現代知人算定(4)

 夜分に鳴り響いたチャイムの音に、京也は素早く立ち上がり鍵を開ける。ドアを開けば、そこには先ほど皆と帰ったはずの潤が、怪訝けげんな表情を浮かべて立っていた。


「何だよ、用事って」


 潤の問には答えずじっと彼女を見下ろしてから、ややあって京也は告げる。


「手を出せ」

「は?」

「いいから、手を出せって言ってんだよ」


 彼女の返事を待たず、京也は潤の左腕を掴む。

 途端、潤は短く悲鳴を挙げた。反射的に彼の手を振り払い、涙目で潤は腕を抑える。


「なっ……にしやがんだよお前!」

「僕は軽く触っただけだぞ」

「ぬ……」


 京也の指摘に潤は口ごもった。

 潤の左腕は小刻みに震えていた。よくよく目を凝らさなければ分からなかったが、一度気付けばその異様さは嫌でも目を惹く。彼女の意志と無関係に痙攣けいれんを起こす腕は、どう見ても普通の状態ではない。

 今度は潤の右腕を掴み、彼は淡々と、しかし有無言わせぬ口調で告げる。


「いいから中に入れ。応急処置だが治療するぞ」

「悪い。……頼むよ」


 いつもと違いどこか不安げな色をたたえた眼差しで、素直に潤は頷いた。




「……どうして分かったんだよ」

「見てたからな」


 部屋の中へ潤を招き入れ、先日と同じように光の理術で左腕を治療しながら、京也は短く答えた。


「ビーのとこから連れ帰った時から違和感があった。それで気にして見てたんだ。帰りにベリーと接触したって聞いて、もしかしたら悪化したかと思って」

「目ざとすぎるよお前」


 不服そうに眉を寄せるが、それ以上は言わない。彼女自身も後ろ暗いところがあったのと、未知の症状への不安が大きいのだろう。

 胡座をかきながら、潤は先ほどの出来事をかい摘んで説明した。その後で、躊躇ちゅうちょしながらも彼女は正直に白状する。


「前から確かに違和感はあった。けど、派手に症状が出たのはついさっきだ。

 補助装置で水を呼び出そうとした途端、冷たいもので貫かれたみたいな妙な痛みが腕にはしってさ。術を使うのは止めたけど、その後も痛みとしびれが続いてる」

「で。お前はそのまま家に帰って、それをどうするつもりだった」

「……んー?」


 聞こえなかったふりをして潤は適当に濁した。京也はひくりと口を引きつらせてから、深く息を吐き出し。

 一旦、術を止めて、思い切り潤の頬を引っ張る。


「お前は一体どんだけ危険な綱渡りをすりゃ気が済むんだ!

 周りに心配かけてんのをいい加減自覚しろよこの天然トラブルメーカーが!!

 何回やっても心臓に悪いわ!!!」

「いひゃひゃひゃいひゃいいひゃい患者は優しく扱えって習わんかったのか!」

「生憎と僕は医者じゃないからな! そもそも今だって単なる応急措置だ、根本的な解決にはなってない!! そこんとこ分かってるんだろうな!?」


 言うだけ言うと京也はぱっと手を離し、渋面じゅうめんのまま治療を再開した。

 右手で頬を撫でる潤を一瞥し、彼は低い声で呟く。


「アンタの考えそうなことくらい分かる。誰にも心配かけまいとして、隠し続けるつもりだったんだろう」


 彼の質問には答えないが、咄嗟とっさに目を反らしたその態度からして、潤の魂胆こんたんはばればれだった。

 しばらくそうしていたが、やがて無言で突き刺さる京也の視線に耐えかね、潤は諦めて口を開く。


「この程度で心配かける必要ないだろ。言っとくけどな。他の皆にばらしたら承知しねぇぞ」

「そんなことはしない。そもそも皆を巻き込んだところで、どうせお前は聞かないだろ。補助装置は使うなと言っても使うだろうし、首を突っ込むなといってもどうせ突っ込む。違うか?」

「……違くない」


 あっさり言った京也に、意外そうに潤は顔を上げた。彼の表情は険しいが、うるさく言い募る気配はなかった。

 彼女の視線に気付き、京也もまた顔を上げる。正面から潤の目を覗き込むと、彼は強い口調できっぱり言う。


「なら、。僕以外の誰にも、絶対に腕のことは悟られるな。出来ることは僕が協力する。だから、隠し通す為に徹底的に立ち回れ。

 いいか、約束だぞ」

「……分かった」


 半ば京也の気迫に押されながら、また潤は素直に頷いた。

 どうせ反対されるだろうと思っていた。だから彼女は誰にも言わず、密かに隠し通そうとしたのだ。

 だから彼から掛けられた想定外の言葉に、呆気にとられていたのだった。


「それともう一つ。補助装置を使うなら、右手だけにしろ」

「何でだよ?」

「この症状は、補助装置に影響されて痛みと麻痺まひを発症してる可能性が高い。どのみち慣れたら補助装置は片手だけにするんだ。両手よりやりにくさはあるが、それでも左手に補助装置を付けて強行するより効率はいいはずだ」

「なるほど。分かった、使う時は右手だけにする。それくらいなら問題ない。

 ……ありがとうな」


 納得したように潤は頷いた。それを見て、ようやく京也は安心したように表情を緩めたのだった。




 治療が終わり、疲れ切ったように潤はテーブルに突っ伏した。そのままの体勢で彼女は手を開いたり握ったりして調子を確かめる。先ほどの痛みはすっかり消えていた。

 腕をぐるぐると回しながら、ふと潤は先ほどの出来事を思い出す。


「そういえばさ、あれ本当なのかな。自然系統には古なんかみたく相性が無いって話。ほら、一応敵側だからさ、嘘って可能性もあるかなって思ったんだけど」

「それは本当だよ。自然系統には人為系統ほどの相性の差がない。

 考えてもみろ、ビーだって元々は水なのに今は氷なんだ。水が炎に強いっていうなら既にそこで齟齬そごが生じるだろ、氷は水の応用な筈なのに」


 キッチンに立っていた京也は、冷蔵庫から麦茶を取り出しながらさらりと答えた。

 コップに二人分の麦茶を入れて居間に戻ると、京也はそれを一つ潤の前へ出す。座り込む前に彼は自分の分の麦茶へ口をつけると、半量程を一気に飲み干す。


「あいつはビーに言われたこと以外、お前らを悪いようにはしないよ。ビー側にいるけど、つきつめればあいつの立場は、琴美ちゃんと同じようなものだからさ」


 立場、と口の中で呟いてから、まさかといった風に潤は眉を寄せる。


「ベリーもこーちゃんみたく誰かの護衛者だってのか?」

「正式な護衛者じゃない。その候補だった、……んだと思う。

 詳しいことは知らないが、あいつは中学の時に『古を守る役職の試験』に落ちてるんだよ」


 迷ったように視線を泳がせてから、慎重に彼は話し始める。


「小さい頃からのあいつの夢がそれだった。僕には理解できないけど、それを生きがいとして過ごして来たから、試験に落ちた頃のあいつは目も当てられなかったよ。

 おまけに落とされたのは最後の最後、最終試験。そして落ちた理由が『霊属性じゃないから』なんだそうだ。実力は十分だったのに、あいつと同じく最終まで残ってた霊の子に負けたんだとよ」

「別の機会にまた試験を受けることはできなかったのか?」

「枠は狭い。滅多に被護衛者、つまり守られる側の人間はいないんだ。

 要するに、杏季ちゃんみたいな人間は相当に稀だって事」


 潤は夕方に杏季たちと交わした会話を思い出した。やはり潤たちの推測は間違ってはいなかったらしい。

 麦茶を飲み干し、コップをテーブルの上に置いてから、京也はぼそりと付け加える。


「さっき全力じゃなく見えたのもその所為だと思う。あいつは小さい頃から古を守ることを至上命題しじょうめいだいとして生きてるから、杏季ちゃん相手に本気になることは出来ないんだよ」

「……そうだろうな」


 ベリーはビーに言われた仕事は着実にこなしている。だが任務から外れた場所で見せる彼女の素顔は、決して冷徹なものではなかった。

 彼女はビー側としての責務を果たした上で、その範疇外の事柄では極力彼女たちが傷つかないよう立ち回っているように見えた。

 京也は憂いを帯びた目で、何かを懸念するような表情でそっと告げる。


「あいつが相手なら、杏季ちゃんが滅多なことで傷つけられることはないと思う。

 けど、琴美ちゃんの事はベリーに悟られないほうがいい。多分あいつは、それで多少なりとも荒れると思うぞ」


 潤は黙って頷き、やはり無言のまま麦茶を飲み干した。






「月谷、忘れるなよ」


 潤の去り際、玄関先で京也は腕組みして言う。


「腕のことは他の皆には悟られるな。けど、もしまた痛みが発症したらすぐに僕に診せろ」

「分かってる、けど」


 またもや潤は困惑して、じっと彼を凝視する。


「……随分と念入りなこって」

「それだけ、このテの話じゃお前は信用されていないと思え。

 どうせお前、こと自分自身のことに関しては、放っておくと一人で全部抱え込むだろう」


 彼は疑いの眼差しで潤の鼻先に指を突きつける。

 言い返すことが出来ず、潤は曖昧に笑ってみせた。


「言ったよな。僕は協力するって。いつどんな時間帯でも良い、何かあったらすぐに教えろ。僕がなんとかする。

 だから、僕にだけは隠すな」

「はいはい、分かったよ! けど大丈夫だ、慎重にやるし、きっともうこれっきりだ。だから心配にゃ及ばん、安心しろよ京也」


 これ以上、言い募られては堪らないとばかり、潤は勢いよく言い放つ。

 軽やかに身をひるがえすと、それじゃあ、と言い残し、潤は夜の闇に消えていった。


「……分かってるのかね、あのバカは」


 どこか釈然としない面持ちでぼやき、京也は肩で息をつきながら部屋の奥へ戻っていった。






+++++



「行かない」


 返ってきたのは、葵が予想だにしていなかった言葉だった。


 寮の部屋に戻った葵は、早速、本日の経緯を説明し、ワイトを勧誘した。

 机に向かっていたワイトは、しかし最後まで黙って話を聞いた上で、葵に背を向けたまま断言したのだった。


 予想と違うはっきりした拒絶に、葵は言葉を失う。動揺した彼の様子をちらりと横目で窺うと、ワイトは少しだけ表情を緩めながらも、しかしがんとして言い切った。


「俺は行かないよ。

 アオが行きたいってんなら止めない。けど俺はこっちに残る。悪いけどお前はお前で頑張れよ」


 頬杖をついて参考書の文字を目で追いながら、ワイトは続ける。


「俺は、得体の知れないビーの組織なんかより、長い付き合いのアオの方が大事だ。

 けど自分に関して言うなら、俺の願いを少しでもかなえてくれる可能性があるって点で、白原杏季側よりもビー側のがまだマシなんだよ」


 彼の言葉を聞き、少し前の自分と重ね合わせて葵はどことなく後ろめたい気持ちになった。躊躇ちゅうちょしてから、葵はおずおずと提案する。


「あんまり俺は勧めねぇけど。……俺は俺の主義で、自分の目的に彼女たちの手は借りないって豪語した。

 だけど俺とお前とは別だ。お前がそう言えば、彼女たちに協力してもらう事だって出来ると思うぞ。お前の場合は京也と同じなんだ、二人揃ってその辺りを探ることだって」

「問題はそこじゃないんだよ。……わかんないかなぁ」


 ワイトは頭を振り、気怠げに息を吐き出す。くるりと椅子を回転させ、彼はようやく葵に顔を向けた。彼にしては硬い表情を顔に貼り付けたまま、ワイトは淡々と述べる。


「俺の理由は至ってシンプルだ。ちょうど俺の構図とお前の構図は正反対だよ。

 単純にいえばお前はさ、ビーが嫌いだから向こうに行ったんだろ。

 それと同じように。

 俺は白原杏季が嫌いだから、ビー側に留まるんだよ」

「白原、……が?」

「ああ」


 倦怠感と不快感を絶妙に入り混ぜた眼差しで、ワイトは葵を見上げる。その眼を捉えて葵は不吉な確信を持った。

 ワイトの表情は単に硬いだけなのではなく、それは彼なりの嫌悪感を最大限に現したものだということに。



「なんでわざわざ嫌いな奴を守らなくちゃいけねぇんだ?」



 有無を言わさぬ口調で言い捨てると、そのままワイトは椅子の向きを元に戻し、机に向き直った。

 あまりの拒絶の色に、葵は何故と理由を問うことすら出来なかった。

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