かべる。

 彼女だけではない。潤も奈由も琴美も、当人たる自分も、ビーに翻弄ほんろうされてきた。

 杏季や彼女の仲間たちが散々振り回された要因。諸悪の根源たる存在。


 それでも。

 もし本当に彼が心底『悪』なのだとしたら。



 ――きっと、そんなに必死な目はしない。



 もっと卑劣な手段だってあったかもしれないのだ。

 もっと酷い手段で手っ取り早くやることが出来たかもしれないのだ。


 けれどもビーはそれをしなかった。

 あくまで回りくどいやり方で、極力手荒な手段は避けた、そんな気がした。

 それは単に自分の手を汚したくなかったから、という理由だったかもしれないけれど。



「私は、あなたが本当に悪い人なんかじゃないって、信じてる」



 信じ難いものを見る目つきで、ビーは杏季を見つめ返した。

 冷徹れいてつな仮面を崩し、奇妙な表情のまま彼は動きを止める。杏季も彼から視線を反らせず、手を震わせながらもビーを見据えたまま、じっと堪えていた。

 しばらくそうやって二人は黙り込んでいたが、やがてビーの方から視線を外す。


「世界が善意で構成されると信じているのが君。

 世界は悪意に満ちていると判っているのが僕。

 成る程、決して僕らは分かり合えはしない」


 そう吐き捨てるように言うと、ビーは踵を返して鳥居に向き直った。


「お喋りしている暇はありません。

 さあ、理術を放出して鳥居の扉を広げてください」


 鳥居の中央には、先ほどビーたちが空けた小さな扉がまだ開いていた。それを見つめながら、杏季は当惑して聞き返す。


「理術って、……あの」

「君は覚醒した。今なら自然系統全ての術を使いこなすことが出来るはずだ。そのエネルギーを鳥居にぶつける、簡単なことでしょう」

「……えっと、その……実は」


 ビーの台詞を聞いて、杏季は後ろめたげに顔をこわばらせた。

 件の杖を自分の手に呼び出してから、杏季は恐る恐るといった風に告げる。


「理術。……使えないんです。

 あの、動物さんを呼び出したりとか、前からやってたものは出来るけど。覚醒で使える自然系統の術、……上手く、自分の意思で呼び出せなくて」


 杏季は昼間、琴美に教わりながら理術の練習を行っていた。

 覚醒した杏季は、自然系統の術全てを使うことが出来るはずだったが、どうやっても水や炎といった術を呼び出すことが出来なかったのだ。


 裕希と戦った際には、必死であったためかほぼ無意識下で術を使っていたらしい。何故あの時に使えたのかが、自分で不思議なくらいである。

 時間の限り杏季は練習を重ねたが、その短時間では杖を自在に呼び出せるようになるのが精一杯だったのだ。


 杏季の告白を聞き、ビーは一瞬、呆気に取られたような表情を浮かべる。

 その後で呆れと諦めの入り混じった色を浮かべてから、大仰に息を吐き出し額に手を当てた。


「……どうして古はこうなんですか」


 頭を振って気を取り直すと、ビーは杏季の背後に回りこんでその杖を掴んだ。思わずびくりと杏季の肩が跳ねたが、彼は構わない。ビーは杖の切っ先を鳥居に向け、杏季の持ち方や角度を微調整する。


「いいでしょう。ならば、使えるようになってもらうまで。

 僕はそのやり方を知っています。どうせ深層心理で、強大過ぎる力への恐怖や自信の無さがストッパーになっているんでしょう。

 だったらこう思ってください。

 確かにこの力は危険なものです。しかしそれは裏表。上手く使いこなせれば、人を助けることだって出来る。その強大な力は、古は、みんなを守るために存在するのだと。

 その為にも貴女は力を使いこなせるようにならなくては困るんです。

 いいですか、まずは集中するんです。次の段階に至る時は、その都度タイミングを僕が指示します」


 杏季はうろたえつつもビーの言うがままに従い、心を落ち着け目を閉じた。






「……で、きた」


 感嘆の息を漏らし、思わず杏季はほっとして笑みを浮かべる。

 杏季とビーの眼前には、鳥居いっぱいにまで広がった白い空間、裂け目への扉が開いていた。


「よく、この短期間でできましたね。……いや」


 ビーは口を押さえ、同じく達成感に緩めていた表情を引き締める。


「思いの他、時間を食いました。……ここからが本番です」


 ビーはポケットから透明な球を取り出し、杏季に手渡した。小さい杏季の両手の平に、それはすっぽりと収まる。透明な球の中央では、虹色に光る球が淡い光を放っていた。

 綺麗だ、と場違いに杏季は思う。


「これ、は?」

「制御装置の核です。これを持って、君には裂け目に入ってもらいます」

「何の意味があるの?」

「制御装置は、抑制具ジュールと似たようなものなんですよ」


 ちらりとビーは杏季の髪に視線をやった。

 そこに抑制具ジュールの組み込まれた件の髪飾りは、ない。今は別途、琴美から受け取った抑制具ジュールのブレスレットを手にはめていた。


「規模や仕組みに多少の差異はあれど、要するに制御装置は抑制具ジュールと同じく『そのままの状態』に留めておくもの。

 ……いえ、制御装置があったからこそ、それを応用して抑制具ジュールが作られたんです。

 二つは本質的に似通っている。その範囲と対象が異なるだけの話。

 抑制具ジュールが、理術性疾患を発症しないよう正常に留めておく器具であるに対し。

 制御装置リリィは、世界をそのままの状態にしておくもの。

 制御装置を構成するうえで最も重要なのはこの核です。周りの機械はこの核の力を、目的に適合するよう調整しているだけのものに過ぎない。

 ……それから」


 更にビーは、刃渡り15センチほどのナイフを取り出した。ナイフの柄には紐が通っており、彼はそれを杏季の首に掛ける。


「裂け目の中に入ると、どこかにこれと同じ核を持った人がいます。まずはその人を探し出してください。おそらく君ならすぐに見つけ出せるでしょう。

 そうしたら、彼女が持っている核をナイフで壊してください。そして『在るべき姿に戻れ』と願う。……それだけでいい」

「……けど。私、失敗するかもしれないよ。さっきもそうだった、けど。教えてもらわなきゃ、私は扉すら開けなかった」

「現状での能力が駄目でも、君なら資質で補える」


 ビーはすっと指で扉を指し示す。


「扉が開いていれば、僕らとて裂け目には入れる。今のように出口さえ確保していれば帰ることだって出来ます。けれど、目印がないと目的の場所へ辿り着くことは出来ない。

 僕らにとって裂け目に入るということは、何も手がかりがない状態で見知らぬ土地に放り出されるようなものだ。

 しかし古の場合には、それが地図と方位磁石を持った状態になる。探り探りだとしても、あなたにならば分かるはずです。どこに何があるのか、どうしたらいいのかが。

 あなたになら、……君なら出来る」


 顔を背けたビーは、地面の一点を見つめたままぼそりと付け加える。


「あらゆる意味合いを込めて、君ならやってくれると思っています。……期待、していますよ」


 含みのある物言いに杏季はビーを見返すが、彼は視線を合わせようとはしなかった。

 一瞬迷ってから杏季が口を開こうとした、その時。

 二人の傍らに突如、人影が現れた。仰天して杏季は後ずさるが、その正体を見て言葉を失う。

 現れたのは、気を失った琴美と裕希だった。


「彼からの贈り物、のようですね。……余計なことをしてくれる」


 ビーは左手を二人へ突き出した。途端、幾つもの細い氷の柱が生え二人を囲んで閉じ込める。潤たちを拘束しているのと同じ氷の檻である。


「さあ、全ての準備は整いました。行ってください。でないと、この二人がどうなろうと知りませんよ。

 ……白原杏季。僕は、紛れもない悪党だ」


 ビーは俯き加減に身を翻し、道を開けて杏季を促す。

 ぎりっと唇を噛み締め、杏季は鳥居に向き直った。


「忘れないで」


 振り向かず、杏季は背後のビーに向け告げる。


「きっと私は、大丈夫だって信じてるから」


 杏季は自らを奮い立たせるように、杖と核とをぎゅっと強く握りしめ。

 琴美と裕希の姿を視界の角に捉えながら、鳥居の中へ入った。

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