子どもたちは夜と惑う(3)

「さて。……どうしようか」


 相変わらず影の輪に閉じ込められている奈由たち三人は、難しい表情を浮かべていた。

 このまま大人しくしているつもりはない。出来ることならさっさとここを抜け出して、加勢に行きたかった。

 だが先ほどのような力づくの作戦はもう通用しないだろう。もっといい方法を考える必要があった。


「多分そのままでいるのが一番じゃないかな、草間奈由乙女」


 考え込んでいる奈由へ、滑り台の一番上に座り込んだ文彦が悠長な物言いで告げる。


「言っただろう、オレは子猫ちゃんたちに攻撃するつもりなんてない。

 大体オレの場合、理術で攻撃するくらいなら普通に素手で挑んだほうがよっぽども早くて楽で確実だよ。オレは無駄なことはしない主義なんだ」


 奈由は眉をひそめて文彦を見遣った。

 どうにも真意がつかめない人間であったが、少なくとも現状において手を出すつもりがないというのは本当のようだった。三人が抜け出す手筈を考えていても、文彦は一切彼女たちに手出ししようとしてこない。

 訝しげに奈由は尋ねる。


「あなたは何でビーに加担しているの?」

「ううん、加担というにはオレの場合、もう少し積極的意思が介在していなければならないように聞こえるけれどね、草間奈由乙女」


 冗談めかして文彦は両手を広げる。


「オレの目的は別にある。あくまでオレはビーの欲しいものを欲しいときに与えるスポンサーに過ぎないんだ。

 上手くいったらお慰み。上手く行かなかったとて、それはそれ。

 オレはビーのやることを俯瞰しているだけだよ。

 ――そうさ、まるで試作の試用の試演の被験体みたいにね。

 強いて願望を言うなら、さっさと家に帰ってゴールデンタイムのテレビ鑑賞と洒落込みたいけど、それはまあ仕方ない、我慢するさ」


 やはりこの人間の真意は掴めない。

 ため息をついて、どうしたものかとまた奈由が思案し始めた時である。


 キン、と耳鳴りがして、彼女たちは不意に平衡感覚を失った。


 それは瞬間的な出来事で、すぐに普通の状態に戻ったが、頭を抱えて視線を上げた彼女たちは異常な事態に気が付いた。


 彼女たちを取り巻いていた影が、消えている。


「はっ……?」


 はっと奈由は滑り台の上の人物を見遣るが、当の文彦も意外そうな表情で辺りを見回していた。彼の仕業ではないらしい。


「ああ、ようやく消えてくれたか」


 聞き覚えのある暢気な声に顔を向けると。


「よし、でもこれで一応はなんとかなった訳だよな」


 葵と一緒に行った筈の裕希が、彼女たちの背後から進み出てくるところだった。彼は三人の横を通り過ぎ、彼女たちを庇うようにして文彦と対峙する。

 品定めでもするかのように、文彦はすっと目を細めた。

 驚いて潤は声を挙げる。


「何で、行った筈じゃなかったのかよ!」

「考えたんだ」


 前を向いたまま裕希はシンプルに答える。


「向こうにいるのは自然系統ばっかだろ。だけどこっちの相手は人為系統で、俺は抜け出しさえすれば対抗できる。

 だったらお前らを逃がして澪神宮にやったほうが、あっちの戦力は増えるし都合がいい。

 それに、あいつはお前らが傷ついても傷つくだろ」


 振り返って、裕希は何食わぬ表情で告げる。


「ここは俺一人でいいよ。向こうの方が大事だろ。俺が負けたって、足止めっていう目的はもう果たせないし、ちょっとは時間稼ぎになるだろうからさ」

「そうはさせませんよ」


 笑みを浮かべた琴美が、一歩前に進み出た。


「貴男だけにこの場を任せておけるわけがないでしょう。私も残ります。潤さんと奈由さんは、早く杏季さんたちのところへ行って下さい。……お願いします」


 一瞬、躊躇して、しかしあれこれ言い合っている時間などないと気付いた潤は素早く身を翻す。


「待ってるからな、絶対後から追いついて来い!」


 人差し指を立てて二人にそう言い残すと、潤と奈由とは急いで公園を後にした。


「さあて」


 裕希は文彦へ向き直る。


「俺のフィールドで霊なんかのさばらせないよ」

「若干ムカつきますが、特別にその台詞、免除してあげましょう」


 裕希と琴美は体勢を整え、各々左手と杖とを構えた。


「はぁー。……動くしかない、か」


 気怠げに文彦は息を吐きだし、前髪をかき上げる。

 彼はひらりと滑り台から飛び降り。


 地面に着くかどうかもままならぬうち、ほとんど一瞬で彼らとの距離を詰めた。


 その速さに驚く暇もなく。

 瞬く間に至近距離までやって来た文彦は、琴美の首筋を後ろから手刀で打つ。

 琴美は状況を理解できないままに意識を飛ばした。彼女は力なく前のめりに倒れる。


「言ったろう? オレは理術を使うくらいなら、生身で攻撃した方がよっぽどいい。

 固定観念ってのは実に恐ろしいものだよ。攻撃が理術でなければならない、なんて、一体どこの誰がほざいたって言うんだ?

 なあ、分かるだろう。理術がこちらの世界で台頭しない訳が。わざわざ一般人が理術なんて取得しなくても、人間は三位四肢五臓六腑に至るまで、なんでもかんでも武器になるんだからさぁ――!」


 言いながら文彦は、琴美が地面に倒れこむより先に裕希を捕らえていた。

 琴美のように昏倒こんとうさせられたわけではない。だが裕希は鳩尾にきつい一撃を打ち込まれ、怯んだ隙に猿轡さるぐつわを噛まされていた。

 次いで文彦は裕希の背中を回し蹴り、地面に膝を付かせる。自分の膝を裕希の背に乗せて体重をかけ抵抗できない状態にし、彼の両腕を捻り上げた。


「音は実に厄介だよ。相性からして厄介なのに、閉鎖空間ともなっちゃあ普通は手も足も出ないさ。けど、このオレがその対策をしてなかったとでも思うかい?

 そうさね、この場合――歌えなければ、意味はない」


 咳き込みながら、混乱した頭で裕希は必死に現状を飲み込もうとした。

 閉鎖空間での裕希は強い。しかしそれは、きちんと術を最後まで構築し、発動させることが出来た場合である。

 歌という特性上、術の発動が遅いのは弱点の一つであった。歌いきる前にそれを止めれば、完全に術が発動するのは封じることが出来る。

 まして、はなから歌えなければ、文彦に対抗する術を使うことなど出来なかった。


 いや。

 問題なのは、それだけではない。


 裕希は出てくる前に、先んじて文彦の動きを封じていたはずだったのだ。既に彼は『捕縛の野ばら』で見えない茨を張り巡らせていたのだ。

 だが彼はそれを物ともせず、あっという間に彼らのところまでやって来た。普通ならば、痛みでその場から動くことすら出来ない筈なのに。



 ――何なんだよ、こいつ……!



 ぜいぜいと肩で息をしながら、裕希は起きていることが信じられずに顔をしかめた。


「んん、オレは『攻撃しない』と言ったけどね、あくまであの状態のまま子猫ちゃんたちが大人しくしていたら、のお話だ。

 これはレッキとした正当防衛だぜ? 正当防衛が高じた過剰防衛、過剰に正当に防衛したまでだ。

 それに、こうなっちゃ――残ったメンバーがメンバーだ。

 やぁやぁなんだい、音に霊? はぁ、止めてくれよ。

 人為系統なんざ必要ない。行ったところで邪魔なだけだ。

 自然系統なら万が一の保険で保全しといてやろうって気も起こるが、人為系統のあんたたちは見逃してやる理由がないのさ。だったらこうなったからにゃあ、大人しく何も出来ないよう眠っててもらうってのが得策ってもんだろう? せめてものビーへの手助けさ、優しいだろう。

 実に、賢明で正し過ぎる選択だったね。向こうに、人為系統なんざ必要ない」


 文彦は裕希の頭を掴み、彼の耳元で囁くように告げる。


「一個だけ安心材料を提供してやるよ。

 オレの役割はあくまで足止め。足止めする相手がいなくなった今、俺の役目はもう終わりだ。追いかけて子猫ちゃんたちを追撃しようなんて気は毛頭ないし、澪神宮に向かってビーに加勢する気もない。

 オレは感謝してるんだぜ? この反撃に、さ。退屈な監視作業はこれにて終了だ。オレは任務を全うした。これで堂々と家に帰れるってもんだ」


 文彦はそう言って。

 頭上へ手を振りかざした。

 裕希は悔し気に顔を歪め、歯を食いしばる。




 ――……何も、出来ないままかよ――!




「安心しろよ、クライマックスは見られるように会場には連れてってやるさ。

 ラストシーンを見逃すのは嫌だろう?」




 裕希は、その台詞を聞くか聞かないかのうちに、どさりと地面へ倒れこんだ。






【佐竹琴美・臨心寺裕希:戦闘不能】

【勝者……高神楽文彦(戦線離脱)】

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