均衡の守り人(3)
自分を取り巻く煙と琴美とを交互に見ながら、潤はたじろいで声をあげる。
「ちょ……これ、どういう術なわけ?」
「心配なさらないでください、危険なものではありません。
もし万一今から話す内容を部外者に口外した場合、または制御装置以上の理術を使用した場合、すぐさま私にそれが分かる、というだけの術ですから。いわば
微笑んで琴美は答えた。彼女たちを見渡しながら、琴美は小指の先で髪を耳にかける。
静まり返った他のメンバーは、煙で拘束されていないはずの杏季も含めて微動だにしない。
「ただし。もしも盟約を破ったその時には、相応の措置を取られることになると覚悟しておいてください。
それだけ今からお話することは、本来なら決して一般人は知り得ない機密なんです。
勿論。強制的に術をかけるつもりはありません。嫌だというのであれば、拒絶して頂いて結構です。
ですがその場合には無論、詳細をお話することは出来ませんし、この一件から完全に手を引いてもらうことになります。加えて当分の間、こちらが良しとするまで杏季さんとの接触も控えてもらうことになります」
奈由は穿った眼差しを向け低い声で尋ねる。
「別に知ったところで誰かに話すつもりはないし、どこかに首を突っ込むつもりもない。
けど事実を知りたくもある反面、それを知ることで誰かに狙われたり、取り返しのつかない状況に追い込まれるのであれば、私は躊躇するよ。
こーちゃんが提示する条件を考えると、本当のことを知るって事はかなりやばいことなんじゃないかって、そう聞こえる」
「奈由さんの言い分はもっともです。……これをお伝えするのは、選択肢を狭めてしまうようで非常に気が引けるのですが」
大きくため息をつきながら琴美は告げる。
「残念なことに。既にあなた達のほとんどは、かなり微妙な立場にいます。すなわち杏季さんとの絡みを除いても、今後何者かに目を付けられる恐れがある、ということです。
だからこそ上は許可を出したんです。決してあなた達は無関係ではない。
ですから広く今後のことを考えると、このままこちらに留まって真実を知って欲しいというのが私の心情です。
どうか、……選んでください」
そう言って琴美は、答えを求めて辺りを見回した。
「俺は聞くよ。だって気になるじゃん」
「私だって聞くよ! 要はあれだろ。これが終わってからも暴れ回ることなんだろ。なら問題はないじゃんか」
さらりと即答したのは裕希だ。負けじと潤が後に続いた。
琴美は音を立てず軽く拍手する。
「そうですか、よかったです。まあぶっちゃけ貴方たち二人は、最も一番どうでもいい、もとい別にどっちでもいいんですけどね」
「どっちでもいいとか!!」
潤と裕希は揃って抗議の声を挙げる。
二人の抗議を軽く流して、琴美は奈由と春へ視線を向けた。奈由は表情を変えず、冷静な眼差しのまま小首を傾げてみせる。
「聞こうが聞くまいが自分の立場がどのみち同じなんだったら、私は聞きたいよ。気になるしね。それに万一が起こったときは、知っていた方が対処のしようもあるだろうし」
「……そこまで言われて、聞かずにいられるかって話だよね。やっぱさ。
それに多分だけど、確実にそのアブナイ立場ってのに私は含まれちゃってるでしょう。鍵を外しちゃったから」
「あら、鋭いですね。さすが春さんです」
春の指摘を否定せず、琴美はやんわりと笑顔を浮かべた。「そりゃそれくらい想像つくよ」、とぼやいて春は苦笑いする。
鍵を外したもう一人の人物たる京也は、腕組みして琴美に向き直る。
「一つ二つ、聞いておきたいことがあるんだけれどね」
「なんなりと」
おどけてた調子で返した琴美に、京也は至って真面目な表情で尋ねる。
「まず一つだけど。なんでこの中に杏季ちゃんは入っていないかってことだね」
言いながら京也は、先ほどから蚊帳の外で一連の出来事を眺めている杏季に視線を向けた。琴美は一瞬だけ杏季を視界に捉えてから静かに答える。
「一番の理由としては、当事者たる杏季さんはいずれ本当のことを知らざるを得ないからです。ならば先んじてこちらから話してしまった方がいい。
もう一つは、杏季さんにこの術を使用するのは少々不都合があるからです。
そういう事情から、私は杏季さんに術をかけることが出来ません」
曖昧に濁し、それを誤魔化すように琴美は唇に笑みを浮かべた。
京也は深く詮索することはなしに話を続ける。
「それからもう一つ。
……こんな状況になっていて、なんで上の奴らが出てこない」
京也の問いに、琴美は僅かにひくりと頬をひきつらせた。
「今までならまだ分かる。高校生対高校生っていう、日常から逸した場面はあれど、相応な構図だったはずだ。
けど、『上の許可』だの『機密』だのこの状況は明らかにおかしいだろ。なのに素人の僕らだけで解決しろってのも道理に合わないんじゃないのかな」
そこまで言ってから京也はふっと力を抜き、肩をすくめてみせた。
「ま、僕はそれが言いたかっただけだよ。
僕もみんなと同意見だ。ここまできたら勿論、僕だって本当のことが知りたいさ。術でもなんでもかければいい」
「ふふ。……流石です。本当に、貴方は侮れない」
やがて彼女は笑顔を取り払うと、葵へ再度向き直る。
「お分かりですね葵さん。なぜ私があなたを名指しで
このメンバーの中で唯一、あなたはすべてが終わったその後も、理術の機密や力を欲するだろうと考えたからです。もし葵さんがこれからお話する知識を利用し、今後独自に立ち回るようでしたら、こちらとしては非常に困るんですよ」
女子四人は、元々巻き込まれただけだ。
京也はベリーやアルドをビーから引き離し、ビーの凶行を阻止したいという目的があるが、それはこの一件が済めば解決するだろう。
裕希は理術性疾患だが、杏季と和解した途端にあっさり仲間になったところをみると、さして強い望みというわけでもなかったらしい。
ビーとのいざこざに片を付けてしまえば、ほとんど彼女らの問題は落着するのだ。
しかしメンバーの中で、葵一人はそうもいかなかった。
元々、彼はビーに強い反発を抱きつつも、自分の目的を叶えたいが為に渋々ビーへ組みしていたのだ。生半可な望みなわけがなかった。
琴美は葵を値踏みするように目を細め、煙が繋がったままの杖を肩に担ぐ。
「それで、葵さん。……如何致しましょうか」
彼女の問いかけに葵は口ごもった。視線を泳がせた葵へ、琴美は静かに付け加える。
「一つ言っておきますが、私の所属する組織と葵さんのお兄さんが関わった組織とは基本的に無関係です。ですから私たちは敵でも黒幕でもありませんが、それ故にお兄さんの件に関して本当のところは分からない。
その代わり。私の知る事実を突き合わせ総動員し、想像できる範囲で葵さんへ、あの日に起こった現象の真実をお教え致します」
「……知ることか、動くことか、俺にとっちゃその二択な訳だな」
考え込むように葵は額に手をやった。
おずおずと潤が遠慮がちに口を開く。
「なぁ、アオリンはさ。実際のところ、どうしようとしてたのさ。こっちゃんの言うように、その……本気で、復讐しようとしてたの?」
「復讐だとか言うと大げさだけどさ。……大体は佐竹が指摘したとおりだよ。このごたごたが終わってからも、俺は一人でそういうものに首を突っ込んでくつもりだった」
苦笑して葵は目を伏せる。
「兄貴が研究所から試薬を盗んだ、ほんの数日後だよ。あの事件があったのは。
誰かの策略だったにせよ事故だったにせよ、全部を全部闇に葬ったままなんてあまりに浮かばれないだろ。
だから俺はリーダーの誘いに乗ったんだ。あの時も今も、俺は何も知らないままだけど。少しでも、近付きたかったから」
葵はしばらく視線を落としていたが、やがて顔を上げ、意を決したように告げる。
「確かに佐竹の言うとおりだ。ビー側に居た時は何が何でも明るみに出してやろうと思ってたし、こっち側についてからは正攻法であの時のことを探ろうと思ってたよ。
けど、……何をどうしたいと言われるなら、俺はあの時の出来事にいい加減けりをつけたいだけなんだ。このままずっと引きずって、振り回され続けるのはごめんなんだよ。
少しでもあの時の事実に近いことが分かるんだったら、俺はそれを知りたい。
仮に兄貴が誰かに消されたんだとしても、意図的に……殺されたんだとしても。
俺がしたいのは復讐なんかじゃない。
それよりも――知りたい」
「……いいの?」
部屋の隅からか細い声が聞こえた。
その声に驚いて振り返れば、固い表情の杏季がじっと葵を見つめていた。突然言われたことと、杏季に話しかけられたことの両方に驚きながら、しかし葵はきっぱりと唇を引き結んで宣言する。
「ああ。もう俺は迷わないよ。俺は本当のことが知りたい。ビーとの決着が着いたその後は、……もう行動は起こさねぇ」
「誓えますか?」
探るような眼差しで、琴美は葵に問いかけた。
葵は正面からまっすぐに琴美を見返す。
「誓う」
にっと口角を上げ、琴美は杖を肩から下ろす。
「よろしいでしょう。では、杏季さんは部屋の隅に下がっていてください」
琴美は足を開き、杖を構えた。杖の中心を右手でしっかりと握り、軽く左手を添える。黙視で煙に繋がれたメンバーを一人一人確認した。
杏季が奥の壁へ張り付いたのを合図に、琴美は
「
目を閉じて琴美は言葉を唱えた。停滞していた煙は渦を巻き、彼女らの身体を更に濃く取り巻いた。
静かに目を開き、琴美は杖の先端を地面に降り下ろす。
途端に紫の煙はさっと
琴美は杖を下ろしにっこりと笑った。次の瞬間、ぱっと杖が消える。
「さぁ、これで術は完了です。お疲れさまでした」
想像したより存外にあっさり終わり、些か拍子抜けしたようで、彼らはきょろきょろと辺りを見回す。
葵はじっと自分の手の平を見つめていた。
満足とも後悔ともつかぬ表情を浮かべているのに気付き、春は黙って彼の横顔を見つめた。
全員が再び座り直し、彼らは琴美の言葉を待った。神妙な面持ちで
「そうですね。ではまず簡単に復習からいきましょうか。
私たちの世界には、理術の力を制御する制御装置と呼ばれるものが存在する。
この制御装置がある為に、私たちは強いの理術を行使することが出来ない。
制御された以上の理術を使うための手段が、補助装置を使うこと。
補助装置を使いこなすことで『鍵を外す』ことができるようになる。
鍵を外した人はもう補助装置がなくても、自在に制御装置以上の理術を使うことが出来る。
ここまではいいですよね?」
琴美の言葉に全員が頷いた。
それを満足気に見回してから、琴美は頬に人差し指をちょんと付け、にっこりと微笑む。
「あれ。全部、嘘です」
至極、軽い口調で琴美がそう言った後。
「はあぁぁぁぁぁあっ!?」
ほぼ全員分の困惑の声が、部屋にこだました。
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