子どもたちは夜と惑う(6)

 アルドを睨み据えたまま春は立ち上がった。

 春と葵のいた氷柱を崩し、奈由のいた木を燃やしたアルドは、ビーたちを除きただ一人動き回れる状態の春の元へ、無表情に迫って来ていた。


 しかし既に彼は満身創痍まんしんそういである。自らの身体に火を放ったのも同然なのだから無理もない。

 それにアルドは素手で茨をかき分け、自力であの木から下りているようだった。切り傷やり傷が生々しい。


 赤い炎を背景に、紅い血を流しながら、それでもアルドは春の前に立っていた。

 毅然と、その目に戦いの意思を湛えたまま。


「それほどまでに、叶えたい願いなわけ?」

「それほどまでに」


 肯定して、一瞬だけ彼はちらりと氷の壁を見遣った。


「目の前まで来たんだ。ここでついえさせるわけにはいかない」

「ご立派な信念、ですこと」


 春は、ぱり、と音をさせて、向かい合わせた手から雷を呼び出す。


「"スケルツォ"!」

「"Pawn"!」


 アルドは春が術を発動させるのとほぼ同時に両手から火の玉を呼び出し、放つ。

 術に移る早さが劣っていたわけでは決してなく、先に動いた春より少しばかりアルドの方が発動まで早かったようにすら見えた。


 が。

 雷の方が、明らかに早い。

 

 春の両手から迸った眩い稲妻が、彼の術を、そして彼の身体を貫く。

 雷に邪魔された炎は春のところまで到達しなかった。だが炎を喰ってもまだ勢い収まらぬ雷は、真っ直ぐにアルドを突き刺す。

 顔を強張こわばらせ、アルドは膝を付いた。


「ちょ……はったん!?」

「大丈夫」


 仰天した潤が倒れたまま言うが、手を広げたまま至って冷静に春は答えた。まだ油断無くその手からはぱりぱりと電撃がほとばしっている。


「電圧は高いけど、電流は低くしてる。痛いし痺れるだろうけど危なくはない、はず。

 だから、大丈夫なんだよ。前のと違ってね。その為に『名前』を付けたんだもの」


 葵くんの為にも、という台詞を春は飲み込んだ。

 あの時の春を、身をていして止めてくれたのは葵だった。

 視界の角に、倒れている葵が映る。だが痛みに苛まれている葵に、こちらを気にする余裕はないようだった。



 昼間の練習で、琴美が皆に告げたのは、『術に名前を付けろ』という意外な指示だった。

 名前を付けると、術を出すたびに一から構築していた術が、そのものとして固定化される。従前より早く正確に安定して出せるようになる。慣れれば精度や威力も格段に上がる。

 加えて、反対に。

 威力をセーブした術として固定化すれば、無闇に相手を傷つけることのないようコントロールすることもできるのだ。


 春の術が直撃したアルドは、身体をくの字に曲げ身を縮めていた。だがそれでもアルドは密かに炎を呼び出し、攻撃する態勢に入る。

 しかし春はそれを見逃さず、心苦しそうに、だが敢然かんぜんと告げた。


「もうこれ以上、何もしないで……"フェルマータ"」


 彼女は緩やかに手を振る。

 それはまるで、音楽の指揮のようで。


「……っ!?」


 彼女の穏やかな所作と対照的に、アルドはまたしても苦悶の表情を浮かべた。上半身を倒し、苦しげに額を地面に付ける。雷は出していなかったが、先ほどの言葉を引き金に、アルドの身体に異変が起こっているのは確かだった。


「さっきの痛みが、長引くよ。だから、もう動かないで」


 アルドは返事をしない。出来ないのだろう。

 悔しげに、しかし成す術なくアルドはうずくまったままだった。




「強い……」


 檻の中からベリーが呆気に取られて声を漏らす。


「既にアルドが戦闘後で疲れてるのを差っ引いても、……これは、無いわ」

「無い、って」


 鸚鵡おうむ返しに尋ねた潤へ、ベリーは春から視線を反らせぬままに答える。


「アルドはあれでもきちんと訓練を受けた人間なのよ。春ちゃんが開眼したのは、昨日でしょう……?」

「昨日だな。僕らみんなが証人だ」


 京也の言葉に、信じ難い、とベリーは首を振ってみせる。


「強すぎる、あの子。……なんで、あんなことが出来るのよ。そもそも開眼だってそうよ。奇跡でも起こんなきゃ、あんなことって」


 ベリーは口を閉ざし。

 呆然と顔を上げ、檻の向こうの春を眺めた。




 と。

 視界の角で捉えた光景に驚愕し、ベリーは慌ててそちらに視線を移す。


「なっ……」


 彼女の漏らした声につられ、潤もそちらに目を向けた。

 その先には、杏季たちがいる。潤が先ほど一部氷の壁を崩したので、この角度からだけビーのいる鳥居周辺が見えるようになっていた。


 ビーと杏季が、鳥居の前に立っている。

 杏季は水晶のようなものを手にしていた。片手に収まる大きさの透明な球で、形状も色も水晶球に酷似しているが、その球の中へ更に別の球が入っている点が違う。

 中央にある球は、夜空に浮かぶ月のように明るく、真珠のように淡い虹色に輝いている。


 鳥居の中には白い空間が広がっていた。最初に見たときよりも遥かに範囲が大きい。鳥居いっぱいに広がっており、人が簡単に通り抜けられる大きさだった。


「……これが、扉?」


 半信半疑で潤が呟く。

 裂け目へと繋がる扉。鳥居に広がる白い空間は、話に聞いていた扉の特徴と一致している。

 そして。


 杏季は、その白い空間に向けて飛び込んだ。


 すっと杏季は鳥居の向こう側に姿を消す。

 白い空間は難無く小柄な彼女の身体を飲み込んだ。いくら目を凝らそうと、もはや彼女の影も形も見えない。


「なっ!? ちょ、ちょお!」


 思わず潤は痛みも忘れて飛び起き、彼女たちを囲っている氷の柱を掴んだ。が、その冷たさに慌てて手を離し、代わりにビーに向かって叫ぶ。


「てめー何してんだ! あっきーに何させてんだよ!!」


 潤の声に、春ははっと顔を上げた。だが春のいる場所から壁の向こう側は見えない。同じく奈由もゆるゆると反応するが、やはりその位置からは何も見えなかった。


「何って」


 ビーは高く左手を上げ、空をかく。今まで鳥居とビーを取り囲んでいた氷の壁が、音を立ててがらがらと崩れた。壁に阻まれて見えなかった鳥居周辺が、彼女たち全員から見えるようになる。


 鳥居の前には、うっすらと笑みを湛えたビーが立っていた。背後には、いつの間にやってきたのか、それとも連れてこられたのか、公園に残っていたはずの裕希と琴美もいる。しかし二人もまた潤たちと同様、氷の檻に捕らえられていた。


「見た通りですよ。彼女に『裂け目』へ入ってもらいました」


 背後の鳥居を指し示しながらビーは穏やかな口調で告げる。女子たちは一斉に声を上げた。


「はぁ!?」

「え」

「……ま」


 春は茫然と掠れ声を漏らす。


「間に、……あわなか、った」


 力が抜け、春はその場に座り込んだ。


「いや、でも、杏季ちゃんなら裂け目に入ったとしても大丈夫なんだろ。古なら裂け目でも自由に動き回れる。裂け目に入ったとしても、それだけで杏季ちゃんがどうなることはないはずだ」


 京也が救いを求めるようにベリーを見ると、彼女は渋い顔ながら頷く。


「その通りよ。古は裂け目に入っても平気。もっと言えば、戻る手段さえ確保していれば私たちだって平気なはず。彼女に危害が及ぶことはない。

 ……けど」


 しばらく口を閉ざして考え込んでから、ベリーは鳥居の前にいるビーを疑いの眼差しで見据える。


「……ビー。あんた、さっき杏季ちゃんに持たせていたのは……何なの?」

「ご存知だと、思っていましたけどね」


 何てことないような口ぶりで、ビーはさらりと答えた。


「制御装置……“リリィ”の核ですよ」

「ビー。あんた、まさか」


 ベリーは息を飲み、青ざめて絶叫する。



「杏季ちゃんをにするつもりね!」



 日常生活で到底聞き及ぶことのない単語に、彼女たちは絶句する。


「人、……柱?」


 理解しきれず反芻はんすうする。

 具体的に何をもって人柱という形容をしているかは分からない。だがその不穏な単語とベリーの様子から、それが危険なものなのだろうことは嫌でも分かる。


「何故、制御装置を破壊するのかが分からなかった。

 ただ扉が閉まる速度を緩やかにするだけなら、二人が人柱になってる現状で既に十分のはずだもの。あんたには『念には念を』って誤魔化されたけど、そうじゃないのね。

 制御装置を壊したのは、その核を手に入れるため……!」


 ベリーは杏季を飲み込んだ鳥居――扉を、悲痛な眼差しで眺める。


「ローは許さないはずよ、こんなこと」

「元を正していけばこの方法こそ正統なはずなんだ。

 あいつは頑なにこれを拒んでいましたが。……何てことない、古を使いさえすれば、事は簡単に片付くじゃないか。僕の目的も、彼の本来の目的でさえも」

「だからって、つい最近まであの子はずっと普通の生活を送ってきたただの一般人だったのよ! それを覚醒したからって、いきなり重責を負わせるの?

 杏季ちゃんは、何も知らないのよ!」

「……黙れ」


 ビーは左手を広げる。

 ベリーに細かい氷のつぶてが襲い掛かった。


「きゃあっ!」

「ヒメ!」


 京也がバランスを崩したベリーの身体を支えようとするが、倒れたままの体勢でそれは適わない。ベリーは尻餅をつき、へたり込んだ。


「一般人だった、何も知らない、重責、……馬鹿馬鹿しい」


 冷酷な表情でビーは左手を握り締める。



「知らないことこそ罪なのだと、知るべきだ」



 言葉を失い、ただただ彼女たちはビーを見つめることしか出来ない。

 彼は空を仰ぎ、独白のように告げる。


「僕はこの狂った世界を壊したいだけなんだ。

 いや。……元に戻す、作り変える。その方が表現としては適切、か」


 月の穏やかな光がビーを照らし出していた。

 いつもならば心洗われそうな月明かりは、どこか狂気じみていて。

 ビーは小さく両腕を広げてみせる。



「その為に利用できるものは全て利用した。

 何が、悪い?」



 ビーは笑いもせず。

 うっすらと目を細め、淡々と言い切った。






【アルド(高坂直彦)・ベリー(東風院妃子):戦闘不能】

【勝者……畠中春】

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