子どもたちは夜と惑う(2)
公園より1キロほど北へ進んだところにある舞橋自然公園。
その一角に位置する澪神宮に、春とビーたちはいた。彼らのいる場所から数十メートル先には朱色の鳥居がそびえている。
木々にとり囲まれた小さな神社には、閑散とした空気が漂っていた。周囲には彼らの他に、誰もいない。
「私に何をさせようっての?」
目覚めた春は、現状を理解して腹を
話が早い、と満足気に言い、ビーは「折り入ってお願いがあるんですよ」とにこやかに微笑してみせる。
「今から、扉を開きたいと思います」
「扉……って」
琴美の話、そして葵のことを思い返して、春は眼を見開いた。
「扉を開くと、裂け目に引きずり込まれちゃうんじゃないの?」
「昔はそうでした。ですが、今は違います」
ビーは視線を鳥居に向ける。
「現在は防護策が施されたので、扉が開いたところで引力は働かない。自らがそこへ飛び込まない限り、裂け目に引きずり込まれることはありません。
知らないと思いますが、今は昔に比べて扉の事故が急減している。……いえ、僕の知る限りではここ1、2年の間に事故は発生していない」
「けど。扉を開けるったって、裂け目をどうこうできるのは覚醒した古だけなんじゃないの?」
「白原杏季がいなくとも、扉自体は開けるんですよ」
ビーは断言すると、その細い指をすっと二本上に伸ばした。
「扉を開くには、二つの条件が必要です。
一つが、裂け目に繋がり易くなっている『空間の綻び』を見つけること。
もう一つは、そこに強力な自然系統の理術エネルギーを加えること。
過去に扉の事故が多発していたのは、二つ目の条件が現在より緩かったからです。前は、たった1種類の理術エネルギーが空間の綻びに加えられただけで扉が開いてしまった。
ですが今は、少なくとも3種類以上の開眼した理術エネルギーを加えなくてはならない。
覚醒した古であれば一人でも開けますが、開眼した自然系統の術者が3人以上いればどうにかなります」
あっさりと説明してくれるので、春は少々面食らった。
ビーは更に話を続ける。
「扉の事故で行方不明になった人間が戻ってこないのは、扉が閉まってしまうからです。裂け目側からこちら側への扉を開くことは出来ないらしいですから。
だから僕らは制御装置を破壊した。
制御装置があると、その作用で扉はすぐに閉まります。
ですが装置を止めておけば、扉が開いてもしばらくそのままです。裂け目に行ってまたこちらに戻ってくる為には、扉を開放したままでなくてはいけないですからね」
外から誰かがまた開くのも手間ですし、と彼は表情を変えずに呟いた。春は当惑して、眉間にしわを寄せる。
ビーは左手で目の前の鳥居を指し示す。
「僕らは『古、若しくは複数の自然系統エネルギーを注入することで扉を開放できる』という事実を知り、『空間の綻び』を見つけ出した……それが、この鳥居です。
苦労しましたよ。なにせ過去に事故が起こった空間の綻びは、大抵封鎖されていますから」
「扉を開けて、それでどうするつもり?」
「それは、無事に開けてからのお楽しみです。
さぁ。……協力していただけますね、畠中春さん」
ビーは口角を上げる。春は顔面を刺した冷気に一瞬呼吸を止めた。無理矢理に不敵な笑みを浮かべてから、彼女は動揺を悟られぬよう答える。
「……やったろーじゃないの」
春はその手からぱちりと稲妻を立ち上らせた。
「どうせそうでもしないと、解放してくれる気はないんでしょう」
「僕がしているのは『お願い』ですよ? 無理強いさせるつもりなどありませんが」
「そういう白々しい台詞は、脅しのコレをどけてから言って欲しいんだけどね」
左手で小さく春は自分の首元に突きつけられた氷の刃を指差す。
春の足元には、先端が鋭利になった
「これでも遠慮しているんですよ? 貴女は僕の想定以上に侮れない人材のようだ。用心は重ねないと。僕だってここまでくれば必死なんです。
……御託はさておき、はじめましょうか」
言うなりビーは左手を鳥居に向かって突き出し、術を放った。
氷ではなく、水である。意外に思って凝視するが、考えてみれば元々ビーは水属性だ。氷は水の応用なので、水の方が術を出すのは楽なのかもしれない。
ビーに
鳥居をくぐるようにして放出される理術は、しかしどこか奇妙で違和感があった。春はその違和感の理由に一瞬遅れて気付き、目を見開く。
普通ならば、理術は鳥居をくぐりその向こう側まで到達しているはずである。
だが彼女たちが放つ理術は、まるでそこに壁でもあるかのように、鳥居のところで消滅しているのだ。
彼女たちの理術が裂け目へと流れ込んでいる為にこちらからは消えて見えるのだろうか、と春は当てずっぽうに思った。
やがて理術を出し続けていると、鳥居の中心部に白い点が表れる。
三種類の理術が派手な色彩と共にぶつかり合っているので、傍目には最初、分からない。だが次第次第にその白い点は大きくなっていき、否応なしに彼女たちはそれに気付かされた。
じわじわと時間をかけながら、点から円へと面積を広げていく。辺りは暗くなり始めているのに、そこの箇所だけは恐るべき明度で、異様なまでにくっきりとしている。
――白い、空間……!
葵や琴美の言葉を思い出して、春は息を呑んだ。
ビーは目を細める。
「きましたね。
これが『扉』。もう少し続ければ使用可能な大きさにまで広がる。あと、もう少し……」
呟いた、その時。
「待ちなさい!」
背後から聞こえたのは、馴染みのあるソプラノの声。
「……あっきー」
振り返った春は唖然として目を見開く。
「なんで来たの! あなたが一番ここに来ちゃ駄目でしょう!」
「だから来たの!」
高い声で杏季は叫ぶ。
「はったんの代わりになれるのは私だけでしょう?
私がいれば、当初の予定通り全部がなんとかなるんでしょう?
私がやればいいことなのに、なんではったんに矛先が行くの!
だからはったんを今すぐそこから出して。私が代わりにそっちに行く」
ちらりとビーは杏季を一瞥する。
「……想定よりも、出来過ぎている」
ビーは一旦、理術を止めた。つられて春たちも止めたが、出来たばかりの白い小さな円はまだ鳥居の中央に広がったままだ。
「いらっしゃい、白原杏季さん。
あなたのお望み通りにしてあげますよ。……ただし」
ビーが指を鳴らすと、春を取り囲んでいた氷ががらりと崩れ、一斉に消滅する。突然解放された春は思わずよろめき座り込んだ。
「下手な真似が出来ないよう、今度こそ人質として春さんを使わせてもらいます。
今の貴女はあまりに脅威だ。おかしな行動を起こさないよう、春さんの身柄はこちらで確保させてもらいますが、それで
「さっきみたいな危険なことをしないで、安全な状態ではったんを保護してくれるってなら、それでいい」
杏季の言葉に、京也が強く彼女の腕を掴む。
「何言ってるんだ、ビーの思うつぼだ!」
「そんなこと分かってるよ!」
手を振り払い、杏季はきっと鋭い視線で京也を見上げた。
「けどね。あたしは、あたしの所為でみんなに迷惑がかかってるのが、本っ当に嫌なの。ましてそれでみんなが怪我するとか脅かされるとか危ない状況にいるとか、嫌で嫌で嫌で仕様がないの!
最初っからみんなが巻き込まれるの我慢できないくらい苛々してたのに、全部今までのごたごたあたしが原因なのに、あたしだけ安全なとこにいるとか意味が分かんない。
あたしが行ったらどうなるかなんてことはどうでもいい、もういいよその辺全部面倒くさい。あたしでなんとかなるんだったらあたしがやるのが一番いいの!」
激しい剣幕で言い募る杏季に、京也はたじろぐ。
京也ばかりでなく、離れた場所にいる春も度肝を抜かれていた。これほどまでに激しい感情を露わにした杏季は初めてだ。
それも、普段から滅多にみせることのない怒りの感情を。
「へぇ……」
ビーは無表情で杏季を見遣る。
「成る程。これが古、
独り言のように、ビーは低い声で漏らした。
やがて彼は気を取り直したように頭を振り、改めて杏季を射抜くように見つめる。
「……結構。宜しいでしょう。
ただ御本人に抵抗されても困るのでね。彼女には大人しくしておいて貰いましょう。厳重に、ね」
ビーは指を鳴らす。
途端、春の周囲から氷の壁が突き出した。瞬く間に春は円柱状の氷の檻に囚われる。
以前に潤を閉じ込めたものと似ていたが、今回は天井部分が開いていた。蒸し暑い地下室と違い、夜の戸外で閉じ込めてしまっては凍える危険があるからだろう。ただし、壁の高さは5メートル近くもある。
上が開いているので脱出口はあるが、氷の壁を登るのは容易ではない。春が中にいることを考えれば、円柱を破壊するわけにもいかなかった。自力での脱出も助け出すのも難儀だ。
杏季は足を踏み出しざまに京也へ囁く。
「はったんのこと、よろしくね」
真顔で言い残し、杏季はビーの元へ歩き出した。引き止めることも出来ず、京也は遣る瀬無く額に手をやった。
ため息を飲み込んだ後で、京也はそびえる円柱に視線を向けたまま背後の影に向かって問いかける。
「だ、そうだ。……葵、聞いてたな」
「ああ。聞いてたどころか」
いつの間にか追いついたのだろう葵が、木立の影から姿を現す。
「少し前からずっと見てた。一発二発ぶん殴る程度じゃ気が済まねぇ」
据わった眼差しで彼は吐き捨てた。
ビーは殺気立った葵へ肩をすくめてみせる。
「何をそんな躍起になっているんですか」
「てめぇ、さっき春さんに何をしてた? ……いくら氷だからって、完全に凶器以外の何物でもねぇだろうがよ」
「易々と逃げられても困りますからね。
それにお言葉ですけど。貴方が抜けなければ、彼女が僕に利用されることはなかった」
「……!?」
意表を突かれて、葵は言葉を失った。
「僕らは古、若しくは開眼した自然系統の人材が欲しかった。
大人しくグレンがこちらに残り開眼していれば、事は穏便に済んだかもしれないんですよ」
「葵、揺さぶられんな!」
京也の注意も空しく、葵は一瞬、思考を停止させる。
その隙を突いて、アルドは葵へ向け火の玉を放った。遅れて気付くが、飛んできた炎を避けきれず葵はまともにアルドの攻撃を受ける。
「あっつ!」
慌てて葵は手に直撃した炎を振り払った。攻撃自体は大したことがなかったが、何が起こったのかを理解して葵はさっと青ざめる。
攻撃を受けたのは葵の左手。補助装置をはめている方の手だ。僅かな間であったが、それを駄目にする程度には炎は強力だった。
補助装置は、燃え落ちてしまった。
「……っくそ!」
葵は顔を歪める。まだ開眼していない葵にとって、この状況下で補助装置を失うのは大きな痛手だ。
苦々しい面持ちで彼が顔を上げると、ちょうど杏季がビーの元へ辿り着いたところであった。やってきた杏季を無感動に眺めた後で、ビーは再び指を鳴らす。
今度は、鳥居と彼ら二人だけをぐるりと取り囲むように氷の壁がそびえ、杏季たちは周囲から隔絶された。
同時に、円柱と彼らのいる場所との間が行く手を遮るように氷の壁で塞がれる。壁の前にはベリーとアルドが立ちはだかった。そう簡単に助けさせてはくれないようだ。
「一瞬でいい。二人の動きを止めてくれ」
小声で京也は指示する。言われるがままに葵は、ベリーとアルドの足を蔓で拘束した。補助装置を使用していない所為か、アルドの炎でそれはあっという間に燃やされる。
だがその隙に京也は二人の横をすり抜け、具現化した刀で壁を
厚さが10センチはあろうという氷の壁が、一瞬にして崩される。がらがらという音と共に壁は消え去り、道は開けた。
味方の快挙に
「葵、お前が春ちゃんを助けに行け」
「けど、俺は補助装置が」
「だからだよ。ベリーとアルドの相手は出来ないだろ。ここは僕が食い止める。
それに葵の草なら、上から春ちゃんを安全に引っ張り上げられるだろ。補助装置なしじゃ効率は悪いかもしれないけど、無理難題ってわけじゃない」
抜いた刀を構え、京也は葵に背を向け、心なしかぶっきらぼうに言い放つ。
「さっさと行けよ。でないと、僕が見せ場を盗っちまうぞ」
何か言おうとして、しかし遅れて追って来る二人の姿を見て。
黙って頷き、春の閉じ込められた氷牢へ向け、葵は駆け出した。
【チームAKYvsチームC:戦闘開始】
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