均衡の守り人(2)

「ちょ、ちょっと待てよ」


 裕希が戸惑いながら、葵を庇うように身を乗り出す。


「なんでアオなんだよ。別にアオはなんもしてないじゃんか」

「うっさい単純ばかのがきんちょは黙ってろ」


 暴言を吐かれて裕希はひるんだ。


「疑わしきは罰せず。……しかし疑わしいものを目の前に、みすみす放っておくわけにもいかないんですよ。染沢葵さん」


 琴美は裕希に向けたのよりは穏やかに、しかし固い口調で言った。当の葵は微動だにせず、じっと琴美を見つめている。


「染沢さん。奈由さんから、花火大会の夜のこと、そして『共鳴』のことを聞きました。

 ですが。……あなたは何故、それが『共鳴』と判断できたのですか?」


 彼女の問いに葵ではなく、やはり当惑した奈由が口添える。


「狙われてるのを私が察知したから、でしょう? それが共鳴じゃないの?」

「それがおかしいんです。

 確かに共鳴といわれる現象は存在しますし、まったくの他人同士でも共鳴が起こることはあります。しかし共鳴は厳密に言えば『張本人が危機ににしか起こり得ないもの』なんです……この世界ですと。

 先程、葵さんが察した時はいいとしても。花火大会の時、で奈由さんが染沢さんの存在を察知できたのは明らかに異常なんですよ。

 だのに何故、貴方はその時点で共鳴と判断出来たのですか」


 奈由は押し黙った。

 元々、奈由とて葵から聞いただけなので、詳細を知っているわけではない。琴美の説明が正しいとすれば、なるほど葵の言動には少々疑問が残る。図書館で尋ねた際、葵は既にこの現象をきっぱり共鳴と言い切っていたのだ。

 しかしそれにしても、葵を疑ってかかるのには判断材料が少なすぎる。ただ彼に正しい知識がなかっただけかもしれないし、似たような現象だからと軽薄に断定してしまったに過ぎないのかもしれない。これだけで邪推じゃすいするのはあまりに無理矢理な気がした。

 だが妙に確信に満ちた琴美の表情を見て、奈由は口を開くのをやめた。不確実な推測だけではない、何か確固たる情報を掴んだ上での疑念がその目には浮かんでいたのだ。


 問われた葵の表情は硬い。部屋には重苦しい沈黙が流れた。

 数秒の間をおいて、それでも葵が何も切り出さないのをみると、琴美は静かに口を開く。


「理術第五研究所」


 葵はぴくりと反応する。


「……ご存知ですね」


 瞳だけ動かし、彼は琴美を真っ直ぐ見据えた。その目に焦りは浮かんでいない。ただ少しだけばつが悪そうに、気まずそうな色を湛えていた。

 彼の反応を肯定と捉えたのか、琴美は続ける。


「以前、舞橋市に存在した研究施設です。現在は既に閉鎖されていますが、理術第五研究所はかつて『共鳴』に関する研究を行っていました。

 四年前、この第五研究所で盗難事件が起こりました。研究中だった共鳴の試薬が盗まれたんです。

 その容疑者の名が『染沢そめざわ幸政ゆきまさ』。当時22歳の大学生です」


「染沢、幸政……」


 誰かがぽつりと呟いた。

 口には出さずとも、その場にいる誰もが同じことを考えていた。他の面々より葵の事情を知っているはずの裕希までもが、あっけに取られている。


「懐かしいな。まさか、その話が出てくるとは思わなかった」


 ふっと葵は表情を崩す。


「――染沢幸政は、四年前に行方不明になった俺の兄貴だよ」


 葵は静かな口調で、しかしはっきりと認めた。

 行方不明、という単語に杏季はびくりと身を縮める。


 琴美は葵を見据えたまま、無言で彼へ続きを促した。葵はふっと息を吐き出して、苦笑いを浮かべながら続ける。


「その調子だと、とっくに佐竹は感づいてるんだろうけどな。

 あの馬鹿兄貴は、研究所が絶賛研究開発してた試薬をかっぱらってきた。そして俺が、その共鳴の試薬を飲んだんだ」


 飲んだというよりは飲まされたの方が正しい表現だけどな、とぼやいて葵は肩をすくめる。


「といっても。あの試薬は本当にまだ発達途上の代物だったよ。本当はブレることなく、同じ属性の人間なら等しく共鳴の効力を発揮させるつもりだったみてぇだけど、実際にはそこまで上手くいかなかった。

 だから俺は、普通の人間より多少共鳴が起こりやすくなってるって程度なんだ。ついでに俺は単なる受動側で、俺自身は相手の危機を察知できない。さっき感じ取れたのに驚いたくらいだ。

 ……いつかは言わないとと思ってた。まだ踏ん切りがつかなかったんだ。下手に不審なことを言って疑われたくなかったからさ。

 フェアじゃねぇのは……分かってたけど」


 ちらりと春を一瞥してから、葵はすぐまた視線を逸らした。


「私が懸念しているのはですね、染沢葵さん」


 琴美は葵の話を聞き終えてもなお、ぴんと杖を構えた姿勢を崩さぬまま言う。


「貴方が共鳴の試薬を飲んだこと、それ自体ではないんです。

 別にそれだけで葵さんをとやかく責めるつもりなど毛頭無いんですよ。試薬を盗んだのが葵さん本人な訳でもなし。むしろあなたは巻き込まれた被害者でしょう。

 そもそも私が所属しているのは直接研究所に関わりのある機関ではありませんから、仮に葵さんがもっと積極的に加担していたとしても、その点に関してはぶっちゃけどうでもいいんです」


 葵は意外そうに目を瞬かせた。てっきり、試薬を飲んだ事そのものについて責められると思っていたのだろう。

 琴美はやはり冷静な声色で、しかし先ほどより、やや慎重に言葉を続ける。


「葵さんの兄……染沢幸政は、先ほど葵さんが言ったように現在、行方不明です。

 世間一般では事故として処理されています。染沢幸政は、前日に降った雨の影響で増水した川に流されたと。

 しかし目撃者である染沢幸政の弟――染沢葵だけは、これを事故ではないと否定し続けた。

 第三者の目から見たら、これは不幸な事故です。ですが彼、染沢幸政の実弟で唯一の目撃者たる染沢葵の目から見ると、その意味合いは大きく異なってくる。

 染沢幸政は、事故と言い切るには不審な失踪をした。

 それもタイミングとしては、研究所から共鳴の試薬を盗んだその直後。

 ――まるで、誰かから消されたみたいに」


 今度こそ葵の顔色が変わった。

 構わず、琴美は淡々と問いかける。



「あなたは。お兄さんが消えた本当の事実を突き止め、場合によってはその黒幕に復讐しようと思っているのではありませんか?」



 葵の返事を待たず、琴美は静かに杖を振り上げた。

 杖の先から紫の煙が音もなく吹き出る。

 あっという間に部屋中を駆け巡った煙は、その場にいた全員の視界を奪った。


「今更、貴方が私たちを裏切るとは思っていません。

 短い期間ながら葵さんのことを観察させてもらいましたけれど、今現在この状況において葵さんは確かに私たちの味方のようですし、かなりの確率で疑わしくない。

 ただ全てが終わった後、葵さんはビーとも私たちとも離れた上で、極めて危険な方向へ行くような気がしてならない。ですから」


 琴美は杖の末端を床に突いた。部屋に充満していた煙が収束し、視界が開ける。

 だが煙は完全に消え去ったわけではなかった。紫の煙は輪の形になり、琴美と杏季を除く全員の身体を一人一人取り囲んでいる。

 それぞれの煙の輪からは細長い真っ直ぐな煙が一筋伸びており、琴美の杖の先に繋がっていた。まるで縄で拘束されているような状態だ。


「上からは、皆さんへ真実を話してよいとの許可が下りました。ただし、いくつかの条件付きで。

 一つは『元よりこの真実を知る者以外には、決して他言しないこと』。

 そしてもう一つが『この一件が終わって以後、理術の深部に関わる事象へ一切の積極的介入をしないこと』。

 ……そういうわけで申し訳ありませんが。今からあなた方に、術をかけさせてもらいたいと思います」


 若干言い淀んでから、それを誤魔化そうとするかのように、琴美は杖をバトンのようにくるりと回した。

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