均衡の守り人(1)

「別にいいんだけどさ。一応それは僕の私物なので使うなら使うと一言言ってくれないかなワイトくんよ」


 隣の部屋からタオルを被って戻ってきたワイトに、京也が軽く抗議した。

 彼の言葉にワイトではなく杏季がぴくりと反応し、申し訳なさそうに言う。


「ごごごごめんなさいだって凄く濡れてたからこのままじゃ風邪があれかと思って、後で雨森君には許可を取ろうかと」

「いやそういうことならいいんだそれなら別にヨシどうぞお使いください」


 慌てて京也は素早く手を前に突き出した。

 その後で改めて二人を見比べると、彼は安堵したように息を吐き出す。


「ともあれ。その様子を見ると、穏便に済んだ訳だな」


 ああ、とワイトは頷く。すっかりいつもの調子のようだった。

 杏季は相変わらずおどおどしてはいたが、先ほどのような怯えはなくなっている。


 タオルで髪の水気を切ってから、ワイトは「あ」と思い出したように言う。


「俺、お前らの仲間になるよ」


 唐突な台詞に、潤は飲んでいた麦茶を噴き出しそうになった。

 あまりに自然に言ったので、つっこむ気力もなく京也は苦笑いを浮かべる。


「さらっと言ったな。なんていうか……うん、そうか」

「そう」

「『そう』じゃねーよ……いっそ清々しいなお前……」


 杏季との一件が解決したのは喜ばしかったが、自由なワイトの言動に続けるべき言葉を失い、京也の口からため息が漏れた。

 むせ返った潤は落ち着きを取り戻すと、京也に代わってワイトにびしっと指を突きつける。


「つぅかさお前、一応うちらも巻き込まれたんだけど、私らには何もなしかい!」

「あ、ごめ」

「かっる!!」

「あ、いやそうじゃなくってさ、謝ってなくてごめんなさいという意味のごめんというか。

 というわけでごめんなさい」

「かぁぁっるうっ!!」


 潤は頭を抱えながら叫んだ。

 続けて横から春が尋ねる。


「けどさ、そっちも何か目的があってビーの方にいたんじゃないの?」

「ああ、うん。いちおー俺も理術性疾患なんだよ」


 彼女の問いに、ワイトはあっさりと首を縦に振った。

 一瞬の沈黙の後、京也と潤と春とはそれぞれ顔を見合わせる。


「……さらっと言ったね」

「ものすごさらっと言いやがった」

「めちゃくちゃさらっと言った」

「え? そう?」


 きょとんとしてワイトは首を傾げる。


「だけど別にそんな治したいわけでもないしさ。むしろ今はこっちにいたいから、そーゆー訳で俺は仲間になるよ」

「なんだろうな、なんとなくとても腹が立つぞコレ。てめーいけしゃあしゃあと仲間になるとかほざいてんじゃねーよこの野郎」

「えっ」


 両手の爪を立てながら唸った潤へ、今度は杏季がきょとんとして驚きの声を挙げる。


「仲間になるんじゃないの?」

「……いやあのそんな決定事項みたいに言われても、その、状況的にこう……まあいいや、もうなんでもいいっす」


 気疲れして、潤はそれ以上の言及を止めた。他ならぬ杏季がこの調子なので、どうにも毒気を抜かれたらしい。


「ま、確かに……個人的にいろいろ言いたいことはあるけどさ。あっきーがいいって言ってるなら問題はない、でしょ。私らは元々、葵くんと一緒に引き込むつもりだったんだし」


 春もまた呆れ半分、諦め半分にぼやいた。

 悔し紛れに、潤は目下最強の人物に反撃を頼むことにする。


「佐竹さん! 琴美さん!!

 仲間になる云々はもうこの際いいとしても、このヤローにここは一つガツンとなんとか言ってやってください!!」

「そうですねー。私は」


 がん、と盛大に音を立てて乱暴にテーブルへコップを置きながら、琴美は口元だけ微笑みを浮かべた。


「『何で今更になってそんなこと抜かすんだど阿呆、貴様自分が何やったのか分かってんのかてめぇのやったことは未来永劫いかなる手段を行使しようと決して払拭ふっしょくされるようなもんじゃねーんだぞ死してつぐなたたられろ呪われろほふられろむしろ今すぐ私が塵芥じんかいに帰してやろうか私を打破したのはおろか杏季さんにあんな仕打ちしやがって万死に値する音叉野郎めがあー腹立つ本当消えれば良いのにこの愚民が』

 程度には思っていますけれど?」

「ほ、ほほほほ本当にすみませんでした……っ!!」


 内容と迫力に怯えてワイトは後ずさり、側にいた杏季の背に隠れた。盾にされた杏季は困ったように琴美へ微笑む。

 杏季へは邪気のない笑みを返してから、ちっと舌打ちをして琴美はぶっきらぼうに吐き捨てる。


「……でも杏季さんがそう仰るのなら、私怨はともかく私がとやかく言う筋合いはありません」

「今の舌打ちは」

「何か文句でも?」

「いいえ1ミクロンたりともございません」


 彼女から目を反らし、ワイトは両手を挙げて更に一歩下がる。

 安全な位置に身を落ち着けたところで、ワイトは改めて杏季に向き直り、自分の携帯電話を取り出した。


「あのさ。そーいうわけだから、メアド教えてくんない?」


 ずばり言ってのけた彼の言葉に、葵と京也は目を見張る。


「すっげナチュラルにそういうこと言えるのがあいつのすごいとこだよな」

「単刀直入にも程がある」

「そういうわけって、お前」

「どういうわけだよ。いや言いたいことは分かるんだけどさ」


 ぼそぼそと小声で二人は会話を交わした。

 当の杏季はワンテンポ置いた後で、「ほわっ!?」と大仰にのけ反った。彼女の派手な反応を見て、ワイトは苦笑気味に呟く。


「やっぱ俺に聞かれるのは嫌?」

「や、やややそ、そんなことない! 好きです!」


 杏季の言葉に、今度はワイトが虚を付かれてたじろいだ。

 一瞬遅れて杏季は自分が何を言ったのかに気付き、あわてて弁解する。


「えっと! うんとそーじゃなくて! 嫌いじゃないです! あ、いやそういうとネガティブな感じに聞こえるけどそうじゃなくて! つまりその、大丈夫です!!」

「……Verdammt gut.」

「え?」

「いや、何でもない」


 ワイトは柔らかく笑んだ。杏季は慌てて自分のバッグに駆け寄り携帯電話を取り出しながら、先ほどの発言を取り繕う。


「えっとですね、なんていうかその、単にびっくりといいますですか……。

 私、男の人のメアド聞くの、お父さんとか身内を除いて初めてなので」

「マジか」

「あとは合宿で使った貸し布団業者さんの電話番号くらいで」

「それは男というよか企業な」


 携帯を開き、杏季はぎこちない手つきで自分のアドレス帳を呼び出した。自分も手元でちまちまと操作をしながら、ワイトは京也と葵に問いかける。


「お前ら、聞いてないの?」

「聞いてない」

「聞けない」


 二人は一様に首を横に振った。どことなく気後れがして、二人は杏季の連絡先だけは聞けずにいたのだ。そもそも連絡先を聞いていたとて、今まではまったくそれが使用されることはなかっただろう。

 無事にアドレス交換が終わり、杏季は登録したばかりの画面を見つめながら首を傾げる。


「え、っと。……臨心寺?」

「ああ、言ってなかったっけ」


 満足気に携帯を閉じた彼は朗々と告げる。


「『臨心寺りんしんじ裕希ゆうき』。これが俺の本名だよ。長いから大抵の奴らにはリンって呼ばれてる」


 杏季は小さく息を飲む。


「……リン」


 ぼそりと杏季は自分にだけ聞こえる程度の音量で呟いた。






「さぁててめぇのターンは終わりださっさと席につきやがれ貴様それから杏季さんの隣に馴れ馴れしく座んじゃねぇ汚らわしい」


 露骨にワイト、もとい裕希への敵愾心てきがいしんを滲ませながら、琴美は仁王立ちになった。裕希は裕希で、彼女への警戒心をあらわに葵の隣へ逃げ延びる。

 一同が神妙に姿勢を正したのを見て、琴美は一つ頷き腕を組む。浮かない表情であったが、やがて覚悟したように静かに瞳を閉じた。


「皆さんは、あまりに行き過ぎた部分に踏み込んでしまいました。しかし後悔しても今更、引き返すことは出来ません。

 もし、これから私の言う条件を飲んでくれたなら……今から私はあなたたちに、話せる限り全てのことをお話しようと思います。

 ですがその前に」


 一呼吸置いて、彼女は静かに目を開ける。


「一つ、はっきりさせておかなくてはならないことがあります」


 琴美は杖を持った腕をぴんと伸ばし。


 その杖の先を、真っ直ぐ葵に突きつけた。

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