草の影、影の波(3)

 再びベンチに座り込む気にはならず、二人はどうしたものかと図書館周辺を歩き回っていた。

 事実としてワイトは拒否したのだから、皆に報告しないわけにはいかない。だが拒否した理由を馬鹿正直に告げてしまうのは、内容が内容だけにはばかられた。

 どうにか他のもっともらしい言い訳がないかと考えながら、思考に行き詰って二人の間に沈黙が訪れた時である。


「……うっわ」


 ふと前方に目線をやった葵はにわかに呻き声を漏らした。彼の視線を辿れば、そこには見覚えのある人物が自転車を手に立っている。

 記憶を辿ってみて、奈由は怪訝にこちらを見つめるその人物がビーの片腕たるアルドであるということを思い出した。


「みんな図書館が好きなんですねぇ。さっすが受験生」

「言ってる場合か」


 辺りを見回すが、周囲に他の人影はない。夏休みとはいえ、太陽が盛りのお昼時に炎天下に出ている人間は少ないようだ。図書館の周りは緑の多い公園になっていて、そびえた木立がちょうど人通りのある通りから三人の姿を覆い隠している。

 焦りを隠しながら葵は一歩、前へ踏み出した。自転車を置き近寄ってきたアルドは慎重に二人を見比べながら問いかける。


「なんで二人が一緒にいるのさ?」

「聞いてねぇか? 俺はビー側から離脱した。こっちに付いたんだ」

「……想定内の回答だけど間違いであって欲しかったよ」


 ため息混じりに吐き出して、アルドは浮かない顔つきで右の手の平を上に向けた。手の平から、ぽっとテニスボール大の炎が浮かび上がる。それはじわりじわりと大きくなり、みるみる人の頭より巨大なサイズになった。

 葵は一歩後ずさる。


「こっ、……攻撃するって指令は白原に対してだけじゃねぇの?」

「あのな、それはあくまで基本路線だ。けど直接敵と遭遇しておいて、挨拶だけしてハイさよならって訳にもいかないだろ」

「そりゃ、そうだろうな」


 アルドは手を振りかぶり、二人の足元に向かって火の玉を投げつけた。二人は反射的に後ろへ跳び退る。炎は地面へ派手にぶつかり、くすぶりながら四散した。芝生でないため燃え広がることは無かったが、しかし二人を怯ませるのには十分だった。


 アルドは両腕と両手の平とを広げ一瞬閉じた瞳を見開き、単調な声で言い放つ。


「標的確認。及び空間閉鎖完了」

「うげっ」


 今度は焦燥を隠しもせず葵はあからさまに顔を歪めた。

 無感情な眼差しで二人を見据え、アルドはその口調のままで宣言する。


「戦闘、開始」


 アルドの両手から帯状の炎が飛び出し、二本の帯は絡み合って一つになる。その炎は蛇のように先端でぱっくりと口を開いていた。生き物のように体をうねらせながら、炎は二人の方へ向かってくる。

 最後までそれを見届けないうちに、揃って二人は背後へ全力で退却した。後ろを振り向かずに二人は生垣のバリケードを同時に生やす。しかしそれがあっけなく炎に焦がされる音が聞こえ、やはり二人は後ろを確認することなく全力疾走で逃げた。


「ちっくしょ、最悪の次から二番目だ」

「二番目?」

「最悪がビーに遭遇すること。強さでも嫌いって意味でもダブルパンチで最強最悪だろ。

 あいつじゃねぇだけ大分マシだけど、この状況だって相当まずい。俺らは二人とも『草』なんだぞ」

「そうだね、紛うことなくピンチだね」


 自然系統ではっきりとした相性はないとはいっても、普通に考えて草と炎とでは有利不利が歴然だ。それにこちらは二人とはいえ、まだ両方が鍵を外せていないのだ。


 公園の端まで来てから葵は舌打ちして立ち止まり、補助装置をはめると意を決したように振り返った。

 葵はすぐ側まで迫っていた炎の蛇の周りに数本の巨大な蔓を呼び出す。それをまるで大樹に絡む蔦のように炎の周りへまとわり付かせた。あえなく蔓は燃えてしまうが、しかし葵の蔓を燃え尽くしながら炎の蛇も形を失う。


 次いで、アルドの視界を覆うように葵は丈の長い植物を彼の周囲にだけ一面に生やし、彼は先ほどと反対方向へ走り出した。奈由も補助装置を手にはめつつ葵の後に続く。


「炎ってのを除いてもだな、あいつはビーの次に強ぇんだよ。それにあいつは俺と同じ闇属性なんだ」

「でも、闇なら昼間は力が弱いんじゃないの?」

「基本はな。けど術者の能力に依る。アルドは昼間でもかなり力を使いこなせるんだ。

 さっきあいつは闇の理術で人避けをしやがった。通行人がここに近付かなくなったのは勿論、公園から俺たちが逃げ出すことも不可能だ」

「理屈は分からないけど、状況は把握しました」


 熱風が奈由の頬をかすめる。見れば、先ほど葵の生やした植物は既にすべて焼き払われていた。黒焦げになり無残な有様となった植物のしかばねを見て、奈由の心の中で微かな苛立ちが生まれる。


「……じゃあさ。他の何が来たとしても、今のこの状況よりはマシだよね?」

「敵でないなら、な」

「なら『この状況下』で味方ならまったく問題はないでしょう?」

「そりゃそう、だけど」


 怪訝に答えた葵を余所に奈由は立ち止まり、座り込んで地面に両手をつける。

 奈由は自分の周りにばっと植物のバリケードを張り巡らせた。葵は仰天してたたらを踏む。


「それじゃ。約三分ほど時間稼ぎをしてもらえるかな。奈由さん体力皆無だからもう走れない」

「はぁ!? ちょっ、お前っ!」


 抗議しようとしたが、アルドが再びこちらへ攻撃しようとしているのを悟り、葵は唇を歪めて彼の方を振り返った。

 葵は奈由を背にしてアルドへ向き直り、自分と奈由との間に彼も植物の壁を張り巡らす。二重に守られた奈由の姿は完全に見えなくなった。


「ちっくしょう、埋め合わせはしろよ草間ッ!!」


 葵は奈由のいる場所を守るように立ちはだかり、真正面からアルドと対峙した。

 手の平の上で火の玉をお手玉のように弄びながら、アルドは冷たい眼差しで葵を見遣る。


「いっぱしにナイト気取りか。鍵も外せてないお前が立派なもんだな」

「止めてくれ。あいつのナイトに成る気はねぇよ」


 言いながら葵は足元へ神経を集中させた。


 基本的に理術は、術者から離れた場所へ術を呼び出すことは難しい。理術を使用する際はまず自分の手元へ呼び出してから、他の場所へ術を放出するのが定石じょうせきである。

 だが草や地はその特性上、術者の立っている地面と同じ平面上ならば、他の属性よりも離れた場所への理術が使いやすい。遠隔攻撃がし易い、というのは彼らにとっての利点であった。


 彼は自分の真下の地面から密かに根を伸ばし、アルドに悟られぬように相手の背後までそれを伸ばす。会話に気を取られた素振りで、葵は慎重に術を構築した。

 アルドは空いている手の人差し指を立て、その先にぽっと炎を灯す。


「そうだな。精々グレンはポーン止まりだ」

「……はっ」


 ポーン。将棋でいう歩である。

 即ち『雑魚』、とでも言いたいのだろう。


「うっせぇ、んなこたぁ自覚してるよっ!」


 仕込んでいた植物がアルドの背後でそっと頭をもたげた。以前、春と戦った際に使用した、痺れを伴う粉を撒く植物である。


 まともに戦えばアルドは厄介だ。勝てる見込みは薄かったし、勝てたとしても相当な消耗を覚悟しなくてはならない。しかし相手が動けなくなれば最小の労力で事を済ますことが出来るという算段であった。

 しかし。


「んなっ……」


 まだ成長しきらないうちにそれが赤く燃え上がったのを見て葵は絶句した。

 アルドは振り向きもせず、準備していた火の玉を背後に放ったのである。


「ベリー程じゃないが、グレンの戦法はそこそこ掌握しょうあくしている。その相手にいつもの術を使うなんて、愚の骨頂だな」


 結局、アルドは後ろを確認することも無く葵の奥の手を退けた。一瞬思考が停止し、本気で葵は唇を引きつらせる。

 一方でアルドは、表情筋を動かすのすら面倒くさいとでもいうように、能面のように凝り固まった顔をこちらに向け無慈悲に言い放つ。


「パターン1、Pawn」


 アルドの手の平から、先ほどとは比にならない数の炎の塊が次々に生まれた。それは綿帽子のようにふわりと宙に浮き、一斉に葵に向かって飛来する。

 あまりに膨大な数の火の玉にたじろぎながらも葵は慌てて我に返った。彼もまた周囲に幾本もの蔓を呼び出し、それを弾き返そうと試みる。



 普段のアルドはごく大人しくて気の弱そうに見える高校生だ。

 しかしいざ戦いに移行すると彼はころっと人格が豹変ひょうへんする。ただひたすら戦いのみに集中し、言動にはほとんど無駄がない。

 何が彼をそうさせるのかは分からないが、普段とのギャップがあるだけに相手は余計に面食らい、普段の彼が柔和な人間である反動のように、こちらのアルドは余計に辛辣なのである。



 ――くっそ、いざ戦ってみたら冗談じゃねぇ!



 集中し、葵は多方向から飛んでくる炎を蔓で打ち返した。炎をしたたか受けた蔓は燃え上がる。複数の蔓を同時に操るのは神経を使い、既にだいぶ葵は消耗していた。

 幾つか葵の攻撃を逃れた火の玉が、奈由と彼らとを隔てる壁を燃やす。急いでその火を叩き消すと、再度、葵は壁を補強した。

 だが理術で応戦するには限界があると感じた葵は、炎の来襲が一旦止んだ隙にアルドの集中力を削ごうと声を張り上げる。


「こんなことをして何になる」

「目的の為だ」

「あんな奴に加担して半ば犯罪行為に走って、それでお前はいいのかよ」

「目的の為なら多少手荒な手段でも致し方ないだろう」

「結局ビーは何をしようとしてるんだよ」

「裏切り者に話す筋合いはない」

「……向こうにいた時だってちっとも教えちゃくれなかったくせに」


 葵の言葉を無視し、またもやアルドの手の平から幾多の炎が放出された。蔓で打ち落とすのもやきもきして、葵は奈由との間に張ったのと同じ植物の壁を生やす。

 が、それもすぐさま打ち破られた。


 あまりに早いペースで打破されるので、葵は額から滴る汗をぬぐうことすらままならない。体力にはそれなりに自信があったが、これではらちが明かない。

 ばらばらと頭上に降りかかる植物の残骸を避けながら、葵はまたアルドに問いかける。


「なんでお前らはここまでして目的とやらを達成したがるんだ」

「お前が言えた事かよ」

「俺はもう止めた。人に危害を加えてまで願いを叶えるつもりは無い」

「黙れ」


 アルドはきっと葵を睨み付ける。



「だったら今の世界そのものを否定するのに他ならない。

 何の犠牲もなしに今が成り立ってるなんて思うんじゃねぇよ」



 彼の叫びに虚をつかれ、葵は困惑し言葉を失った。しまったというように顔を歪めてからアルドは唸るように呟く。


「……分かってたまるか」


 先ほどと同じようにアルドは両腕を目一杯に広げる。


「お喋りは終わりだ。パターン3、Rook」


 言うやいなや彼の手の先から現れたのは炎の帯。

 二本の帯が一本に繋がり形を成したのは、先ほどと同じ炎の蛇である。正面からそれを目の当たりにし、葵は改めて冷や汗を流した。

 奈由が背後にいる以上、葵は防御に徹するしかない。だがこれをその場で押さえきるのは至難の業だ。


 葵は草の防壁を真正面に生やす。

 しかしまだ勢いのある炎は、それを打ち破っても尚その姿を崩さない。

 先ほどと同じくまた数本の蔓を呼び出し、二重三重に炎を取り巻くが、それでもなかなか勢いは弱まらない。危ういかと思えたが、すんでのところでようやく炎の蛇は蔓と共に崩れ去った。


 真っ黒になった植物の屍の雨が降る中、息を切らしながら葵がアルドへ顔を向ける。

 視界が晴れた向こうではアルドが仁王立ちで目を閉じていた。両手の平を組み合わせまるで祈るように、しかし肩を張ったその体勢は凛々しくアルドは朗々と言い放つ。


「パターン2、……Knight」


 アルドは目を見開く。

 途端、葵の背後で、嫌になるほど聞きなれた炎の燃え上がる音がした。


「チェック、だ」


 感情のこもらぬアルドの声に突き動かされるように葵は背後を振り返り、そして。


「何しやがんだてめぇっ!!」


 確認して、血の気が引いた。

 草のバリケードが炎上する。それは葵が奈由との間に張っていた壁ではない。



 その向こうにある、中に奈由がいるはずのバリケードだった。

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