真夏の歌迷走(4)

 人があまり立ち入らないためだろうか。公園の隅には青々と雑草が生い茂っていた。ブロック塀に二方向を囲まれたその場所は、遊具の影で潤たちからは死角になっている。

 その草むらの中で、杏季はうずくまっていた。京也が近寄ると、草を掻き分けた足音を聞きつけ小さい体躯がびくりと震える。


「こ……来ないで!」


 振り向きもせずに杏季は拒絶の声を上げた。

 必死な声色に、やれやれと困ったように京也は頭をかく。迂闊に近づいても、余計に怖がらせてしまうだけだろう。

 しばらく躊躇してから、京也はぱんと両手で自分の頬を叩いた。気合を入れてから彼は目を閉じ、両手の平をぴたりと突き合わせる。


 途端。

 ぼん、という音が鳴り響き、辺りに藍色の煙が立ち上った。

 突然の音に驚き、杏季は何事かと顔を上げる。


「っと、久々だと妙な感じだな。動きにくいったらない」


 聞こえてきたのは、聞き覚えのある京也の声。

 しかし。そこにいたのは、杏季の知っている京也ではなかった。


 兎の姿である杏季よりは大きいが、普段の彼と比べあまりに小さい。

 いや。それ以前に、彼は人間の姿ですらなかった。

 あまりに細く、ごつごつとした足。黒い尾の部分を除き、体全体を白い羽が覆っている。そして何より目立つのが、赤褐色のとさか。



 そこにいたのは、紛れもなく一羽のにわとりだった。



「はうっ!?」


 思わず後ろ足で飛び上がり、杏季はそれを凝視した。鶏は彼女の反応を愉快そうに眺めている。動揺したまま、杏季は裏返った声を上げる。


「え、と。……あ、あああ雨森くん!?」

「いかにも」


 人間であったならばきっと彼はにやりとした笑みを浮かべていたことだろう。しかし今は姿が姿なので、鶏は不器用に羽を震わせただけだった。

 おずおずと杏季は尋ねる。


「あ……雨森くんも、そうなの?」

「そうだよ、僕も理術性疾患だ。杏季ちゃんと同じ、人外変身型のね」

「は、初めて、会った……同じ、人」


 ほうっと杏季は溜め息を漏らした。

 そろそろと慎重に京也は杏季のところまで歩み寄ったが、彼女は逃げない。驚いてはいたが、先ほどのような拒絶はなかった。ただ目を丸くしてじっと彼を見つめるばかりである。


「驚いた?」

「そりゃあ、そうだよ。……コレのタイプは、珍しいもん」

「そりゃあ、そうだな。僕だってまさか、身近に同種の人がいると思わなかった」

「そりゃ、自分の他にも、こんなケッタイな人がいる、なんて思わないよ」

「そりゃ、そうだよな」


 京也はばさりと羽を広げる。


「意味が、分からないからな」

「意味が、分からないよね」


 杏季はぴくりと長い耳を動かした。


「なんで、こんなことになるんだろうね。二十一世紀でしょ、おかしいよ」

「それを言ったら、他にもおかしいことは山とあるけどね」

「……それもそっか」

「事実は小説よりも奇なりってさ」

「普通で、いいんだけどなぁ」

「ま、この状態になるのはそれこそ普通じゃないことをやらかしたときだけだし。日常は平気だから、まだマシと思うほかないさ」

「そだね。幸い、薬とかも開発されてるし」

「月谷が使ったジュールもあるしな」

「あ、あれもそうだよね。壊れちゃったみたいだけど」


 始めはぎこちなかった杏季だが、ぽつぽつと続けた会話で自然に言葉を交わせるようになっていた。多少なりとも気持ちが落ち着いてきたらしい。自分と同じ境遇の人間と話を出来たことが気を安らがせているのだろう。


「しっかし。兎に鶏とは、さしずめ飼育小屋コンビだね」


 そのまま軽快な調子で京也は言った。

 だが杏季は、思いがけずその言葉にびくりと体を震わせる。彼女の様子を横目に、京也はがり、と爪で地を引っ掻く。


「……ごめん、禁句だったかな」

「ううん、違う。いい加減、引きずり過ぎてる私が悪いの。今回のことも、全部。

 ……私が男の子苦手なのってね、これが原因なんだよ」


 前足に頭を埋めるようにしながら、杏季は半分は自分に言い聞かせるように続ける。


「あの人に、言われた通りなの。私は、逃げてるだけ。今までずっと周りのみんなが守ってくれてたから、それに甘えて生きてただけなの。

 ……でも、それじゃダメなんだよね。自分じゃ大丈夫だと思ってても、それで周りの人、傷つけちゃうんだよね。昔の傷があるからって、許されると思ってちゃダメなんだよ。怖いけど、でも、それでも」


 京也は黙って杏季の台詞を受け止め。

 しばらくしてから、違ったことを尋ねる。


「杏季ちゃんは。みんなには言ってなかったのかい、このこと」

「……言えると、思う?」

「ま、言わなくて済むなら――言いたかないよな」


 諦め混じりの声で言って、京也は空を仰いだ。数秒の間、沈黙が流れる。

 やがて杏季は大きく息を吸い込んでから、それを盛大に吐き出した。


「つっきーはすごいよね。周りみんなに隠さないで、堂々と自然に振舞ってるんだもの。そしてそれが受け入れられてるから、羨ましい」

「あいつは相当、特殊だけどな。そういう芸当が出来る奴のが珍しいだろ」

「それでも。……私は、今更、合わせる顔が無いよ。つっきーと違って、私は結局、言い出せなかった。みんなにだったら、言えるかもと思ってたけど。

 でも結局、私は隠してたの」


 物憂げに杏季はぐったりと寝そべった。

 くっと首を傾げて、京也はただ淡々と語る。


「友だちだからって、全てを全てさらけ出さなきゃならない訳じゃない。そんなことを前提にうたう奴こそ僕は疑うけどね。

 月谷は確かに強いかもしれない。けど、それを真似すりゃいいってもんじゃないだろ。強くなるったって人それぞれのやり方があるし、正解なんて誰にも分からない」

「……そうかな」

「そうだろ。あいつをそっくり真似することこそ僕は止めるけどね。

 それに、これを打ち明けてもいいってちょっとでも思ったあいつらなんだ。今まで言わなかったことをぐちゃぐちゃ言うような連中じゃないだろ」

「……うん」


 口を閉ざし杏季はじっと虚空を見つめる。隣で京也もぼんやりと目の前の景色を眺めた。普段は気にも留めない草花が、まるで樹木のように眼前にそびえる。いつもと違う目線から見た風景は、まるで別物だった。

 長い沈黙の後で、杏季はむくりと緩慢に立ち上がる。


「……私、みんなに話すね。これと、昔のこと」

「それでいいのかい?」

「うん。決めたから。知ってて欲しいなって、今は思うの。それでどうっていうのじゃなくって、ただ、知っててくれたら嬉しい。これから頑張るためにも」


 迷いが晴れたように、杏季は清々しく言い切った。すると。

 また白い煙が突如あがり、杏季は元の人間の姿に戻った。バランスを崩し、彼女は草むらに尻餅をつく。


「ありがとね、雨森くん」


 笑みを浮かべながら体勢を整えて座りなおすと、杏季はまだ鶏姿の京也をそっと抱え上げた。


「なんか、雨森くんって安心するね。あったかいっていうか、頼れるお兄ちゃんみたいなかんじがする。今まで私がまともに話せた男の子って、一人二人しかいなかったんだけど、もう雨森くんとは、この後も普通に話せそうな気がするの。

 ……ほんとはね、実はちょっと苦手だったの」

「知ってたよ、ヒメから……ベリ子から聞いてた。容貌も何も全部苦手な男子ど真ん中だって」


 なぁんだ知ってたの、と気まずそうな表情を浮かべつつ、彼女は静かに喋り続ける。


「見た目とかで判断してたのは、私の方なんだよね。

 ……ほんとは、心の底では分かってた。男の子だからって、皆が皆、意地悪な人のわけがない。一瞬そういう時があったって、ほんとに悪い人なんてそうそういない、みんなそれぞれに接し方や雰囲気が違うだけなんだって。

 いい加減、どうにかしなくちゃいけないって思ってた。けど、ずっと逃げてたの。その方が、ずっとずっと楽だから。

 私。……ちょっとずつしか出来ないと思うけど、治してくね。自分の目で、もっとちゃんと、しっかり見てかなくちゃと思う。それがせめてもの誠意だと思うの。今まで、守ってくれたみんなに対しても。それから、

 ……あの、ワイトくんに対しても」


「……ワイトに関しては、まぁ」


 ごにょごにょと口の中で濁してから、京也は優しい口調で告げる。


「杏季ちゃんがそう決めたなら、無理しない程度でゆっくりやればいいと思う。

 幸い今は、多少なりとも男子が近くにいるわけだし、そっから慣れてくことはできるんじゃないのかな。今のとこ杏季ちゃんを守るってのが主目的の集まりではあるけど」

「あはは、その構図はよくないね。でも、このメンバーなら大丈夫なんじゃないかな。

 そう考えるとさっき言ったお兄ちゃんってのもよくないね、甘えちゃいそうだから。でもきっと雨森くんは、甘やかさずに、でも厳しくない程度に、すごくいい距離で見守ってくれるタイプだよね、きっと」

「……買いかぶり過ぎじゃないのかな」

「そうかな? そんなことないと思うけど。……あー、でも私、ちょっとズレてるとこもあるからなあ。それに私、身内にはすっごく甘いからさ」


 さり気なく言った杏季の最後の言葉を聞き。


「そりゃ、よかった」


 京也は気負いの無い声色で言い、ばさりと翼を広げた。






+++++



 雲行きが怪しかった。

 チームCのビルを出たときから既に疑わしかった空は、今やはっきりと暗い雲に覆われている。いつ夕立が来てもおかしくない。

 公園を出たワイトは、少し離れた場所にある狭い空き地でぼんやりと佇んでいた。ここ最近、人の手が入っていないらしき空き地はぼうぼうに雑草が伸びきっている。

 やがて彼は空き地を囲む壁に背をつけ、ずるりと力なく座り込んだ。膝を抱え、腕に半分顔を埋める。


 ぽつり、と彼の頭に雫が落ちた。

 一滴、二滴と降り注いだ雫は、ほどなく大粒の雨へと変わり、夕立となって彼に降り注ぐ。だが彼は、そこから動こうとはしない。


「何を」


 上げた顔に強い雨粒が当たった。

 暗い雲を睨み、彼は顔をしかめる。


「……何を、やってんだよ。俺は」


 呟き、ワイトは瞬く間に出来上がった傍らの水溜りをぴしゃりと叩く。

 跳ね上がった水滴はワイトの手を濡らし、更に彼の体温を下げた。






(3.腐りかけロマンチスト:完)

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