子どもたちは夜と惑う(4)

「京ちゃん」


 情けなく弱々しい声でベリーは呟く。


「……もう止めて、京ちゃん」

「ばぁか」


 短く京也ははねつけた。


「するわけ、ないだろうが」


 怯えた目でベリーは一歩後ずさる。

 彼女の目の前には、京也が立ちはだかっていた。

 立ち続けていた。


「退けよ」


 アルドが威嚇するように右手を京也に向け広げていた。

 抑揚のない声で彼は告げる。


「次は、今度こそお前に直撃させる。次はいくらお前だろうともたない。だから」


 一旦言葉を切り、アルドは力なくもう一方の手を拳で固める。


「退いてくれよ、京也……」


 途方に暮れたように、彼は京也を見つめた。


 京也はすっくと背筋を伸ばし、微動だにせず凛と立っている。右手に持った刀の切っ先は地面に突き刺していた。ベリーとアルドを見据え、彼は近寄り難い威圧感を放っている。

 髪が乱れ、服は焦げ、身体に数箇所の傷を負い、顔にすら傷をこしらえ、それでも尚。


「お前らの執念にゃほとほと呆れるよ」


 にやりと唇だけ京也は笑ってみせた。


「けどな、僕だって。僕だってお前らに負けじと、曲げられないものがあるんでね。

 知ってるだろうが、僕はまっこと博愛主義の平和主義でね――あいつらのことを守りたい、でもお前らだって僕は傷つけたくないんだ。その両方を貫く為には、こうするしかないだろが」


 まったく臆する様子のない京也に二人はたじろぐ。


 既に京也は、全身ぼろぼろだった。


 相手は炎と風である。

 対する京也は、鋼と光。


 彼の刀を振るえば、京也はおそらく二人に充分対抗しえた。

 彼とて開眼しているし、光属性の特性から早く動き回ることが出来る彼ならば、二人を同時に相手することだって可能である。


 しかし刀の場合、殺傷力が高い。具現化したものとて、それが『刀』であることに変わりはないのだ。一太刀浴びせただけで、相手へ大怪我を負わせてしまうだろう。

 実際に存在する金属があれば、彼はそれを操ることも出来た。しかし澪神宮には辺りに金属らしき金属がない。


 つまり、彼が攻撃するすべは具現化した刀の他なかった。光はどちらかといえば補助作用の色が強い術なので、攻撃は出来ない。


 彼の脳裏に浮かんでいるのは、先日の春だった。

 裕希の凶行に逆上した春は、怒りで暴走しかけていた。葵が止めなければ彼女の雷は裕希を貫いていたはずだ。偏に、目の前でいたく友人が傷つけられた恨みから、正義感から。

 なまじ強い正義感は、時と場合によって危険なものだと彼は理解していた。

 同時に、春と似たような性質を自分が持ち合わせていることを、京也は身をもって把握していた。


 勿論、人を傷つけることに躊躇しないわけではない。

 しかし、正当防衛をうたい仲間を守る為に相手を迎え撃つ自分の姿は、思いの他容易に想像できた。

 挙句、逆上してやり過ぎてしまう可能性が、一握りもないと言い切れるだろうか。


 日常生活の延長線上であれば、いくら激昂したところである程度は理性が諫めてくれるはずだった。

 けれども、これは普通ではない。

 異常なこの状況下で、果たして理性とやらが上手く働いてくれる保障はどこにもない。


 京也には、自信がなかった。



 ――これは僕のエゴだ。だから、せめて。



 京也はこの戦いで、決して人に向けて刀を振るうまいと決めていた。



「これは根競こんくらべだよ、ヒメ。ナオ。どっちが耐えられるか、……だ」

「京ちゃん……」


 ベリーは不安を隠そうともせず、弱りきった眼差しで京也を見つめる。

 何てことないような素振りでいて、京也の身体が悲鳴を上げていることは一目瞭然だった。

 彼を支えているのは精神力のみである。強気なことを言っているが、あと一回でも攻撃をまともにくらえばもう立っていることが出来ないだろう。


 アルドは黙って手の平に火の玉を呼び出した。片手だけだった火の玉をやがて両手に宿し、その大きさをバスケットボール大にまで拡大していく。

 ベリーはアルドに取りすがった。


「やめてアルド、もう京ちゃんは!」

「俺だってやりたくない。けどやらないと俺たちの望みは叶わないままで、何も変えることが出来ないんだ。

 突き詰めれば京也たちだって、いずれ餌食えじきにされるかもしれないんだぞ」


 ベリーはそれを聞いて怯む。

 その隙に、アルドは京也へ向き直った。


「お願いだ京也。もうこれで休んでてくれ」


 アルドは両腕を振りおろし、火の玉を放つ。ベリーは手で口を覆った。一直線に迷いなく、京也に向けて炎の塊が飛んでいく。


 しかし、火の玉が彼に直撃しようとした直前で。

 静かに目を閉じていた京也の顔と身体に、温かい水飛沫みずしぶきがかかる。



「随分と男前になったな、京也」

「そりゃ、元がいいからね。仕方ないさ」



 響いた声に薄く目を開き、京也は潤へ気丈に笑ってみせた。

 視線は京也に合わせたまま、潤は補助装置をはめた右手を真顔で敵の二人へ向け突き出していた。

 水の渦がベリーとアルドとを襲う。わざわざ渦状にしたのは、以前の意趣返しを込めているのだろうか。


 潤の攻撃に乗じ、奈由が得意の蔓を地面から生やし、ベリーとアルドが身動きできぬように蔓で二人の手足を封じた。そのうち燃やされてしまうだろうが、少しの時間稼ぎは出来るだろう。


 潤と奈由の登場に安堵したのか、京也は両手で刀を握り、それに全体重をかけて息をついた。体重を刀に預けた体勢のまま、京也は早口で説明する。


「春ちゃんがあの円柱の中、杏季ちゃんは壁の向こうだ。今、葵が春ちゃんを助けに行ってる。僕はその邪魔をさせないよう足止め中って訳だ」

「成る程な」


 潤は小さく頷き、ビーと杏季のいる壁に向けて術を放った。

 怪訝に京也は顔を上げる。


「おい、人質状態なのは春ちゃんだぞ。まずそっちを助け出すのが先だ」

「アオリンが行ってるなら問題はねぇだろ。私らはこっちをぶっ壊すまでだ」


 言いながら、潤は強い水流を氷の壁へ向けて放ち続けた。奈由も潤に加勢する。水と植物との圧力が加わり、壁の一部が音を立て崩れた。

 貫通したのを確認し、二人は一旦攻撃を止める。鳥居の前にいるビーの姿と、そしてちらりと杏季の姿が見えた。

 気付いたビーは瞠目どうもくして潤を見て、それから。


「……貴女は」


 ぎり、と唇を噛み締めた。


「貴女は、大人しくしていてください……っ!」


 ビーは左手を潤に向けて広げる。


「くぁっ……!」


 びり、と彼女の左腕に痺れと激しい痛みがはしった。

 潤は左腕を強く押さえ込む。傍目には変化がなく、何が起こっているのか分からなかったが、それが左腕であることといい、以前にビーから受けた攻撃と関係あるものとみて間違いなさそうだった。

 痛みで座り込みたい衝動に駆られたが、すぐ側に奈由がいたので気力で思い留まる。


「ばっ……かやろ……!」


 状況を把握した京也は潤の腕を引いた。左腕の痛みを軽減しようと光を呼び出すが、潤はビーの方を睨めつけたままそれを勢い良く振り払う。


 彼女の視線を追って顔を上げた京也は、眼前に幾つもの氷の塊が迫っていることに気付いた。ビーが放ったのだろう氷の塊は、小さいながらも数が多い。今からでは走って避けることはできそうになかった。


 潤は両腕を広げ、京也を守るように一歩前へ進み出る。痛みに歯を食いしばりながら、潤は目の前へ水で出来た壁を呼び出した。

 まるで滝、である。

 ざあっ、という水流の音が聞こえると主に、水の壁で視界が奪われた。


 と、京也の肩へ鈍痛が襲い、目を閉じる。続いて足や頬を同様の痛みが次々襲った。

 水対水、とはいえビーは氷だ。いくら液体で厚い壁を作ったところで、多少は勢いを削げても、飛んでくる固体を完全に防ぎきれるはずがなかった。


 だが、京也の目の前には潤がいた。


 京也は数箇所の打撃で済んだが、彼の目の前、攻撃の真正面にいた潤は、京也が受けるはずだったほとんど全てのつぶてを、その身に受けているはずだった。


 飛んでくる氷の塊の勢いに押され、バランスを崩し二人は地面に転がる。潤が倒れると水の壁も消えたが、頃合よくビーの攻撃も止んだ。偶然だったのか、それとも攻撃が止むのを潤が見計らったのかは分からない。


 京也は顔を歪めながら身を起こす。傍らにはビーの攻撃を強かにくらった潤が倒れていた。

 刀を杖代わりに潤のところへ歩み寄り、京也は彼女を助け起こそうとする。しかし潤は力なく手をひらひらと振り、差し出された手を取ろうとはしなかった。

 空振りした手を引いてから、京也はぽつりと尋ねる。


「……んで、かばった。どうせ僕は、もう戦えやしない」

「勘違い、すんじゃねぇ」


 脂汗を拭ってから、潤は右腕で目を覆った。


「……お前もそうだろうが、私だってこの状態じゃ戦えやしないんだよ。分かってるだろが。お前の代わりに攻撃を受けて、そんで戦えなくなったって外見だったら、なっちゃんにばれない。だから、勘違いすんじゃねぇよ」

「……バカが」


 どさ、と京也はついに自分も膝を付いた。直撃を免れたとはいえ、ついに体力の限界が来たらしい。刀を抱きかかえるようにして座り込むが、やがてその刀もすっと消えた。


「京ちゃん!」


 ベリーが駆け寄り、京也に取りすがる。奈由の蔓から抜け出したらしい。


「本当に、……どうして、貴女はそうしゃしゃり出てくるんですか」


 遠くでビーの声がまた聞こえたかと思うと、彼らの周りをふわりと冷気が取り囲んだ。


「大人しく……していて、下さいよ」


 視界が、縦の線で区切られる。

 彼らの周りには狭い間隔で細い氷の柱が幾本も生え、牢の様にぐるりと取り囲んでいた。人が抜け出す余裕はない。京也と潤は、ビーの氷の檻に閉じ込められてしまった。

 京也に付いていたベリーもろとも。


「離せよ、バカが」


 ぞんざいに京也は声を漏らす。


「お前、僕たちごと捕まっちまったぞ」

「そんなことどうでもいいのよ」


 言い切り、ベリーはせわしなく京也の怪我を確認した。

 続いて、倒れている潤のことも。


「……ったく」


 京也は力無く寝転がり、両手を額にやりながら天を仰いだ。


「なんで僕の周りには、バカばっかなんだ」






【雨森京也・月谷潤:戦闘不能】

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