子どもたちは夜と惑う(5)

 潤と京也が倒れるのとほぼ同時に、ベリーとアルドを拘束していた蔓は焼け落ちた。

 ベリーが京也に駆け寄るのを尻目に、奈由は潤たちと反対の方角へ視線を向ける。


「……どうして私もバリケードの範囲に含めたの?」


 じっと奈由はアルドを見遣った。


 奈由の術なら、ビーの攻撃をある程度は防ぐことが出来ただろう。

 しかし奈由が術を出すより先に、彼女の眼前から炎の壁が立ち上ったのだ。

 咄嗟の出来事に、彼女は二の足を踏んだ。壁で視界が完全に遮られている為、正しい位置が分からない。下手をすれば、守るはずのバリケードが二人に直撃してしまう恐れがあった。

 奈由は、間に合わなかった。


 皮肉にも、アルドの壁に守られた奈由はかすり傷一つ負っていない。

 氷の塊は水の壁は貫通するが、炎の壁を通り抜ければ熱で気化する。炎の壁の反対にいた奈由は無傷で済んだ。


 蔓から解放されたアルドは、縛られていた部分をほぐしながら顔を上げる。


「一つには、今見たとおりの趣旨だ。お前の視界を遮れば、バリケードを張るのを邪魔できる。あの二人はビーの術を防ぎきれず、戦闘要員から除外することが出来た。

 それともう一つは……意趣返し、とでも言おうか。

 草間には、お返しをしないといけない」


 自由になった腕を広げてから、胸の前でアルドはそれを斜め十字に交差させた。


「パターン4,Bishop」


 四方八方から、むわっとした熱が吹きつける。

 ビーの攻撃を遮った炎の壁がまたしても立ち上っていた。

 今回は、側面、後方、そして前方と、リングのように彼らの四方を壁が覆っている。逃げ場が無い。

 奈由が炎の壁に目を走らせている間に、アルドはすかさず手の平から火の玉を生み出した。


「ポーンであろうとプロモーションでどうとでも成れる。

 だったら、俺がお前に勝てない道理もない訳だよな」


 アルドは奈由へ向け火の玉を放つ。

 術を出す余裕無く、奈由は逃げた。一発では終わらない。アルドは次々と火の玉を呼び出し、奈由が逃げた先々へ火の玉をぶつけた。間髪入れずに繰り出している所為か火の玉の大きさはそれほどでもなかったが、直撃すればたまったものではない。


 前回は葵が時間稼ぎをしてくれたおかげでどうにか勝つことが出来た。しかし今回は、奈由とアルドの一騎打ちである。一対一では明らかに分が悪かった。仲間たちは既に手一杯で、助けを求めることは出来ない。


 火の玉を避けながらちらりとアルドを見て、思わず奈由は舌打ちしそうになった。

 彼の周辺、立っている場所を除いた半径数メートルに、まるで赤い草原のようにちらちらと炎が立ち上っている。

 これでは、前回と同じ手段は使えない。炎が立ち上る地面から植物を生やすのは、さすがに無理がある。


 辺り一帯を炎の壁が囲っているので、遠くへ逃げて応戦することもできない。

 かといって壁の中を逃げ続けるばかりでは消耗し、いずれ彼の攻撃をくらう。

 万事休すである。


 焦りを覚えながらも一旦立ち止まり、奈由は彼との間にバリケードを生やした。すぐに燃やされると分かっていたが、少しでも時間を稼ぐにはやむを得ない。


 奈由は迷っていた。


 考えがないわけではない。

 しかしその手段は相応にハイリスクだった。失敗すれば敗北が必須な上、成功しても痛手を負う。


 けれども他にいい手段は見当たらない。このままではいずれ負けてしまう。情けないことに、もう彼女の体力は限界だった。

 考えを深く巡らす間もなく、めらめらと炎を上げてバリケードは瞬く間に崩れる。


「ええい、ままよ」


 炎を上げる植物を見て静かな怒りを覚えながら、奈由は腹を括った。


 くるりと方向転換し、真っ直ぐアルドに向き直る。

 そして全速力でアルドに向かって突っ込んでいった。

 走りながら茨を繰り出し、牽制するのも忘れない。茨を燃やすのに気を取られ、アルドは奈由の接近を許してしまう。

 炎の海の間近まで迫ってから、奈由は自分の足元へ木を生やした。瞬く間に5メートル程の高さになった木を踏み台に、彼女は高くジャンプする。


 否。

 ジャンプというより、成長した木の頂から落下した、という表現の方が正しい。

 そして奈由は重力に従い、地面へ降下していった。


 アルドの頭上へ向けて。


 まさか本人が突撃してくるとは思わなかったのか、アルドは仰天して頭上を見上げる。攻撃しようかと逡巡するが、しかし彼女がいるのはアルドの真上だ。落ちてきた奈由もろとも、自分も炎に巻き込まれる。


 だが。

 奈由が完全に落下しきることはなかった。


 アルドの目の前まで落下したところで、奈由はぴたりと静止した。

 彼女の腰には、蔓が巻きつけられていたのである。ただ単に落下しただけのように見せかけて、その実は命綱がきちんと結び付けられていた。


 奈由はそのまま動揺したアルドの身体を腕でがしりと捕まえる。

 しゅるり、と奈由の身体に巻きついた蔓が伸び、アルドを抱えた奈由もろとも二人を包み込んだ。


 空を舞い、二人は地上から木の上へ引っ張り上げられる。


 そして木の上に着地するや否や、二人の周りを茨が取り囲んだ。

 前回と同じ。迂闊に動けば、茨が彼らの肌を刺す。

 奈由は息をつきながら、不適に笑んだ。


「燃やせば逃げられる。けど、燃やすと自分も燃えるし、おまけにこの木が燃えれば地上へ落下するよ。

 因みにこの木はユーカリでね。油分が多くて、オーストラリアじゃ山火事の原因になっちゃうくらい、冗談じゃない感じに燃え易い」

「……お前も、もう動けないだろ」

「死なばもろとも、という奴ですよ」


 端から、完全な勝ちは期待していなかった。

 策を練る余裕も体力もない。自分毎アルドを押さえ込むしか方法が思い浮かばなかった。味方の戦力は一人減るが、厄介な敵の戦力も一人は減らせるのだ。


 ベリーが潤たちと共に閉じ込められ、ビーが杏季と一緒にいる今、葵の邪魔をする者はいない。葵が春を助け出し、二人が杏季をなんとかしてくれるよう祈るほかなかった。

 ぜえ、と息を吐き出して奈由は顔を覆う。

 喋る気力すらない。完全に体力の限界だった。


 一仕事終えた奈由はぼんやりとしたまま視線を上げ、春と葵がいるはずの氷柱を確認する。しばらくじっと眺めていると、やがて氷柱の上には人影が現れた。無事に葵が春を助け出したのだ。

 奈由は安堵して、深く息をついた。






+++++



 円形にくりぬかれた空からは幾つかの星が瞬いているのが見えた。いつの間にか日は沈んでいたらしい。

 氷の壁に囲まれた所為か肌寒く、彼女は身震いする。冷え切った手のひらを二の腕で暖めながら、春は苦々しく氷の壁を睨んだ。

 壁の表面に突起はない。氷で出来ていることを差っ引いても、到底登れそうになかった。破壊することも考えたが、壁は厚く一筋縄ではいきそうにない。それにこの狭い空間では、氷が崩れた時に自分が避けられないと気付き思いとどまる。


 どうしたものか途方に暮れていると、呆然と見上げた視界の隅に影が映った。

 氷柱の上に現れた人影。

 目を凝らせば、それは彼女もよくよく見知った人物だ。


「葵くん?」

「春さん! よかった、えっと、今そっちに」


 氷柱の上によじ登った葵が、ほっとしたように春を見下ろしている。片手で蔓の端を持ちながら、葵は勢いよく地面へ滑り降りた。春は葵が着地しやすいように角へ避ける。

 軽やかに着地した葵は春へ駆け寄り、不安げに春を見回した。


「よかった。大丈夫ですか、怪我とかは」

「私は大丈夫。むしろみんなの方が心配だよ。……外はどうなってるの?」

「俺も分からないんです。京也が食い止めてくれてる」


 春の答えにほっとした表情を浮かべてから、葵は悔しげに顔をしかめる。


「ごめん。……春さんがこんな目にあったのは、俺の所為だ」

「へ?」

「ビーが欲しかったのは、古か、開眼した自然系統の奴だ。俺が開眼してさえいれば、春さんたちに迷惑を掛けなくても済んだのに。俺の所為で、春さんを危ない目に」

「何言ってるの」


 呆れて春は腰に手を当てる。


「どっちにしろビーは何かしらの形で干渉してきたと思うよ。それに葵くんが向こうにいたままじゃ、元も子もない。葵くんが抜けてくれなかった方が、私は困る」


 続けて「でないと友達にもなれなかったし」と言おうとして、春は思い止まった。本心だったが、言うのは妙に気恥ずかく感じたのだ。


「そ……そりゃそうだな。いやその、すみません」


 葵はうろたえ、そう口走ってから春に背を向けた。


「ともあれ。早いとこ、ここから抜け出そう。ええと……すみません、失礼します」


 一言断ってから、葵は軽く蔓で春の身体を包んだ。蔓で引っ張り上げるのだろう。

 春より少し上の部分に腕を絡ませ、葵はそっと蔓を引き上げ始めた。足が地面から離れ、二人は慎重に上へ運ばれていく。

 そういえば、と言い忘れていたことに気付き、春は葵を見上げた。


「ありがとう、助けてくれて」

「い、いいいやそんな俺はただ、無事でよかったです!」


 突然言われて驚いたのか、動揺したようすで葵が答える。思わず春はくすりと笑った。




 氷柱の上まで着いてから、一旦二人は息をついた。春は不安げに辺りの景色を眺める。高い円柱の上からは、澪神宮全体が見渡せた。

 前方には一本の木が生えている。木の頂上では不自然に別の植物が絡み合っているようにみえた。奈由だろうか、と春は何の気なしに思う。


 と。

 突如、その木から火が燃え広がった。

 息を呑み、春は無意識に側にいた葵の袖を掴んだ。葵もまた炎上した木を見つめながら、愕然がくぜんとして呟く。


「あれは、アルドと……草間!?」


 言い終わるか終わらないかのうちである。

 燃え上がった木から、炎の塊が飛び出してきた。


 炎は真っ直ぐこちらに向かってくる。対処する間もなく、炎の固まりは二人のいる氷柱に激突した。

 二人のいる氷柱に直撃した炎は、強固な柱をあっけなく崩す。ぐらりと足場が崩れ、春と葵は空中に放り出された。


 ここは地上から数メートル離れた柱の上である。短く悲鳴を挙げ、春は背中から落下していった。


「っ、春さ……!」


 葵は手を伸ばす。

 が、同じく足場を失い落下している葵の手は、春へ届かない。


「ちっくしょ……!」


 足元へ向け、葵は術を放った。






 奈由とアルドとを茨で閉じ込めていたはずのユーカリの木。

 その根元より少し離れた場所で、奈由は地面に横たわっていた。


「まさか。自分毎、燃やすなんて。流石の奈由さんも、……想定外」


 げほ、と煙を吸い込んで彼女は咳き込む。


 決着は付いたと思っていた。

 だがアルドは、奈由が気を抜いた直後、二人を囲む茨へ火を放ったのである。自分に炎が燃え移ることもお構いなしに。


 茨も燃えるが、足元の木も燃える。炎の勢いはむしろ樹木の方が強かった。このままでは木は燃え落ちる。いや、その前にアルドの炎に焼かれてしまう。

 飛び降りるしかなかった。


 植物を生やした上へ軟着地したが、衝撃が加わることに違いは無い。それでも普段ならまだ良かったのだろうが、彼女は既に消耗しきっている。立ち上がり、再びアルドへ向かう体力と気力はなかった。

 アルドが春たちの氷柱へ炎を放ったのは目撃していたが、身体を動かすこと叶わぬ奈由は、忸怩じくじたる思いで唇を噛み締めることしかできない。

 疲れきって、奈由は深く息をついた。






 地面に落下してから、一瞬の間を置いて春はがばりと起き上がる。若干の鈍痛はあったが、想像していた程の衝撃はなかった。

 身体の下を見て春はその理由を理解する。葵が生やしてくれたらしき木々がクッション代わりになって、春を助けてくれていたのだ。

 安堵し春は息を吐き出す。小枝が刺さり足を取られるのに難儀しながら、彼女はその低木から地面に降り立った。おそらく近くに着地しているだろう葵の姿を探し、辺りを見回す。

 予想違わず、葵は春からさして離れていない場所に横たわっていた。


「なっ……」


 春は目を疑う。

 葵は何も無い地面へ、強かに打ちつけられていた。

 高さが5メートルはあろうかという氷柱の上から、むき出しの地面へ。


「葵くん!」


 駆け寄ると、春の声に反応しうっすらと葵は目を見開いた。


「……よ、かった。春さ」


 葵はやんわりと微笑んでから、痛みに顔をしかめる。取り縋ろうとして、だが彼の傷に障るかと思いその手を止めた。


「何で、どうして自分のところにやらなかったの!」

「出来、なかった」


 葵は左手を掲げる。

 何もはめてない彼の左手には、火傷らしき水ぶくれが出来ている。


「アルドに補助装置、燃やされちまったんだ。春さんとこだけで、精一杯だった」

「そんな、……なんで、私だけ」

「いいんだ。春さんが、無事なら。俺は丈夫だし、平気だから」


 にっと、葵は何の懸念もないかのように笑ってみせた。

 力なく葵は左手を下ろし、春から表情を隠すように腕で顔を覆う。その下から僅かに苦痛に歪んだ表情が見えた。

 痛くないないはずが、ないのだ。




 春は辺りを見渡す。


 氷の壁の向こうには、杏季とビーがいるはずだった。壁は一部崩れていたが、春のいる場所から二人がどうしているかは見えない。

 前方では奈由が倒れていた。燃え崩れた木の下で静かに横たわっている。幸いにして彼女の周りに炎はなかったが、酷く憔悴しょうすいしきっていた。

 右奥では潤と京也、そしてベリーが氷の檻に閉じ込められていた。惨状を目撃して絶句しているものの、やはり深手を負っている彼女らはその場から動けそうにない。


 そして傍らには、葵が倒れていた。


 春は。

 目の前に立つアルドを、すっと冷たい瞳で睨み付けた。






【草間奈由・染沢葵:戦闘不能】

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