均衡の守り人(5)

 着信音と京也の台詞とで全員が事態に気付き、声を潜めた。

 だが京也が電話に出る前に、潤が素早く携帯電話を彼の手から奪い取る。そのまま通話ボタンを押し、開口一番、潤はビーへ怒鳴り込んだ。


「おいこら鬼畜メガネ、貴様一体何の用だ!」


 若干笑い混じりで、受話口の向こうから聞き覚えのある声がする。


『相変わらずのようですね。お久しぶり、……と言いましてもたった数日ですか。お元気そうで何よりですよ、月谷潤さん』

御託ごたくはいい! てめぇ一体いろいろどういうことだよ!」

『いろいろ、と申されましてもいまひとつ具体性に欠ける為、その問いには回答しかねますね。もう少しばかり論点を具体的に列挙・整理してから出直していただけないでしょうか。

 そもそも僕はヴィオに電話した筈なのですが、貴女に繋がるとはそちらの方が一体どういうことですか。どうせ貴女のことですから、彼から奪い取って無理矢理電話に出たんでしょうけど』

「あーあーあー相変わらず腹が立つなあこんちくしょう!」

『それは結構。存じています。

 ところで、貴女と話していると無駄に電話代がかさみそうです。電話代も勿体無いですし、話にならないので畠中さんあたりに代わってください』

「むっかっつっく!!!」


 通話口に怒りをぶつけてから、だが潤は素直に、ずいっと携帯電話を春に突きつけた。


「ご指名だはったん!」

「はいっ!?」


 事態が飲み込めないまま、春は困惑しつつ携帯電話を受け取る。


「……もしもし?」

『畠中春、さんですか?』

「そうだけど。……私に何の用?」

『安心してください、貴女個人に取り立てて用があるわけではありません。普通に話が通じそうな人の名を例示しただけですから。

 女性陣の番号を知らないので便宜上ヴィオに電話をかけましたが、男連中がそちらでどういう扱いになっているか分かりかねましたからね。月谷潤さんだと話が進まないでしょうし、白原杏季では会話がままならない』


 最後の言葉に春は少しばかり引っかかった。まるで、杏季が男子を苦手としていることを知っているかのような口ぶりである。

 しかしそこを突っ込んだところでビーからまっとうな返答がくる確立は低いと思えたし、本題とも異なるので、言及はしなかった。


「それで、一体何の用なの」

『そうですね。まずは白原杏季の覚醒、おめでとうございます。

 そして貴女の開眼も。

 ワイトの開眼は想定外でしたが、時期を考えれば妥当なところでしょう』


 春は眉を顰めた。既にビーは彼女らの事実を掌握している。

 自分たちだってようやく飲み込みつつある事実が、それがとっくに相手に知られているというのは、どうにも手玉に取られているようでひどく不快だった。


『ああ、つい専門用語を使用してしまいましたが。

 僕の予想だと、流石にそろそろ護衛者さんが貴女方に事実を説明した頃だと思うのですけど。開眼と覚醒についてはご存知ですね?』


 一瞬、春は琴美のかけた術と、他言無用という約束を思い出して躊躇した。だがその条件は、『元よりこの真実を知る者以外には、決して他言しないこと』だ。既に事実を知っている相手なら条件に当てまらない。余分なことを口走らなければ問題はないはずである。


「まさに、ついさっき聞いたよ。その辺りについて」

『そうですか、説明が省けて助かります。

 さて、前置きはさておき本題ですが。――明日の夜、決着を付けましょう』

「……決着?」

『ええ。どうせ説明することになるんでしょうから、スピーカーに切り替えて全員に聞こえるようにして頂けますか』


 言われた通り、春はボタンを押して外部のスピーカーから全員に音声が聞こえるようにした。聞こえやすいようにみんなの方へ向け、携帯電話を持ち直す。


『今まで僕たちは再三の攻防を続けてきました。そして今ようやく、白原杏季の条件は満たされた。そこで、お互いの為にも潔く決着をつけてしまいましょう。

 方法は、分かりやすく理術での戦闘で。チーム全員が戦闘不能になった時点で負け。ただし、著しく相手を傷つけ命に関わるような怪我を負わせてはいけない。その場合は反則負けとします。

 貴方たちが勝ったなら、僕らは手を引きます。今後一切、白原杏季に手は出さない。

 ただし僕らが勝った場合、白原杏季を貸して頂きたい』


 ビーの提案に、潤は険のある面持ちで噛み付く。


「んなもん、お前らがちゃんと約束を守るかどうかなんて保障はねーじゃんか!」

「それにそっちに時間がないんだったら、私たちとしては戦うよりも逃げ回ってた方がいいんだけど。被害や労力はその方が少なくて済むし」


 奈由が付け加えた。電話の向こうでビーが軽く笑みを漏らす気配がする。


『でしょうね。そのような答えは予想済みでした。ところで、窓の外を見て頂けますか』

「窓?」


 春は顔を上げて窓を見遣り、そして目を丸くした。


「な、……何これ」


 先ほどまで見えていたはずの景色が見えない。窓は真っ白に凍り付いていた。

 驚いて潤が立ち上がると、ぴしりと冷たい音を立てて更に白さが増す。見ている側から窓を覆う氷は次第にぶ厚くなっているようだった。

 触ろうとして、しかし嫌な予感がして潤は手を伸ばすのを止める。


『ご覧の通り。既に僕は皆さんを包囲しています。

 もしこの提案が却下されれば、今すぐ僕らは貴方たちの部屋へ攻め込みます。攻め込むといっても氷攻めですから、直接そちらへ踏み込むわけではありませんけど。

 そもそも、既に扉は塞いでいる。逃げ場はありません』


 事実を確認しようとして、入り口近くにいた奈由は部屋のノブに手をかけた。

 だが、部屋のノブは動かない。異常にひんやりしたその感触に彼女は反射的に手を離した。

 玄関だけではない。既にもうこの部屋が塞がれているのだ。


『このままですと、大人しく極限まで冷え切った部屋の中で、意識を失うのを待つばかりになりますけど。部屋を脱出したとて、外には僕とアルドとベリーが待機している。どちらにせよ袋の鼠です。

 ですが、提案に賛同していただけるのであればこの場は退却し、指定時刻に指定場所へ辿り着くまで攻撃はしないと誓いましょう。

 いいですか、今すぐ僕らは貴方たちを攻撃し白原杏季を連れ去る準備が整っている。それをゆめゆめお忘れなく』


 憎々しげな表情で、葵は携帯電話を睨みつける。


「敵に回すとますますもって最悪の人間だなあんたは。これは提案じゃない、立派な脅しじゃねぇか」

『白原杏季が覚醒した今、待つ理由はなくなった。むしろ僕は親切にも、貴方たちが勝てる可能性のある道筋を示してあげているんです。この提案を蹴れば、手段を選ばず白原杏季を奪取します。僕だって出来れば犯罪紛いのことはしたくない』


 ドアから、ぴしり、と音がする。

 氷は室内にまで侵食し、内側のドアをも氷が覆い始めていた。


「やり方は正直気に食わないが」


 潤は腕を組んで朗々と言い放つ。


「やったろーじゃんか。こっちだっていい加減、苛々してんだ。受けて立ってやらぁ」

「ま、分かりやすくていいかもね。明日で決着が付くなら、うちらだってそれに越したことはない」

「この場はそれが妥当でしょう。やり口はいけ好かないけど、面倒なのはごめんだもの」


 彼女の言葉に、春と奈由も賛同した。3人の顔を見て、おずおずと杏季も頷く。


「そういうやり方で決着をつけるのはやだけど、……今、ただ負けるのはもっとやだ。怖いけど、私だってもう、いい加減どうにかしたいの」

「杏季さんが言うなら私は賛成です」

「こいつが言うなら俺はそれでいいけど」


 杏季に続いて、琴美と裕希もほぼ同時に決意表明した。

 重なってしまったことに苛立ち、琴美は裕希を睨む。それが分かっているので、裕希は最初から目を反らしている。


「俺もその方向だ。白黒決着つけてやろうじゃねぇか」

「そうだな。今は、こうするしかない」


 最後に、葵と京也も同意した。


『交渉成立、……ですね』


 ぱちっと指を鳴らすような音がスピーカー越しに聞こえる。それと同時に、ドアを覆い始めていた氷はすっと消え、白く濁った窓は元の澄んだ色を取り戻した。


 スピーカーフォンから携帯電話を元の状態に戻し、再び春は受話口に耳を当てる。


『僕らが条件を指定した代わりに、貴方たちが詳細な時間と場所とを指定してください。その方が公平でしょうから。……そうですね、畠中さん。あなたが知らせて頂けますか』

「知らせるって、時間と場所を?」

『そうです。僕らが指定した場所では納得しないでしょう。

 僕らは午後4時以降、ずっとビルに待機していることにします。なので、貴方たちの指定する時間になったら僕らを迎えに来てください』

「分かったよ。私が行って知らせりゃいいんだね」

『よろしくお願いします。

 さあ、これで僕からの提案は以上なのですが。何か、他にありますか?』


 とりたてて春から彼に聞くことは思いつかなかったので、彼女は耳を離し他の面々に尋ねる。

 すっと前に進み出て電話を春から受け取ったのは、裕希だった。


「もしもし、……ワイトだけどさ」

『ご苦労様です、ワイト。おかげで僕の目的は順調に果たせそうです』

「させるつもりはないけどね」

『こちらに帰って来ずこの電話に出ている時点で言わずもがなですが、やはりそちらに付いたのですね。予想通りなので別に問題はありませんが』


 予想通り、という言葉に反応し、裕希はすっと目を細める。

 ビーにしてみれば、裕希が杏季を開眼もしくは覚醒させた後はこちらに寝返ってしまう、ということすら計画の範囲内だったのだろう。


「お前、あいつに何させるつもりなんだ?」

『貴方がこっちにいる時にすら出さなかった情報を出すわけがないでしょう』

「じゃあさ。……ビーはあいつが覚醒したらどうなるか、知ってたのか。それとあいつがああいう性格で、確実に怯えるって分かってて、それで俺を行かせたのか」

『代名詞ばかりで具体性に欠けますが、察するに理術性疾患と男子が苦手だという事実に関してですか。知ってましたよ』


 さらりと答えてビーは饒舌じょうぜつに続ける。


『付け加えれば、彼女が男子を苦手とする原因となった過去の出来事も知っていました。貴方が音属性だったのは、相性を考慮した単に便宜上の問題ですけどね。僕の目的は白原杏季を虐めることではありませんから』

「……音?」

『おや、そこまでは知らないようですね。蛇足でしたか』


 ビーは意外そうな声色を挙げたが、すんなり続きを話す。今となっては隠すほど重要な情報ではないのだろう。


『白原杏季はとりわけ騒音を嫌う。通常以上に『音』に弱い、干渉を受けやすい。

 元からの体質もあるでしょうが、それは彼女が男子嫌いになる原因となった過去のトラウマに起因するのですよ。

 過去、執拗に白原杏季を虐めていた相手はだった』


 息を呑み、裕希は無意識に横目で杏季を追った。

 葵から聞かされた話に、音属性との関わりは出てこなかった。もし葵がその情報を知っていれば、彼は裕希にその事を告げていただろう。葵が杏季の過去を話したのは、彼女の態度への誤解を解くのが目的だったのだ。話さない筈がない。

 おそらく、杏季は故意にそれを伏せたのだ。更に輪をかけた非難が彼に向かないように。そしてこれ以上、裕希が気に病まないように。


「……全部。全部その辺を分かってて、こうなることが分かった上で俺を行かせたんだな」

『僕は貴方の歪んだ感情を利用しただけです』


 抑えた裕希の声色に遠慮する気配は微塵みじんもみせず、ビーは淡々と告げる。


『僕は、白原杏季が嫌いだという貴方に、彼女を苛め抜く大義名分を与えただけですよ。貴方もそれを喜んで受けたではないですか。

 ――白原杏季に手を下したのは、貴方だ』


 ぐ、と裕希は口ごもった。

 認めたくはない。だがそれは、紛れも無い事実だった。

 ふっと息を吐き出す音が聞こえ、それからビーは静かに裕希へ尋ねる。


嗜虐心しぎゃくしんは満たせましたか? ああ、それよりも……征服欲、ですかね』


 裕希は腕を大きく振り上げ、全力で携帯電話をぶん投げた。


「お前、それ僕の携帯!」

「ぶっ潰す!!」

「潰すな! 壊すな! 大きく振りかぶるな!」


 幸いにして携帯電話は座布団に当たり、無事に軟着地した。外見にさしたる傷は無い。京也はそっと電話を拾い上げ、念の為に確認する。


「もしもし、壊れてないよな? 聞こえるよな?」

『何があったのかは大体見当が付きますが、さておき壊れてはいないようですよ。そういえば持ち主と直接話すのは今が始めてですね』

「ああそうだな。だけどもういいだろ、お互いに用件は済んだはずだ。

 ……首を洗って待ってろよ、ビー」

『ええ。お待ちしていますよ』


 口を引き結びながら彼は静かに電話を切った。

 会話を終了してもなお携帯電話をじっと睨みつけている裕希に、葵は遠慮がちに問いかける。


「……何を言われたんだ?」

「なんでもない」


 ぶっきらぼうに短く答え、裕希は自分の席に戻る。

 それから彼は、こっそり杏季を盗み見た。彼女は京也の手の中にある携帯電話を心配そうに見つめている。杏季が裕希の視線に気付く様子は、なかった。






「宣戦布告をされたところで。一つ、皆さんに不穏な情報をお伝えしなければなりません」


 琴美は改めて全員に向き直った。


「先ほど。舞橋市内のとある場所で爆破事件がありました。爆破そのものの情報すら伏せられているようですからニュースになっておりませんが」

「爆破って、一体何が」


 潤の台詞に琴美は重々しく告げる。


「爆破されたのは――舞橋市に設置されている制御装置です」


 しんと静まり返った室内で、琴美の声が妙に大きく響き渡った。

 先ほど琴美から聞いたばかりの説明を思い返し、思考がまとまりきらないままに春は乾いた声をあげる。


「つまり、まさか。……その爆破は、ビーたちがやったってこと?」

「状況からして、ほぼ間違いないとみていいでしょう。そして。

 制御装置を爆破したということは。おそらく、あいつらは杏季さんを使って世界をどうこうしようとしてやがるんですよ」


 改めて聞き、彼女らは絶句する。

 琴美はやや熱のこもった口調で続ける。


「そうすると、あいつらが言っていた『時間が無い』という言葉にも説明が付くんです。

 制御装置の位置は極秘。制御装置の位置を探り出すのは相当に困難だったはずです。それをやつらは撃破した。

 ですが間もなく新しい制御装置は用意され、また別の場所へ巧妙に設置されるでしょう。

 動くとしたら、新しい制御装置が運び込まれてくるよりも前。制御装置の効力がなくなっている今しかない」


 彼女の説明に、春は肌を粟立てる。


 ――……冗談じゃない。


 春は唇を噛み締めた。



 ――理術がどうのってだけで既に異常なのに。……爆破だとか制御装置だとか、挙句の果てには人が世界に干渉するだなんて、どうかしてる。

 ――もうそれは人間じゃない、人が関与していい領域じゃないよ。



 そう考えて、しかし春はぴたりと思考を止めた。

 ふと彼女の視界に入ってきたのは、友人の姿。


 覚醒した古属性であり、男子が苦手で動物が好きで甘党なただの女子高生。

 数日前まではこんな日々を予想だにせず、一緒に暑苦しい教室で問題集を解き、単調で苦しいながらもそこそこ愉快な受験生活を送っていくものとばかり思っていたのに。

 巻き込まれたばかりに見たくもない聞きたくもなかった事実を散々知らされている友人の姿。


 春はもやもやとした気分のままで額に手をやる。

 浮かない表情で、春は杏季から目を反らした。



「さあ。――全力で、ふざけた連中を返り討ってやろうじゃありませんか」



 肩に杖を担ぎ、琴美は好戦的な面持ちで唇を歪めた。

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