草の影、影の波(2)
「ところで。ちょっと聞いてみたいことがあるんだけどね」
「……これ以上ナンデスカ」
「あ、大丈夫。今度は理術の話だから。色恋沙汰のあれやこれは今度の楽しみにとっておくことにするよ」
「後で聞くのかよ!」
葵は脱力してから、気を取り直して切り返す。
「理術については、それこそ俺より佐竹の方が知ってんじゃねぇのか」
「素直に答えてくれると思う?」
「悪かった」
素直に葵は謝罪した。奈由は「それに」と付け加える。
「ピンポイントで君関連のことだからさ」
「俺?」
「花火大会の時にさ。私、実際に会う前から、君の気配を察してたんだよね。
気のせいって言われたらそれまでなんだけど……それにしては、かなり具体的に」
花火大会で葵が攻撃を仕掛けた、その直前。
奈由は誰かに見られているような、妙な感覚に襲われていた。体中にまとわりつくようなもやもや感は、今でもはっきりと覚えている。
「けど、他の人だとそういうのは別に感じなかったの。もしかしたら同じ属性なことが関係あるのかと思って、知ってたら教えて欲しいなと思ったんだけど」
「大アリ、だな」
真顔になった葵が答えた。彼はやや固い表情を浮かべながら静かに頷く。
「やっぱりそうだったか。……それは、『共鳴』という現象だ」
「……共鳴」
ぽつりと奈由は呟いた。
「同じ属性同士の者でたまに起こる。親類縁者でなることが多いけど、赤の他人同士でも稀にあるらしいな。
相手が近づいた時、姿が見えるより先に存在を認識出来たり、相手が危機に陥ったときには遠い場所でもそれを察知出来るんだ。
前はこの共鳴が何かに応用できねぇかって研究がされてたみてぇだけど、今はほとんど
暗いから気付いてないとは思うけど、花火の日に俺と草間は目が合ってるよ。もしかしたらと思ったけど、やっぱりか」
一息に言ってしまってから、葵は横目で奈由の表情を窺った。やはり相変わらずの静かな表情をたたえたままで、奈由の細かい感情の変化を捉えることは出来ない。
奈由は握り締めた缶に口をつけ中身を飲み干してしまってから、控えめに口を開く。
「つくづくさ」
「え?」
「はったんだったらよかったのにね」
「……お前なぁ」
上げた顔の中にからかうような色を見つけて、葵は困ったように目を背けた。奈由は葵の反応を見て更に表情を緩める。こういう表情は分かりやすいのに、と内心でぼやき葵は頬をかいた。
「もしかしたらっていうのは、染沢少年は何も感じなかったの?」
「俺は何も感じなかった。共鳴は双方向とは限らねぇんだ。あの時はお前が狙われてる側だから察知したんだろ」
なるほど、と奈由は腕を組む。
「でもどうせこういう現象があるなら、いざという時に利用しない手はないよね。うちらがピンチの時もそっちが察知できるよう頑張れ少年」
「気合で出来たら苦労しねぇよ。できたら御の字だけどな。俺は理術だと劣等生だから。生物でも草間に負けてるけど」
「何を仰いますやら。現状では圧倒的に私より強いじゃん。
それに勉強だって、私が出来るのは生物だけだよ。生物はほぼ満点いけるけど、英語とかはボーダーに届くかどうかってレベルでやばいのに、テスト前ですら全くもって勉強していないという点において完璧だもの」
「そこは頑張ろうぜ受験生」
受験生、という単語に奈由もまた苦笑いを浮かべながらベンチから立ち上がる。安堵して葵もそれに倣った。
彼は奈由の後姿に向け、密かに心の中で語りかける。
――ごめん、草間。俺は、少しだけ嘘を言った。
前方の奈由が振り返り、葵はびくりと身をすくめた。
「何か言った?」
「いや、何も」
表面では平然とした風を取り繕いつつ、怪しまれないかと葵は冷や汗を流したが、しかし奈由はそれ以上言及しなかった。彼女の目線から解放されると葵はそっと肩を撫で下ろす。悟られない程度のため息を零しながら葵は秘かに唇を噛み締めた。
そんな彼の様子には気付かないまま、奈由は思い出したように問いかける。
「そうだ。せっかくだからもう一つ、聞いてもいい?」
「何だよ」
「理術について、自力で調べたことある?」
さりげない口調だが、至極真剣な表情。奈由の眼差しで、葵は彼女が言わんとしていることが分かった。
「……あるよ。ビーのところに行く前は、自力でやろうとしてたからな」
彼の返答に頷いて、奈由は背後にある図書館の巨大な建物を見上げる。
「今日、私はここに理術について調べに来たの。こっちゃんが嘘ついてるとは思わないけど、参考に一般的な知識としてはどんな風に
けど。理術にまつわる文献は、一冊も無かった」
「それだけじゃない」
奈由の言葉に葵は上乗せする。
「インターネットで検索しても、理術に関するまともな情報は一件も出てこなかった」
「……昨日調べた時点でも同じだったよ。結果的に、ちょっと私が調べたくらいじゃ何の情報も得られなかった」
「そりゃそうだろうな。学生の動けるレベルとはいえ、数年調べた俺だって何も見つからなかった。
……一般人は、手を出せるようなシロモンじゃねぇってこったな」
「そう。そして、逆に言えば」
ポケットから補助装置を取り出し、奈由はじっとそれを眺める。
「そんな知識をもってるビーやこっちゃんは、何者なのかって話だよ」
葵は無言で同意した。
彼もまた、そのことには気付いていた。しかし今までは違和感を無理矢理に覆い隠していたのだ。彼にとって、それが唯一の手がかりだったのだから。
奈由は悩む素振りをみせてから、ややあって口を開く。
「午前中、春日先生に会って聞いてきたの。花火の日に私たちに虫退治させた張本人の先生にね。
理術のこと、護衛者のことや適合者のこと、知ってることがあるなら教えてくれって。だけど、駄目だった。
『前に言ったように、私はあくまで頼まれただけ。佐竹さんが伝えない以上のことは話せない』って、さ」
「それって。……その先生より、佐竹の方がそっちじゃ立場は上ってことか?」
「言い切れないけど、おそらく、ね」
葵は空を見上げる。性懲りも無く今日も青空だったが、所々に厚い雲が漂っていた。夕方辺りに一雨来るのかもしれなかった。
「そういえばさ。今聞くのは野暮かもしれないけど」
「あ、うん。何?」
「裕希の件って」
「あ」
すっかり忘れていた、というように間の抜けた表情を浮かべてから、思い出して葵は渋面を浮かべる。
「あー、それはだな……」
「まぁ様子から察するに勧誘に失敗したみたいだけど」
「ぐ」
図星を突かれ口ごもり、葵は下唇を噛んだ。
「……言うべきか言わないべきか、非常に悩むところではあるんだがな」
「何を?」
「あいつが、拒否した原因」
奈由は少し考えてから、やや遠慮がちに提案する。
「みんなの所にもってく前に、試しに話してみてもいいんじゃない。問題がありそうだったらそれに関して意見もできるけど」
少し悩んだが、しかし葵は奈由に打ち明けることにした。いきなり本人のいる場で話すよりはましだと思えたし、奈由ならばどうすればいいか冷静な判断を下してくれるような気がしたのだ。
葵は小声でもって告げる。
「裕希が、ワイトがこっちに来たくないのはさ。……白原が嫌いだから、だと」
「あっきーが?」
「あぁ。理由は、……分かんねぇけど」
葵は改めて後悔した。せめて理由だけでも聞き出しておけば何らかの打開策があったかもしれない。しかしあの時の彼の様子では、どちらにせよ理由など教えてはくれない可能性が高かったと思えたが。
奈由は目を丸くした後で、不意に真顔に戻った。口元に手をやりつつ奈由はぼそりと独り言のように口走る。
「あぁ、もしかして。……あぁもしかするかもな」
「何がだよ」
「だから、あっきーだよ」
奈由は葵を見上げる。
「あの子は男子が苦手でしょ。君らとすら直接会話するのはままならない。雨森氏も君もそのことを承知してるから問題はないんだけどさ。
けど、何も知らない人間がそういう態度を貫かれたら、普通どう思う?」
あぁ、と合点がいって葵は頷いた。
身に覚えがないのに、何度も怯えられたり避けられたりすれば、普通は不快に感じる者が大多数だろう。もっとも彼らの場合、身に覚えは大いにあったが、それでも極端な態度が積み重なり話すらしてくれないとなればさすがに不審に思う。
葵はこちら側に来るまで大して杏季と接触はしていない。だから杏季は男子が苦手だという知識が先行していたので、そういうものだと思って接することが出来た。
しかしワイトは葵よりも杏季と関わる機会が多かったはずだ。そして彼は、杏季の事情を知らない。
「けど、花火の日も別に普通に見えたけどな。猫と遊んでただろ、白原と一緒に」
「あれは同じ空間にいただけで、一緒に遊んでた訳じゃないよ。
それに二人の接触はその後もあったでしょ。うちらが知らない部分だけど、あっきーがビーのとこに誘拐されたとき多分会ってるはずだよ。
もしワイトがあっきーを嫌う原因があったとしたらその時だろうね。ワイトに不快な思いをさせたとして、あっきーが自覚してるとは思えない」
「……そういえば、あいつの様子がおかしかったのはその時以来だな」
数日前からのワイトの様子を思い返して葵は呟いた。いつもと違う、と感じたのは杏季がビーのところに連れて来られて以後なのである。
あれから京也に勧誘され、葵の周りはばたばたしていたためワイトと話す機会は少なかったのだが、それでも彼が本調子ではないことは判った。
奈由はまた独り言のようにぼそりと言う。
「人を嫌いになるのは、人を好きになるのと同じように理屈ばっかりじゃない。
けど理屈じゃないだけに、人間の感情なんてものは他愛も無いことで簡単に左右されてしまうものだからね。……ある程度深い関係ならともかく、つき合いが浅ければ尚更」
奈由は後ろ手を組んで目を細めながら空を見上げる。
「厄介かもしれないなぁ……」
口には出さず、しかし奈由の言葉に賛同して葵は黙って俯いた。真昼の日差しがアスファルトの地面に二人の影法師を短く映し出す。
あえて告げはしなかったが、今のワイトは葵がこれまで目にしたことのない状態だった。それだけに、奈由が言うように状況は確かに厄介なのだろうと感じていた。
その直感が間違いではなかったことに気付く機会は、二人が想像する以上にずっと早く訪れることになる。
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