草の影、影の波(4)
葵は弾かれたように走り出すが、彼が張った壁も遅れて炎上する。炎の壁に阻まれて葵はなすすべも無く立ち尽くした。
「
唇を噛み、葵が憎々しげにアルドの方を振り返った、その時だ。
「生憎だけどその必要は無いよ」
凛とした声が響いた。
次の瞬間、燃え盛る炎の壁がぶち破られる。その向こうから、補助装置を手にはめた奈由が姿を現した。
「少々遅かったねアルドくんとやら。……安心召されよグレン少年、私は既に抜け出てる」
「草間……」
安堵して思わず葵はへたり込みそうになる。しかし奈由の
奈由はアルドに負けじと、冷たい眼差しで彼を睨めつける。
「さあ、私の娘たちの肥料になるのはだあれ?
よくもうちの子たちを散々苛め抜いてくれましたね。君は絶賛もれなくフルパワーに、地球外生命体と並んで現在進行形で駆逐対称だよ」
一見、場違いに思える軽い台詞に葵は口を挟みそうになるが、彼女の横顔をちらりと眺めてそれを止めた。
奈由は、キレているのだ。
いつもと変わらぬように見える涼しげな表情の中に、微かに浮かんだ激昂の色を葵は見逃さなかった。何故それが分かったのかは葵本人にも不思議であった。
「草間。まだ補助装置は不慣れだろうけど、好きなように暴れてみるか?」
「無論、そのつもりですよ?」
にっと口元だけ笑みを浮かべて、奈由は悠然と答えた。
続けて彼女は、小声で葵にだけ聞こえるよう呟く。
「さっきみたいにアルドが火の玉を打ってきたら、同じ要領で打ち返してくれない? 私、高いところは嫌いじゃないけどそこから落下はしたくないの」
「落……分かった」
よく飲み込めないままに了解して、葵が頷くかどうかのうちに。
奈由はその場に座り込み、同時に彼女の真下の地面が盛り上がった。
生えてきたのは、巨大なヤシの木、である。
「っはああああっ!?」
思わず葵は叫んだ。
葵の驚愕などお構いなしに、奈由を木の上に乗せたままヤシは成長する。
「やっっっべぇぇぇぇ! 超楽しい! 補助装置って素っ敵☆」
「キャラが違くないか草間奈由!」
「何を仰るんですか、私はいたって普通極まりなうふふふふふふふふ」
「違う! なんか違う!! 何コレこれ誰!?」
「みんなのアイドル奈由さんでっす☆」
「違うっ! 絶対なんか違うっ!!」
葵は本分を忘れて叫んだ。奈由はご満悦の表情で、高みから二人を見下ろしている。
アルドは葵と同様あっけに取られていたが、しかし我に返り奈由のいる木ごと燃やそうと手の平から火の玉を打ち出した。
葵は奈由に言われたとおり、奈由の方へ次々飛来するそれを蔓でもって打ち落とす。
「ねぇねぇグレン君、言いたいけど日常生活ではなかなか言えない、そんな台詞を言ってみてもいいかな?」
「こっち必死なんすけど!? あなたの好きにすればいいじゃないですか!!」
「人がゴミのようだ!」
「うっわむかつくこのやろう!!」
「ひれ伏せ愚民ども!!」
「なまじ似合うから始末に終えない!!」
「そういうわけで」
奈由はぱちんと指を鳴らす。
それを合図に、アルドのいる方角へ大きくヤシの木がたわんだ。
風になびいた、といったレベルではない。ほぼ水平近くまでヤシの木は
「……チェック」
素早く地面に飛び降りた奈由は、即座に地面から幾本もの茨を呼び出した。するりと茨はアルドを囲うように成長する。アルドは慌てて体勢を起こそうとするが間に合わない。
「いくらあなたが炎で簡単に草を焼き尽くせたとしても、自分に絡みついた植物まではさすがに簡単には燃やせないでしょう?」
穏やかに奈由はアルドへ微笑む。勝ち誇った笑みというのはこういうことなのだろう、と葵はまるで人ごとのように思った。
今やアルドの周りには、縦横無尽に茨が張り巡らせてある。彼の周囲を鳥かごのように囲うだけでは飽きたらず、アルドの体そのものにも手加減は加えつつ茨が絡みついていた。少しでも動けば棘が突き刺さるだろう。
この状態で炎を出せば、否応なしに自分に燃え移る。集中できない状況下なので、外にいる奈由たちへの遠隔攻撃も出来ないとみえた。
「結構お前も容赦ねぇな」
「因果応報、私の娘たちにおイタをした罰だよ」
「主に燃やされたのは俺の植物ですけど」
「生えとし生える植物は総じて私の娘です」
きっぱりと言い切る奈由を、素直に感嘆の眼差しで見遣ってから、葵は彼らの背後にそびえ立つヤシの木を見上げた。
「けど、ヤシの木を生やす必要はあったのか?」
「敵を油断させ引っ掻き回すのだって立派な手段の一つですよ。一見ふざけてる様にしかみえない態度でこんなワケ分からないことしたら、何をするつもりなのか読めないでしょう? 正攻法では勝てないと思ったしね。
……いえ、白状しますと5割方は娯楽でしたが」
「…………」
感心するべきなのか呆れるべきなのか、どういう反応を示せばいいのかに困って、何も言うことが出来ずに黙り込んだ葵だった。
奈由は腕を組み、黙ってじっとこちらを見据えているアルドへ向き直る。
「一つ、いいことを思い出させてあげるよアルド君」
彼を取り囲む茨にそっと手を触れながら、奈由は手の平を上に向けびしりと人差し指を彼へ突き出す。
「ポーンは
格下だと思ってなめてると、キャスリングもままならずにチェックメイトですよ?」
やはりアルドは黙ったままだ。だが心なしかその眼差しは先ほどよりもはっきりと奈由へ注がれているようだった。
駒の名前程度しかチェスを知らない葵は控えめに尋ねる。
「プロモーションって何だよ?」
「昇格。将棋でも敵陣に入れば歩は金に成るでしょう。歩兵でも行くところまで行けば、騎士にだって女王にだって僧侶にだってなれるってこと」
「よくご存知で」
「ネットのチェスゲームユーザーなめんな。
それはそうと、君も気迫で負けてんじゃないの。私のナイトには成らなくても、はったんのナイトには成るべきです」
「んなっ」
不意打ちで言われ葵は赤面した。奈由は楽しそうににやりと笑みを浮かべる。
「それと。我らがルークがもうすぐ到着する。チェックされるのは君の方だ」
奈由は振り返りざまにアルドへ告げた。微かに吹いた風に、彼女の髪がさらりと揺れる。
彼女の言葉に何のことかと葵が首をひねった、それから僅かに遅れて。
彼らの背後に、突如として小さな津波が出現した。
「……補助装置を使ったとしてもさすがに限度があると思うんだ、俺は」
「すごく同感です」
奈由は神妙に頷く。
一瞬の罪悪感を覚えた後に、葵と奈由はアルドを置いたまま安全な場所まで逃げた。
二人が走って距離を取ったところで、津波が植物を覆う炎を飲み込む。一瞬にして鎮火したそれは水流により崩れ、植物の残骸は水に流された。
逃げた先でも水しぶきが僅かに二人の足元にかかる。取り残されたアルドはといえば、すっかり水を被り全身が濡れそぼっていた。
「貴っ様ァ! この潤さんのテリトリーを好き勝手に荒らしまくりやがって、しかもマイスイートラヴァーなっちゃんになああにしてくれやがってんだこんちくしょう!!」
公園の外からでもはっきりと分かるその声。
声の聞こえた方角に顔を向け、葵は脱力した。台詞に加え、敷地外から拳を突き上げるその姿を見紛うはずがない。
「出たよ月谷!」
「うおぉうアオリン、お化けみたいに言うなよ!」
思わず葵に言い返してから、潤は気を取り直して長い指を突き出す。
「我らがなっちゃんに呼ばれて飛び出て潤さん華麗に登場!」
「わーすごいさっすがー」
「なっちゃん棒読みじゃない!? 潤さんきちんと消火したのに酷くない!?」
潤は飛び跳ねながら、遠くの方で抗議した。
闇属性の理術で人避けをしても、『そこに行かなければならない』という強い意志があれば、効果はない。奈由から話を聞いた潤には、ここへ助けに来るという明確な理由があったため、術で弾かれることはなかったのだ。
奈由はアルドに告げる。
「と、いう訳。だからこの空間から大人しく私たちを解放してくれない? 私たちが公園から出られたら、あなたに巻き付いた茨を解くから。
拒否したところでどちらにせよ彼女にヴィオへ連絡してもらってる。そしたら『光』属性の力で、どのみちこの空間は破られるよ」
しばらく考えて、アルドは不精不精といった風に静かに頷いた。
奈由は一見無感動にみえる眼差しでアルドを見下ろす。そこに含有された感情が如何なるものなのか、細かい部分まで葵は窺い知ることは出来ない。
アルドはその視線を捉え、ほんの少しだけ哀しげに目を細めたようにみえた。少なくとも、葵にはそう思えたのだ。
手筈通りに公園を抜け出ると、三人は図書館へ戻り、素早く荷物を回収し立ち去った。すぐさまアルドが追ってくるとは思えなかったが、他のメンバーを招集しないとも限らない。
「あれ。お前、片方しかしてねぇのか」
歩きながら葵が潤の手に目をやり、尋ねた。彼女の手には右にだけ補助装置がはめられている。潤は、あー、とはっきりしない声を漏らしてから、ぐっと右の拳を握りしめる。
「これは、あれだ! もう片方がなんか見つかんなかった!!」
「あほですか」
奈由の呟きに、潤はやんわりと苦笑した。戦いから補助装置をつけたままだった三人は、その会話を合図に手から外してしまい込む。
葵はふと思い出したように奈由に話しかける。
「しっかし、すげぇなお前。補助装置を使ったのは初めてだってのに、あっという間にアルドを制圧しちまったもんな。俺と違って素質があるんだろうな」
「あのねアオリン、それは違うよ」
即座に葵の言葉を否定して、奈由は真っ直ぐ葵を見つめる。
「私が無理やりどうにか出来たのは、君とアルドの戦いを観察してたから。安全なところで冷静に考えられたからだよ。
それが出来たのはアオリンが時間をかせいでくれたおかげ。
だからこれは、いわばコンビネーションの勝利だね」
「……コンビネーション」
「そ。一人だけなら多分負けてたよ」
ぼんやりと反した葵の言葉に、奈由は口角をあげて頷いた。
「そうそう、あとはそれから潤さんの活躍!」
「しましたか?」
「なっちゃん酷い!」
横から入ったものの奈由にばっさり切り捨てられ、大仰に潤は頭を抱える。事実じゃん、と重ねて冷たく奈由があしらい、ひどいー! と潤が泣き言を吐いた。いつものやり取りを見て、思わず葵もふっと表情を緩める。
「……ていうか、そうだ、そうだよアオリン」
「いや。さっきも言おうと思ったんだが、アオリンってどういうことだよ」
「葵だからアオリンだろ。
ってそうじゃないそこが問題じゃねーんだよアオリンこと染沢葵クン?」
低い声で呟くと潤は急に立ち止まり、がしりと葵の両肩を力任せにつかんだ。彼女はやや唇を引きつらせた笑顔で、重々しく葵に語りかける。
「どーしてマイスイートなっちゃんと二人で一緒に仲良くこの辺をぷらぷらしてたのか、潤さんによーく事細かに説明してみようか葵クン……?」
葵は、援護を呼ぶ際に奈由の言った意味をようやく理解した。
「あぁ、なるほど。『あの状況』では、味方だけどな」
「ね。でも背に腹は変えられないでしょ」
「そうだな。コレは一応話せば分かってくれるだろうし」
「よく分からないけど潤さんが心行くまで納得するように事情をスミからスミまで説明し尽くさないと貴様の頭から冷水ぶっ掛けた上でぎったんぎたんにのめしちゃうゾッ☆」
「あんたも大概怖ェよ」
葵はきっとこれから面倒くさくなるだろう応酬にため息をついて。
しかしどこか楽しそうに、自然と零れてきた笑みをその顔に浮かべた。
+++++
ぱら、と紙のめくれる音がする。机においてある本が風でめくれた音だった。ワイトはそれにつられて、開かれた窓の外を何気なく見遣る。
風が涼しい。
今は晴れているが、どことなく空模様は怪しかった。夕立が来るのかもしれない。
「――ベリーからの報告もアルドからの報告も共通している。となると残念ながら事実なのでしょう、『グレンは白原杏季側に寝返った』」
その言葉に、無言でワイトはビーへ視線を戻した。チームCの本拠地たるビル、その閲覧室にいるのはビーとワイトの二人だけだ。机の上には数三の問題集とルーズリーフとが無造作に広げられていた。
「貴方はグレンと共に向こうへは行かなかったのですか?」
「だってあっちに行っても俺には何のメリットもないし」
予想済みだった問いかけに、ワイトは手にしたシャープペンをくるくると弄びながら答えた。
「メリット、ですか。メリットも何も、貴方はそこまで自分の目的に対し彼ほどの執着はないように思えたのですがね。そもそも貴方はグレンがいたからこちらに来た感がありましたけど?」
「俺、白原杏季嫌いだもん」
ワイトはビーの問いかけに淀みなく告げた。その口調には一片の迷いもない。
きっぱりとしたワイトの言葉に、ビーはうっすらと微笑を浮かべてみせる。
「分かりやすくていいですね。僕は好きですよ。下手な理屈を並べ立てられるより、余程安心できる」
ビーは資料に刻まれた文字と、手元に広げた手帳の日付をちらと眺める。
「先日の実験で、白原杏季は確かに適合者であると確認できました。しかしまだ彼女は僕らの求める段階に達していない――故に、それを底上げしてやらなくてはいけない。我々が彼女を攻撃し窮地に追い込むことで、白原杏季の潜在能力を引き出す」
「ふうん」
くるくる回していたシャープペンをぴたりと止め、ワイトは顔を上げた。指を立てる代わりにワイトは手にしたシャープペンを軽く掲げてみせる。
「要するにさ。白原杏季を苛め抜いてくればいいわけだな?」
「物分りがよくて助かります」
「それが一番やりやすいのは俺だろうしね」
ビーは補助装置を彼に差し出した。ワイトは空いた手でそれを受け取り、代わりに愛用のシャープペンを机にかたりと置く。手馴れた様子で彼は補助装置を左手にはめた。
荷物はそのままに席を立ち、部屋を出ようと扉に手をかけたところでワイトはにわかに立ち止まる。
「あのさ、ビー」
「なんですか」
「徹底的に、やっていいんだよな」
「躊躇する理由がどこにあります?」
「了解」
言い残して、ワイトは扉を開け放った。
夏の夕方、夜気を僅かに孕んだ風が閲覧室に吹き込む。一瞬その風に目を細めてから、ワイトは静かに左手を握り締めて部屋を後にした。
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